テンション上げなきゃやってられねえ
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「うわあー。うあー。あー……」
何度も何度も、精神に支障をきたしたかのように、ため息混じった声をもらし、酔っぱらいのようにふらふらした歩き方で、俺は家へと帰っていた。
周りに人がいれば、速攻通報されるだろう今の俺。不幸中の幸いか、今のところ誰ともすれ違わずに帰れていた。
後悔先に立たず……。やってしまったことは、もう何をしても取り返すことはできない。後悔しても始まらないとわかっていても、俺の本心はやり直したい気持ちでいっぱいだった。
藤枝さんの誘いを断ってしまったのは、よく考えるとあんまりわかっていない。
女の子と、しかも自分が好意をもっている人にだ、食事に誘われたとして、世の俺と同い年の男子はそれを断ったりするだろうか? 否、断るわけがない。
おそらく藤枝さんは深い意味は持たずに誘ったのかもしれない。それでも会話をすることで、ゲームでいうなら好感度を上げられたかもしれない。
「ああぁあー!」
考えれば考えるほど、断った時の自分をぶん殴ってやりたい気持ちになる。そうこうしながらも、俺は家の前にたどり着いた。俺はごく自然な流れから、ドアを開けようとした。
「…………あれ?」
ここで、後悔に駆られまくっていた俺の心に平常な気持ちが戻ってきた。ノブを手にし、自分の側に引いたドアは、開くことが無かった。
「おっかしいな……」
試しに俺はもう一度ドアを引く。だが結果は同じで開かなかった。
「……まあ戸締りはいいことだよな」
高校生とはいえ女の子。空き巣や変質者にでも侵入を許せば、ひとたまりもないだろう。俺は理沙のそういった警戒心に感心しつつ、ドアの横手に設置されたチャイムを鳴らした。
ピーンポーンという音のあと、しばらくしてもスピーカー越しから反応は無かった。
「寝てんのかな……?」
映画を観ずにそのまま帰った理沙。もしかしたらもう疲れて眠っているのかもしれない。仕方なく俺は、自分が所持している鍵を使ってドアを開けた。
「ただいまー」
今度はしっかりと開いたドアから家に入り、俺は理沙に帰ってきたことを告げる。
「…………」
だがチャイムを鳴らしたのと同じで、反応は無かった。俺は靴を脱ぎリビングに入る。
喉が渇いてきた。俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、ソファに座って飲んだ。それからしばらく、俺は天井を仰ぎ、ぼーっとした。
何か、疲れる一日だったな。まだ四時半を回ったところだが、俺はそう思った。
本当なら、映画を観たあと理沙を交えた三人で、喫茶店か何かで面白おかしく談笑し、そのあと七桜と理沙の三人で夕食でも食べにいくはずだったのに……と、あきらめムードに入ったところだろうか。よく考えれば、夕食に関してはまだ今からでもチャンスはある。藤枝さんの誘いを断ってしまったんだ。その分は何としてでも取り返したい。
三杯目のお茶を飲み干し、色々と決意した俺は、ソファから立ち上がった。
もう模試も終わっただろう。まず俺は携帯を取り出し七桜に電話をかけた。数回のコールののち、電話が繋がった。
『もしもし、なに兄さん?』
「七桜、模試は終わったのか?」
『ええ終わったわ』
予想通り。俺は少し緊張しながらも七桜に、
「今日スシ食いに行こうぜ!」
これほどまでにないくらい爽やかに、俺はド直球の言葉を投げかけた。
『スシ……?』
「ああ、理沙も入れて三人でさ。久しぶりに外食してもバチは当たらねえだろ? 代金は全部俺が持つからさ。早く帰ってこいよ!」
まくし立てるように言葉を投げかける。一種の義務感に近いものからテンションが上がっていたのだろう。俺はドキドキしながら、七桜の返事を待つ。
『………ごめん、今から塾の自習室で模試の答え合わせをするから、帰るのは遅くなる』
「え? ……あ、そ、そっか……!」
上がりきっていたテンションが、七桜の言葉によって下がりきった。色々と言いたいことがあったはずなのに、俺は七桜の言葉をそのまま受け入れた。
『そういうわけだから』
「あ、ああ気にすんな! 勉強、頑張れよ!」
残念な気持ちを悟られないように、俺は無理に声を上げて七桜に応援の言葉を投げかける。
『兄さん』
「どうした?」
『………本当に、ありがとう』
その言葉を最後に、七桜は電話を切った。しばらく俺はその場に立ち尽くした。
「――別に今日やらなくてもいいじゃねえかよ!」
今さらだが、そう言ってやればよかった。どんだけ勉強の虫なんだよあいつは。
勉強熱心な親なら喜ぶことかもしれないが、俺としてはもっと家にいる時間を増やして欲しかった。というより……。
「やっぱ俺って避けられてんのか……?」
前々から思っていたけど、さっきの件で疑惑が確信に変わってきた。まあ避けられているとしたら、俺の方に否があるんだろうけど……。近いうちにそれとなく聞いてみよう。
「よっし」
気持ちを切り替え俺は次なる行動へと移ることにする。俺はリビングを出て階段をのぼる。
「おーい理沙。起きてるかー」
【リサの部屋】とネームプレートが掲げられてたドアの前で、俺は数度ノックし、寝ているだろう理沙に呼びかける。
「おーい、理沙!」
何度呼んでも一向に返事は返ってこない。流石に苛立ちがつのってきた。
多少の抵抗感もありながらも、俺はドアを内側に開き、理沙の部屋に足を踏み入れた。
「おい理沙、いい加減……」
理沙の姿をドア越しではない、直接理沙の姿を視認し、呼びかけようとした俺だったが、「物理的」に、それは叶わなかった。
「………っ!」
嫌な予感がした俺は、「無人の部屋」を出て、鍵のかかった七桜の部屋以外をすべてを調べた。その結果からわかったのは、今この家には俺以外の誰もいないというものだった。
「おいおい……」
先に帰るとメールをくれた理沙。しかし実際は無人だった家……。
俺は携帯を取り出し、理沙に電話をかける。不安が、嫌な予感がいっそう増してくる。ガチャっと繋がった音がした。
「もしもし理沙か!?」
『お客様のおかけになりました電話は……』
だが電話越しから聞こえてきたのは、機械混じりの女の声だった。俺はもう一度、さらにもう一度と電話をかける。けれど、一向に電話は繋がらなかった。
『あたしは……おにいちゃんにとって、『理想の妹』かな?』
頭の中に理沙の問いかけが聞こえてくる。その問いに、俺は何て答えた……?
『そんなつまんねえこと聞くなよ』
別に、深い意味はない言葉。だがこの状況に陥って、俺は初めて自分の言葉に配慮が無かったんじゃないかと思い始めた。
「………っそが!」
俺は壁を思い切り殴った。痛みがじわじわやってくる。理沙が帰ってこず、音信不通なのが俺のせいなのかどうかはまだわからない。何がどうあれ、俺は何もせずにはいられなかった。
「………おおおっしゃ!」
家の外にまで響き渡るような声を、腹の底から出す。色々とたまっていたものが一気に吐き出された気分になった。
「よっしゃ! 待ってろよ理沙!」
自ら気持ちを鼓舞させた俺は、玄関で靴を履き替え、外に出る。そして俺は、自転車にまたがり、どこにいるかもわからない理沙を探しに、ただ全力で漕ぎ始めた。