閑話 九尾の復活
本日【4話目】となります。
都市がまるごと一つ異空間に覆いつくされる中、人間サイドから視点は変わる。
今回の事件における全ての元凶とも言える九尾の大妖怪。
その娘である姉妹達は自らの上位存在にして母である土地神、玉藻御前の召喚に成功しようとしていた。
場所は認識阻害の術がかけられたとある祠の、その最奥。
何者かの強大な力によってぽっかりと穴が開き、切り崩された岩山の洞窟の中で妖狐の姉妹達は儀式を進めているようだ。
「母様、聞こえますか? 八葉です。我ら一同母様の御前にて復活の儀を執り行いたいと思うのですが、そちらの準備はよろしいですか?」
長女である八尾の妖狐がそう告げると、封印された祠の奥深くから、気だるそうな女性の声が聞こえてくる。
「────そんな馬鹿丁寧な口調で話さずとも聞こえておるわ。お前はいつも堅苦しいからもっと力を抜けと言っておろう。業務連絡でもあるまいに」
「…………」
最も九尾に近いとされる八尾の妖狐、八葉は自らの母に声を投げかける。
しかし当の九尾はどこか堅苦しさに辟易しており、そんな娘の態度に愚痴を零す。
人類側の視点から見ると恐怖と絶望の対象であるこの大妖怪の性格は、意外に緩いところがあるようだった。
「そうはいきません。私達は娘でありながらも同時に母様の眷属でございます。上下関係はしっかりしておかないと、妹達に悪影響がでるかもしれません。……特に末の紅葉の生意気っぷりといったら。まあ、そこも可愛いところなのですが」
上司でもある玉藻御前のあまりの緩さに、八葉側もぶつぶつと愚痴を零しはじめる。
日本を揺るがしている妖怪たちにしては平和な光景だが、姉妹にとってはこれが普通なのか皆一様にくすくすと笑い声を漏らし笑顔であった。
どうやら彼女らにとって、自らの母とは最初からこのような存在らしい。
「分かった分かった、そこまでにせい。それに、あのチビが普段は臆病なクセに変な所で神経が太いのはいつもの事じゃ。お前に言われるまでもなく、母である余が誰よりも良く知っておる。……それと復活の件であったな。うむ、ならばいまからこの封印を破壊しよう」
玉藻がそう事もなげに言った瞬間、幾重にも施されていた封印が音を立てて軋み出し、砕け散った。
まるで最初からなんの枷にもなっていないかのようなその態度に、復活の儀を執り行おうとしていた八葉も若干の驚きを見せている。
「さすがです母様。私達の力は必要なかったようですね」
「当然じゃ。こんなカビの生えた封印なぞ、余に通用するはずもない。最初から出ようと思えばいつでも出られたのう」
封印から出現し、この世に再び現れた玉藻は肩をコキコキと鳴らして辺りを見回す。
その顔は怪訝そうであり、しかし同時に嬉しそうでもあった。
「あのチビめ、やはり余から隠れおおせる術を体得しおったな。どうも気配がないと思っておったが、やはりか……」
腰まで届く長い金髪をかきあげ、娘の成長をどこか楽しそうに語る。
しかしその言葉を聞いた周りの姉妹達の表情は暗く、怒りが込められているようにも見えた。
「んん? どうしたのじゃお前達。あのチビが成長したのは喜ばしいことじゃろう? 余の感知から逃げおおせるだけの術を体得したのじゃぞ?」
「いえ、紅葉は、あの子は母様から身を隠す術を体得したのではありません。とある人間の男の手によって囚われているのです。……母様の許可なく進化を遂げたという双葉の情報から察するに、恐らく何らかの実験に無理やり付き合わされているのでしょう」
妖狐の姉妹達は末の妹が酷い目にあっていると考え、怒りを膨らませる。
しかし玉藻はそう悔し気に語る八葉の表情を覗き込み、目を細めて「ふうん……」と呟いた。
「あのチビが、人間共の実験にのう……。くくくっ、これはいよいよ面白くなってきた」
「何を言うのです母様! 紅葉が大変な目にあっているのですよ?」
自分にとっても可愛い末の妹の危機に対し、まるでなんの感慨もないかのような母の態度につい食って掛かる八葉。
これは上下関係に厳格な本人にとって珍しい行動である。
そんないつもとは違う個性を滲みだした自らの娘に玉藻はニヤリと笑い、確信したように続きを語った。
「ほう、あのクソ真面目なお前が余に意見を申すのか。……やはり面白いのう、その人間の男とやらは。いまだかつてここまで娘達に影響を与えた人間など他におらぬのではないか? 人間は何の益にもならぬ害虫だとばかりだと思っていたが、なかなかどうして、この世もまだ捨てたモノでもないようじゃ」
「なっ……!?」
いままでに無い娘の行動、変化。
それはつまり、進化や成長の表れでもあると考えたらしい。
本来ならば眷属である彼女らは上位存在である自分に意見する事などできないし、成長も変化も自分が設定した以上の変化は起こせない。
九尾である玉藻が白だと言えば、たとえ黒いカラスであろうと白だと認識するのが眷属の限界というものである。
だが実際には八葉は自分に対し「歯向かう」ともとれる行動を取ったのだ。
それが玉藻にはこれ以上なく喜ばしく感じられた。
「くくくっ……。娘達を誑かし、その内に眠る心を刺激する人間の男か。大方、チビもそんな人間の男の魂に惚れ込んで自ら付いて行ったのだろうよ。あのチビは昔から、度々余の支配から外れる事があったからのう。人間を襲えと言うておるのに逃げ出すし、なんだかんだ理由をつけて戦わないしで目をかけておったのだが、まさか人間側に付くとは……! ぬははははは!」
心底可笑しそうに、そして楽しそうに九尾は笑った。
自分の意図しない娘の成長が愛おしくて仕方ないらしい。
「面白い、面白いぞ人間の男! これはますます、直接会うのが楽しみになってきた! 次はどのような喜劇を娘達に齎すのかのう!」
「母様……、尻尾が……!」
これ以上なく気分良く笑い続ける九尾の尻尾に変化が訪れた。
元々金色だった体毛が淡く輝き、光の粒子のようなものを纏って神聖な空気を醸し出したのだ。
「ん? おお、ちょっと気分が良すぎて土地神に戻りかけておったわ。いかんいかん。……よいしょ」
だがそれは九尾の意図した事ではなかったようで、彼女は意識的に輝きを抑えた。
「う~む、危ないところだった。まあ良い、それでは早速人間共がいる地へ向かうとしよう。……多少暴れてやれば、その人間の男とやらもそのうち姿を現すじゃろう」
数千年、数万年と生き続けた中でもかつて無い程の高ぶりを感じ、九尾の大妖怪『玉藻御前』は力ある人間達が集まる中心地、戸神家に目を向けた。
なぜ土地神である九尾が大妖怪として人々に疎まれるようになったのか。
そしてなぜ九尾は自らの眷属の変化、成長を喜ぶのか。
彼女が期待する人間の男、斎藤健二が戻るまで謎が明かされる事はない。




