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九品寺直弥の小さな事件簿  作者: 有田未明
1/1

一、嘘から出た真心

警察沙汰にならない程度の日常的な事件を解決する人情ミステリー

一話目は、嘘をつく少年をめぐる物語



「ハンバーグは作れないの?」

 いつの間に入ってきたのか、ランドセルを背負った少年が、届けられたばかりのメニュー表を見ている。

「まだ開店してないんだよ」

 店内の改装が終わり、三日後に控えた新装開店の準備をしている時だった。九品寺直弥くほんじ なおやは、厨房設備を点検する手を止めて少年を見た。年の頃は小学校中学年くらいだろうか。ブランド物の高級そうなTシャツは、何日も洗濯していないことが見てとれるほどヨレヨレになっていて、半ズボンのポケット口付近は変色している。それでも表情は凛としていて自信に満ち溢れていた。

「知ってるよ。今度の土曜日、十月二十三日からなんでしょ」

 少年は得意顔で答えた。

「ハンバーグが好きなのかい?」

「……うん。お母さんが作るハンバーグは、世界一おいしいんだ」

 少年が笑顔で答えた時、直弥は少年の顔に微妙な陰りを見た。

「じゃあ、おじさんが作っても絶対かないそうにないね」

「でも……おじさんが作ってくれたら、お母さんのとどっちがおいしいか教えてあげられるのにな……」

 直弥は少年の表情から瞬時に悟った。

『この少年は嘘をついている』……しかし、直弥は笑顔のまま少年に語り掛けた。

「おじさんのハンバーグを食べてみるかい?」

「うん!」

 少年の顔が一気に明るくなった。

 ――あの時と一緒だ……。少年の顔に、律子の笑顔が重なって見えた。



 半年前、直弥は父親から勘当された。一代で莫大な不動産を築いた父親の会社を継ぐ予定だったのだが、この小さなレストランを放っておけなくなり、『入り婿』という形で律子と一緒になった。

 直弥には、困っている人を見たら『自分にできることなら、なんとかしてあげねば』と考える習性がある。自分には関係ないと思えることでも、一旦関わってしまうと、ついつい深入りしてしまうのだ。

 律子と出会ったのは一年前、直弥が修行していたフレンチレストランに律子が友人と食事に来た時だ。修行の成果として作ったデザートを食べた律子が感動したことをきっかけに交際が始まった。そのフレンチレストランを直弥に紹介したのは、直弥の父親だった。

「どうせ料理の修行をするなら、一流のところでやれ」

 直弥の父親は、中華街でアルバイト的な料理人修行をしていた直弥にこう言った。

 直弥は大学を卒業し、全国を食べ歩く旅に出て、料理に興味を持った。父親との約束は、「会社を継ぐ条件として十年間は自由にしていい」というものだった。全国行脚を二年した後、中華街の名店で働き始め、父親の口利きで中華街からフレンチに移った時は、約束の期限まで五年あった。

 フレンチでの修業は厳しかったが楽しかった。中華料理の華やかさとはまた一味違う、美的センスを問われる盛り付けなど、毎日が新鮮で成長を実感できていた。そんな折、律子と出会い、デートを重ねるようになっていた。

「実は、私の実家もレストランをしているの……」

 何度目かのデートで、律子から打ち明けられた。街の小さなレストランで、祖父の代から続けてきたが、近所に流行りのビストロやファストフード店が乱立して、とてもやっていけない状況だという。

「次のデートは律子のレストランで食事をしよう」

 直弥は自然と、そう提案していた。

 二週間後、ふたりは律子の父親が経営するレストランにいた。テーブル席が八つしかない小さなレストランで、料理人はオーナーシェフひとり、従業員は律子とアルバイト学生がひとりという零細ぶりだった。

「今日は僕のために、貸し切りにしてくれたのかい?」

 街のレストランにコース料理などなく、ハンバーグセットのコーヒーを待っている間に、直弥が律子にささやいた。

「ううん。最近はいつもこんなものなの……」

「大丈夫?」

「大丈夫……じゃないでしょうね……でも、どうしようもないみたいなのよ」

 経営が厳しいとは聞いていたが、想像以上だった。

「周りに人気店が出来たことも、もちろん影響あるだろうけど、父がね……体調を壊していて一日に五時間しか働くことができないの。夕方四時から七時までしか開いていないレストランは悪循環にしかならないのよ……」

「お父さんに挨拶してもいいかい?」

「えっ?」

「体調が悪いのに、こんな美味い料理を食べさせてくれたんだから、挨拶くらいしておきたいな」

 律子の父親は、体調の悪さをみじんも感じさせない程、毅然として厨房に立っていた。直弥が挨拶をすると、「美味かったかい?」と言い、直弥がお礼を述べると、一瞬だけ目を細めて調理用具の手入れに戻った。まさにプロの料理人だった。

 それから半年後に直弥は律子にプロポーズした。

「僕と一緒に君の店を立て直そう」

「直弥さんの実家はどうするの?」

「断るよ……」

 この時の律子の笑顔が、今目の前にいる少年の笑顔と重なった。律子の場合は嘘をついた後の笑顔ではなかったけれど……。


 父親との約束を反故にした直弥は、勘当同然に縁を切られた。律子と結婚した直弥は、正式に店を継ぐ決意を伝え、店の改装から取り掛かった。改装と言っても、直弥が自分の得意な料理を提供するために、火力の強いコンロを追加したことと、真っ平らな厨房作業台を備えたくらいだ。それでもレイアウトが変わるため、一か月の改装工事となった。

 メニューは、直弥の得意な中華と庶民風フレンチをバランスよく揃えた。核となるメニューを決めかねていたが、おいおい決めていけば良かろうと悠長に構えていた。

 改装費用は全て直弥が負担することとなったが、自分の店を持てると考えれば安すぎる投資だった。そして、いよいよ三日後には新装開店を迎える。直弥としては開店の準備で忙しく、猫の手も借りたいくらいだけれど、少年のことも放っておけなくなった。


 新しい店のメニューにハンバーグはないが、作り方は知っている。子どもが喜ぶハンバーグというものも判っている。肉百パーセントよりも、玉ねぎや人参を混ぜた方が食べやすい。しかも、この少年は見るからに栄養バランスの悪い食事をしていると直弥は気付いていた。ブロッコリーの芯をみじん切りにして加えただけでなく、ピーマンのみじん切りと鰯のすり身も加えた。ご飯は炊いてないので、バゲットにチーズを乗せ、トーストにして添えた。

「おいしいかい?」

「うん。お母さんが作るのとは違うけどおいしい!」

 少年は慌てることなく、ゆっくりと味わって食べた。

「君の名前は?」

「真司。高波真司です」

「真司君は何が一番好きなのかな?」

「僕はエビフライが大好き!」

「ハンバーグじゃないのかい?」

「……ハンバーグは、お母さんの大好物です……」

 真司の顔に困惑の色が浮かんだ。

「お父さんは何が好きかな?」

「……お父さんは……たぶん、ビーフシチューかな……」

 真司の顔がさらに曇った。

 何か訳あり顔ではあるが、それ以上の質問は遠慮した。

「ごちそうさまです。いくらですか?」

 真司は食べ終わると、ナイフとフォークをきちんと揃えた。

「今日は、真司君に味見をしてもらったんだから、料金はいらないよ」

「そんなわけにはいきません。お母さんに叱られます。ちゃんと料金を言ってください」

 まだ幼さが残る子どもなのに、礼儀正しい態度に直弥がひるむほどだった。

「じゃあ、『まかないめし』ってことで、三百円もらおうかな」

「こんなにおいしいのに、三百円でいいの?」

「ああ、材料は残り物だし、メニューに載ってないからね」

「じゃあ三百円……」

 真司は財布から小銭を出し、百円玉を三つ選んで直弥に渡した。

「ハンバーグ、ふわふわしていてとってもおいしかった。どうしてメニューに入れないの?」

「ハンバーグは家庭の味だからね。いろいろな作り方があって、どう頑張ってもお母さんの味は出せないんだよ」

「でも……メニューに載せたら、きっと売れるのに……」

 そう言い残して、真司は帰っていった。

 真司の後姿を見送っていると、律子が買い出しから戻ってきた。

「あの子は誰?」

「真司君……。何か訳があるようだったから、栄養のあるものを食べさせたんだ」

「どこかで見たことがあるような気もするわね……」

 律子が首を傾げた。


 翌日、直弥がテーブルと椅子の配置を調整していると、真司の視線に気付いた。

「やあ、今日も来たね」

 真司は、昨日と同じ服を着ていた。

「真司君は何年生?」

「三年生」

「じゃあ、八歳かな?」

「うん。でも明日で九歳になるんだよ」

「そりゃ、おめでとう。明日は家族で食事かな?」

「……うん」

 真司の顔が少し曇った。

「そうか……じゃあ今日は特別な『まかないめし』をご馳走しよう。おじさんからの誕生日プレゼントだ」

「だめです。ちゃんと料金を払わないと、お母さんに叱られます。三百円でいいですか?」

 直弥は準備していた『真司のまかない飯』を調理にかかった。一つは昨日と同じ野菜たっぷりのハンバーグと、もう一つはエビフライを三尾揚げて中華風のタレに浸した。それをバンズではなく大量のレタスで挟んだ『二種類のレタスバーガー』を作った。

「わあ、レタスだらけのハンバーガーだ!」

「野菜は嫌いかい?」

「……ううん。大丈夫だよ。いただきまーす」

 真司は「おいしい。おいしい」を連発しながら、ゆっくり味わうように完食した。

「じゃあ、明日は真司君の誕生日でお出かけするだろうし、おじさんも開店前日で忙しいからね……」

「うん。そうだね……」

 真司は少し寂しそうに帰っていった。


 翌日は開店前日で、アルバイトの美咲も揃っての最終チェックをしていた。

 午後五時を過ぎたくらいだった。直弥は、店の外の植え込みから店内を覗き込んでいる真司の姿を見つけた。

「真司君……」

「あら、店長は真司君をご存知なんですか?」

 直弥の視線の先を確認した美咲が、声をかけた。

「美咲ちゃんも、真司君のこと知ってるの?」

「はい。近くに住んでいて、何度か公園で話をしたこともあります。今日は、一時間以上も前からあそこにいるので『何してるんだろう?』って思ってました」

「一時間も前から……。今日は、真司君の誕生日だから家族で食事に出かけると言っていたんだけどな……」

「えっ? そんなことを言っていたんですか……」

「ん? どこか嘘をついているなとは思っていたけど、美咲ちゃんは何か知ってるのかい?」

「はい……こんなこと話していいのか判らないですけど、真司君のお父さんは、二年前から単身赴任しているみたいです。そんなに遠くではないんですけど、毎日仕事が遅くなるのでアパートを借りていて、月に一回くらいしか帰ってこないって……。お母さんも責任ある仕事をしているらしくて、毎晩真司君が寝てからしか帰宅しないので、普段は真司君ひとりでコンビニ弁当を食べているそうですよ」

「そうか……家族の話になると表情を暗くして嘘をついていたのは、そういう事情だったんだね」

「……あと、お母さんも毎日くたびれて帰っているために、洗濯がままならないようですね。経済的には恵まれているようですけど、真司君はお気に入りの服しか着ないので、土曜日にお母さんが休むタイミングでしか洗濯をしないらしいんです」

「毎週、土曜日が休みなわけじゃないんだね」

「真司君の話だと、一週おきにしか土曜日の休みはないって……」

「そうか、じゃあ明日の土曜日は休みかもしれないね」

「さあ、それはちょっと判りません……」

 美咲は、母親の休みの周期までは把握していないようだったが、直弥は真司の服の汚れ具合から「先週は休みではなかったのだろう」と推理した。

「ちょっと、店を頼む」

 直弥は、厨房の最終チェックをしていた律子に声をかけた。

「この忙しい時に何か忘れてたの?」

「三十分もあれば戻るから」

 直弥は急いで二階の自宅に駆け上がった。


 三十分後、直弥は一枚のチラシを手にして一階へ下りた。

「美咲ちゃん、これを真司君に届けてくれないか?」

 直弥が渡したチラシは、パソコンで印刷されたものだった。

 そのチラシには『誕生日とその前後三日間は、特別メニュー提供』と、ふりがな付きで書かれていた。

「こんなサービス初めて聞きましたよ」

 美咲が目を丸くしている。

「いいんだ。真司君のためだけの特別イベントさ」

 美咲が首を傾げながらも真司に届けると、真司は目を輝かせるように喜んで家に帰っていった。


 いよいよ新装開店の日、一時間に二、三組が訪れる程度の出足だった。それでも、直弥が修業時代に知り合った口コミなどの効果もあって、夕方六時を過ぎると半分以上の席が埋まるほどの盛況ぶりになった。

「真司君、今日来るかしらね?」

 律子も気になっていたのだろう。暗くなった外を気にしている。律子には、チラシの仕掛けと真司の微妙な嘘のことを伝えていた。

「必ず、来ると思うよ」

 直弥は自信たっぷりに答えた。直弥がそう考えたのにはわけがあった。今日は土曜日だというのに、朝から真司の姿を見ていないのだ。


 午後八時前、閉店まで一時間余りとなった時、ドアを開けて入ってきたのは、ブレザーと折り目の付いた半ズボンに、蝶ネクタイでおめかしした真司と両親だった。真司は、これまでに見たこともないような満面の笑みを浮かべているが、両親の顔は無表情のままだ。

「まだ、よろしいですか?」

 母親が勝気そうな、冷たい口調で尋ねた。

「もちろん大丈夫です。いらっしゃいませ!」

 美咲が嬉しそうに声を張り上げ、厨房にいた直弥と律子もホッとした表情になった。

 テーブル席に着いた三人へ水を運んだ美咲に、父親が質問した。

「このチラシは本物かい? 今までこんな怪しいチラシを見たことがないのだけれど……」

 テーブルの上には、昨日真司に渡したチラシがあった。

「はい。もちろん本物です。ご家族の中に誕生日かその前後の方がいらっしゃれば、通常のメニューに載っていない『ビーフシチュー』や『ハンバーグ』をご注文いただけます」

 美咲があまりに声高に言うものだから、まだ店内にいた他の客が一斉に振り向いた。

「昨日が僕の誕生日だからいいんだよね。美咲お姉さん」

「はい。真司君の誕生日は私が知っているので大丈夫ですよ」

 美咲が真司に微笑みかけながら答えた。

「どうしてあなたが知っているのですか?」

 父親が怪訝そうに首を傾げた。

「あ、私……高波さんの裏手にあるアパートに住んでいるんです。真司君とは時々、近所の公園で話をしたことがあります」

 父親だけでなく、母親も美咲を初めて見る目つきで見ていた。

「そうですか……じゃあ、僕はビーフシチューにライスとサラダをお願いします」

「私はハンバーグとパンをいただくわ。真司は何にする?」

「僕は……エビフライセットがいいけど……」

 真司がメニューを見ながら迷っていると、

「エビフライとハンバーグをレタスバーガーにしてあげようか?」

 いつの間にかそばに来ていた直弥が笑顔で話しかけた。

「あっ! おじさん。こないだのレタスバーガーでお願いします」

「えっ? 真司……レタスって野菜なのよ……」

 母親が心配そうに声をかけた。

「うん。ここのハンバーグの中にもたっくさん野菜が入っていて、ふわふわでとってもおいしいんだよ」

 真司の嬉しそうな声を背中で聞きながら、直弥は厨房へ入っていった。


 直弥は手早く三人分の特別メニューを作ると、テーブルへと運んだ。

「お待たせしました。本日の特別メニューです」

 美咲がひとりずつテーブルにセットすると、周りの客が立ち上がって眺めている。

《わあ、すごい! あのレタスバーガーは、レタスがバンズの替わりなのね。大量なレタスが新鮮で美味しそう……》

 隣のテーブルに居た若い女性が、今にも写真を撮りたそうにそわそわして見ている。

「真司……お前、いつから生野菜を食べられるようになったんだ?」

 父親が驚きを隠そうともしないで嬉しそうに聞いた。

「おとつい……からかな?」

 真司は、両手でレタスバーガーを持ってかぶりつこうとしていた。

「このハンバーグも美味しい! こういう所って『牛肉百パーセント』なんかを売りにすることがあるけど、これは野菜がたくさん入っているわ。人参、玉ねぎと……ブロッコリーかしら……」

 母親も感激の声を上げた。

「うん。おじさんが教えてくれたけど、ブロッコリーの芯やイワシも入っているらしいよ」

「えっ? 鰯? 全然匂いはしないし、とってもふわふわで美味しい! しかもヘルシーで栄養満点なハンバーグなのね。初めて食べる味だわ」

「このビーフシチューも抜群に美味いな。どうしてこんなに美味しい料理が通常のメニューにないのか不思議だよ」

「それはね……僕がおじさんにお父さんとお母さんの大好物料理を教えたからだよ」

『えっ??』

 両親が揃って声をあげた。

「こないだ、コックのおじさんにお父さんとお母さんの好きな料理を聞かれたんだ」

「どうして父さんの好きな料理だなんて知っていたんだ?」

「だって、僕の六歳の誕生日にこのお店で食べていたよね。お母さんはハンバーグを食べていて、僕はまだお子様ランチだったけどね」

「あ……あの時の店か。そういえば家族で食事をしたのは、あれが最後だったんだな」

「そうだよ。だから僕、またここで揃って食事できたらいいなって思ってたんだ」

 厨房の陰で真司たち家族の話を聞いていた直弥は、真司がついていた嘘の真相を全て理解した。ハンバーグがメニューから消えてしまうと母親と一緒に来られなくなると考えたのであろう一言。自分は野菜が嫌いなのに、それを隠そうとしたこと。自分の家族はバラバラだと悟られないような嘘をついていたこと……。

 そういえば、直弥の父親もビーフシチューが好きだったなと思い出した。勘当されたとはいえ、今や親ひとり子ひとりの、この世にふたりだけの肉親だ。店の改装が始まってからは一度も思い出すことのなかった父親を思い浮かべた。

「落ち着いたら、ビーフシチューでも作っていってみるか」

 そう呟くと、開店記念で無料提供しているサービスケーキの準備に取り掛かった。


「本日は開店初日からお越しいただきありがとうございます。今日と明日は、お越しいただいたお客様にケーキバイキングを無料提供しております」

 高波家の食事が終わったのを見計らって、直弥自らがテーブルに向かい、コーヒーを配りながら告げた。

「そうですか……真司、お父さんとお母さんの分も選んできてくれるか?」

 満足そうな顔をした父親が、真司にお願いした。

「うん」

「じゃあ、美咲お姉さんと一緒に選んでおいで」

 直弥は、横にいた美咲に真司を案内させた。

「……真司から聞きました。開店前の忙しい時にご迷惑をかけたのではありませんか?」

 真司がテーブルから離れると同時に、父親が口を開いた。

「とんでもない。僕もまかない料理の味見などを手伝ってもらって楽しかったですよ」

「僕はね……」

 父親が許しを請うように話し始めた。

「仕事の忙しさから家にも帰らずに会社近くのアパートを借りていたけど、真司の嬉しそうな顔を久しぶりに見て目が覚めました。アパートは引き払って、どんなに遅くなっても家に帰るようにします」

「私も……」

 母親も神妙な顔で直弥に告げた。

「仕事のやり方を変えて、なるべく早く家に帰るようにしますわ。お金さえ渡しておけば済むことじゃないって判りました」

 直弥は、懺悔のようなふたりの言葉を、黙って聞きながら目を細めた。

「チョコレートケーキでいいでしょ!」

 真司が満面の笑顔で戻ってきた。美咲が嬉しそうにケーキを持っている。直弥は、さらに目を細めて一礼すると厨房に引き返した。

 店に来た時とは別人のように仲の良い家族となって帰っていく三人の姿を、律子と見送った。

「どこかで見た顔だと思ったら、三年前に来た家族だったのね」

 律子は優しく笑っていた。

「これで真司君も嘘をつく必要がなくなるといいわね」

「そうだな……」

 直弥は、先ほど見た家族の笑顔がまた律子の笑顔と重なり、「自分はこの笑顔を見るために生きているのだ」と改めて感じた。



 ところが……

 翌日は、開店から大騒ぎになっていた。

「私もレタスバーガーを食べたい!」

「ヘルシーで栄養満点なハンバーグを食べるにはどうしたらいいの?」

「ビーフシチューをメニューに加えてくれ」

 開店時間前から並んでいた客が口々にリクエストするのだ。どうやら、昨夜の高波一家が食べた料理を、誰かがSNSにアップしたらしい。隠し撮りと思われるレタスバーガーの写真まで見せられては、直弥としても諦めざるをえなかった。

「わかりました。今日から、『レタスバーガー』も『野菜入りハンバーグ』も『ビーフシチュー』もメニューに加えます」

 新装開店二日目にしてメニュー変更を余儀なくされるとは嬉しい悲鳴だった。しかも、核となるメニューになりそうである。

『わーーー!』

 口々に上がる歓喜の声を聞いて、「やれやれ」という思いと、「また喜ぶ顔を見ることができた」という思いが交差する直弥であった。


きっと貴方も人間が好きになる。人と人の温もりを大切にしたプチミステリー

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