ハーレムの一員なんてゴメンだ!
瀬奈は自分の名前を気に入っていなかった。
竹田なんて、どこか古風な姓に対して瀬奈なんて名前はかわいすぎる。
かわいくてもいいじゃん――。
いつだったか、姉にそんなことを言われたことがある。
でも嫌だ。
どうしても嫌だ。
だって、自分は紛れもない男そのものなのだから!
性別は男、見た目も中身も男。
ついでに言えば肉食。
妄想ばかりの思春期ライフを過ごしていた。
「なのに、なんでモテねぇんだよ!」
彼女はいない。女子と手も繋げない。
顔が悪いのか、心が悪いのか。
否!
この名前だ。これが全てを狂わせた。
どいつもこいつも「瀬奈ちゃん」って呼ぶせいで、誰も自分を男としては見てくれないのだ。
そりゃあ、自分は身長も低いし特別なイケメンというわけでもないが……。
それでも一人くらいは好きになってくれないものか。
「……いいや、この作戦なら全員が俺を好きになる」
モテるための俺の作戦、それは――。
この地球上から自分以外の男を消すこと。
これならば恋愛対象は自分だけ。
おのずとモテモテになるはずだ。
「しかも一人だけじゃない……! 全人類が俺を求めてくるんだ!」
誰だって一回くらいは夢を見ないだろうか。
女性に囲まれる日々を。
そして、その全員を愛せるハーレムを!
「よし! 早速作戦実行だな!」
さて、自分以外の男を葬ろう。
――え、どうするのかって?
他の男が女になってくれればいいんだよ。
「そう! この女体化ウイルス『Tale of Genji-Neo』をばらまけば、全員が女だ!」
俺は瀬奈から新世代の光源氏になる。
ちなみにウイルスは自作。
姉が大学でそんな感じのことを学んでいたので、執念で勉強してみた。
ぶっちゃけ、ウイルスを勝手に作ったらいけない法律とかあるような気もするがどうでもいいか。
瀬奈は試験管を取り出した。
「全員女になーれ!」
試験管を思いっきり床へ投げつける。
すぐに割れる音が部屋に響き、破片が飛び散った。
ここから先、自分は一ヶ月ほどマスク生活を強いられるが仕方あるまい。
「くくく、これですぐにモテモテだ……。あ、窓開けなきゃ」
外界にこのウイルスを放つのだ。
瀬奈が窓を開けるために一歩踏み出すと、チクリとした痛みがあった。
試験管の破片を踏んでしまったらしい。
「いってぇな! うわ、血も出てんじゃん! はぁ……。窓開けたら掃除か」
これは輝かしい未来への代償――。
そう考えれば、瀬奈は不思議とケガに対しても悪い気分にはならなかった。
――――――――――――
寝る時もマスク着用。
これは仕方のないことだ。
夢のためには努力を惜しまない。
風邪気味だと誤魔化しながらマスクをつけ、数日――。
ついに女になった。
自分が。
「姉ちゃん! 俺、女になった!」
いつもより高い声。
自分が話しているのに自分じゃないみたいだ。
「きっと女体化ウイルスが感染したんだ! ねぇ、治す薬作ってよ!」
「ちょ、待ちなさいな……。もっと丁寧に説明しなさいよ」
姉の楓は気怠そうに言った。
ちなみに、瀬奈と楓の年齢は5歳離れている。
「モテたくて、薬作って、自分が感染しちゃった!」
「んん……? あんたが女になる薬を?」
「そう……」
「バカだねぇ、ほんとに。いや、むしろ天才的か」
楓は基本的に何を考えているのかわからない表情をする。
性格はなかなかの楽観主義者で、行動は遅い。
今回も話は聞くだけ聞いて、いつもと同じような答えを返してきた。
「ま、どうでもいいんじゃない。そのうち治るでしょ」
「お願いだよ姉ちゃん! なんか奢るから!」
「ムリムリ、ダルいもん」
そもそも弟がウイルスを作るなんてこと自体がおかしい。
この状況、意味がわからない。
「ねぇ、俺治るかな?」
「さぁ? 作ったのはあんただし、何も言えないって。今のうちから女に慣れたほうがいいんじゃない?」
「慣れるって、どういう――」
「女になれってことよ」
――――――――――――
「えーっと……。今日は皆さんに大事なお知らせがありまーす」
担任の教師の声。
そう、今日はよりによって平日なのだ。
しかも楓のせいで、瀬奈が着ている服は――。
「竹田君が、奇病で女の子になったそうです。なぜかセーラー服も着てるし……。こ、心も女の子になってるんですかね……?」
「違います……。思考が男だったからこそ感染したので、もう何も言わないでください」
「あら、そう……。とにかく、皆さんはいつもと同じように接してあげてくださいね!」
いつもと同じように――。
その一言は地獄の始まりだった。
「瀬奈ちゃん、マジで女の子じゃん」
「てか、違和感なさすぎでしょ。男の姿の時が病気だったんじゃない?」
「ウケるんだけど。ね、瀬奈ちゃんも一緒にトイレ行こうよ」
「やめなよー。本気にしちゃうんじゃない?」
ほら、でたよ。
こうやって女子がよってたかって俺をいじるから、俺はあのウイルスを作ったのに……。
それもこれも名前のせいだ。今となっては見た目に合ってしまった名前の――。
「これ男子はどう思ってんだろうね? ぶっちゃけ瀬奈ちゃん、かわいいと思うけど」
男の時の瀬奈はイケメンじゃなかった。
しかし、意外と個々のパーツは整ってる部分が多い。
特に瞳は美しい茶色をしていて、それは女体化した今でも健在だ。
髪は最初から目にかかるか、かからないかほど長かった。
正直、女体化せずとも女装すれば似合ってただろうという予想は女子全員が思っていたのだ。
そんな瀬奈が、今は超絶美少女。
キレイな瞳、ツヤのある頬、色っぽい唇――。
髪の長さはショートヘアだが、それでも十分すぎるほど女性とわかる容姿。
もとが男とは誰も思わないだろう。
ちなみに、瀬奈は顔以外も女性として変貌済み。
胸はあるし、くびれも少しある。
腕や脚は筋肉の硬さがなくなり、ふにふにとした柔らかさを感じることができた。
まとめると、今の瀬奈はとてもかわいらしく、同時に魅力的な女の子なのだ。
男にならモテそうだが、ヤジを飛ばす女子はもっと低俗な話へ曲げていった。
「瀬奈ちゃん、男子たちに襲われちゃうんじゃない?」
「そうそう、複数人に乱暴されちゃったりして……」
「うわぁ……。やっぱり男ってケダモノだもんね。瀬奈ちゃんかわいそー」
「てかさ、ウチらの誰よりも弱そうだよね。夜道気をつけなよー」
「……お前らなぁ!」
瀬奈は言われっぱなしが悔しく、口を開いた。
「たしかに運動神経は悪かったけど、だからって女子より劣るなんてことは――」
「んじゃ、腕相撲してよ」
女子のひとりが机に肘を立て、戦闘態勢に入った。
瀬奈もすぐにそれに応じる。
燃えさかる闘志。
圧倒的な自信。
瀬奈は己の全力を胸に、相手の手を握った。
「いくぞ……。レディー、ゴッ――」
ダンッ――と机に何かが叩きつけられる音。
無論、手だ。
一瞬で決着がついてしまったのだ。
瀬奈は、負けたのだ。
「いや、絶対にフライング! そっちの反則負けだろ!」
すぐに瀬奈は訴えたが、それは焼け石に水。
「うわ、ザコすぎ。ホントに筋肉あんの?」
「しかも負けて言い訳とかないわー。男に二言はないって言葉知らないの?」
「だから、男じゃないんだって。瀬奈ちゃんはもう女の子!」
うるさい。
そんなに俺の敗北が嬉しいか。
なんなんだ、人の負け様を笑いやがって。
「あのな! 俺、別に弱かねぇから! 少なくともお前らなんかよりは!」
イライラが溜まり、ついに瀬奈は吠えた。
だが、声に覇気がない。
ワガママな少女が駄々をこねているような声だ。
「誰より弱くないって……?」
そんな瀬奈の背後に捕食者の影。
瀬奈の名前いじりも彼女を筆頭に始まった気がする。
名を衣織。忌まわしき名、絶対に忘れない。
「お、お前ら女子なんかより弱くないって言ってんだよ!」
「ふぅん。女子なんか、ねぇ……」
「な、なんだよ……」
「男のほうが優位だと思っちゃってるんでしょ? 自分だって女のくせにさ。瀬奈『ちゃん』」
衣織が瀬奈の脇腹をつつく。
しなやかになってしまった瀬奈の体は衝撃に敏感だった。
くすぐったいような、むず痒いような、そんな感覚が電流のように伝わってくる。
「やぁっ……! やめっ、ほんとにやめて!」
「あっは、何さっきの声。脇腹、そんなに好きなの?」
おかしい。
男だった時は、こんなにくすぐったくなかったはずなのに。
しかも生まれつきではなく、今日はじめて体感する感覚だ。
慣れなんてものも存在しない。
「最初からそうあるべきだったって言われてるくらい、瀬奈ちゃんは女に向いてるよ。もっと教えてあげよっか」
「いらない! さっきの発言は謝るから! お願い、許して……!」
「さっきの発言……? あんなのどうでもいいよ。嫌われるようなことしてるのはこっちだし。でもぉ――」
衣織は自分の片腕を瀬奈の腰に回した。
絶対に逃さないよう、その腕で体と体を密着させるように引き寄せる。
「もっと嫌われるようなコト、したいなぁって……」
その次にあったのは言葉ではなかった。
瀬奈も言葉を失うことになる。
なにせ言葉を発するための部位が塞がれてしまったのだから。
唇と唇の――キス。
周りの女子は歓声を上げ、瀬奈の顔はみるみる熱くなる。
それでも衣織は離してくれず、唇の温度を長く味わうことになった。
キスを始めてから30秒ほど――。
急に唇をつけられた始まりとは違い、その終わりはゆっくりと唇が離れた。
「どう……? あんたの負けでしょ」
「は、はじめての……。俺のキスが……」
嬉しくないわけじゃない。
だが、なにかが違う。
もっと「ステキ! 好き!」みたいな言葉が飛び交って、こっちからチュッチュするハーレムを思い描いていたのに。
これはハーレムなんかじゃなく、俺のことをオモチャにするだけの集団だ。
「はじめて? へぇ。あんた、そんなにピュアな体だったんだ」
衣織の異名が『捕食者』である由縁――。
うわさ話だと思っていたせ瀬奈は、それが事実であると知ることになる。
「あたしが食べてあげよっか……? どうせそっちもはじめてでしょ」
そう、衣織は気に入った女子をちょっとアレな意味で食べているとのうわさだ。
もしかして、本当にハーレムを築いているのはコイツなんじゃないか。
コイツが俺をいじり始めると、周りの女子も便乗していたような。
となると、この女子たちは全員――。
腰に回っていた手が少し下へ動いた。
そのまま衣織は痴漢じみた手つきで瀬奈の尻を掴んでいく。
「さ、触んなよ! 俺は男で、こんな体で初回を捨てるなんてことは――」
「なに言っちゃってんの。こんなにいいカラダしてるのに」
握る力が強くなる。
指が食い込み、瀬奈は自分の非力さを見せつけられる屈辱感に見舞われた。
「ほら、瀬奈ちゃん。『体調が悪い』って言ってごらん。そうすれば、保健室に行けるよ……?」
「はぁ……!? い、行かねぇよ!」
体が火照る。
それは変な部位をいやらしく触られているせいなのか、屈辱からの羞恥心なのか。
だけれど瀬奈は、自分が男であるというプライドを糧にして折れることはなかった。
「女の子になっちゃいなよ。あんたに『瀬奈ちゃん』って名前をつけたのは、そうするためなんだから」
「女の子に……。なんで俺が……」
「だってかわいかったから。あんた、名前だけじゃなくて仕草もなかなか女の子なんだよ」
気に入った女子は食べる――。
衣織は男であるのに女性的な瀬奈を気に入ってしまった。
本来はみんなで女扱いをし、少しでも本人の気持ちを女に近づけようという小賢しい作戦だった。
けれど、今日、幸いにも瀬奈は本物の女の子へ変貌してやってきてくれたのだ。
これは絶好のチャンス。
「あんたが学校に来た時、努力が報われたって思ったよ。これで心置きなくぐちゃぐちゃにできるんだって――」
「そ、それしか頭にないのかよ。変態!」
「これからあんたも同じ場所まで堕ちるんだよ……」
衣織の笑みはとても怖かった。
ここで反抗しても、きっと周りの女子が押さえつけにくる。
数的にも瀬奈の勝ち目はなかった。
「いや、待って……! そんなのダメだって!」
「あんた、ほんっとにかわいいね。かわいい娘はみんな保健室でお勉強しましょうねー、なんつって」
強引に体を引かれ、瀬奈は保健室へ向かうことになった。
廊下に響いた瀬奈の叫び声はやっぱり女の子で、時おり艶めかしい声も聞こえてきたという。
――――――――――――
「姉ちゃん、本当に、治す薬……」
「うわ。なんで泣いてんのよ」
「だって、俺のはじめて、守れなかったぁ……!」
「んん? 聞いてもよくわかんないわ」
壮絶な体験をしてしまった。
することをたくさんやったし、写真も撮られたし……。
しかも、やっぱり衣織はハーレムを形成していた。
してる途中で配下だのなんだの言っていたから確定でいいだろう。
つまり、自分の野望はあの憎たらしい女のせいで朽ちたのだ。
名前いじりも衣織のせい。
まったくモテない原因の中でも大きな要因となった、いわば致命傷を瀬奈に与えた最悪の名前いじり。
「そうだ。今日、教授に協力してもらって女体化するウイルスについては調べてみたのよ」
楓は一応、打てる手を打ってあった。
ウイルスについて、わかったことを瀬奈へ報告する。
「あのウイルスは空気感染力がなさすぎて、他の人に迷惑をかけることはなさそうだけど――」
「え……。空気感染力がない……?」
衝撃――。
自分は最強のウイルスを作ったと思っていたのに。
いいや、ちょっと待て。
じゃあなぜ自分は女体化を……。
「ただね、生命力はバツグンで例えば傷口から体内に入ったりすると感染する恐れが――」
「それだぁ! 俺が破片を踏んだから……。クソ、クソっ!」
割れた試験管を不注意で踏んだから、自分は女体化をしてしまった。
おまけに他の感染者は出なさそうだ。
「それで、姉ちゃん! 俺を治す薬は――」
「教授がやってみるって。なんか、ノーベル賞狙うとかなんとか意気込んでたけど」
助かった――。
これであの激化した『瀬奈ちゃんいじり』とはおさらばだ。
俺がハーレムを作りたいのであって、ハーレムの一員になりたいわけではないのだから。
「――でも薬の完成に最低でも5年はかかるって」
「は……?」
ゴネン……。
5年!?
「あ、明日とか明後日とか……。せめて一ヶ月後とか――」
「バカ言わないでよ。新しい薬を作るのに、本当はもっと時間がかかるんだから。今回は瀬奈がウイルスの構造を知ってるから特別早く作れるんだよ?」
「俺の高校生活、おわ、終わっちゃう……」
半べそで訴えてみても体が戻るわけでもなかった。
この先ずっと、瀬奈は衣織に遊ばれる生活が待っているのだ。
――――――――――――
「瀬奈ちゃーん! 昨日はありがとね。あんたも、もうあたしの配下に――」
「なってない! お前のハーレムには絶対に入らない!」
衣織は何股しているのだろうか。
全員と関係を持ち、沼に引き入れては服従させているはずだ。
その手法は瀬奈に対しても同じ――。
「じゃあ、今日も保健室イきかなぁ」
「ひぃ! お、俺は男だって何度言えば……」
「あんたは女だってば。何度言えばいいのよ」
衣織が瀬奈の胸に手を伸ばした。
指が柔らかなものに沈んでいく。
「んぁっ……!」
「ほら、女の子じゃん。あれ? もしかして、今つついた場所って急所だった?」
衣織はニヤリと笑う。
狙ってやったに違いない。それも強めに。
「ねぇ、このままお預けだと嫌じゃない?」
衣織が瀬奈の耳元でささやいた。
細々と撫でてくる吐息が耳を刺激する。
嫌だ、ハーレムの一員に下るなんて。
堕ちたくない。
だって、俺は男だから――!
「保健室行こうよ。瀬奈ちゃん」
ハーレムなんかには屈しない。
瀬奈のハーレムへの野望は、いつしかハーレムへの反逆心へ変わっていた。