閑話 九尾の大妖怪
人は醜い。
他者を恐れ、妬み、憎み、嫌悪し、そして蹴落とそうとする。
一度切っ掛けを作ってしまえば、この負の連鎖は止まるところを知らない。
そのために時には余のような妖怪が生まれ、力ある土地神ですらも悪しき者へと身をやつし、破壊の限りを尽くし世界を混沌に陥れるのだ。
元が土地神故に、その力量は人がどうこう出来る次元を超えている。
本来このような封印などその気になればいつでも出られるし、そもそも千年前にあの男が生け贄となる巫女を守るため、身を挺して余に抗わなければこうして封じられることも無かった。
思い出すのは平安京と呼ばれ栄えた都で起こした、人と妖との大決戦。
力無き者が妖に抗うために編み出した秘術、陰陽道を駆使して戦う小さき者どもと、悪しき心を糧として蠢く魑魅魍魎。
お互いに殺し殺され幾度も血を流したのち、余を封じる最後の手段として用意された決戦の舞台。
数十人にもなる陰陽師共の結界術と、とある一人の男が死に物狂いで時間を稼ぎ、巫女の命と引き換えにこの九尾の大妖怪『玉藻御前』をついに封印してみせた。
男は最後まで巫女の命を救うために奮闘し、奇跡を起こすために自分の全てを擲って抗った。
まるで埋まらぬ力の差を、たかが一人の人間が女を救うためだけにこの余に抗って見せたのだ。
尋常な事ではない。
これが俗に言う、愛の力という奴だったのだろう。
懐かしくも淡い思い出だ。
「だが、それもそろそろ潮時だのう。今の世に、あの時のような美しき人の心があるとは思えない」
封印の中にまで届く人々の怨嗟。
それに伴い溢れ出る妖力、体の奥底から沸いて来る負の力。
まるで元々は土地神である余すらも覆いつくさんとする、悪しき力の根源がとめどなく流れ込んでくる。
前回は愛に免じて身を引いてやったが、今度はあの時のようにすんなりとはいくまい。
既にあの最後の日を越える程の負をこの内にため込んでいる。
これを何とかするのは、決して容易な事ではないはずだ。
さて、次に出会う英雄は善か、悪か。
人の結束、未来への渇望、愛、勇気、自己犠牲。
それらをこれから訪れる混沌の時代に引き出せれば良し。
本来人が持つ善性を活かし余に立ち向かうというのであれば、その時はもう一度チャンスをくれてやろう。
だが、もしもあの時から何も学ばず再び人柱として巫女を捧げるような事があれば、今度こそ引導をくれてやる。
千年前の平安京で、お前達を守る為に犠牲になろうとした巫女を救うため、一人の男が流した涙を忘れたとは言わせぬぞ、陰陽師よ。
幸い余の娘達は封印こそされたものの、誰一人欠ける事なく生存している。
一人一人は余に及ばぬが、それでも長女の八尾ともなれば陰陽師など容易く……、む、何だこの反応は?
「……おかしい。あのチビが一人足りない」
末っ子の一尾、紅葉と名付けた娘の反応が消えている。
どういう事だ。
まさかあ奴め、勝手に封印を抜け出して人間にでも殺されたか……?
いや、それもまたおかしな話だ。
あのチビは確かに戦闘力は限りなく低いが、生き残るという面に関しては姉妹の誰よりも優れていた。
逃げ、隠れ、情報を集め、場の空気を読む。
上の姉たちは臆病だと馬鹿にしていたが、それは生き残るという前提で考えればこれ以上ない力だ。
そのような慎重な者が、この短期間で命を落とし反応を消すなどあるはずがない。
「さてはあのチビ、家族の感知から逃げおおせる術を自力で編み出しおったな?」
全く、土地神である余の力を越える程の隠遁を体得するとは、つくづく逃げる才能だけは超一流の娘だ。
他の姉妹に比べて少々抜けている所があり、色々とポンコツではあるが、そこがチビの可愛い所でもある。
仕方ない、今回の勝手な行動はその努力に免じて許してやろうか。
どちらにせよもう間もなく封印を解き人の世に再び顕現するのだ。
その時に戦う力を持たない末っ子を巻き込むのも忍びない。
再び余が封印され、そして人の愛を再確認する時までは自由に過ごさせてやるとしよう。
しかしこうして見ると可愛いものだ。
土地神であった頃は人間達を見習い、愛という想いの在処を探るため娘たちを生み出したが、こうして妖怪に身をやつしてまでその感情に振り回されるとはな。
それも最も力がなく、余に対し怯えてすらいたあのチビに対して心が揺れ動くのだ。
人の愛とは、やはり実に奇怪で素晴らしき感情だ。
願わくば、今の世にもこの心が根付いていて欲しいと思わずにはいられない。
もしも、仮にもしもだが、今の世に生きる人間がチビを受け入れ、そして共に歩もうとするとする者が一人でも居るのであれば、その時は妖などではなく土地神として、そして親として相対してやろうではないか。
まあ、そのような可能性は万に一つもないだろうが。
だが、希望を持ち理想に夢を膨らませるのもまた、一興だろう。
なにせ良い意味でも悪い意味でも、人の心の影響を強く受けるのが妖なのだから。




