協力者
フィアレスはさっきのホールにいた。俺は、十歩ほどの距離をおいた場所から、その横顔に思い切って声をかける。
「――あのさ、フィアレス。俺、別にあんた達を騙そうとか思ってた訳じゃなくて」
フィアレスは苦虫を噛み潰したような顔をして黙ったままだ。
「俺自身、どう考えていいか解らなくて。俺は、もう、昔の俺ではいられないんだと思う」
「お前はこの先どうするつもりだ」
妙に感情を押し殺した声がホールに響いた。
「俺は、変わりたい」
フィアレスがちらっと訝しげな視線を一瞬だけ向ける。
「光も闇も、当てにするのはきっと間違ってたんだ」
それは、さっきアルと話して思ったこと。光も闇もきっと絶対ではなかったんだ。
だから、俺は――。
「俺は、あの時絶望して捨てた、今の俺でいたいんだ。――闇には戻らない」
俺はそう宣言した。
「闇と手を切ると言うのか」
「そうだ」
フィアレスは深く溜め息をついて俺の方に向き直り、訊いた。
「闇と戦う気があるのか」
「闇が俺を追う以上、そうなるよ」
短くも緊迫した時間が流れる。フィアレスの視線からはまるで火花が散りそうだ。俺はそれに負けないように見つめ返した。
「――いいだろう。かなり不本意だが――行くぞ」
フィアレスがふいに普段の、ぶっきらぼうな調子に戻って背を向けた。
「行くって、どこに」
フィアレスは背を向けたまま、速度も落とさずに告げた。
「お前がかつての敵と手を組めると言うなら、連中に頼むしかあるまい。こちらも不本意だがな」
どうやら、フィアレスにとって、あれこれ不本意だらけらしい。
「連中って?」
「知っているだろう、リアリィだ」
ああ、守護石の傍にいた、強い術法の持ち主。
「あの人は……異世界の住人?」
「そうだ」
俺はフィアレスの背中に疑問を投げた。
「……なあ。何かあったのか?」
「何がだ」
「いや、さっきみたいな敵意バリバリじゃなかったからさ」
そう、少し拍子抜けする程に。
「……訊くな」
フィアレスは忌々しそうにそう吐き捨てた。
俺は、少し離れた場所で浮かんでいるアルを手招いて訊いてみた。
「何か、あいつに言った?」
アルは声を低めて、こそっと答えた。
『フィーレも、止める理由が必要だっただけだよ。ソラが今の姿になったのは私達が使った妖精の秘術のせい。この状況、こっちにも責任がある筈だからね』
「よく解んないけど……感謝する。あんたの身体のことも、ちゃんと考えるよ」
『あ、しばらくは預けるよ。その姿の方が、闇や術法への耐性が上がってる筈だから』
アルはあっさりそう説明して、身体の所有権を俺に預けた。いいのか? こんなんで。
「ごめん、色々」
俺が一応謝ると、アルは慣れているように軽く息をついて。
『ゴタゴタは二度目だからね。謝るなら、後悔しない結果を選ぶことだよ。言っとくけど、私は召喚者の願いを叶えるとは限らないから』
「解った」
奥の扉から再び森の中へ分け入った。今度はリアリィと呼ばれた少女のいる所へ向かうらしい。
『あ、先行ってて。直ぐ追い付くから』
ふいにそう告げると、アルの姿が消えた。
「何だろう」
「さあな」
フィアレスはそっけない。
「気にならないのか?」
そう問うと、彼はあっさり言い放つ。
「あいつは敵には回らん」
「そういう問題か?」
俺は思わず突っ込みを入れた。
「奴には奴のやり方がある。俺が俺でしかありえんようにだ」
――そういえば。
「……あんたは迷ってなかった、よな」
例え術法が使えなくても。
『その潔い姿勢は、私にはない物だよ』そう言ったアルの言葉が浮かんだ。
「その存在を失くしてまで、闇の術法力を手にしたお前には、解らんだろうがな」
「……結構意地悪だな。俺だって色々あったんだよ」
だけど俺は……結局何のために戦っていたんだろう。
「けど……守護石に関しては、俺の意志であって、そうではない部分もあったんだろうな」
今だから、言えることだけど。
「……契約した闇の本体が、この世界にいる筈なんだ」
「何!」
俺のつぶやきにフィアレスが血相変えて掴みかかって来た。
「うわ、落ち着け……って無理か! 守護石と結界を壊せばそいつに会える筈だった!」
その言葉でフィアレスの顔色が変わる。
俺はその隙にベリッとフィアレスを引き剥がした。
「五百年前の封印されし闇か……。まさかお前、又……」
フィアレスの視線が疑いを含んで鋭くなる。
「いや、違うって」
俺はぶんぶんと両手を振って否定した。ここだけは宣言しておかないと、全面対決だ。
「今の俺に、そんな気はない。――未だ何か忘れてる気がするんだけどな――」
「何をだ」
「昔、俺が闇を選んだ理由で……何か忘れてる気がする。確か引っかかることが……」
「! 考えは後だ」
フィアレスが構える。この気配は! 今度は、僅かに人型を取った闇が現れた。フィアレスが、白い石が入った袋を一つ投げてよこした。
「っと!」
貰った石を投げ付けると、光がはじけて闇が身をよじる。
闇か。しかしこの感じどこかで。闇と対峙していると、なぜか今ではない感覚が蘇る。
「なぜ、こんなことを!」
これは、俺の声だ。
「必要だからさ。俺には力が必要なんだ」
世界が赤く染まる。真っ赤な……血の色に……。俺は目を見開き、息をのむ。
思い出した……! 俺達の世界を壊したあいつから、同じ気配がしたんだ! 俺は……奴と同じ力を望み……手に入れて……そのことに眼を閉じていたんだ……。
『全てを殺せる位、何もかも凌駕する力を――!』
そう、俺の故郷を壊した奴が、異界の闇だったという事実を、俺は忘れていた。それどころか俺は力を手に入れ、奴等を倒しても……止まれなくなっていた……。闇の封印を解き、さらなる力を手に入れるために俺はこの世界へ。最初の願いも忘れて、俺は。
「ソラ!」
フィアレスの声に、反射的に思考を中断して顔を上げる。
やばい! 放たれた闇が覆い被さって来る!
瞬間、目の前を覆おうとしていた闇が、風を切る音と共に払い飛ばされ、急に闇本体の動きが止まった。
「? アル!」
半透明の剣を携えたアルが、その向こうに浮かんでいた。
「その剣、持てるのか?」
確か物理属性の物はすり抜けるんじゃなかったか? 俺が首を傾げていると。
「媒体鉱石製の剣か」
フィアレスの言葉にアルはうなずく。
『うん、これなら物理と精神両方の属性だから、今の私にも使える。師匠に借りて来た』
「へぇ」
アルが向き直り、俺を正面から見つめた。
『ソラ、私と契約を。私があなたの、あなたが私の『時空を渡る存在』(ときをわたるもの)になる』
「え? 何のことだよ?」
アルはもう一度説明するように言う。
『あなたが、一緒に戦うのが嫌じゃないなら、私が様々な時空そのものと契約し、時空(じくう)を渡る時空を渡る存在になる。そうすればソラを追って来る時空の狭間の闇本体にも手が届く筈』
「アル……そりゃ一緒に戦うのは嫌じゃねーけど……」
急な話に俺は少しとまどいながらもそう返事をした。
「――いいのか、妖精界の秘術の力を継ぐことになるぞ」
フィアレスが確かめるようにそう訊ねると、アルも真面目な表情で答える。
『解ってる。でも運命の戦士(フェイト・ソル)を継ぐ訳じゃないから、妖精界を継ぐ必要はない。時空を渡る存在とは、そういう者だよ』
「フェイト・ソルって何なんだ?」
又聞き慣れない言葉だ。
『うんめいのせんし。異界の闇と戦うために、妖精の力を継いで闇属性が相殺された、異世界の戦士の呼び名だよ。だけどその力は時を渡る存在としての資格も与えてくれる。召喚された原因となった事態を切り抜ければね。選ぶかどうかは、自由。私は、運命の戦士にはならないけど、時空を渡る存在になろうと思う』
『それで、いいのね?』
ふいにここにいる誰でもない声が聞こえた。空間に――頭に直接響くような声。――これが、心声? 直接聞くのは初めてのような気がする。
『うん、ゴメン、継げなくて』
アルは僅かに申し訳なさそうに視線を伏せる。
『いいのよ、ここが性に合わないのは解ってるから』
この会話。もしかして……。
「リアリィ……?」
そのつぶやきには肯定も否定も返って来なかった。ただ、ふわりと微笑んだ気配だけは伝わってきた。アルの視線に俺がうなずくと、アルが言葉を紡ぎはじめる。
『私はあなたの力を継ぐ存在(もの)。そして時空(とき)との契約を望む存在』
その言葉に心声が応える。
『私はあなたの扉。旅立つあなたに、大樹よ、妖精界の奇跡の光を――』
すると、辺りが光に包まれ、俺はその眩さに思わず目をつむった。そしてふと気付くと、アルの気配だけが近くにあった。
「あれ?」
とまどう俺を前に、アルは自分の腕を見下ろしながら確かめるようにつぶやく。
『――許容量が上がったんだ……。これなら『一緒に』戦えそうだね』
アルと俺が立つ白い空間の向こうに、外の景色が見える。
「え、これってもしかして、一つの身体に二人いるのか、今?」
俺が驚きながらそう確認すると、アルはあっさりと肯定した。
『そうだよ。――ソラが当事者だから、どちらでも、戦い易い方でいいけど』
「うーん……」
急にそんなことを言われても、どっちが戦い易いんだろう?
『取りあえず、足留めが切れるから、闇、何とかしよう』
「ああ、そうだった。――忘れてたよ」
アルが一歩下がると、俺の意識が、すっと『表』に出た。それとほぼ同時に闇本体が、再び動き出す。内側から溢れる光と共に、手にした剣が光を帯びる。闇だった俺には馴染みのない感覚。でも――悪くない。剣を横なぎに振るうと、宿った光が闇を切り裂いて行く。少しだけ、複雑な気分だ。かつては自分が、その立場だったのだから。数分の格闘の後、闇が夜空に溶けるように消滅した。
静けさが戻ると、フィアレスが訊いた。
「アルはどうした」
『ここにいるよ』
するりと、アルの精神体が身体から抜け出すと、再び、空間に心声が響いた。
『賢者があなた達を呼んでいるの。今回は自分の領域だからって』
『それって』
アルがはっと反応を返す。
「五百年前と関係があるということか」
二人の会話に俺は首を傾げる。
「賢者? って何者?」
フィアレスが振り向く。
「賢者リセルは、我々や妖精界とも縁が深いと言われる伝説に近い存在だ。五百年前、闇との大戦に参加したと言われている」
「ってもしかして、ここに闇を封印したのも……その人なのか?」
「さぁな。五百年前の真実は賢者しか知らん」
『行けば……聞けるかな』
アルの言葉に、フィアレスはうなずいて肯定する。
こうして、リアリィの言葉で、俺達は賢者の元へ向かうことになった。