エリカはいつも死にたいと思って生きてきた
エリカはいつも死にたいと思って生きてきた。死ぬことは怖くはなかった。それよりも生きることの方が何倍も苦しいと思っていた。だから何度も自殺未遂を繰り返した。手首を切ったり、薬をたくさん飲んだり、学校の屋上から飛び降りようとしたり、思いつくことは何でもした。死ねないのは分かっていた。どれだけ自分を傷つけても、身体は生命を続かせようとエリカの意思に抗った。それでもエリカは死ぬことを諦めたりしなかった。決して破滅を願う美学に酔っていたわけではない。ただ生きることに疲れてしまった。それだけのこと。
宗教や哲学、心理学の勉強をしたこともあったが、それらはエリカをどこへも連れて行かなかった。そのうち、色々と思い巡らすことが面倒になった。死を求める気持ちに理由などなかった。大きな病気になったことはなく、生活が困難というわけではなかった。周囲から阻害されることもなく、大切な人を失うような経験はなかった。あえて言い表すならば、生きることが悔しかった。それが理由だといえるのかもしれない。「生きることが悔しい」そう思っていた。
周りの大人は「生きていれば良いこともある」とか「人生一度きりだから楽しまないと」などと言っていたけれど、エリカにはそれらの言葉の意味がよく分からなかった。もちろん言わんとすることは想像できるのだが、心からそういう言葉を信じられなかった。殆んどの人はそうやって自分自身に言い聞かせて、嫌なことを紛らわせているように思えた。実際に、彼・彼女らはあまり幸せそうではなかった。
そのようにして、エリカは他人と深く関わらないようにするようになった。それでも少しも寂しいと感じることはなかった。自殺に失敗して、再び自殺を計画し実行するまでの間、エリカは多くの本を読んだ。何千頁もめくった為に左手の親指に肉刺ができた。殆んど文学小説、昔の外国の人が書いたものだった。それらの中では数え切れないほどの人が死んだ。各々さまざまな理由で死んでいったが、エリカは少しも同情できなかった。死ぬのは可哀想なことじゃない、そう感じた。それに話はどうせ作り物だから、心を刺すようなリアリティに欠けていた。けれども、いくつかの作品に触れることで、エリカの頭にひとつの考えが浮かんだ。それは「肉体と精神が死んでも魂は消えない」ということだった。その思想はエリカにとって魅力的であった。魂が残るのならば、ちっぽけなこの命など惜しくないと思った。
エリカは強く美しい少女だった。死ぬことは少しも怖くなかった。かと言って、命を無駄にしたいとは思わなかった。それはエリカの生き様であり、死に様であった。エリカはいつも死にたいと思って生きてきた。
しばらくしてからエリカは身篭った。父親が誰かは分からなかった。自分の体内に命が宿ったということをすぐには理解できなかった。男については特別な感情を認めなかった。責めるつもりもなかった。エリカの身体はもう、エリカだけのものではなかった。
しかし、今までどおり死の欲求が消えることはなかった。むしろ、それは以前よりその権威を増していた。エリカは既に最期の為の準備を整えていた。それはインターネットで海外から取り寄せた千八百錠の睡眠薬であった。いざとなったらそれを使い、死を我が物にできるという状況が、エリカの生に対する苦しみを和らげていた。
死ぬ前にやるべきことが2つあった。ひとつは胎児の始末をすること。もうひとつは、その亡骸を空へ還すことだった。エリカが自殺をすることは妊娠の発覚が要因ではなかった。意外なことに、少しもショックではなかった。が、それがある意味きっかけなのかもしれなかった。
先ず、産婦人科へ行き中絶手術を受けた。驚くほどにスムーズに事が終わった。諸手続きは事前に済ませていたからだ。幸い帰りも一人で歩くことができた。数日後、灰になった水子と大量の薬をリュックに詰めて部屋を出た。手術費用や薬代、旅費などでエリカの貯金はそこを尽きたのだが、そんなことはどうでもいい。これ以上の使い道を知らなかった。
電車と飛行機、それにタクシーを乗り継いで、どこか遠くの深い山奥に辿り着いた。エリカにとっては初めての長旅だった。森を抜けたすぐ近くに綺麗な小川が流れていた。エリカは灰の入ったパックを開いて、それを水に流していった。それはすぐに水流の溶けて消えていった。エリカは無意識に「生きることが悔しい」と呟いた。いつか、灰は海に流れ着き、空に還り、雨となって地上に降り注ぐだろう、とエリカは思った。それでいい。それ以外は何の感情も持てなかった。
それから今度は森の方へ戻って、適当な木にもたれて座った。そして、睡眠薬を粉々にする作業に取り掛かった。錠剤を袋に入れ、持ってきた木製のハンマーを何度も振り落とした。何とか全てを粉状にすることができた。赤子を殺すよりずっと大変だと思った。森の中で静かに風の音を聴いていた。それは死そのものであるかのように思えた。しばらくしてから、エリカはかつて錠剤であった白い粉々を、魔法瓶の水で何回かにわけて体内に流し込んだ。
エリカは最期まで強く美しい少女だった。エリカはいつも死にたいと思った。生きることがただ悔しかった。薄れ行く意識の中で、エリカは頬を伝う涙に気がついた。