1 儀式
新しいシリーズものです。
「うぅ…く…」
体が重い。全身が鉛で出来ているように重い。思い切って上体は起こしてみたものの、意識は朦朧とするばかりで、倒れそうだった。ガンガンと警鐘のように鳴り響く頭を片手で抑える。どうしたんだっけ?何をしていたんだっけ?重いまぶたを開けてみれば、白木は草木に囲まれた暗い森にいることに気がつく。
…いや、訂正しよう。白木だけではない。白木の周りにもう一人誰かいるようだ。
「いぃ…たぁ…なに、よ…もう」
不意に、聞き慣れた声が聞こえた。聞こえた方向に顔を向ければ、何やら水の…いわゆる、スライムというものか。声はそこから発せられていた。まさかと思った。この聞き慣れた声…。もしやと思い、試しに名前を読んで見ることにした。
「みずあ"ら"…」
思った以上に声が枯れていた。俺は軽い咳をして、もう一度呼んでみる。
「水原か…?そこに…いるのは…」
すると、スライムのようなものがこっちを向いた。…気がした。
「その声…白木君?」
スライムは、白木に近寄るなり首を傾げるような動作をする…。
「あれ…白木君じゃない。…でも声は白木君だよね…?あれ…」
「そう言ってる水原だって…声は水原なのに、なんでスライムみたいな…」
白木はそう指摘すると、水原の声がするスライムは困ったように動く。
「えぇ…!?なにこれ!なんかおかしいって思ったら…!で、でも!白木君だって、なんか、その、白い狼の獣人…?みたいになってるよ!」
「…へ?」
白木は、手を見てみた。…驚いた。声も出なかった。尖った爪、白い体毛に肉球。…白木は体のあちこちを見てみた。白い尻尾、狼特有の鼻に耳の位置。…信じ難いが白木は確実に獣人になっていた…。
「ううえああぁぁ!!ホントだッ!!何だこれ!!なんっだこれ!!おいこれ!どういう事だよっ!」
「お、おお、落ち着いて白木君…!私だって驚いてるよ!こんな、ス、スライムだなんてさ…!」
白木を静止してくれる水原もパニックに陥る。どうすればいいのか、全くわからなかった。
「2人とも、落ち着いてください。」
再び、聞き慣れた声が聞こえた。水原と違い、落ち着いた、冷静沈着なその声。振り向けば、白木達とは違う人間の姿をした人がいた。それに、姿がそれほど変わっていない。角と尻尾だけ生やした、悪魔のような風貌であったが。
「由梨花!?まさか、由梨花か!?」
「はい。私はあまり変わらなかったようなんです。話を聞く限り、白い狼の獣人が白木君でスライムが水原さんですね?」
「そ、そうだけど。酷いよ!なんで由梨花だけ全然変わらないのよ!」
由梨花は、少し申し訳なさそうに俯く。
「…すみません。…あ、あの、それでこっちが」
由梨花の後ろに、スケルトンがいた。こいつもそうなのか?と考えていると、そいつは喋り出す。
「よっ!元気か?俺はそうでもないんだが…小河原だ。」
「お、おお小河原!?」
ああ、なんだ、これ。どうしてこうなったんだっけ。やばい。やばいよ。どうすればいいんだ!?
水原はスライムに、俺は獣人に、由梨花は悪魔に、小河原はスケルトンに…。
あああ、あれええぇ。頭が痛くなって…。
2人がさらなるパニックに陥る中、由梨花は落ち着いてゆっくり話し始める。
「えっと、2人ともよく聞いてください。もう小河原君には言ったんですが、どうしてここに来たか、なんでこんな姿になったか覚えてますか?」
「は、はぁ?」
「…どういうこと?わからないわよ、そんな急に言われても…。」
白木は少し考えてみたが、分からなかった。記憶が混乱しているのか、わかりそうなところまで行っているのだが…結果的に分からなかった。
「…由梨花。教えてくれ。なんでこうなったんだ?」
由梨花は、勿体ぶっていたのか、それとも言うのを迷っていたのか、少し時間が経ったがやがて口を開く。
「…ごめんなさい…。私達は…儀式に成功しちゃったんです…。」
「!!」
白木はその言葉を聞いた途端、混乱していた記憶が整理され始めた。
*****************************
儀式当日
*****************************
その日は、とてもよく晴れていた。雲ひとつなかった。休日だったので学校は休みであったのだが、白木達4人は学校に侵入した。屋上で儀式をする為だったからだ。
もちろん4人というのは、白髪で頼り甲斐はあまりない白木由宇と、黒髪で気が強く、少し怒りっぽい水原彩明、茶髪で三つ編みをし、メガネをして毎日の読書を欠かさない由梨花東美と、金髪で白木と良き親友である小河原聖だ。
この儀式を提案したのは由梨花だ。異世界へ行けるという儀式。図書館で儀式のことが書かれた本を偶然見つけてきたらしい。由梨花が言うには、いままで1回しか借りられた事がないのだとか。
この儀式は、学校の屋上に限らずどこでも出来る。しかし儀式の条件として、広い場所で行うことや、周りに人がいないことが必要だった。さらに言えば、人の思念や感情が集まりやすい場所で行えばなお良しとの事。
由梨花曰く、学校ならそういうのが集まりやすいのだとか。だから自然に、学校の屋上でやろうという事になった。
無事に屋上にたどり着いた白木達は、早速儀式の準備をした。やり方は簡単だ。4人で手を繋ぎ、円を作る。その真ん中に、動いている時計を人数分置く。あとは空に向かって呪文を言うだけだ。
「なぁ…ほんとに合ってんのか?失敗したらどうするんだよ?」
白木は少し震えて弱音を吐いた。
「何?白木君、もしかして怖いの?」
「いや!そういう訳じゃ…!」
白木の怖がる様子を面白がるように笑う水原。白木は繋いだ手を強く握って反発した。そこに、小河原が面白そうに笑いながら加わる。
「いいじゃねえかよっ!所詮遊びなんだから!なあ、由梨花?」
「…ええ、そうですね…。」
ぼーっとしているのか、由梨花は小さい声で返す。いや、それとも集中しているのだろうか?返事をしたのにも関わらず、動いたのは口だけで目は小河原に向かず時計をじっと見ている。
…ああ、これから言う呪文を心の中で復唱しているのかもしれない。そう思うと納得できた。
「…おい、由梨花?」
「あ、あぁ、ごめんなさい。大丈夫、よ、きっと。」
「もう、しっかりしてよー?由梨花ー。」
由梨花は申し訳なさそうに笑う。由梨花をからかった水原と小河原も楽しそう笑った。その光景を見た白木も自然に口が綻んだ。
そうだ。所詮遊びだ。みんながそういってるんだ。大丈夫だ、大丈夫。
白木は自分にそう言い聞かせ、気持ちを安定させた。
「…さて、みなさん。言う呪文は覚えてますね?」
「勿論だ!」
「白木君はちゃんと覚えてるかなー?」
「お、覚えてるよ!ちゃんと!」
4人は再び手を強く握る。由梨花が空を見上げると他の三人も空を見上げる。雲のない晴天の空に在る太陽が眩しいと感じ、薄目になってしまう。由梨花は息を吸い込んだ。
「行きますよ…みなさん。せーの」
『セェ、オメクス。エリヌクイノクテイ、モレオヒタネゲリソ、ゼカアヌツボレユ、ホレキ!』
「…」
「…あれ?」
何も変化は起きない。時計が壊れている?なんて思い見てみるが、規則正しく時を刻んでいる。すると、大きくため息を吐く小河原の声が聞こえた。
「なんだよ…。失敗か?いや、それとも嘘だったのか?」
次いで、水原も不服そうで、しかしどこか安心したような顔をしながらため息を吐いた。
「結局、何もおきなかったんだし、いいじゃん。本当だったらそれはそれで…ねえ?…あ、白木君、安心してるー。」
「え!?ま、まぁ…」
否定は出来なかった。実際、何も起こらなくて心から安心したのだから。
本当によかった。やっぱり遊びだったんだな。
小河原は由梨花に向かって少し重い声を出す。
「ほら、由梨花。気は済んだか?ま…俺は楽しかったけどなっ!」
そう言って、小河原は手を離そうとした。しかしそれは叶わなかった。由梨花が繋いだ手は、かなり強い力で解くのを拒否している。それを見ていた水原は察したのか、小河原と同じように手を解こうとする。
「…ど、どうしたの?由梨花?手、離れないんだけど…?」
「おい、由梨花!」
水原は少し恐怖に怯えた様子で離れない繋がれた手を解こうとする。小河原も、感情を抑えきれずに怒鳴ってしまう。白木は由梨花に手を繋がれていないため、逃げることが出来た。しかし、由梨花の表情で足がすくんで動けなかった。
3人の目線は由梨花に集中していた。由梨花の顔は無表情と化しており、とても言葉を受け付けてくれる様子はなさそうだった。緑色の目は見開き、口は小さくパクパクと動かしているように見える。
気が狂ってしまったのか?もしかして、今の儀式のせいで?
小河原はそんな不気味な由梨花に屈せずにまたも怒鳴る。
「由梨花、いい加減に…」
しかし、その怒鳴り声が発することはなかった。
ドォゴオオオオオォォォォッ!!!
不意に、時計から空の彼方へ続く太い光の柱が轟音と共に出現した。水原と小河原があり得ないとでもいうような顔になる。白木もそうだった。由梨花の顔は…見えなかった。白木の反対側にいるため、前にある青白い光に遮られ見ることは出来なかった。それ以前に、光が強すぎて目を開けるのは不可能に近かった。
「おい、な、なんだこれ!」
「まさか、成功しちゃった!?本当だったの!?」
由梨花を除く、水原たちの驚きを超えた声が聞こえる。白木も叫びたかった。しかし、人間は本当に驚いたときは、声が出ないというのは本当らしい。声を出すことは出来なかった。おそらく水原と小河原には気づいていない、白木だけがわかってしまった事実。
光の柱はどんどんと太くなっていき、俺たちを包み込もうとする。手が動かせない。離せない。足も動かない。すくんでいるわけではない。足が地面にくっついたかのように固まってしまっている。薄目でほんの少し見えた時計の針が狂ったかのように進み続ける。
気づけば光の柱はもう目の前だ。もう目を開けることは許されない。一瞬でも開けてしまえば、失明してしまうだろう。水原と小河原がなにか叫んでいたが目の前の轟音にかき消され、聞き取ることは出来なかった。白木達は、何も抗うことができずに光の柱へと包まれていった。
包まれた後、学校の屋上は何事も無かったかのように静まりかえった。そこに白木達も、狂った時計も無くなっていた。
*****************************
転生直後
*****************************
乱雑にされた記憶のピースを埋めた。
そうだ、儀式をして成功してしまって、あの光の柱に包まれて…そしてここにたどり着いた…。
「ああ…そうだ、儀式、成功しちゃったんだ…。」
「…ごめんなさい…私がやろうと言ったばかりに…。」
由梨花は申し訳なさそうに俯く。
「…いいよ、大丈夫だ。」
白木は、謝る由梨花を許した。肩に手を置き、慰めるように由梨花を落ち着かせる。
「次は元の世界に戻る方法を探そう。その為にも、今くよくよしないで、立ち上がらなきゃ。」
「…私も、白木君に賛成よ。」
「俺もだ。…せっかくなんだ、こっちでしか出来ない事、色々しようぜっ!なっ!」
水原と小河原も賛成してくれたおかげで、白木も勇気が出てきた。…小河原は楽しむ気が誰よりもあるが。由梨花の俯いた顔が上がり、ずれた眼鏡を直した。由梨花はさっきとは変わり、口が綻んだ凛とした顔となる。
「ありがとう…ございます…。みなさん…。」
*
「みんな、もう動けそうか?」
小河原が、3人に向かって言った。まだ転生…したばかりなので、動けない人…?がいるかもしれないと思ったからであろう。しかし、3人は共にピンピンとしていた。
「私は…大丈夫です。」
「俺も大丈夫だよ…。ただ、体が変わってるし…うまく動けるか分からないけど…頑張ってみる。」
「私はもう変わってるっていうレベルじゃないけど!それに這うから遅いし!」
水原は、少し怒りを込めた声で言った。とはいえこれが水原の本調子なのでなんの問題もない。
「じゃあ俺が水原を持ってやろうか?」
小河原が面白半分で言う。が、勿論水原は
「腕からすり抜けて落ちるわよ。そんなの。」
と、反論した。しかし、小河原は納得がいかないようで。
「なんでだよ!ちょっと汚いけど制服着てんじゃん!」
「でもその中は骨だけなんでしょ?」
「う…」
「スライムは水に近いのよ、みずに。私の勘だと、着ていたとしてもすり抜けるのよ。…多分。」
"多分"というところは少し自信がなかったのか、小さな声で発せられた。水原は適当な理由で小河原に持たされるのを拒否した。小河原はどこは不服そうな顔をしていた。
「ので、白木君!」
「?…!」
水原はいきなり白木の頭に勢いよく飛び乗った。かなりジャンプ力があるらしい。頭に着地した後、水原は、ふん!、体を伸ばしながら言い、元の自然体の形に戻る。
「じゃ、白木君。頭の上に乗らせていただくよ!」
「もう乗ってるじゃんか!…なんで俺の頭に乗るの?」
「ふふん、それはね…」
水原の体、もといスライムが、ピッと煌めく。
「この毛皮が滑り止めになると思ったからだよ!現に今まったく滑らないし!」
「はぁ…そうなんだ…。」
実際、間違ってはいない。無駄な動きさえしなければ、余程なことがない限り落ちることはまずないだろう。白木の毛皮のおかげで。ただ、ここで問題が起きたようだ。
「ちょ、白木君!!耳ピコピコって動かさないでよ!当たってんじゃん!」
「いやそれは無意識に動いちゃうから無理だよ!」
「あぁ…まあいいわよ…あんなツルッパゲな頭に乗るより全然いいと思うわ。すぐ落ちるし。」
今の水原に発言により、三人の視線は小河原に注がれる。小河原はなんのことか分からなかったが、数秒後に言葉の意味がわかり、怒りを露わにした顔で、その白く細い骨の指で水原を指す。
「誰がツルッパゲだコノヤロウっ!!好きでこんな姿になった訳じゃねえんだしそもそもハゲじゃねえ!生えてねえだけだ!」
「でも結局髪無いからツルッパゲよね。」
「ああぁぁ黙れえっ!!みずはらぁっ!!お前だって髪の毛ねえだろぉ!」
「止めなよ2人とも…。」
喧嘩をする2人を鎮ませようとする白木。まずは頭に乗っている発端から。
「水原、流石にツルッパゲは酷いよ。もう子供じゃないんだし…。言うならオブラートに包んで言おうよ。」
「そうだ、水原。白木の言う通りだっ!」
「例えばさ…坊主とか。」
「いやむしろそっちの方が鼻につくぞ!!」
「…わかった。反省するわ。」
次は、目の前の五月蝿いスケルトンを鎮める。
「ほら、水原もそう言ってるし、小河原も反省しなよ。」
「いや俺被害者なんだけど!」
「喧嘩に被害者も何もないわよ。喧嘩っていうのはやった側とやわれた側どっちも悪いのよ。」
「喧嘩の発端が何言ってんだよ!」
「ああもう、やめてください!」
2人の収まらない喧嘩を見かねた由梨花が、ついに口を開いた。
「今はここから移動することが先決だと思いますよ!みなさんが動けるのなら、餓死しない内にもうここから動いた方がいいと思います!」
普段はこういう厳しい発言はしない由梨花であったが、今回ばかりは命にも関わることなのでこう言わざるを得なかった。それに加え、儀式を成功させてしまった負い目も感じての行動だったのであろう。この発言はさすがの2人も堪え、顔や動作で反省の色が見えた。
「す、すまん…。」
「私も…言い過ぎたわ。」
「もう、大丈夫ですね…?」
由梨花は2人の機嫌を伺うように、控えめに確認する。
「ああ…もう大丈夫だっ!」
「私もよ!」
「白木君も、大丈夫ですね?」
「え?あぁ、まあ、うん。大丈夫だよ。」
由梨花が不意に白木の様子も聞いてきたが、白木も特に問題は無いので問題なく返した。由梨花は3人の様子を確認して、うん、と微笑みながら軽く頷く。
「良かった。みなさん大丈夫そうですね。喧嘩も収まったので…行きましょう。」
「そうだなっ!…でもどこに行けばいいんだ?」
「……」
小河原のごもっともな意見に由梨花は返す言葉がない。そこで、白木が口を開く。
「とりあえず、行く宛もないし…彷徨ってれば何か着くんじゃないかな?」
「行き当たりばったり…てわけか!まあ、俺らもそういう風に生きてきたもんなっ!」
「…え?えぇ…そう、なんでしょうか…ね。」
小河原の謎の発言により、2人は沈黙。由梨花はどう返せばいいか、迷い気味に肯定していた。
*
薄暗い森の中を彷徨ってから数十分くらいは経っただろうか。未だに生物らしきものは見つからない。わかったことといえば、太陽の体を刺すような光も降っていなければ、月の仄暗く優しく包み込むような光も降っていない事だろうか。言わば、この世界に太陽も月もない。
ではなぜ植物が生えているのだろうか。反り立つ壁のように行く手を阻む巨大な木があるのにも関わらず、植物が育たない環境下でそのようなものが生えているのはおかしい。…いや、もしかすると、月がここの位置では見えていないだけで、本当はどこかに有るのかもしれない。そうと仮定するならば、今は夜なのだろう。それなら納得ができる。きっとそうだ。白木は自分にそう言い聞かせた。
白木はみんなの様子を見ようと、みんなの顔を確認してみた。水原は上に乗っているため見えないので除外する。由梨花は、顔色も足の速さも変えずに一定のスピードを保っている。しかし、額や頬には汗が滴り、そこ茶髪が引っ付いていた。由梨花はそれをもどかしそうに直す。どうやら、表面には出していないが、かなり疲れている様だった。
そういえば、白木はいままで由梨花が弱音を吐いたところは一度も見たことがなかった。それだけ芯の強い心を持っているのだろう。リーダーに向いている性であるが、人一倍責任を感じる事が難点だろう。実際にリーダーは由梨花がいいだろうと白木は思っていた。
一方、小河原はというと…
「ううぅえぇ…つかれたぁぁ…」
3人…いや、正確に言えば2人だが、1番遅れをとっていた。この中で、1番運動神経の良い小河原が遅れをとっているのだ。原因は探るまでもない。その姿であろう。転生してしまった影響で、筋肉が無く骨しかないモンスターのスケルトンになってしまったのだ。次第に脚が進むスピードも落ち、今では追いつくことさえも精一杯だろう。
それに、暑かったのだろうか、制服と下着を上半身だけ脱ぎ、汗ばむ白い手で服を持っていた。故に、スケルトンの華奢な体が上半身のみを晒している事になる。加えて、その白い体に汗が滴っている。…スケルトンに汗腺なんてものがあるのだろうか…?なんて疑問に思いつつ、白木は小河原を励まそうと声をかける。
「大丈夫か?…辛そうだけど…。そうだ…一旦休憩しようか?」
「あぁ…た、頼む…脚が、…」
小河原は、もう限界だ、とでも言うように脚ががくがくと震えている。息も上がり、瞳の…いや、眼窩の奥の光も見えない。…思った以上に危険な状態のようだ。白木は小河原の方へ向くと、その歩き疲れた脚で歩いた。その骨だけの体を横から優しく抱えると、小河原の疲れきった声が耳に届く。
「ははっ…すまねぇな…。」
2人は少しだけ歩き、木の近くで座り込んだ。もちろん、小河原を優しく楽な体勢のまま木を背もたれに座り込ませた。由梨花も、相当疲れていたのだろう。2人の近くまで来ると、ふぅ…、と少し大きいため息を吐いた。白木も例外ではない。小河原を座り込ませた後、力が抜けるようにへたり込んだ。ただ唯一疲れていない水原はこの様子を見て、自分だけ楽に移動して疲れない事に、少し罪悪感を覚えた。
「みんな、大丈夫…?じゃ、ないよね…。ええと…」
罪悪感に背中を押され、みんなを気遣おうと声を発するも、なかなか言葉を紡ぐことが出来ない。
「なんだかごめん、その…私だけこんな楽に移動しちゃって…」
「、大丈夫ですよ、水原さん…。そんなに…気になさらないで…。」
由梨花は、水原に優しく返した。白木もそうしようと口を開くが、小河原が先に言ってしまう。
「まあ…水原はスライム…だし?さっき自分で…遅いって…言ってたし。まあ、その…あれだ。俺は白木に乗ってても…いいと思う。何もしてねえのに…負い目を感じるのも、おかしいだろ?」
「え…えぇ…。」
水原は、少し困惑しつつも小河原の言葉を受け止めた。白木は、今度こそ俺の番だ、と思い口を開く。
「俺も…そう思うよ。水原、そんなに重くないし…まあ、むしろ、気づかなかった…ぐらいだし。大丈夫だよ。」
「そ…そう…。わかった…。みんな、ありがとう。」
それを聞いたからか、水原は少し気が楽になった気がした。
その後、疲れた3人は休む事にした。その間に、白木は少し暑いと思ったのか、上半身の制服だけ脱いだ。3人はそれぞれ息が整い始めると、その様子をずっと見ていた水原はとある異変に気づいた。
「…ねえ、なんか音がしない?」
「え…どんな音だ?」
小河原が聞き返すと、水原は体を縦に伸ばす。そして、その先端からセンサーのような動きをする。
「なんか、足音みたいな…ごめん、ちょっとみんな静かにしてて。どこから聞こえてるか探ってみる。」
3人は水原の指示どうりに沈黙する。間の悪い風が木々の葉を揺らす。水原はそれをもどかしく思いつつも、必死に足音の出処を探る。
突然、水原は由梨花の後ろをさす。
「あそこから聞こえるかも!」
「え!?」
由梨花は驚いた様子で振り向く。水原にしか分からない何かがいるという恐怖に、由梨花は顔の向きはそのままに足を引きずりながら白木の隣に来た。その瞬間、水原のさした方向にある茂みが、ワサワサとざわめく。
「なにか来る…。」
水原が呟いた。白木はそれを聞き、由梨花の前に腕を出した。まるで茂みの向こうの奴から守るように。由梨花は前に出された白木の腕を一瞥すると、すぐに茂みの方へを視線を向けた。小河原も茂みの方を見据えている。
そして、ついにその向こうから何か影が見えた。背は立った時の白木達よりも少し小さく、幅は周りの木よりも細く見える。
「…あれ?」
そいつが白木達に気づき、声を発した。声色は、声変わりを迎えていない純粋な男子中学生が近いだろうか。そいつがこっちに向かってきている。ついに、正体が現されるようだ。
「えっと…何してるの?そんなところで。」
その姿に、白木達は驚愕した。長い耳、高い鼻、そして緑色の肌。ゴブリンなのだろう。しかし、白木達が思っていたゴブリンとは全く別であった。ゲームなどでよくあるゴブリンは、凶暴で、目つきが悪く、知能はあまりない奴らが多いであろう。白木達もそういう概念でゴブリンという生物を考えていた。
しかし、目の前にいるゴブリンはむしろその逆だ。声色で穏やか、もしくは静かな性格である事は間違いがないであろう。目つきも、とても子供っぽく敵意があるようにも感じない。知能も、人間の様に喋っているのだから低いはずが無い。それに加え、まるで村人を彷彿とさせるみすぼらしい服ではあるが身なりもよく整っている。被っている帽子からはエメラルドグリーンの色をした短髪も見えている。
自分達の概念から桁外れたゴブリンを目の当たりにした白木達は、混乱してしまい立つことも忘れてしまう。そんな白木達を優しそうなゴブリンは怪訝そうに見つめる。両腕には抱え込むように、タケノコのようなものを持っている。
「…え…と…」
微かながら由梨花は言葉を発した。それに気づいた優しそうなゴブリンは、由梨花に視線を向ける。…もう後戻りはできない。そう思った由梨花は、とにかく思いついた言葉をゆっくり言うことにする。
「…敵、じゃ…ない、ですよね…?」
「…?そ…そうだけど…。ここは危ないよ?『禁断の領域』の近くだし…。」
一旦首を傾げ、由梨花の言葉を肯定すると、白木達に優しく警告を促した。『禁断の領域』という禍々しい言葉を聞いた白木達は、心に一抹の不安がよぎった。
「へ、…き、禁断、の…?」
「えぇと、とりあえずさ、近くに僕の住んでる村があるんだ。ここから離れよう?」
そう言いながら、敵意のないゴブリンは白木達に一歩近づく。本来ならば逃げるべきであると思うが、相手に敵意が無い上に、純粋な子供のような目で、声で、ここは危ない、なんて言われれば逃げるどころか助けを求めてしまいそうだ。…いや、ここで逃げる、なんて事はしない方がいい。
白木は思う。
もしここで仮に逃げたとして、その『禁断の領域』に入ってしまったらどうする?もし本当に『禁断の領域』があるなら、このゴブリンは俺たちを助けようとしているのではないのか?すべては『それ』があればの話になるが、結果的にここで逃げてしまうのは良くないであろう。
そう考えた白木は、やっとのことで立ち上がる事を思い出した。それに続いて、由梨花、小河原の順で立ち上がる。
「…、あぁ、そうするよ。名前は…なんて言うんだ?」
「ロルカ、っていうよ。みんなは?」
「俺は、白木っていうんだ。で上のが…」
「水原よ!ロルカ君、よろしく!」
「えっと、私は…由梨、花。由梨花って言います。」
「んで俺が小河原だ。よろしくなっ!」
ゴブリンのロルカは、白木達を個々に指さして確認する。
白狼獣人の白木を指さす。
「シロキさんに」
スライムの水原を指さす。
「ミズハラさん」
悪魔の由梨花を指さす。
「ユリカさんに」
スケルトンの小河原を指さす。
「オガワラさんだね。」
ロルカは確認を終えると、白木達に優しく笑いかける。
「みんな、珍しい名前ばかりだね!どこか遠いところから来たの?」
「え!…いやぁ、その…まぁ、うん…。」
あながち間違っていないような事を言われ、白木は言葉を詰まらせながらも肯定する。すると、ロルカは目を輝かせた。
「じゃあ、旅をしてる人達なんだね!…でも、どうしてこんな危ないところに?」
「え、えぇと…」
「それは、ですね」
ついに言葉が完全に詰まってしまった白木に、由梨花は助け舟を出す。
「旅に、夢中になってしまって…それで、ここに来てしまったんです。」
「あぁ、そういう事だったんだね!…でもやっぱりここは危ないから、村に行こっか!そっちの方が安全だしさ!」
「あ、あぁ、そうだな!」
優しさからくる誘いに断れない白木は、少し無理して笑った。途端に、上に乗ってる水原や両隣にいる由梨花と小河原に変わらない調子で確認する。
「、みんなも行くよな!」
「も、もちろんよ。」
「まあ…行かないわけにはいかないでしょう。」
「とりあえず休められるんならどこでもいいよ…。」
水原は、一瞬迷ったが肯定した。由梨花は、仕方ない、とでも言いたげに肯定した。小河原は、とにかく疲れているようで、迷いなく肯定した。
「じゃあ、行こう!すぐ近くだから!」
ロルカはそう言うと振り向き、歩き出した。白木達も、動く脚がまだ重かったが、遅れないように着いて行った。
*
しばらく歩いていると、白木は由梨花にある事を言い出す。どうしても気になる。あの言葉。
「なぁ由梨花、『禁断の領域』ってなんだろう?」
「え…私に聞かれても…。」
「っ!まさか、知らないの!?」
ロルカは白木と由梨花に、ありえない、と驚いた顔をした。白木は小声で話していたつもりだったが、出した声が大きかったのか、はたまたロルカの耳がよかったのか、定かではなかったが、『禁断の領域』の話がロルカの耳に入ってしまったようだ。ロルカは立ち止まり、白木達に視線を向ける。
「え…あぁ…まぁ、うん。」
白木は視線を右往左往と動かしながら、申し訳なさそうに頷く。
「お父さんとか、お母さんとかに聞かされなかったの?『禁断の領域』は危ないっていう話…。」
「その…そう、なんです…。」
白木達はもちろん親がいるが、異世界に住んでるわけではない。当たり前だ。住んでいる世界は現実の世界なのだから。聞かされるどころか親に聞いたところで診られてしまうだろう。
「ミズハラさんも?…あと、オガワラさんも?」
二人は少しの間だけ目を合わせ、ロルカの方へ向き直ると頷いた。その様子を見たロルカは、呆れか驚きか分からないため息を吐く。すると、今度は深呼吸をした。ロルカは、おもむろに口を開く。
「…わかった。聞いてないなら、僕が話すよ。『禁断の領域』の先の恐ろしさと、その歴史。僕がお父さんから聞かされた事、全部話すよ。…歩きながらね。」
今から約六千年前、とある事件がきっかけでこの世界は、半分にされてしまったんだ。僕ら、魔族の世界。そしてもう一つ、人間族の世界。二つの世界の境界線は禁断線と呼ばれ、お互いに向こう側の世界を『禁断の領域』と名付けた。
元々は魔族も人間族も仲が良かったんだとか。だけど、さっき言った事件が引き金になって、お互いを信頼しなくなって、次第に魔族側から離れていったんだ。人間族の王と魔族の王は、ここが禁断線と決め、それ以降はお互い全く話していない。
しばらくして、魔族の世界は安泰に向かっていった。時が経つ程、種族間との暴動等は無くなっていったんだ。むしろ、人間族がいた頃よりも魔族同士の仲が深まっていたんだ。
だけど、その直後に悲劇が起きた。人間達が、『禁断の領域』にも関わらず、いきなり侵入しその近くにあった村が人間達によって消えてしまったんだ。ごく一部の人間達だったけど、武器を持って戦うなんて思考を捨てた村の魔族は、何も出来ずに殺されてしまったんだ。その村の魔族全員が。殺されて。その後は、まるで何事も無かったかのように、その村を自分達の領地にし始めたんだ。禁断線を超えた、魔族の領域なのに。
深い悲しみに涙を流す魔族を見た魔族の王は誓った。一人残らず、あの醜い生き物を始末し、魔族だけの安泰の世界を創ると。
「僕がお父さんに聞かされたのはここまで。実はまだあるらしいんだけど、それはお父さんもお母さんも知らないんだって。詳しい話とか聞きたいんだったら…ちょっと遠いけど、街の図書館に行けばいいと思う。」
白木達は、ただただ聞くことしか出来なかった。
この世界に、こんな歴史があったなんて。
水原はそう思って、身震いする。
「ねえ、もしかして、さ。その…人間達の侵略ってやつ?、今も続いてる…なんてこと、無いわよね?」
「えぇと…続いてる。今も…。」
それを聞いた小河原は、感情に任せて言葉を発してしまう。
「はぁ…!?本気で人間バカかよ!平和に暮らしてたのに、いきなり襲いに来るだなんてよ…!しかもそれが今も続いてるんだろ!?意味わかんねぇよ…!」
「…う、うん。…それでさ、実は人間達に昔からある噂が流れてて、そしてその内容なんだけど…。」
小河原の熱情に押され、引き気味のロルカは、とある噂を口に出した。
「〈森の奥深くにはバケモノがいて、見つかったら食われる〉っていう噂なんだ…。そもそも僕ら魔族は人間達を食べないし、この噂は全くの嘘なんだけど、これを信じきった人間達は数多くいるんだって…。だから、食われる前に、って…だから、村を…」
ロルカの目は、ほんの少しだけ涙目になった。無理もない。虚偽の噂を流され、そのせいで人間達は侵入し、村一つまるごと消して自分達の領域にしたのだ。こんな理不尽な事があってもいいのだろうか…。白木達は、元は人間であったが、ここの人間には許せない気持ちを持った。それと同時に、魔族への同情の気持ちも持った。だから、白木達は今の事を聞かされ、何も言う事は出来なかった。
俺達は魔族。でも元は人間。俺達は…どっちの味方をすればいいのか…。
白木はそんなことを考えていると、不意に由梨花が口を開ける。
「どうにかして…人間達の侵入を防ぐ事は…出来ないんでしょうかね…?」
「…あぁ、それは大丈夫だよ。防ぐ事は出来てるよ。」
「…そうなんですか?」
ロルカは振り向きながら頷き、視線を前の向きに直す。
「村に、街から来た人間達を撃退する魔族がいるんだ。それでなんとか村を守ってくれてる。…最近は侵入してきてないから、その魔族は前より少し減ったけど、きっと大丈夫。この村を何回か守ってくれたし。今はもう安心だよ。」
「そうなんだ…。それはよかった。」
白木は少し安心したような声を出した。しかし、心から安心は出来なかった。またいつ来るのかはわからないのだから。
…けど、俺らはどうすればいいのか?確かに、この世界の人間は最低だ。噂で動かされたとはいえ、ここはでやる必要はないだろうし…。人間から見れば魔族は化け物かもしれないが、魔族から見れば人間は旧友じゃないのか…。事件があったとはいえ、それが起きる前は仲がよかったのだろう?…もしや、人間は昔のことは忘れてしまったのか?…あぁ、だめだ。今の情報量じゃここまでが限界だ。とりあえず…とりあえず、まずはこの世界を色々な視点から知るところからはじめないと。
白木はそれ以上考える事を止めた。が、少し気になったので、由梨花に確認をとった。もちろん、今度は控えめに。
「なぁ…由梨花は、どっちの味方になる?…人間か、魔族か。」
「…私は…」
由梨花は、少し辛そう顔をした。それは、人間に対しての怒りか、もしくは魔族に対しての同情か…その逆も考えられたが、白木はその表情の心理を知ることは出来なかった。しかし、途端に決意をしたような顔になる。
「魔族…です、かね。」
「…だよね。」
白木も、それに同意した。白木に乗ってる水原も、白木の隣にいる小河原も、口には出さなかったが、由梨花や白木のように魔族の味方になると考えていた。
どうにかして、人間を止められないだろうか?どうにかして、魔族を救えないだろうか?
白木達は、今までに無い心理と倫理が頭の中で巡っていた。
村には、まだ着かない。