閑話 一方その頃1
斎藤がハリーとの邂逅を果たしている頃、戸神黒子は焦っていた。
近頃の九尾関連の事件も色々と気がかりではあるが、今回悩んでいるのはもっと個人的な事だ。
何を隠そう、黒子が小さめの民家が一軒購入できるレベルのお小遣いをつぎ込んで制作した人形、ミニ黒子ちゃんからミニ黒子損傷、または死亡の連絡が届いたからだ。
あの身代わり人形には依り代となる黒子の髪の毛を媒体として、万が一の時は自身に連絡が届くように設計していた。
代々陰陽師家に伝わる秘奥中の秘奥、霊力や依り代の問題からそう易々と何度も制作できるような代物でない代わりに、術者と人形の繋がりは相当に深い。
斎藤と顔を合わせるまではなんの音沙汰もなく平穏無事であったため、きっと彼にはなんの脅威も迫っていないのだと思っていた。
しかし、いざ数日前に顔を合わせて見れば、人形から行動不能の報告を受けたではないか。
ということはつまり、この数日間で斎藤ほどの異能者が致死の一撃を受けるに値する者と戦闘を行った、という事になる。
これは尋常な事ではない。
「これはいけませんね……。私達陰陽師は九尾の件で手一杯であるというのに、斎藤様の力と肩を並べる程の妖怪に対応できる余裕はありません。この件の詳細を確認するためにも、なんとかもう一度斎藤様にご連絡しなくては」
そうは思いつつも不幸中の幸いと言うべきか、ミニ黒子ちゃんを消費した斎藤自身は今も尚無事であると式神から連絡が届いている。
という事は、脅威度の高い妖との戦闘そのものは彼が勝利を収めたという事だ。
完全に討滅したのか、もしくは封印したのか取り逃がしたのかは分からないが、少なくとも追撃できないレベルにまで叩きのめし動きを抑えた事には変わりない。
そうでなければ彼が無事であるはずがないのだから。
そう考えた黒子はとりあえずという事で、斎藤の自宅に電話をかける事にした。
既に深夜である事から常識的に考えて迷惑な電話である事は明白だが、気づいてしまった事態が事態であるために、なるべく早く確認をとりたかったのだ。
なんなら脅威となった妖の詳細を知るためにも、彼の自宅まで今から向かってしまいたいとも思っているくらいだった。
そして自宅の据え置き電話から斎藤の自室に電話をかけ、反応を待つ。
するとすぐに応答が返って来た。
「…………あっ! もしもし斎藤様のご自宅でしょうか、黒子です。緊急の相談がありご連絡したのですが、……斎藤様?」
しかし電話を受け取ったはずの向こう側からは返事が返ってくる事はなく、なぜか『え、なんかこの魔法具から女の声が聞こえて来たわ! どういうこと?』とか、『のじゃー! その【でんしきき】については儂は詳しくないのじゃ! 勝手に使ったらおにぎりの男に怒られるぞえ?』とか聞こえてくる。
一体なんなのだろうか。
一人は声質的に、斎藤自身が匿っている一尾、もとい現在は二尾となった紅葉の声で間違いない。
しかしもう一人の女の方は不明だ。
まるで電話の事をしらないかのようなニュアンスで話しているように聞こえるが、そんな訳がない。
聞こえてくる言葉は流暢な日本語だし、まさか電話すらも普及していないような発展途上国からやってきた女性という訳でもないだろう。
それに紅葉がいるということは、繋がっている先は斎藤の自宅で間違いない。
……本当に謎だと、黒子は思う。
謎ではあるが、とりあえず斎藤本人を出してもらわない事には話が進まない為、そのまま会話を続ける。
しかし出て来た言葉はなぜか威圧的な物になり、普段の黒子からは考えられないような態度のものとなってしまう。
「あの、貴女が何者かは存じませんが、斎藤様のご自宅で一体何をしていらっしゃるのですか? もしかして斎藤様の彼女か何かですか? それで私をおちょくっているのですか? 電話をかけたのが女だと何か不都合が?」
自分自身でもなぜこんなに高圧的な台詞が出てくるのか理解できない程だ。
冷静に交渉したい意思とは裏腹に、用件と全く関係ない喧嘩腰の対応となってしまった。
やってしまった失態に電話機を抱えながらも一人赤面し身もだえする黒子だが、帰って来た言葉は意外なものだった。
『ねぇモミジ、サイトウって誰?』
『たぶんおにぎりの男じゃよ』
『ああ、なるほどケンジのこっちの世界での名前ね、理解したわ』
『うむ』
こっちの世界とはなんだろうか?
一体向こうの女と二尾は何を話しているのだろう。
訳が分からない事ばかりでだんだんと焦燥感に駆られてきた黒子は冷や汗を流し、九尾の件とミニ黒子ちゃんの報告、さらに現在起こっている理解不能の対応からついに混乱してしまう。
そしてついに「もしかしたら何か不測の事態が起こっているのかもしれない」と認識する。
そう思い立った彼女は一度、今もなお向こう側で謎のやり取りをしている二人に対し電話を切り、急遽自宅へ特攻をかける手段を取る事にした。
「何が起こっているのか分かりませんが、式神からの連絡で斎藤様が無事なのは確実。であるならば敵対的な存在とは考えにくいですが、万が一のためにも私が直接あの女の素性を確認しなくては……。そう、本当に万が一があっては困りますからね。この訪問は現時点で正当性のあるもので…………」
ごにょごにょと呪詛のように言い訳を連ねる黒子であるが、本人ももう何でこんなに焦っているのか理解していない。
ただ何故か漠然と、放っておいたら「何かに負ける」気がして、いてもたっても居られなくなったのだ。
夜中でも動かせる自分付きの黒服を呼び寄せ、一応車で屋敷を出る前に戸神源三に訪問の理由を告げた後、すぐに屋敷を出発した。
源三からしても、妖への対応などで戸神家の者が深夜近くに動き回ることはよくある事なので止めはしなかったが、なぜか底冷えするような黒い笑みで有無を言わさず出立する黒子に対し、少々肝を冷やす思いをするのであった。




