閑話 妖狐たち
ファミリーレストランで斎藤と一戦を繰り広げ、圧倒的な実力差の前に敵前逃亡した二尾の妖狐、双葉は途方もない人間の実力に震えていた。
「な、なんなんだあのおっさんは……。紅葉の言葉を鵜呑みにする訳じゃねぇが、八葉姉様と同格の力を持っているなんて、そんな馬鹿な事がある訳ねえ……。俺達が封印されている間に、人間に突然変異でも生まれたか……?」
大昔はあのようなデタラメな力を持った者など、そうは居なかった。
当時、京の都で最強とされた陰陽師でさえその力は四尾や五尾姉様あたりなら互角以上に戦えたのだ。
それが突然八尾である八葉姉様と同格の者が現れるなど、計算外にもほどがある。
これは早急に姉妹や母様に知らせないと大変な事になると、そう双葉は感じていた。
今回はたまたま、あの化け物みたいに強い謎のおっさんが人間側に生まれていた、ただそれだけだ。
そう自分に言い聞かせ、人間に擬態しながらも民家の屋根という屋根を飛び越えて姉妹が封印されている地を目指す。
現在封印から解放されている姉妹は自分と妹の紅葉を含め5体。
一尾、二尾、三尾、四尾、八尾である。
残りの姉妹はまだ封印を破る気がないのか、母様と同じように閉じこもったままだ。
尤も、それは封印の力に妖力が負けているという訳ではない。
それこそ二尾である自分如きが現世に姿を現せたように、脱出するだけなら力づくでどうとでもなるのだ。
ではなぜすぐに破ろうとしないのか。
それは姉妹達の上位存在である、九尾の母『玉藻御前』の指示があるからだ。
母は今回、なぜか一尾の妹である紅葉の消息が現れたり消えたりしている事に懸念を抱いており、もしかしたら今までにない不測の事態があるのではと考えているらしかった。
その不測とやらが母にとって都合の良いものなのか、それとも反対に都合の悪いものなのかは分からない。
だがなんにせよ、その調査をするために人間達を刺激しないよう低位の力を持つ姉妹を解き放ち、補佐役として八尾である八葉を付けるという判断を下したのだ。
だからこそ紅葉を連れ戻すために一番人間界に影響力の少ない自分が出向いたというのに、この体たらく。
いったい何がどうなっているのだろうか。
「それになぜか、紅葉の奴の尻尾は二つに増えていやがった。こんな事はそうそうあり得ることじゃねぇ。俺達姉妹は、この世界では母様の御許でしか進化を遂げることが出来ないはずだ」
どう考えても、あの怪しいおっさんが何かしたとしか思えない。
本来姉妹は九尾の眷属であるため、この世界で蓄えた妖力は徴収されて基本的に母の力となる。
だから母がその気になれば成長し進化する事は可能でも、許可が無ければ不可能という事になるのだ。
だというのに、紅葉は既に進化を遂げて自分と同じ二尾となっていた。
尋常な事ではない。
「別に姉妹の序列に興味なんてねぇけどよ、……それでもあいつは俺の妹だ。もしあのおっさんが紅葉に陰陽術か魔術か、何かよからぬ方法で無理やり進化を強制する実験をしているなら、放っておく訳にはいかねぇ。絶対にぶっ殺す」
双葉は気性こそ荒いものの芯の部分では家族想いな面があるらしく、妹の安否を不安に思い激情に駆られていた。
そして人間には到底不可能な移動速度で町と山を駆け、八葉が潜んでいる山奥の廃屋へとやってきた。
急ぎ中へ乗り込み、状況を説明する。
「八葉姉様!」
「あら双葉、おかえりなさい。そんなに慌ててどうしたというのですか? それに紅葉が見当たりませんね? ……まさか」
そこには廃屋の中でひっそりとたたずみ、目を閉じてお茶を啜る八尾がいた。
陰陽師が躍起になって自分達を探している中、なぜこのような場所で呑気にお茶を啜っているのかというのが疑問だが、それこそがこの八尾の力の強大さを示す事に他ならない。
そもそも、もとはと言えばこの廃屋は八尾の封印されていた場所そのものなのだが、本人曰く中々趣と風情のある場所だから、元の持ち主である陰陽師の人間を洗脳し自分の傀儡にする事で借り受けているという事になっているらしい。
同じ仲間と思われている傀儡を使い他の陰陽師の追及を躱せるし、こうしてのんびりと過ごせるという訳である。
何より恐ろしいのが、力ある人間である陰陽師を長らく傀儡にしておいて、全く力の消耗を見せずに平然としているところだ。
これが双葉あたりの妖力であったなら、すぐに力を使い果たしていた事だろう。
「姉様、そのまさかだ。紅葉は見つけたんだが、俺の手に負えない化け物みたいな強さの人間に囚われ、連れ帰る事はできなかった。……しかも紅葉の奴は母様の許可もなしに二尾に進化してやがったんだぜ。たぶん、何かの実験に強制的に付き合わされたんだろう……」
「…………」
双葉の報告を聞き、少しだけ八葉の妖気が乱れる。
周囲の森がざわつき、子鳥たちが一斉に飛び立つ。
体から妖力が多少漏れただけだというのに、その圧倒的な質量のプレッシャーは同族である双葉ですらも息を呑み硬直する程のものであった。
「紅葉は、既に人間の手に堕ちていたという事ですか」
「そ、そうだと思う」
「そうですか……、あの末っ子の臆病者が……」
閉じている八葉の瞼から一筋の涙が流れ、頬から滴り落ちる。
双葉が家族想いであると同様に、それと同じくらい姉妹における長女、そして責任者である八葉にも情があったのだ。
いつも自分たち姉の力に怯えながらも、貢物として健気に食べ物を集めてくる妹。
ほとんど戦う力なんて無いのに、逃げ隠れして情報を集めてくる妹。
褒めてやるとすぐに調子にのるけど、そんな所がちょっと可愛い妹。
瞬く間の内に末っ子である紅葉の思い出が次々と思い起こされる。
そして閉じていた八葉の目が徐々に開いて行き、灼熱のマグマのように紅い瞳が見開かれた。
「その人間の件は母様に報告しておきます。お疲れ様でした双葉」
「で、でも紅葉は……」
「紅葉については、この私自らが出向きなんとかする事に致しましょう。……少々手荒になりますが、これも妹の為です」
姉の言葉に双葉は再び息を呑む。
自分や他の姉妹ならまだしも、普段は温厚なこの八葉からその言葉が出るという事は、既に怒りが限界に達しているという事のサインなのだ。
そして真紅の瞳を覗き込めば、魂が焼かれてしまう程の妖力が込められている事に気付いた双葉は、そのまま何も言わずに道を空けた。
この姉妹の勘違いが後に、人間界に多大なる被害をもたらす事になるのだが、それはもう少し先のお話。
全ては斎藤が異世界から戻って来てからの物語である。




