閑話 戸神源三2
────ズドン!
戸神源三と九尾の決闘が始まってから数分、あの手この手を駆使して回避に専念していた当代の陰陽師に、初めて痛打となる一撃が決まった。
「ぐぬぅ……。やはり実力差は覆せぬ、か……」
「それは当然よな、余とお前では存在の格というものが違うのだから。お前がもし一撃を通せる可能性があるとしたら、それこそ余が両手両目両足、そして尾の5本か6本は使わない前提でないと話にならん」
九尾の言っている事は至極真っ当であった。
現に、今この瞬間まで源三が生きているということすら天文学的な確率であり、死を覚悟した日本最高の陰陽師の絶技の限りを尽くしてやっと五体満足でいられる、という奇跡のような状況なのだ。
しかしその状況もたった今覆された。
九尾の手刀による一撃は源三の脇腹を抉り、大きな風穴を開けてしまったのだから。
いくら霊力で強化されている肉体とはいえ、このままでは血の流出と共にいずれ体力が尽き、戦闘を継続する間に死んでいく事になるだろう。
「…………ふむ。もはや時間稼ぎもここまで、かのう」
「ほれ、降参したらどうじゃ陰陽師の爺。……分かっておらぬのだろうが、実際お前はよく戦った。たった一人の人間が、それもこの余に対して数分も時間を稼いでみせたのじゃ。これは名誉なる事ぞ? 凡そ歴代最強と言っても良い普通の陰陽師じゃ」
九尾のそんな台詞に対し、苦笑いが零れる。
そう、たった今認められた歴代最強と呼ばれる次元に到達した陰陽道の最高峰、その域にまで達した人間でさえ、この大妖怪にとっては他と変わらぬ普通の人間、でしかないのだ。
あまりにも格が違う。
そんな想いが頭を過る。
「だが、まだまだじゃのう。やはり、所詮は表面でしか人というモノを知らぬと見える」
「……何?」
「人の道とは積み重ねる研鑽の道、成長の道、進歩の道に他ならない。お前の言う普通の人間の強さというものがどれ程のモノか、お前は全く分かっておらぬ。……ああ、全く分かっておらぬな。それ故に、都合がいい」
身体に風穴を開けられて尚、老人は不敵に笑う。
まるでこの瞬間を待っていたかのように、己の血に濡れた真紅の右手を天に向ける。
そして、詠唱が始まった。
「なんだ、何をする気だ?」
────希うは太古の悪魔。
次元を隔てし遥かな大地の根源悪。
幾千の刻を越え、幾億の研鑽と苦渋の果てに進化せし大いなる神の敵対者。
世界に、人に、命に拒絶されし知恵の魔神よ。
されども世界を愉しみ、人を愛し、命を認める神の家族よ。
我が力の全てを対価として、この地に解き放たれよ。
出でよ、異界の大魔神。
裏陰陽道、────羅生門。
「なん、だ……? なんだ、これは……?」
「これこそが儂の最後の一手。斎藤健二という謎の男との繋がりによって目覚めた、陰陽道の秘奥も秘奥。別次元に魂を繋げると伝わる巫女の神降ろしを原型に、儂自らが編み出した究極の陰陽術。裏陰陽道、人生一度きりの羅生門。……さて、お前にこの魔神が倒せるかな?」
────どうじゃ九尾よ。
────人間の成長もまだまだ、捨てたモノではなかろう?
老人はそう笑い、目を閉じた。
辛うじて死んではいない。
まだ、体力は残っている。
しかしそれも時間の問題であった。
戸神源三という歴代最強の陰陽師を以てして行われた召喚術に、大量の余力を使い過ぎた為である。
対価として差し出した事により、彼の寿命はもう殆ど残っていないのだ。
だが源三は死ぬわけにはいかない。
なぜなら羅生門を維持しているのは自分であり、意識を失えばたちまち魔神を送還してしまう事になるからだ。
そして召喚術が完成する刹那、世界に変化が訪れた。
夜のように暗かった空が激しい稲妻により照らされ、暗雲が立ち込める。
天空には巨大な魔法陣のような幾何学模様が幾重にも描かれ、回転を始めたのだ。
まさに天変地異。
最強の陰陽師が命を対価に繰り出す裏陰陽道に相応しい、最強の召喚術であった。
あまりのエネルギーに空気が震え、大地が揺れる。
これにはさすがの大妖怪と言えども平静ではいられないらしく、珍しく慌てているのが見て取れた。
「八葉! 娘達と協力して防御に専念しな! ……この爺の術から、とてつもなく異様な力が漂ってくる」
「はい! 母様!!」
九尾の指示に対し的確に動き、七対一で行う傭兵のなぶり殺しを楽しんでいた娘達は、その行為をすぐに止めて防御に回った。
「ぐっ、……ふはぁー、助かったぜ爺さん。死ぬかと思った」
「…………」
「おい、爺さん? ……まさか、いや、死んじゃいねぇな。なるほど、今は回復に専念してるってところか」
ハリーは包囲網から抜け出し、身体の負傷具合を確かめながら声をかける。
どうやら彼も相当の痛手を負っていたようだ。
しかし傭兵とはいえ腐ってもエクソシスト、回復手段は腐るほど持っている。
ハリーは見るに堪えない源三の傷を確認しながらも周囲を警戒し、現在起こっている天変地異を眺めながらも回復に専念した。
そして、時は満ちる。
「……おや? 父の魔力に似た、なんだか懐かしい匂いに釣られて来てみれば、ここはどこかな?」
現れたのは西洋の貴族服を着た銀髪の少年。
一見するとひ弱に見えそうでもあるが、そんな外見に騙される三流はここにはいない。
なぜならば少年の魔眼と思わしき瞳は黄金に輝き、その身に内包する魔力は天井知らずだからだ。
魔力量だけであれば、かの大妖怪すらも超え得るだろう。
「くっ、くくくっ……。ざまぁ無いのう九尾。貴様は、もう終わりじゃよ。これがあの男との強い繋がりによって発見された次元の存在でなければ、術者の儂もチビってショック死しているところじゃわい」
独りごちる老人の言葉を知ってか知らずか、銀髪の少年はうんうんと頷き、だいたいの事情を察する。
どこの情報からどう判断したのかは定かではないが、どうやら召喚された理由を知ったようだった。
「うん、だいたい理解できたかな。……恐らくここは、我が父の居る世界の一つ、いわゆる神界という場所だね? ……でもって、そこのお爺ちゃんはこの狐の亜神によってボコボコにされて、どうしようもなくなったから死ぬ覚悟で僕を呼び出したと。なるほど、見上げた根性だ。嫌いじゃないよ、そういうの」
少年はニコリと笑い、指をパチリと鳴らし自らを召喚した源三の肉体を大回復させた。
この魔神にとっては人間一人を救命する事など、造作もない事のようだった。
とはいえ傷は回復しつつも、失った寿命と霊力までは元に戻せないのか、源三の表情は苦し気なままである。
「よし、応急処置完了。やっぱり、何か面白そうな事が無いかなって父にマーキングしておいて良かったよ。まさか次元の壁を越える召喚術によって世界間の移動ができるなんて思わなかったからね。……この召喚術の干渉権はなぜか僕の世界にある創造のマナとは違うナニカで構築されているから、ちょっと解析は困難だけど、……まぁ面白そうだから今は満足しておくかな。……今はそれよりも」
少年は九尾に向き直り、「あまり時間もないようだし」という言葉を前置いてこう告げた。
────ちょっとはこの僕を楽しませてくれるんだろうね、狐の亜神?
────このジーン様を召喚した残りの対価は、なんなら君から貰い受けるとしよう。
次回、本編の【対九尾戦線】に戻ります。
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