兄者がオレを必要としているんだ
殺気だけが漂う、不気味な沈黙の中、ナギサとスレイは襲いかかってくる狼テットを警戒しながらそれぞれ弓と杖を身構えていた。
(せめて、スレイくんに敵の位置情報を――ミニマップを見せることが出来れば)
しかし、それは無理なこととわかっていた。交戦中ということもあるが、そもそもナギサが見ている情報画面がゲーム内の住民にどう見えているかなんて知る術はないのだから。
仮にナギサのアバターがタブレットを見せる動作をしたところで、スレイの目にはヴォルクが見た時のようにレベルの数値しか映らないかもしれないし、もしかすると戦闘中では真っ黒な画面しか映らないのかもしれない。
ナギサの弓が再び白く輝き、エンチャントウエポン・ダブルの効果が付加される。
「……ナギサさん。さっきの拘束魔法は相手が地に足をつけていないと効果がありません。別の魔法で動きを鈍らせますが、僕の攻撃ではたいしたダメージが当たりません。すみません。僕がルフィアさんみたいに攻撃魔法を使えればどうにかなったかも知れないんですが」
(スレイくんは補助魔法師。補助魔法師の価値はアタッカーの力量によって変わる。……俺の攻撃力じゃ、スレイくんを活かしきれないってことか)
ナギサの後方の茂みが揺らぐ。
「来ます、ナギサさん」
ドラゴンバクの堅い外皮が、エクレアの――ヴォルクのサバイバルナイフを粉々に打ち砕いた。
「ちぃ。やっぱ通らねぇか」 ヴォルクは刃が砕け、役に立たなくなったナイフを投げ捨てる。
そして、ドラゴンバクの反撃に備え、ヴォルクはすぐさま奴との距離を取った。
直後、グリズリーを焼き払ったルフィアの火球がドラゴンバクを襲うが、それすら奴には効果がないように見える。
ルフィアが杖先にさらなる魔力を込める。……聞きなれない言語で何かを呟いているのがかすかに聞こえてくる。
先程の火球を凌駕する強力な火炎魔法の詠唱だ。
だが、安物のガラス玉の魔力増幅器では、込められていくルフィアの強大な魔法力を受けきれず――
ルフィアの硝子玉の杖の増幅器部分であるガラスの球体は粉々になって砕け散ってしまった。……粒となったガラスが輝きながら舞い降りていく。
「やっぱり、こんな杖じゃ耐えられないか。……どうする、えっくん? 杖がなくても魔法は撃てるけど、あいつに効果があるかはわからないよ?」
ヴォルクもルフィアも、奴にダメージを与える方法をなくしている。
「フレア。いまは牽制にしかならなくてもいいから、撃ち続けてくれ。その間になんとか手を考える」
「わかった」
ルフィアはヴォルクの言葉を了解すると、奴の顔面部に向けて火球を撃ち放った。
怯んでいるようには見えないが、今はこうする他がない。
頼みの綱はヴォルクなのだが、その肝心なヴォルクがぼそっと呟いた。
「弱ったな、これは。――さて、どうしたものかなぁ」 と。
ナギサとスレイたちのまわりには、狼テットの死骸が5体転がっていた。
こちらの隙を伺いつつ、1体ずつ襲いかかってくる狼テットたちの戦法に、ナギサとスレイはかなりの体力と集中力を消耗させられていた。
狼テットを警戒しつつ、ナギサは位置情報のミニマップで敵の数を確認する。――茂みの中に残り3体。増援は来ていない。
だが、ここで決着を焦るのは得策ではない。こちらから仕掛けて、1体でも仕留めそこなえば、そいつはナギサとスレイが攻撃のためにアクセから離れた隙をついてアクセに襲いかかってくるだろう。
敵が飛び出してくるのを迎撃していくしかない状況。
――それが今、一変する。
突如、アクセが歩み始めたのだ。向かう先はヴォルクたちが登っていった山道。無防備に、ただゆっくりと歩み進んでいく。
茂みから、3体の狼テットが一斉に飛び出してきた。
当然だ。やつらにとっては待ちに待った瞬間なのだから。
ナギサの放った矢が狼テット1体を貫き、スレイが魔力のこもった杖でもう1体の狼テットを殴打し、地に叩きつけるが、残る1体はアクセに襲いかかる。
「アクセちゃんっ」
スレイがアクセに向けて声をあげるが、アクセは歩みを止めることも、襲いかかる狼テットに振り返ることもしない。
ナギサが新たな矢を狼テットに向けるも、狼テットはアクセの喉元めがけて大口を開けていた。――ナギサの攻撃は間に合わない。
次の瞬間、狼テットの首は胴体から離れ、その胴体はその場に落下する。
銀色一閃。アクセの持つ短剣の刃が血を帯びていることから、なにが起こったかすぐに理解できた。
あの幼い少女であるアクセが、狼テットの首を一瞬ではねたのだと。
「邪魔をするな。……兄者がオレを必要としているんだ。早く、兄者の元に行かないといけないんだ」
アクセが山道を走り出した。ナギサとスレイは我に返り、慌ててアクセを追いかけ始めた。