耳なし芳一(もうひとつの昔話24)
その昔。
芳一という琵琶法師がおりました。
芳一の目は病で光を失っていましたが、平家物語を弾き語らせれば当代随一でした。
阿弥陀寺の和尚は、そんな芳一を寺に迎え入れて住まわせていました。
ある夏の夜。
和尚と寺男が法事に出かけ、芳一は一人残って琵琶の稽古をしていました。
「芳一、芳一……」
芳一を呼ぶ声がします。
「どなた様でしょう?」
「わしはある高貴な方の使いじゃ。そのお方がそなたの琵琶を聞きたいとのお望みで、こうして迎えにまいった。館まで案内するのでついてまいれ」
「喜んでまいりましょう」
芳一は男のあとについて歩きました。
鎧のすれる音を聞きながら、しばらく歩き進むと館に着いたことを教えられます。
芳一はそこで平家物語を弾き語りました。
物語が進むにつれ、まわりからはむせび泣く声が聞こえるようになりました。
それからも毎晩。
芳一は男の案内で館に出向き、平家物語を弾き語りました。
そんなある夜。
芳一の奇妙なようすに気がついた和尚は、寺男に芳一のあとをつけさせました。
すると、そこは平家の墓場。
芳一は墓の前で平家物語を弾き語り、まわりにはあまたの鬼火が飛びまわっていたといいます。
その晩。
和尚は芳一に話して聞かせました。
男は平家一族の亡霊。
このままでは平家の亡霊たちにとりつかれて命を奪われてしまう。これからはなにがあっても、決して亡霊についていってはならぬと……。
翌晩。
和尚は寺の外に出かける用がありました。
そこで亡霊から芳一を守るため、芳一の体の隅々までお経を書きました。
「こうしておけば、亡霊が来てもおまえの姿が見えないからな。声をかけられても、決して返事をしてはならないよ」
和尚が寺を出たあと、芳一は座敷に隠れるようにこもっていました。
やがて男の声がします。
「芳一、どこにおるのだ?」
亡霊の男には、お経が書かれた芳一の姿は見えないようでした。
芳一はじっと息をひそめていました。
「おう、耳があったぞ」
亡霊の手が芳一の二つの耳をつかみました。
耳だけ、お経を書き忘れていたのです。
芳一は助かりました。
耳は引きちぎられて失ったものの、命を奪われることはなかったのです。
――ああ、なんとか助かった。これも和尚さんが書いてくれたお経のおかげだ。
ひとまず胸をなでおろし、それから芳一は用足しにと厠に向かいました。
「痛い! 引っぱるなー、はなしてくれー。ちぎれるー、そこだけはご勘弁をー」
厠の中で叫び声がします。
芳一の悲鳴はいっとき続いていましたが、それもしはらくするとピタリとやみ、それからはむせび泣く声が聞こえるようになりました。