真実
――目の前が、白く染まった後、夜の景色が霧の上に映しだされた。
「あれが……異界の闇?」
知らない……いやどこかで聞いたことがあるような声がする。天然パーマらしき髪を、後ろで上部だけ結んだ、水色の服装の少女だ。「リアリィ」と隣に立つ青い髪の少年に呼ばれた彼女は、昨夜俺を襲った闇と同じモノを連れた黒いフードの人物と森の中で対峙している。どうやら一触即発の状況なようだ。
「火の守護石は貰うよ」
――守護石? その単語を聞くのは確か三度目だが、今度は俺の中で何かが引っかかった。この声は酷く聞き覚えがあるような気がする。
「――させない!」
少女が声と同時に前に飛び出し、光と闇、両者の術法の音が炸裂する。あれは……いつのことだ……?
俺が記憶を辿って考え込んでいると、木材で出来た扉の開く鈍い音と共に、場面が変わった。
茶色の柱が沢山ある、石造りの建物の中に。どこにある物なのかは俺には解らない。
「やれやれ、役に立たないね」
黒いフードの人物が、見覚えのある顔達の前上空に、突然現れて浮かんだ。
「少しは役に立ってもらわないと」
声からして少年と思われるその人物は、見知った人達の前方に立つ黒ずくめの人物に向かって、何やら小さくつぶやくと、再び空間の歪みに姿をかき消した。
「異界の闇……!」
黒いフードの人物が消えた空間を睨みながら絞り出された声……赤い服を着ているが、あれはフィアレスだ。 それと……後ろにいるエメラルドグリーンの服と銀の軽装備はアル?
長めの髪を後ろの高い位置で結んではいるけれど……あの顔は確かにアルだ……。異界の闇とやらは彼等とも敵対していたっぽい。
再び場面が変わった。微かに青白く発光する不思議な石造りの広間だ。アル達はそこに自分達の存在で陣を敷いて、異界の闇と向き合っていた。今度のアルは短い髪をしている。服装も布から皮製のものに替わっていた。フィアレスは一人剣を持って最前線で異界の闇に斬りかかっている。
そして、陣の一番前方にいる金の尻尾髪に青い眼をした、二十歳過ぎ位に見える青いマントの青年が叫ぶように『言葉』を唱えた。
「光よ! 闇を打ち砕け!」
光が収束して異界の闇を捕らえると、黒いフードが破れ、顔が垣間見える。
あの顔は――俺――!? 俺は慌てたあまり、目の前の光景から目が離せない。
「そんな光(モノ)で……俺が殺せるものか……!」
異界の闇が、光術法を破った衝撃波で、前線にいた奴らが吹っ飛ばされ、倒れるのが見えた。
そして中央で起き上がったのは――アルだった。どうやら陣の一番前にいた青年がぶつかって下敷きになっていただけらしい。辺りを見渡して、倒れている前線にいた四人の仲間達の名を呼ぶ。アレスト、フィーレ、レイナ、レック……と、聞こえた。
「嫌だあああっ! 許さない! こんな展開……!」
アルが残った術法力を絞り出すように発動体勢に入りながらうめいた。
「返してもらう……!」
だがその術法力は、望んだ強さには足りないようだ。
その時、空間に少女の物らしき心声が響いた。
『そのまま、意識を重ねて……力を貸すわ――』
同時に突如アルの術法力の光が格段に強く広がった。アルはいきなりのことで一瞬驚いた様子だったが、すぐに目を閉じて意識を集中する。そして二人の声と力が合わさり増幅する。
『「時空よ、我は運命(さだめ)を継ぎし者。時と宇宙全ての理を超えて、我が声に応えよ『起死回生』……!」』
「うわああああああっ!!」
その瞬間、眩い光の柱が部屋中を貫き、黒いフードの『俺』の断末魔の声が上がった。
――なぜだ? この世界に護られるものが何もないと言うのなら、せめてこの命尽きる前に。この存在全てと引き替えたとしても、この世界を凌駕する力を――!
『――望むなら、力をやろう。その人としての存在と引き替えに――』
俺は、その条件を受け入れた。こうして俺は形のない闇と契約し、『力』を手に入れたのに。光も闇も当てに出来ない。――殺される――。逃げなければ。闇に全てを奪われても叶えたいと、願ったのに。なぜ――今こんなものに消されかけているんだろう――?
俺は必死で闇から逃れようと、違う空間へ飛び込んだ。白く光を放つ玉――精神体として。
すると見知らぬ部屋で、顔を上げて立ち上がった、紺色の風変わりな衣服の少女と目が合った。
――ああそうか……。
「追われてる? 闇の気配が――来る!」
少女が張りつめた表情で上の空間を睨んだ。
――目の前にいるのはよりしろの器――。
少女が僅かにうめいて顔を歪める。俺は闇から逃れるために、アルに乗り移ったんだ……。
かつて人としての存在を捨てて、異界を渡る闇となった俺は、光の守護を砕くために、あの世界で彼等と戦い――結果敗れた。光の呪縛に闇の力を剥ぎ取られて、ただの精神体と成り果てた俺は、逆に闇に追われる身となり、因縁のこの世界へ――。力を使い果たしていた筈の俺が、なぜこの世界に来られたのかは解らない。闇が俺を喚んだのかも知れない。だけどそのショックで俺は記憶を失っていたんだ――。
そこで映像は途切れ、目の前に両開きの扉が開いた。
裏の扉から外の白壁のホールに出された俺は、見せられた事実の衝撃で、何も言えずに呆然と突っ立っていた。同時に色々なことを思い出し、理解した。
この身体はアルのものだ。この姿なのは、俺の精神が投影されているせいなんだ。だからアルが精神体で……。俺がアルをこの身体から追い出してしまった……。それだけじゃなく、俺は以前彼等と戦った『異界の闇』で――。その現実に目眩がする。その時、裏の扉が音を響かせて開き、反射的に振り返ると、アルとフィアレスが出て来た所だった。
『そうか……あなたが……』
俺はアルの言葉にぎょっとなって、身体を強張らせた。まさか、俺の正体に気付いている?
だが、比較的冷静だったアルと違い、フィアレスは鈍い金属音と共に突如剣を抜いた。
「お前が……あの異界の闇か」
今までとは違う『敵』を射抜く眼光。俺はいきなりの展開と、フィアレスの迫力に、頭がついて行かなかった。突然俺が異界の闇で敵とか言われても俺は一体どうすればいいんだ!? 剣を向けるフィアレスと、混乱する記憶と思考に耐えかねて、俺はじわりと後ずさった。
「――答えろ」
フィアレスはまるで別人のように、表情も口調も氷のように酷く冷たい。今までのぶっきらぼうさが、実はかなり友好的だったのだと気付かせる程に。
「……俺は」
二人と戦うことも、違うと言うことさえ出来ずに。俺はじわりと後ずさり、二人に背を向けて、全力でホールから逃げ出していた。
奥にあった扉から飛び出すと、森に繋がっていた。当てなどない。何も考えたくなかった。足の向く方向に走り続け、息を切らせてようやく速度を落として歩き始めたその時。
「なっ!」
何の前触れもなくアルが空中に姿を現した。アルは少し離れて佇んだまま沈黙を保っている。
「……何しに来たんだ。身体を……取り戻しに来たのか?」
俺が警戒しながらそう訊くと。
『ソラは、どうしたい? 今回、私を喚んだのはソラだ。考えを訊いておきたい』
その言葉は冷静で、怒りや憎しみも感じなかったので、俺の頭もいくらか冷えた。
「俺が、あんたを喚んだ?」
喚んだか? 俺は記憶を辿ってみたが、思い当たるフシがない。だけどアルはきっぱりと答えた。
『そう。かなりどさくさだったけど、ソラの心声に、私が応えた』
「……あんたは、嫌じゃないのか? これは、あんたの身体で、俺は……敵、なんだろ?」
だが、アルはうなずかなかった。
『私は、異界の闇イコール敵なんて考えじゃないんだ』
「じゃ、じゃあ何であの時戦ってたんだよ?」
当然の疑問をぶつけると、アルは話し始める。
『異世界――ああこの世界のことだよ――に召喚されて、元の世界に戻るために、召喚者であるリアリィに会う必要があったんだけど。リアリィの結界が通れなくて、火の守護石の力が必要だっただけ』
「そ、そんな理由? なんか、すげー成り行きじゃないのか、それって」
肩すかしを食らったような俺の言葉に、アルも少し困ったふうでうなずいた。
『正直、やりにくいと思ってたんだ。異界の闇も、元は、ただの異世界の住人だって聞いたし。ソラがどこの世界から来たのかは解らないけど。ソラは知ってる? 妖精界の伝説のこと』
アルの口調が最後、僅かに苦い物に変わった。俺は首を横に振る。
『異界の闇が現れた時には、異世界の戦士が妖精族の力を継いで戦うって奴。だからっていきなり召喚されて、『さあ戦え』って言われても『はいそうですか』って行くわけないって』
……そんな事情だったのか。アルは明らかに不満そうだった。
『あのいかにも頼り切りって体制も疑問だったし、リアリィには悪かったけど、私は妖精界の力を継ぐのは断ったんだ』
「それって――」
こいつは敵じゃないってことか?
『フィーレもそれに関しては同意見だったみたいだし』
俺は、気になっていたことを訊いてみた。
「――フィアレスは、何者だったんだ?」
アルは少しためらう。
『――妖精界の外を護る守護石の守護者の一族。でも――少し立場が複雑だったみたいで。五百年前の闇との戦いで、活躍した人達の末裔が守護者だって言われてるんだけど、特に術法が得意らしいんだ。でもフィーレは』
アルが一旦切った言葉を俺は継いだ。
「――もしかして、術法が使えない?」
今まで使ったのを見たことがない。何となく、ピンと来た。アルはうなずく。
『うん。髪色が守護石の赤に近い色でしょ。だから余計風当たりが強かったみたいで。フィーレは、そんな連中に引けを取らない位、剣技を磨いて、守護石を守る役割を果たすために力を注いで来たんだ。その潔い姿勢は、私にはない物だよ』
そう言って、アルは強い瞳で俺を見据えて、言葉を続ける。
『だから、闇に対してああいう態度になるのも、ある意味無理はないんだよね。――フィーレの生き方だから。別に個人的に『ソラ』を憎んでる訳じゃないと思う』
「いや、でも、戦ったし……」
俺の記憶では、突っ込んできた赤紫の剣士を返り討ちにした覚えがあるんだが……。これで恨むなってのが無理じゃないのか?
「あんたはこれがあんたの身体だってこと、気付いてたのか?」
するとアルはあっさりとうなずいた。
『うん。だから駆けつけたんだよ。闇に追われてるみたいだったから』
「じゃあ何で今まで言わなかったんだ?」
『どうしてこんな状況になってるかは解らなかったから、少し様子を見ようと思って』
「ふーん、そんなもんか?」
『それで? もしフィーレと戦いたくないって言うなら、手を貸すけど?』
俺はアルにそう言われて、自分の中に意識を向けて自分の気持ちを探る。出来ればフィアレスとの戦いは避けたかった。俺は顔を上げてアルに確かめる。
「出来るのか?」
『止めるだけなら。――それ、私の身体だから。フィーレだって無駄に仲間を殺してまでソラを斬ったりはしないよ。精神体、剣で斬れないし』
「それって、解決にはなってねーんじゃ」
思わず突っ込むと、アルも苦笑しながら認めた。
『まぁね。でも……時間をかせげるから、少し話してみなよ、フィーレと』
俺は、ごくりと喉を鳴らした後。
「――解った」
俺は多少の覚悟と共に、その提案を了承した。