賢者の館での選択
霧がかった森をフィアレスが先頭に立って、案内通りに歩いて抜ける。
『この霧、結界になっていて、仕組みを知らないと強制的に迷うんだよ』
「へー、これが?」
やがて、奥まった白い館に辿り着いた。フィアレスは勝手知ったる人の家とばかりに扉を開けてずんずん進んで行く。霧結界が信頼されているのか、鍵は掛かっていなかった。そして赤い椅子が並んだ応接室で、俺達を迎えたのは。
僅かにカールして内向きにはねた銀の髪を、頭の高い位置でひとくくりにした、青い瞳の青年だった。下ろせば背にかかる程度の長さだろう。若そうに見えるけど、その眼はここにいる誰よりも精悍さがある。僅かに気圧される程の、深い眼差し。絶対、見た目通りの年じゃない気がする。
この人が、賢者? 青に水色の装飾が入った、アルとはまた違う、詰め襟の見慣れない服装。勝手に入って来たことを怒ったり、驚いたりしている感じは全くしない。むしろ待ち受けていたといった態度だ。
「――来たか。この時を待っていた。永い間、ずっと」
深い声に込められた決意と憂いを感じた。これは、一体――。
「もしかして、あんたが俺を召喚したのか?」
「いや、お前をこの世界まで道を開いておびき寄せたのは、この世界の狭間に封じられし闇だ。恐らく自分達の有利になるようにな。どうやら途中でアルまで引っかけてしまったようだが」
『引っかけ……』
アルは複雑そうにつぶやく。
「説明願えるか」
フィアレスの口調が心なし丁寧になっている。賢者はその言葉にうなずき、俺達を赤い布が張られた椅子に座らせ、自分も俺の正面の椅子に座ると、俺を見遣って。
「この大陸には、五つの守護石の一つ『火の守護石』があるが、正確には時空結界の向こうにある『妖精界』が所有している」
そう説明を始めた。妖精界。確かアルから前に聞いたことのある言葉だ。召喚術を保有する世界だと。フィアレスも当然知っていることなのだろうが、黙って聞いている。
「光に属する妖精が住まう世界だ。彼等は闇に弱いため、光に属する守護石と共におり、人は、光と闇、両方の資質を持つがゆえに、妖精界は人との接触を避け、結界を張っている。それゆえ、妖精界と、守護石を守ろうとする人間達との疎通は、あまり良くなかった。かつて、人と妖精は、妖精界の外で、召喚された運命の戦士と共に戦ったこともあるのだが」
「運命の戦士って異世界の人間だって聞いたけど、この世界の人間じゃ駄目だったのか?」
当然の俺の疑問に、賢者は答える。
「出来るのなら、わざわざ喚びはしないだろうな。それに、このシステムには、もう一つの意味があると私は思っている」
「もう一つの意味?」
「運命の戦士は、時を渡る存在になる資格があることは知っているか?」
「あ、ああ。今のアルのことだろ?」
「本来は、そのための仕組みなのだろう。だが、妖精界にそのつもりはないようだ。運命の戦士を妖精界に留めようとしている。……あまり、運命の戦士に負担をかけさせたくないと、思っていた。それも、少しずつ変わっているようだがな」
「何が変わってるんだ?」
俺は少し興味を惹かれて、賢者にそう訊ねた。
「外の人間達の協力もあって、妖精に闇耐性を付ける試みが始まっている。アルの成果だ」
「アルの? そうなのか?」
話を振ると、アルは緩く首を横に振って。
『やってるのはリアリィだよ。私は案を出しただけ。あんなとんでもない術法があるなら、妖精を闇に強くすることも出来るんじゃないかって。そうすれば、必要以上に運命の戦士に頼らなくて済むし、外の人間とも手を組めるんじゃないかってさ。ま、私はあそこに留まりたくなかったっていうのもあるんだけど』
「ふぅん、何で?」
『私が戦ったのは、召喚された理由を知りたかったのと、元の世界に帰る方法を探すためと、一緒に戦った仲間達と共に歩きたかっただけで、妖精界のためじゃなかったから』
「そっか……」
取りあえず納得した俺は、酷く訊きづらいことを切りだした。
「それで、この世界で、あんた達と戦った時のことだけど。あれって、どういう状況だったんだ?」
「お前は、守護石を砕きに来たのだろう?」
俺は拳を握り締めて、賢者の言葉を認める。
「……ああ」
「お前が来る直前に、運命の戦士候補として、リアリィが喚ばれていた。そして、お前と戦い、どうやら運命の戦士の力で己まで封じてしまったようだな。この辺りのことはお前の方が知っているのではないのか?」
「俺は……リアリィの力はよく解らない。あの時も、寸前で脱出してたし」
「そうか。ともかく、この世界では行方不明となったリアリィが、自分と同じ世界から、アルを召喚したようだ」
アルが口を開く。
『こっちはいきなり野っ原に放り出されたから、どうしようかと思ったよ。で、元の世界に戻るのが目的になった訳。――小さな相棒と一緒に』
「相棒?」
『そう、覚えてないかな? 一緒にこの世界に来た……というより、巻き込まれた、私の後輩の弟で、この位の小さな火の術法戦士だけど』
アルは自分の胸より少し低い高さを手で示した。
「あんたたちの他に、何人かいたのは覚えてるけど、どれだか解らないな」
確か、小さい奴等もいた筈。思い出せない辺り、俺の記憶力はイマイチらしい。
『そっか』
アルは特に残念そうな様子でもなく、軽くうなずいた。賢者がふと俺に訊く。
「妖精界の伝説は知っているのだったな?」
「ああ、一応」
「同時に、闇も又、時空の狭間にあるがゆえに、闇を呼ぶ人間、闇の力を継ぐ人間を『異世界から』手繰り寄せる。要するに、光も闇も、互いに異世界の人間を召喚しては、戦わせている形になる訳だ」
「あ!」
俺は、その意味に気付いて絶句した。
「そっか、だから……」
アルが気乗りしなかった理由って、こういうことか。賢者は静かな声で告げる。
「五百年前、この世界で、人の形をしていない異界の闇との大戦があった。そして、当時妖精界に召喚された運命の戦士は、受け継いだ妖精界の力を使い、時空の狭間に闇を封印した」
賢者はそこで言葉を切り、俺を見据えた。
「その闇との契約者が――お前だ」
俺が……この世界と因縁のある闇との契約者……?
「お前が、守護石を砕きに来た時に――気付いた。そして、再び事態が動く時が来ると思っていた。再び決着をつける時が訪れるのだと」
「けど、俺はあの時、あんた達に破れた。だったら事態は変わらないんじゃないのか?」
俺の問いかけに、賢者は重々しく頭を横に振る。
「いや、今のお前だからこそ、出来ることはある。――あの時お前を倒したのは、現在の運命の戦士――リアリィの逆転の秘術。生ある者に死を、そして死に向かう者に生を与える程の、理を超える究極の秘法。つまり、異界の闇を滅ぼし、本来、存在し得ない『お前』を呼び醒ましたということだ」
「じゃあ、俺が今、ここにいるのは、リアリィの力のせいなのか」
賢者はうなずいて俺の言葉を肯定した。
「――もしお前が、かつての契約者を滅ぼす気概があるのなら、私と相棒の力を託そう」
賢者は複雑な眼差しを見せた。
「だが、覚悟をしておくことだ。人としてのお前を呼び醒ましたのはリアリィの力だが、時空を渡る存在としてのお前を、今も繋ぎ留めているのは、リアリィにも消しきれなかった闇との絆。それを断ち切れば、お前は時空を渡る存在ではいられなくなる」
その言葉は俺に、恐ろしい思考を導いた。背中に冷たい汗が流れる。
「……俺は……人としての存在と引き替えに、時空を渡る存在になった。その契約を破棄すれば、人としての俺は……死ぬ……?」
賢者は重い口調で告げる。
「……存在を懸けた契約は……重い。恐らくは、そうなるだろうな」
「俺は……死んでた筈だったんだ。あの時、契約を結んでいなければ、あのまま」
再び、死ぬと言うのか。『死の翼』と呼ばれた、異世界の使者。あいつが訪れ、殺された時のように。
「だが、人として死ねるのも、一つの選択だ。時空を渡る存在は、仮初めの永い時間を得るがゆえに、苦しみのみが続く、ループと呼ばれる状況に陥る危険がある。それは、時空を渡る存在が最も避けなければならない事態の一つだ。そして、限りなく死に近く、無に近い、『消滅』や『絶対封印』に陥ることもな」
「『消滅』……もしかして俺は、消滅することもあり得るのか?」
「時空を渡る存在としてはな。だが、人には『消滅』はあり得ない。リアリィがそれを見越して使ったかまでは解らないが」
俺は、急になだれ込んできた情報を何とか整理しようとして黙りこんだ。
「この機会をどう捉えるかは、お前次第だ。……未だ、時間はある。考えてみるといい」
賢者は、微かに複雑そうにそう言うと、席を立って背を向けた。
俺達は木のテーブルに茶色のじゅうたんが敷かれた客間の一室に通された。賢者リセルは案内だけすると、直ぐに何も言わずに立ち去った。
『迷ってる?』
アルの問いかけに、俺は不服そうな表情を隠すこともせずに即答した。
「当然だろ」
『そうだね』
アルも当然のようにうなずく。
「なぁ、アル」
『ん?』
確かこいつには、相棒がいたんだよな。もしあの時、決戦の場にいたとしたら。
「あんたの相棒ってさ。そいつ、生きてる? 俺、あの時、フィアレス達と一緒にそいつも倒したよな? ――フィアレスは、生きてるみたいだけど」
『生きてるよ』
「そっか」
ちょっとだけホッとしたのは、なぜなんだろうな。
「リアリィの力だ」
フィアレスの言葉に、アルが言い難そうに続ける。
『そう、私は相棒のためにあなたを許せなかった。リアリィがいなければきっと全滅だった』
その顔は、真剣で、どこか哀しげだった。何を言えばいいのか、解らない。
『でも、そのせいで今の状況なんだよね。お互い、譲れなかったって、あのことは思うよ』
「何で俺を助ける気になったんだ?」
俺の正体を知っても尚。
『そのことは、みんな助かったし、気になることもあったから』
「気になること?」
『異界の闇のこと、敵だって言われても自分は何も知らない。元は異世界の人間なら、他人事とも思えなかったし。何が違うんだろうって、そう思った』
確かにそうだ。違い……か。何だろうな。そう考えていると、アルが言葉を続けた。
『後、リセルさんのことも、気になってた。フィーレは『賢者』ってこと以外で、あの人のこと、知ってる?』
「いや、そのことに関してはカオス・ワードに属するらしく、トップシークレット扱いだ」
『やっぱり……』
「カオス・ワードって?」
納得したようなアルの言葉に、俺は疑問を挟んだ。
『その言葉そのものが、術法的な意味を持つ言葉……だよね、確か。あの人が自分のことを話すと、何らかの術法的な力が発動する……ってことかな』
アルの言葉に、フィアレスがうなずく。
「そうだ。恐らく、存在を懸けた契約に準じる、『名を懸けた契約』なのだろう。正体を明かさぬことで保つ術法……推測だがな」
「それって、何のために」
「さぁな」
『あの人も、やっかいな状況なのかな。五百年も自分の正体を言わずにいたのなら』
五百年。――憂いと覚悟。先程見た、賢者の表情を思い出す。
「なぁ、五百年って、この世界では普通のことなのか?」
『まさか』
アルが片手を軽く振りながら答える。ないない、という意味だろう。
「言っただろう、伝説に近い存在だと」
フィアレスも口を添える。
「じゃああの人は一体……」
『わからないし、確かめたこともないけど、別の世界の人なのかもね。私達と同じで。異世界の人間の時間は元の世界に属するから』
俺はどうすればいい? どうすれば、納得出来る結果に出来るのだろう。この、状況で。
「やっぱり賢者は、闇との決着を付けるために、ここにいるのか?」
『かも知れない。それだけで動く人にも、見えないけど』
「本人しか知らんことを、とやかく言っても始まらん」
フィアレスは相変わらずそっけない。
『まぁね』
「俺は、お前等がどうしようと、すべきことをするまでだ」
『闇を、倒す?』
アルが静かな声で、フィアレスに確認する。
「ああ。それが異界の闇を生み出すシステムとなれば、なおさらだ」
こーいう奴だよな、こいつ。アルの方は少し迷ったようだった。
『私は、どうしよう。ソラに闇を倒せとは言えない。でも諦めることも出来ない。私は、ソラを闇から護って戦う。今回は、どう見てもソラやリセルさんの方が当事者だから、私はサポートに回るよ。ソラ、気付いてる? 闇の正体に。あなたの故郷を壊した異界の闇と、ここに封じられた闇……同じ気配がしない?』
俺は驚いて目を見開いた。確かにその通りだったからだ。でも何でアルが……。
「解るのか?」
動揺を隠しながら、何とかそう問うと。
『今なら、ソラの周りの闇が見えるよ。過去にもまとわりついてるのが解る』
「それが、時空を渡るあんたの力なのか?」
『多分ね。どんな力になるかは、多少個人差が出るみたいだけど。きっと、今回のことは、あなた達以外が決着を付けて良いことじゃない気がするんだ』
そうかも知れない。だけど……。俺はうつむいて、自分のつま先を見つめた。
「『死』は怖いのか。お前は人の命など、何とも思わなかっただろうが」
フィアレスの言葉は……正しい。俺は今まで……。心底憎んだ、俺の世界を壊した『奴』と同じ……屍の山を作りまくって……ここまで来たんだ。
『自分が望まない『死』なら、大体の人は避けたいと思うよ。それ自体を否定することは出来ないけど』
アルの言葉は……痛い。
「俺だけ、逃げる訳にはいかないってことか?」
確かに、その通りだけど。何だろう、この気持ち。アルは複雑そうに黙っている。
「――このままじゃ、俺、馬鹿みたいだしな」
結局闇に踊らされてばかりだ。
「闇は単に……望む奴に応えてただけかも知れないけど、俺は確かにあの時、闇の使者を凌駕(りょうが)する力を望んだんだ」
同じ力だと、考える余裕も無かった。全てを、壊したい程に。
怒り? 生きるため? だけど。
「いつの間にか、止まれなくなってた。救われたいなんて、勝手かな」
『そんなこと、ないよ。殺すしか救えないなんて、私は嫌いだ』
アルの不満そうな声音に、フィアレスは少し呆れた様子で。
「お前、未だ気にしているのか。闇の術法士を斬ったこと」
『フィーレみたいに割り切れないんだよ』
「斬った? アルが?」
何だか意外だ。
『……そうだよ』
アルは後悔の滲む表情でそれを肯定した。
『だから人の事は言えないし、ね』
今度は俺に向かって少し微笑みながらそう言う。
『選ぶのは、ソラだよ。フィーレもソラに戦えとは言わないし』
「……そう言えば、そうだな。なんでだ?」
今まで気付かなかったけど……こいつなら言いそうだよな。
「俺は、俺のやるべきことをやるまでだ。人には頼らん」
「何か、苦労しそうな性格だな」
「余計な世話だ」
フィアレスは、俺の突っ込みを一言で切り捨てたけれど。
「けど、そうか、そうだよな」
皆、それぞれの覚悟でここにいる。俺は……もう一度、『俺』を取り戻さなければ。闇に捕らわれない『自分』を。でなければ、ここに来た意味がないんだ。例え闇が俺をこの世界に喚んだのだとしても。願ったのは……『俺』を護れる『自分』。だから。
「俺……、『俺』を護って闇と戦う。俺の故郷を壊した原因と、もう一度。力……貸してくれるか?」
今度は、人として――いや、それ以上に『俺』として。――もう一度。
『もちろんだよ』
「大事の前の小事……だな、異論はない」
二人の了承に、俺は両手を差し出して微笑んだ。
「よろしく、二人とも」