対九尾戦線2.5
「なんだ、この化け物は……」
到底この世の者とは思えぬ、超次元の力を秘めた禍々しいナニカに、余は焦燥を感じずにはいられなかった。
先ほど、人間として久しぶりに見どころのある爺から感じた余裕について、一度は有り得ぬと思い否定はしたが……。
よもや、本当にこのような力を持った生物が世界の果てに存在していようとは思わなんだ。
だが、やはり違和感を覚える。
こやつは本当にこの世界の者なのか?
溢れ出る力からは妖怪の持つ妖力とも、また人間の持つ霊力とも少し違う特有の波動を感じるのだ。
どちらかといえば全盛期の余が持つ土地神としての神力のようでもあり、ただしそれを遥かに上回る途方も無く歪んだ禍々しい悪意。
そう、それこそまさに、陰陽師の爺が語った別次元からの来訪者のような────。
「おっと、魔神を前に考え事とは余裕だね。狐の亜神」
「むっ!?」
目の前の悪魔が余の隙を悟ってか、眼では捉えられぬ程の速度を以て急接近して来る。
攻撃手段は……、なるほど、素手による格闘か。
舐められたものだ。
その禍々しい力の一端でも使えば、わざわざ接近して殴る等と言った原始的な手段を取らずとも、力の総量でこの空間ごと押しつぶす事すら出来ようものを。
この溢れ出る余裕にどこまでも無駄な行動。
よほど戯れが好きな存在と見受けられる。
まさかとは思うが、魔神などという大層な神でありながら、こやつの中では神同士の戦いすらも余興であるというのか。
ますます訳が分からない。
こやつの目的は一体何なのだ。
まず、そもそもの話。
元来この世の魔や妖とは命に仇なし試練を与え、乗り越えた人間達の礎になる事を定められている必要悪だ。
この世界の主神である創造の父が、そう決めたのだから当然である。
大昔に土地神の一柱として数えられた余とて、日ノ本に生きる命を正しい方向へ導き、育む事ができるからこそ大妖怪という人の敵に身をやつした。
その事に誇りすらある。
なればこそ、人間の矜持と成長を見せるため、自らの命を燃やし続けるあの爺に興味が湧いたのも必然と言えよう。
もっとも、あの爺はその事にうすうす勘付いていたようだが……。
しかし、それに比べこやつはどうだ?
この異質な魔神からは同じ試練を与える存在としての目的も感じられなければ、曲りなりにも試練を乗り越えたあの爺のためにといった、余という災厄への対抗処置の役目を担っているようなそぶりもない。
ただただ、この状況を楽しんでいるだけのように思える……。
それこそ、全く自らとは関係の無い土地で見つけた玩具で遊ぶ、無邪気な子供のように……。
そんな馬鹿な事が、あるのだろうか。
もしそうであれば、この魔神は一体どこで生まれた、……いや、だれに生み出された存在だというのか。
恐ろしい。
余はこの魔神が、途方もなく恐ろしく感じる。
「へえ、この攻撃も防げるんだ? やるねえ~」
「くっ! ただの掌打、それも片腕でこの威力だと……。狂っている……!」
「はははは! よく言われるよ! その台詞は僕と相対した過去の勇者達からも散々言われてきたんだ。彼らは面白かったなぁ……、そう、まさに今の君よりちょっと強いくらいの、そんな選りすぐりの実力者達だったよ」
攻撃ですらない、様子見程度の掌打ですら一撃一撃が重く、尾で身を護るも衝撃が貫通してくる。
嗚呼……、これは駄目だ。
明確な実力差からか、完全に遊ばれているのが分かる。
もはや、この魔神にとって余は、少し頑丈なだけの玩具に過ぎないのだろう。
だが、だからこそこの魔神を止めなければ。
こんな矜持も目的も試練もない、この世のモノとは思えぬ化け物を放っておいたら、この世界は終わる。
そうはさせぬ、そうはさせぬぞ化け物め。
この日ノ本における人間の悪意にして憎しみ。
その全てを司る余がここでお前を止めて見せよう。
機会は一度きり。
余自らがたった一度の油断を誘い、それを利用して術者本体であるあの爺を殺すしか、こやつを退ける方法はない。
そう決心するや否や、恐怖に震える心を悟られぬよう、いやむしろそれすらも利用しつつ満身創痍を装う。
「……ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ!!」
「ん~? 動きに精細を欠いて来たねぇ。もしかして息切れかい? え~、つまんないなぁ」
よし、掛かっ────!
「────でもさ? やっぱりそれはちょっと露骨なんじゃないかなぁ。ほら、僕らって曲りなりにも亜神でしょ? 同格の存在だからこそ分かるけど、亜神ってそう簡単に体力が尽きないと思うんだよね。……という事はだ。それって怯えから来る震え、にすら見せかけた罠、だったりするのかな?」
「……くっ!!」
悟られている、か……。
さもありなん。
既にこちらは万事休すの状態であり余裕がなく、逆に向こうには冷静に状況を俯瞰するだけの余裕がある。
術者を殺すという選択肢しか無い余の取る行動など、考えるまでも無くお見通しだったという訳だろう。
「ふぅ……。なるほど、良くわかった」
「ん? どうしたの? 降参かい? でもなー、まだそういう時間じゃないしなー」
「ああ、降参できるものならそうしたいのは山々だぞ、戯けめ。そんな事を許してくれる相手ではないだろうがのう?」
まあ、そのおかげでようやく決心がついた。
どうあっても覆せぬ実力差だというのであれば、もはや自らを犠牲にした自爆。
その巻き添えで爺を殺すしかあるまい。
ここまで来れば、もはや行動が見透かされていようとなんだろうと、止める術はないからな。
しかし皮肉なものだ。
これではまるで、先ほどの余と爺の立場のようではないか。
まさかこの余の方が試される側に回るとは、封印を解く前には露程も思わなんだ。
……それはさておき、まずは娘達を逃がし、そしてこの結界から他の人間達を追い出す必要があるな。
末の娘である紅葉と、バカ娘を受け入れてくれたであろう人間の男を試せなかったのは心残りであるが、今の状況を鑑みて致し方ない事だろう。
これ程の存在を前にして自らの保身になど走れる訳がないのだから。
「許せ、娘達よ」
「母様! まさか!?」
「仕方なかろう、これしか方法がないのだから。……それと八葉、娘達を頼んだぞ? 特に紅葉には、『よく余の支配から抜け出した、後は気に入った男と達者に暮らせ』と伝えておけ」
「……ッ!」
何か言いたげな表情をしている娘に無理を言い、この場にいる人間と共に問答無用で結界の外へと放り出す。
近くにいる人間以外は、どうせ余が死ねば外に放り出されるのだから気にする必要もあるまい。
今この場で起こる自爆に巻き込まなければよいだけの話なのだから。
唯一心残りがあるとすれば、末の娘をもう一度撫でてやれなかった事くらい、かのう。
うむ、呆気ないものだ。
かつては大妖怪と恐れられたこの玉藻御前が、まさか爺の決死の召喚術によって、こうも無様に追い詰められているとはな。
……いや違うな。
これこそが人の成長というものか。
こんな途方もない化け物を呼び出す術を、たかが一介の陰陽師である爺が編み出したとあれば、それを認めぬ訳にもいくまいて。
この爺の意識さえ戻っていれば、よくやったと褒めてやりたいぐらいだのう。
「……さて、それでは最後の決戦と行くか、異界の魔神よ。この九尾の大妖怪が、日ノ本の土地神たる玉藻御前が、この命と引き換えにお前を道づれにこの次元から葬り去ってくれる」
「うんうん。そうこなくっちゃ張り合いが……、って、あ!」
「んむ?」
いざ決戦という所で、異界の魔神は素っ頓狂な声を上げる。
……なんだ?
急に笑顔になりおったぞ、こいつ。
「はぁ~、やっと父の気配が掴めたよ。尻尾を出すのが遅い、遅すぎる。……このお爺ちゃんの一生のお願いだから、ずっと時間稼ぎを続けていたけど、それももう必要ないね。じゃ、僕は魔大陸に戻るから」
「な……? え……?」
何を言っているんだ、この魔神は?
魔大陸に戻るだと?
魔大陸って、どこじゃ……?
「まあ、せいぜい後は頑張ってね狐の亜神。きっと父がだいたいの事を解決してくれるから、気にせず試練とやらで大暴れしてあげるといい。……ただし、我が父はああ見えて、とても強いよ? ……それじゃ、良い戦いを!」
「…………」
そう言って奴は陰陽師の爺に何かを告げ、適当な事を言って去って行った……。
去って行ったのだ……。
「うむ、訳が分からぬ」
最後まで本当に変な奴だった。
いささか不完全燃焼だが、助かったならばよし。
よし、なのか……?
まあいい。
周囲を探ってみるが、やはり跡形も無く気配は消えている。
本当に元の次元へ帰っていったらしい。
……なんだったんだ、あやつは。
だが、それならそれでやる事がある。
「さて、この余を大いに苦しめてくれた最大の功労者たるこの爺を、どうしてくれようか」
煮るなり焼くなりしてやりたいところだが、あの魔神の言っていた尻尾を掴んだだの、時間稼ぎだのという発言も気になる。
まさかとは思うが、紅葉の奴が余に気配を悟らせずに見張っていたなんてことは……。
────そう思った矢先、末の娘である紅葉の気配と共に見知らぬ集団が現れた。
「母様~~~! おにぎりの男が不意打ちするって言っとる~! 機会に備えてずっと見張っておったけど、ジーンっちゅうのにバレちゃったからヤケクソなんじゃって~!」
「あ! ちょ! バカお前紅葉! それ言っちゃダメだろ!」
「え~? だって、儂は母様と男の決闘の方が見たいしのう」
「私情を挟むな!」
何やら、愉快な集団がやってきたようだのう。




