特別記念短編SS~昔の紅葉と現在の紅葉~
本編の合間にちょっと一息。
現在の時系列とはあまり関係がありません。
※あとがきや活動報告に書籍化情報が載っています。
時は遡る事一千年。
平安と呼ばれるこの時代に、とある一匹の妖狐が人に紛れ逞しく生き抜いていた。
「のうのう、そこのお前さんや」
「ああ? なんだぁ?」
「のうのう、ご飯を恵んでくだされ? 儂ってば、受けた恩は忘れぬぞえ?」
「ああ? 恵んでくだされぇ? まさかオメェ、最近オラの畑で野菜泥棒してるコソ泥じゃねぇだろうな! あっ、待てぇ! 泥棒だー!」
そう、逞しく生き抜いていたのである。
そんな妖狐の名は紅葉。
九尾の一族きっての臆病者で、わざわざ人間に擬態する事と隠れる事に能力を特化させた一尾の妖怪であった。
ただ、まあ。
こんな風に少々不幸というかなんというか、度々あらぬ疑いを掛けられ人間達に追われるのは日常茶飯事である。
決まってそういう時は一目散に尻尾を振り、持ち前の逃げ足を以て家族の待つ実家へと逃げ帰るのである。
ただそんな逃避行の度に紅葉は思う。
一尾の自分に与えられた崇高な任務である食料を調達できなかったら、もしかして皆に怒られてしまうのではないか、という事に。
だからこうして、こっそりと実家に戻って来る訳ではあるが……。
「…………」
「バレておるぞ、紅葉」
「ぬぁっ!? 違うのじゃよ母様? もうちょっとでご飯はもらえそうだったのじゃ。ただちょっと、急にお腹が痛くなってしもうて、いたたた……」
そして九尾一族の感知能力により一瞬でバレた紅葉は、いつもこうして仮病を偽りチラチラと親である九尾の様子を窺う。
この一連の流れまでが一日のルーチンワークである。
「はぁ、また人間にイジメられてきたのかお前は……。だからお前の実力で軽々しく人間に接触するなと、あれ程言ったろうに……。森で動物を狩った方がよほど効率がいいだろう?」
「だって母様、儂、人間とはきっと友達になれると思っておったし? だったら食料を恵んでもらった方が、美味しいご飯にありつけるのでは?」
母親である玉藻に再三の忠告を受けるも、紅葉は微塵も後悔する事なくあっけらかんと言ってのける。
紅葉にとっては狩りに精を出すよりも、人間と共存してご飯を恵んでもらった方がよほど効率的だと今も思っているようだ。
もちろんその恩と対価はいつか返すという事も、本人は忘れていない。
ちなみに、先ほどの泥棒呼ばわりは全くの濡れぎぬであり、今まで貧乏な人間や畑から食料を盗んだ事は一度もない。
たまに裕福な人間から芋をこっそりと頂戴する程度である。
「友達になれると思っておったし? ではない。お前も余の眷属ならば、もうちょっと己が妖怪である自覚を持てというに……」
そんな事を言われても、まだ一尾の妖狐としてたいした経験も積んでいない本人は、なんの事か分からず首を傾げるだけであった。
でも、と紅葉は思う。
もし本当に人間の中に自分を受け入れてくれる者がいたら。
もし家族と人間が共に暮らせる未来があったら、きっとそれはとっても楽しい事なんだろうなって、そう思うのであった。
◇
「目が覚めたか? 全く、余の膝枕を惜しげもなく堪能するとは、相変わらず肝の据わった娘だ」
「ぬぁあ……?」
斎藤健二が起こした事業である異世界喫茶、もとい玉藻店の中で微睡から目を覚ます。
どうやら紅葉は今は遠い遠い昔の、懐かしい夢を見ていたようだ。
「母様? ……次はもうちょっと頑張るのじゃ。……たぶん、今度こそ食料は調達できると思うて。……ふぁあ」
まだ完全に意識が覚醒しきっていないのか、いつの間にか三つに増えてしまっていた自慢の尻尾を抱えながら寝ぼけた事をのたまう。
そんな娘の様子に呆れ返った玉藻は溜息を吐き、頭をがしがしと撫で始めた。
「このバカ娘が。食料調達の使命など、いったいいつの時代の話をしているのだ……」
「……ぬぅ?」
そして気づく。
さっきまで見ていたのが大昔の夢で、今はこうして一家団欒で幸せな暮らしをしていた事に。
さらに見渡せば、ちゃぶ台の上には斎藤健二が朝ごはんにと用意していたシャケおにぎりと、大好きなツナマヨが点在していた。
その一つを手に取った紅葉は満足気な表情でもしゃもしゃと咀嚼する。
どうやら今日のおにぎりも至高だったらしい。
そんな幸せそうな娘の表情を見ながら慈しむように眺めていた玉藻は、ふと話を投げかける。
「それで、行くのか?」
「うむー」
『行くのか』というのは恐らく、『斎藤健二の旅についていくのか』という事だろう。
だが、そんな問い掛けに対し紅葉は何の気負いもなく、ついて行くと答えた。
その答えがなんだか寂しいような、そして誇らしいような気がして目を伏せる。
母親としては大事なバカ娘が自分よりあの若造を取った事を悔しく思うが、それ以上に自立して未来を目指す現在の姿が、昔と比べて大きく変わっている事に気付いたのだろう。
「だって儂、受けた恩は絶対に忘れちゃいけないと思うしのー? それに、いつか人間と仲良くなれたら、もっともっと楽しい事がしたいって思っておった」
「……そうか。ならば迷うなバカ娘。お前の思うがままに生きろ。今のお前は、……いや、これから先のお前は、もうずっと自由なのだ」
眷属の繋がり以外にも多くの幸せをもっともっと堪能してこいと言うその姿からは、今まで大妖怪として娘達を酷使してきた多少の罪悪感も含まれているようだった。
しかしそれに気付いたのかは分からないが、紅葉は屈託のない笑顔でこう続ける。
「何を言っておるのじゃ母様? 儂はいつだってこの世界を堪能しておるぞえ? 母様は気づいておらぬかもしれんけども、儂ってばいつかビッグな妖怪になると思うしのぅ」
ビッグというのが何を指すのかよく分からないが、きっと本人基準の人生、いや妖生大成功といった感じなのだろう。
寝ぼけた姿からは到底想像できないそんな台詞も、昔と今で大きく変わった娘の笑顔に何かを感じ取った玉藻は、「そうだな。お前ならできるよ」とだけ告げ、話を打ち切ったのだった。




