「私を助けてくれますか?」
*「大丈夫?怪我してる?」
(ーーああ、まただ)
「あ、大丈夫。ありがとう。」
視線は逸らし、俯きながら。
手を差し伸べたさくらは一瞬だけ表情を引きつらせたが、すぐにいつもの柔らかな笑顔で手を引っ込めた。
「そっか。ならよかった。どこか痛かったらすぐ言ってね」
「うん、ほんとにありがとね」
やっと相手のほうを向いて浮かべた笑みはぎこちなく嘘くさく、まるで『分かったからとっとと行け』と言っているかのようだ。
さくらは彼女が立ち上がり鞄を抱え、走り去って行くのを見送ってから、ケッと吐き捨てた。
「何アイツ感じ悪い」
助けたにも関わらず目は合わせないわボソボソ喋り作り笑顔だわ印象は最悪だ。
苛立ちをアスファルトにぶつけてもう一度舌打ちし、さくらは明るい笑顔を取り戻した。
「さってと!また誰か助けに行こうかな~」
今回は不発だったが、おあいにくさま。
弱きを助ける天使ちゃんは、困っている人のもとへいつだって駆けつける存在として感謝されるものである。
「うえ~~ん!!」
ほら、誰かが天使(私)を呼んでいる。
「いっくよ~!」
さくらは足取り軽やかにそちらに向かった。
#「…はあ、ごめんなさい」
壁際に寄り掛かり、あおいは小さな声で呟く。
ぎゅっと目を閉じて思い返した。
思いっきり派手に静かに石に躓いたあおいは誰に気付かれることもなく思いっきり派手に静かにずっこけた。
盛大に恥ずかしい態勢を曝したが、気付いたのはさくらのみ。
彼女はすぐに駆けつけ笑顔で手を差し伸べてくれた。
さすが通称が天使なだけのことはある。彼女は本物で本当に優しい。
(はあ)
あおいはため息を止められなかった。
どうしていつもこうなのか。
誰かに助けられても声をかけられても、どうしても視線が合わせられない。それが相手にどんな印象を与えるのかもよく理解しているはずなのに。
そしてやっと目を合わせて感謝の気持ちを向けようとしても、その笑顔は明らかにぎこちなく、目にやたら目力が入り、見る者を笑顔どころか不安にさせる威力を放つ。これは一体なんなのか。
(どうやったら治るの)
生きづらい、住みずらい。
この世界はあおいのような人間にはあまりにも偶像が出来上がっていた。
人々が好感を持つ人間。人々が安心する人間。人々が傍にいたくなる人間。
その枠にどうしても収まることのできないあおいは、おのずと世界からも弾き出されているような気がした。
この世界に自分の居場所はない。
それはあおいが五歳の時に痛感した事実だった。
幼稚園、家庭の中、犬の散歩道。
どこにも、いつでもあおいの存在が許されていないようだった。
小学生の頃は家の中で『帰りたい』とよく泣いたものだ。
もうその発作は収まったけれど、消えたわけではない。
あおいはいつも、自分の存在が許されているのかどうかを確認したくなる。
隣で『笑い合う』自分が、笑い合うことを許されているのか分からなくなる。
自分の存在の決定権は、常に他者に委ねられていた。
*(あーあーあー、うっっっざっ)
「みっちゃんのノートっていっつもきれいだよねー!勉強いつも頑張ってるんだね!私には分かるよ!」
「あはは、ありがとう」
(はあ?何言ってんのアンタノートきれいなだけで勉強いつも頑張ってるってそれどういう理論脳細胞どうなってんの一回クリーニング出したほうがいいんじゃないああいやでもそこまで溶けてるともう手遅れか私には分かるって何様だよオイ)
「みっちゃん?」
「ん?どしたんゆり?」
首を傾げてニッコリ笑うと、ゆりはふふっと笑ってノートを返す。
「なんでもないよ。はいこれノート、返すね」
「はいはーい。てかゆりに褒められても嬉しくないからね?あんたあたしよりよっぽど成績いいじゃん」
(ホント、イヤミかっての)
「えー、そんなことないよー」
言いながらまんざらでもない様子なのがますます腹立たしいがみかんは笑顔を崩さない。
(どーせ『ま、あたしだし?知能の低いあんたらとは比べ物にならないわー』とか考えてんでしょうね)
「いやーホントあたしゆりが羨ましいわー」
「何言ってんのみっちゃんー」
お互いをつっついてクスクス『笑い合った』。
#「…いいなあ」
二人の様子を見つめながら、あおいは呟いた。
「あんなにお互い想い合える友達がいるなんて」
*「らんさん、これ落としたよ」
「あああっ!!ありがとうございます!!よく気付いてくれましたね!!ほんとにありがとうございます!!」
「…うん、じゃあね」
「はい!本当にありがとうございます!!」
ペコペコと頭を下げてお礼を述べると、微妙に嫌そうな顔をしながらクラスメイトは去って行った。
落としたノートを抱きしめ、らんは緩く息をつく。
まただ。
また微妙な反応をされてしまった。
(ああ、絶対私の態度が大げさだった…。あれ絶対私のこと嫌いになったよね。いやなるよね。そりゃなるよね。あんな意味分からない態度取られたらそりゃ嫌いになるよねー、そりゃそうだよ、分かる分かるー…。)
ずんずん考えが落ち込んでいく。
らんはプルプルと首を横に振った。
(か、考えすぎ!考えすぎだよ自分。うんうん、そんな相手もそれほど気にしない、細かいこと気にしないって。あ、でも、ノートの受け取り方が…。ひったくるように取っちゃった…。あれはイラッとくるよね。絶対コイツ何やって思ったよね…。うわーあれは態度悪かった私嫌われたかも…。)
もやもやぐるぐる気分が悪くなってくる。
らんは壁に寄り掛かり、ずるずると座り込んだ。
#「…いいなあ」
あおいは呟く。
「ちゃんと笑顔ではっきりお礼が言えて」
あおいは小さく項垂れた。
あおいの世界は灰色だ。
いや、灰色なんて笑わせる。闇でしかない。辺り一面、四六時中、三百六十度、天も地も闇で覆われている。
誰があおいの世界を救う?
「キミにも魅力はあるよ!」
誰かが手を差し伸べる?
その誰かはいつかあおいの重みに潰され逃げ出すだろう。
「ただ隣にいるだけでも救われる」
誰かがそっと寄り添うか?
いつかは飽きていなくなる。
「私が守るわ。貴方をね」
誰かが楯になってくれる?
はは、その誰かはいつまでも守れる程強くはない。いつかは傷だらけになって代わりに倒れるだろう。
「自分の足で立ちなさい」
誰があおいに立ち方を教えてくれるだろう。
皆が世界の流れに追われて転げるように走る中で、一体誰が、取り残されて蹲る彼女にマニュアルを作ってくれるのか。
あおいは誰にも助けてもらえない。
「だから、私は私で立つ」
あおいは息を吐き出して、胸に抱えた鞄を捨てる。
「私が私で在るために、戦うわ」
世界の基準が分からない。
世界が求める動き方が分からない。
世界は私が何をしたら満足してくれる?
もう捨てよう。
世界は私に何かを求めるけれど、私がそれを死守する義務はない。
私は私としてここにいる。
あおいはあおいの立ち方で立つしかない。
流れに沿わない無様で情けない非効率な立ち方で。
誰にも好かれない気持ち悪い訳の分からない立ち方で。
それでもあおいは立つしかない。
この世に生を受けたあおいは、そうやって立ち続けていくしかないから。
彼女は自分の足で立つことを選びました。
これはわたしにとっては予想外のことでした。
救いのない世界で、彼女はどう抗うのでしょう?