「蛍光灯」
蛍光灯のあかりが、苦手である。
ホタルの漢字を宛がわれているが、暖かみがあったものではない。
それなら暖色を伴うものをと考えるが、自宅はともかく、出先にある多くの建造物に布置された蛍光灯は、純白の眩い代物を、多くが占めている。
生活がもたらす必要が、あの隅々までを照らし出す光を欲したことは想像に難くないが、燭台や行灯が主な光源として利用されていた時代は確かにあった。
例えば、時代劇などで武士連が密談を交わす際、一本の蝋燭を囲んだ情景を目にすることがある。顔は朧に闇の一隅へ浮かび、鋭くある眼光は引き立って見える。いかにも、目は口程に物を言うことを如実に表す好例であり、こういった場面における会話は、目を媒体に行われる。
仮に、蛍光灯を光源に交わされる密談であった場合、話者の全容は否が応でも視覚に捉えられ、羽織の特異な色調や、袴のほつれ、独特の所作全般に至るまで、多岐にわたる不要な情報は、武人をして混乱せしめていたに違いない。
密談に際し必備の情報は、各人の覚悟であることからして、これを確認するために要する光の類は、蝋燭ほどで十分なのだ。
加えて、燭光のもとにやり取りされる以上の光景は、人々を恐懼に誘う美しさを秘めている。
密談後は討ち入りと相場が決まっているため、屍は月光に晒される。月光に晒されて初めて、武人は全容を現すのである。
それは隠匿された美しさだ。燭光に映し出される部分美と、月光に映える全体美の滋味深い調和だ。
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉あすはかばねの上に照かと」 土方歳三
土方も、夜ごとの密談に際して浮かぶ同朋の顔と、月夜に臥す顔とを偲んでいたのだろうか。
「美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った」 (谷崎潤一郎 「陰翳礼賛」角川文庫)
陰翳のうちに美を発見した我々の先祖。
漆器、蒔絵、日本座敷の雅到に富む佇まい。いずれも、今のような主張甚だしい照明の下、発展したものではなく、少ない光の中で、趣向を凝らすことに主眼を置いた、生活の賜物であるのだ。
「昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれ出たもののように思える。派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蠟塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電灯の光線に代えるに一点の灯明か蝋燭のあかりにして見給え、たちまちにそのケバケバしいものが底深くに沈んで、渋い、重々しいものになるであろう」(同じ)
「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見るごとに、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と陰との使い分けに巧妙であるかに感嘆する」(同じ)
漆器に関する一文を読んだとき、自然に以下の文章が想起された。
「省ると時代に深さや浄さがある時(この事は時代の基盤が宗教にある事を意味するが)、どんな形に作品が現れても、悉く美しさに受け取られてゆく事を省みると、時代そのものに救いの力が働く事を考えないわけにはゆかない。それ故時代が浅かったり濁っていたりすると(つまり心の宗教的自由さを喪失すると)、何人も何物も救いの手から遠のくという事実を、謙虚に認めるべきではないであろうか」 (柳宗悦「種子阿弥陀三尊来迎繍画の入手の由来」)
谷崎さんの言う「重々しいもの」と、柳さんの言う「深さ」とは、同じことを指しているように思われる。
「時代の基盤が宗教にある事を意味する」とは、すなわち、漆器に、蒔絵に、日本座敷に美を追求した先祖の背景もまた、宗教を基盤とする生活に根差したものであるのだ。
ここで、谷崎さんの言う「闇」が克明に現われてくる。
「闇」は恐怖の象徴として立ち現われ、宗教は救いの手段として利用される。我々の祖先が「闇」に映える芸術作品を作り得たのは、「闇」(=恐怖)の中にこそ、救いが見出されなければならないことを知悉していたからではあるまいか?
蛍光灯から、随分と話が敷衍してしまった。