一変
「なあんだ。真砂くん、理沙ちゃんといっしょに来てるなら、先に言ってよね」
「ごめん、言おうと思ったんだけど……」
「あ、ごめん! 別にそういう意味で言ったんじゃなくて」
俺の謝罪に、藤枝さんは逆に謝ってくる。いやほんと、悪いのは俺なんだ……。いくら嬉しかったとはいえ、何も考えずに承諾した、ついさっきの自分を殴りたい衝動に駆られる。
俺と藤枝さんはチケットを店員に見せ、シアター内に入っていく。
短い時間に、地上での生を一生懸命費やすセミのごとく、俺がたどり着いた答えは、どちらにも天秤を傾けないというものだった。
藤枝さんといっしょに映画は観たい……。だけど理沙を一人にするのもダメだ……。ならば二人同時にいっしょに観ればいいではないか。そんなわけで俺は、藤枝さんに理沙がいっしょに来ているということを説明した。
これが赤の他人同士というわけならば、二人に気まずい思いをさせたかもしれない。だが二人は中学時代の先輩後輩。現時点では俺よりも親交が深いのだ。現に藤枝さんは、理沙に会えることを楽しみにしている。理沙もそこまで否定的な意見は示さないだろう。
今回は場合と関係性に救われたが、そうでなければ俺のやっていることは、優柔不断なヘタレ野郎で下衆な行為だ。行蔵に知られでもしたら、血涙流されながらぶん殴られていたことだろう。
俺は今後は冷静に判断しようと反省しつつ、隣を歩く藤枝さんとデートっぽい雰囲気になった幸運を噛み締める。
「けど席、空いているかなあ? この映画、けっこう人気だから」
観る映画のシアターの扉の前で、藤枝さんは不安そうに声を出す。
「……うん、まあ大丈夫だと思うよ」
そんな不安を俺は一蹴してやった。この映画館は座席が決まっておらず、各自自由に席に座るというシステムだ。
俺は映画館っていうのはこれが普通だと思っていたが、都会とかではあらかじめ席が決まっていると知って驚いた。
……とにかく、俺は理沙に座席を取るようにと頼んでおいた。よってほぼ確実に席は一つ空いていることになる。
三つ連続で座席が空いていればいうこと無いんだが、それが叶わなければ俺の座席に藤枝さんを座らせればいい。ぶっちゃけ、俺なんかは立ち見でも構わない。
通路に沿って、座席が設けられた空間へと出る。巨大なスクリーン上ではまだコマーシャルをやっているようだ。次に俺は座席の中から理沙の姿を見つけようとした。
「あ、おにいちゃん、こっちだよ!」
薄暗闇に目が慣れるまで、少し時間がかかりそうな中、スクリーン向かって右端の座席の方から声がした。そこに目を向けると、手がブンブンと振られていた。はっきりと視認できなくても、それが理沙とわかるのに時間はいらなかった。
「こっちこっち!」
「あの馬鹿……」
まだ始まっていないとはいえ、館内での大声はマナー違反に等しい。実際、その声に座席に座っていた観客たちはざわざわしだす。
「理沙ちゃん、元気だなあ」
「とにかく、早く行こう!」
呑気なことを言う藤枝さんに、俺は小声で支持し、スクリーン前を腰を曲げて理沙のいる席に向かう。すいませんみなさん、ウチの妹が……。
「あ、おにいちゃん、遅いよ……むぐっ!」
「もう少し声のボリュームを下げろ。周りに迷惑だろ」
口を抑え、俺は理沙から声を出すのを止めた。んーんー言い始めたので、俺は手を放した。
「わかったか……?」
「う、うんわかった……」
一気に小声になる理沙。俺は理沙の座っていた隣の席を目を落とす。……理沙の隣の隣の席には、人が座っていた。
流石にそこまで都合は良くないか……。大きくため息をつき、俺は背後に立つ藤枝さんににこっと語りかける。
「藤枝さん、この席に座っていいよ」
俺は理沙の隣の空いた席を指さす。ああ、せっかくのチャンスが……!
「え、けどだったら真砂くんは?」
「ああ、俺は別の席を探すよ……ほら早く」
中腰姿勢のままできつくなってきたのもあり、俺は少し強引に席に座るように促す。スクリーンの方に目をやると、もう本編は始まっていた。
「う、うん。じゃあ……」
少々言葉を濁しながらも、藤枝さんは空いた座席に座る。
「ほら理沙も早くすわ……って、どうした?」
邪魔にならないように、端っこに体を寄せながら、俺はぼおっとした顔になった理沙に気づいた。すると理沙、急に立ち上がり、俺の手をぎゅっと掴み、ものすごい力で俺を引っ張った。
「お、おい理沙……!」
理沙はスクリーン前を何の抵抗もなく普通に歩きながら、俺を引っ張り一度シアター外まで連れて行った。扉が激しい音をたて閉まる。扉の前で理沙は俺の顔をじいっと見上げる。
「なんで先輩がいるの?」
声色が違った。質問というより、詰問だった。
「あ、えっと……」
そのいつもとは違う雰囲気に圧倒されながらも、俺は事の経緯を説明する。
「……というわけだ。まあお前も馴染み深い先輩と隣同士の方がいいだろ? 俺は別の席で見るからさ」
「なんで?」
「え」
「あたしのこと嫌いになったの……?」
理沙の目をうるませながら、俺を見た。
「あたし、妹なんだよ? 妹って何よりも大事にしなきゃいけないんじゃないの? なのになんで――!」
「おい理沙……!」
明らかに様子が変だった。俺は両肩を掴み、必死に呼びかける。
「…………………あ」
しばらく無言になっていた理沙はやっと一言発した。
「あ、ははは! ごめんウソウソ! 冗談だよ冗談!」
一歩後退り、泣きそうだった顔を笑顔にする理沙。その急変っぷりに、俺は唖然となった。
「おにいちゃん、変な顔! ……そうだ、あたしの席におにいちゃんが座っていいよ!」
「は?」
「だーかーら、座っていいよ! あたしは他の席に座るから!」
語調を強め、さっきとは打って変わったことを強制的に、理沙は提案した。
「えっと……いいのか?」
「うん、だからおにいちゃん、早く先輩のところに行ってあげてよ。あたしはトイレに行ってからまた行くから!」
「あ、ああわかった……。その、ありがとな」
「おにいちゃんのためなら、何だってするよ! ……ねえ、おにいちゃん。一つ聞いていい?」
シアター内に戻ろうとした俺を、理沙は呼び止めた。
「なんだ?」
「おにいちゃん……あたしはーー」
「……は?」
理沙が何を言ったのか、俺にはすぐ理解できなかった。理沙はそれ以降何も言わず、じっと俺を見ている。どういう意味だ?
「……それはだな」
ちゃんと答えなければ、理沙は納得しないだろう。俺は少し考え、理沙の問いに対しての、ありのままの本心を述べた。
「…………あ、そ、そうなんだ! あ、あはは! ごめん、変なこと聞いて……!」
俺の言葉を聞き終えた理沙は、少し引きつった笑みをしながら後ずさる。そのまま理沙は体の向きを変え、逃げるようにトイレのある方へと向かって走っていった。
「俺、変なこと言ったかな?」
明らかに理沙は俺の言葉に動揺していた。しかし俺としては普通のことを言っただけだったんだが……。
改めて自分の言葉を思い返すが、よくわからない。けっきょく、理沙の動揺は別にあると結論づけた。とにかくありがとう理沙。俺は理沙の心遣いに感謝する。俺は再び扉を開け、スクリーン内に入った。
「あれ、理沙ちゃんは?」
俺は簡単に説明し、席に着いた。
「……そうなんだ」
説明を聞き終え、藤枝さんは物思いにふけった顔になる。何かおかしなところがあっただろうか?
そうこう考えている内に、本編は進んでいく。ここまで来たら集中して観よう。隣が気になり集中できるが微妙なところだが、俺はそう決心し、館内の観客……主に藤枝さんと「同じ映画を観る」ということに意識を同化させる。この長いようでいて短い時間を大切することにした。
――けっきょく、理沙が戻ってくることはなかった。