第伍話 女神の登録
ウォールは外周を丸々覆うように作られた城壁が特徴的な街だ。
もともとはこの辺を治めていた領主が統治していた街で、その時には名前もウォールではなく、別の名前がついていたらしい。
この街に災厄が降りかかったのは十年前、災厄の名前は加護戦争…当時の領主は先見の明があったらしく、加護戦争の初期からこの戦争が一筋縄では行かないと見通していた。
そこで考えられたのが街を城壁で囲んで城塞化しようという案だ。
そのために領主は私財を切り崩して早急に城壁を建築させようとしたらしい。
結果から言えば、領主のがんばりは実を結ばなかった。
戦争の広がりが完全に領主の予想を上回り、城壁が不完全なままに街は戦火の中にしずんだ。
その時に領主とその一家も亡くなったらしい。
街は焼かれ、皮肉にも残ったのはとにかく頑丈にと建設中だった未完成の城壁だけだった。
終戦を迎えた後、燃え落ちた建物だけの街に戦争からの帰還者や仕事のない者達が集い、奇跡の復興劇が始まる事になる。
もともと街道の上に立っていた街は流通の要であったこともあり、商人の金や人が行き交うための中継点として必要不可欠であったのだ。
続々と人が増え、人が増えたなら住む場所が必要となって家が建つ、更には生活に必要なものが売り買いされるようになって市場ができた。
当時の戦後による混乱を考えれば、街の復興は驚異的な速さで勧められたのだ。
そこで問題になったのは、グロワール帝国の残党や野盗、魔物の襲来だったのだが、それを防いだのが例の壁だ。
誰が今は亡き領主の遺志を継いだのか知れないが、復興の兆しが見え始めた頃には不完全だった壁は完成していたらしい。
領主の目指した領民を守るための壁は、本人が亡くなったあと完成したのだ。
惜しむらくは、領主が守りたかったであろう領民を守る為には間に合わなかったのが残念ではある。
自分の死後に壁が完成を見たことを、領主があの世で喜んでいるかどうかは知りようがないが…現在、少なくとも壁はその意志の通り、街に生きる者を外敵から守っている。
町の名前がウォールとなったのは数年前のことらしい。
安易ではあるが、覚えやすさという点で見ればこの上ないし、歴史を知る者は壁を見るたび、街の名前を語る度に戦火に散った領主の事も思い出すだろう。
あるいは領主自身の名前をつけるより良かったかもしれない…そんなウォールの街の中央通りをウィズダムとレギオスは同じように大きなリュックを背負い、並んで歩いていた。
それだけなら何も問題はないのだが…。
「…というのがこの町の名前とあの壁の由来なんですよ」
「……」
「えっと…ウィズ師匠?」
覚えている限りの豆知識でウォールの事を語ったレギオスだったが、ウィズダムの反応は薄い…薄いというか全く返事もしてくれない。
「な~ん~で~す~か~?」
「ひっ」
大丈夫かとうつむいている顔を覗きこもうとしたレギオスが思わず仰け反る。
妖気さえ含んでいそうな返事に、思わずレギオスは一歩引いていた。
俯いた顔を上げたウィズダムの目からはハイライトが消え、ここではない何処か遠くに焦点が合っている。
見えるものが見れば、彼女の口から魂的なものがはみ出ているのが見えるかもしれない。
ちょっとだけ弟子入りしたのを早まったかなという思いがレギオスの頭を掠めた。
「え、えっと…彼らも仕事で規則で…決してやましい気持ちでやったわけじゃ…それにあれは事故で…」
「わ~か~って~る~の~で~す~よ~」
ウィズダムがこうなった理由は、レギオスに見事に(?)はめられて弟子入りを認めてしまったから…ではない。
原因は街に入るための最後のトラップに引っかかったからだ。
入街料はきちんとレギオスが払ったし、ウィズダムの荷物は普通に地上界にある物や地上界の人間が見ても、ましてやタダの衛兵が見ても何かわからないような代物などではない。
なので、ウィズダムの持ち物に問題があったわけではない。
思えばそれが油断だったのだろう…問題だったのは、衛兵に女がいなかったことと、仮身分証の発行にはきっちりとした所持品検査が必須だったことだろう。
つまりどういう事かといえば…所持品検査で乙女のシークレットな薄い布とかを男の衛兵に見られたというわけだ。
結果、ウィズダムの中で何か大事なものが崩れ落ち、その代わりに生ける屍が爆誕したというわけだ。
「・・・もう神界帰りてーのです」
「え、えっと・・・」
「そして千年くらいヒキコモリてーのです」
そりゃまた人類を超越したヒキコモリ方だとレギオスは思ったが、懸命にもそれを口にすることはしなかった。
前後左右斜めまで、何処を踏んでも落ち込ませる気がしたからだ。
なのでレギオスは方向性を変えることにした。
「えっと、ウィズ師匠?身分証がないのなら冒険者になりませんか?」
「・・・冒険者?」
ウィズダムに少しだけ正気が戻ってきた。
今回の件で、早急に身分証を用意する必要があると学んだが、地上界初心者のウィズダムは、どこでそれを発行してもらえるか知らない。
なくても死にはしないが、大きな街に寄る度に下着を見られる危険が付きまとうなど、ウィズダムには我慢できそうになかった。
ウィズダムの反応に脈アリと見てとったレギオスは、ここぞとばかりに畳み掛ける。
「身分証はギルド証で代用ができるんですよ。
「ギルド証?」
「冒険者ギルドです。これから俺、フォレストウルフの毛皮の換金に行きますから、一緒に行きましょう」
思わずウィズダムの目頭が熱くなり、涙腺が緩みそうになった。
「…レギオス君、その正体は実は降臨した神様とかいう裏設定があるんじゃねーですか?」
「無いですよ。どこからそんな発想が出てくるんですか?」
ウィズダムの中でレギオス株が、急上昇してストップ高になった。
レギオス・地上界管理課の皆>>>超えられない壁>>>仕事を増やす神共の順番だ。
ようやく平常運転に戻ってきたウィズダムを見て、レギオスがホッとする。
「それにしても、身分証も硬貨も持たずにどうやって旅をしてきたんですか?」
「あ~えっとですね、私…旅に出るのは初めてなのです」
「そうなんですか?」
それどころか神界から出たのも初めてだ。
「ちょっと閉鎖的な所で仕事をしてまして~、まとまったお休みを貰ったんでこの機会にあっちこっち見てまわろうかと…」
嘘は言っていない。
地上界と神界は基本的に行き来ができないので閉鎖的と言えなくもないし、仕事というのがこの地上界のバランスを保つ事だとか、長い休みが100年ほどの長さだというのは言っていないだけで嘘をついたわけではない。
「そうですか、なにか事情がありそうですけど、どっちにしても身分証は大事ですよ。ウォールだけでなく、大きな街とかだと必ず提示を要求されますし、その度に仮許可証を発行してもらっていたらお金がいくらあっても足りないですよ」
「うう…やっぱり…」
わかってはいたが、改めて言葉にして言われると来るものがある。
街に入る度に、お金だけでなく乙女の精神力をガリガリ削られるのは勘弁して欲しい
またゾンビウィズダムになりたくなければ、冒険者ギルドに登録するしか道はなさそうだ。
そんなことを考えていると、やがて他とは雰囲気の違う、酒場と宿屋が合わさったような建物が見えてきた。
表の看板には《冒険者ギルド・ウォール支部》とある。
なかなか立派で大きな建物だ。
レギオスは何度も来ているらしく、さっさと中に入って行くのでウィズダムもそれに続いて中に入る。
中の作りはそのまま酒場のように、広い空間を確保して丸テーブルと椅子が適当に置かれていた。
酒場との違いはカウンターに当たる場所が二箇所ある事だろう。
「ミロワールさん、依頼完了しました」
レギオスは二つあるカウンターのうち一つに向かっていくと、緑の双眸が彼の姿を捉える。
「あら、レギオス?早かったわね」
女性を優先的に受付役にするのは世界が変わっても同じなのか、カウンターにいるのは美女という形容詞がよく似合う女性だった。
金のブロンドの髪の両側から尖った長耳が自己主張している…つまり彼女は人間種ではなくエルフ…そんなミロワールに対するウィズダムの第一印象は|なんかやたらと精霊に好かれている人だった。
ウィズダムの目が映すのは物質的な世界だけではない。
光る玉やスライムのような不確定な存在がミロワールと呼ばれたエルフの周りに漂っているのも同時に捉えているのだが、その数が明らかに多いのだ。
エルフを妖精の一種と勘違いしている人間が時々いるが、エルフはちゃんと肉体を持ち、両親から生まれる生き物だ。
対して精霊は世界を巡るマナが突然変異を起こして生まれるエネルギー体である。
マナの吹き溜まりなどで精霊の力の影響を受けながら独自進化したのがエルフなので。全くの無関係ではないが、兄弟の結婚相手の従兄弟の甥の子供くらいには離れている。
それでも系譜はつながっているので、精霊の力を使う精霊魔術をエルフが得意としているのは有名だ。
今、ミロワールに群がっている精霊は所謂、下位精霊というやつで、少しマナが固まれば生まれ、ほどなく解けてマナの流れの中に消えるというのが特徴だ。
ウィズダムが見ている間にも、自己を維持できなくなった精霊がマナに戻り、且つ又マナが集って精霊が生まれるという新陳代謝が繰り返されている。
この段階の精霊に意思はなく、せいぜい「そばにいるとなんか良い」という感じの幼児以下の思考しかないため、ほかの連中よりは自分達に近しいミロワールのそばに集まってくるのだろう。
下位精霊が何らかの理由で数百年程度の間、精霊としての存在を保ち続けることができたものが中位精霊であり、おとぎ話に出てくるような人を真似た形をとり、モノを考えてしゃべることくらいはできるようになる…それでもまだ思考は幼児程度のものでしかないが…そこからまた更に数千年程精霊の自我を保つことができれば大精霊となるのだ。
このレベルになると、その思慮と思考は完全に人間の上を行くが、当然のように大精霊にまでなれるのは多くない。
そんな大精霊が数万の年月を経ると…神になる。
簡単に言えば神界にいるサラマンダーたち四人を筆頭とした精霊神の事だ。
自然界に存在するものを司るのは、普通の神より元々精霊だった彼らの方が相性がいいので元大精霊の神は優先的に精霊神に抜擢され、四人の部下に割り振られる。
あの口より先に手ではなく炎が出る…実際に出そうとしていたサラマンダーも、実はウィズダムよりはるかにお年寄りなのだが、年長者に対する敬意が全く湧いてこないのが彼の神徳だろうと…そんなちょっと上手い事を考えているウィズダムにレギオスが振り返った。
「ウィズさん、ミロワーズさんはギルドの受付をしていますがただのエルフじゃなくてギルド長も兼任されているんです」
「ギルド長ってこの建物の中で一番偉い人じゃねーんですか?なんで窓口業務に?」
「人手不足なだけですよ。ところでレギオス隣にいるその可愛らしい彼女は…え?」
レギオスにミロワールと呼ばれたエルフの女性はウィズダムに気づいたところで…目を丸くした。
「どうかしたんですか、ミロワールさん?ウィズさんが何か?」
「…いえ、見間違いみたいですね」
そう言ったミロワーズは瞼の上から瞳をマッサージし、改めてウィズダムを見る。
何度か瞬きをするが、何か納得できないようで、不思議そうな顔のまま首をひねるというよくわからないリアクションをしていた。
「と、とりあえず。こちらギルドに登録希望のウィズさんです」
「登録?新規の方を連れてきてくれたんですか?そうですか、わかりました」
そう言うとミロワーズはカウンターの下に手を入れ、何かを探し始めた。
「じゃあ、俺は毛皮の換金に行きますから、あとはミロワーズさんに任せておけば大丈夫です。お願いしますね、ミロワーズさん」
「わかったわ」
ミロワーズの返事を聞いたレギオスは、もうひとつのカウンターの方に向かっていった。
どうやらあっちのカウンターは換金専門のようだ。
「お待たせしました。どうぞお座りください」
「あ、はい」
カウンターの上に必要書類を用意したミロワーズに促され、ウィズダムが椅子に座る。
「では冒険者ギルドの説明を始めさせていただきます。我々は冒険者の相互補助の組織です。加盟者には仕事の斡旋をメインに取り扱っています。簡単に言えば短期労働の職業斡旋所のようなものと考えてください」
「はい」
すでに何度も同じ説明をしたことがあるのだろう。
ミロワーズの説明は何も見ていないのに定型文を読み上げるようだった。
神界で書類仕事をして来たため、こういう契約上の不備、落とし穴などの痛さはよく知っている。
ウィズダムは一字一句聞き逃さないように聞いているのだが、こういうのも職業病と言えるだろうか?
「ご紹介するお仕事は魔物の討伐から物品の採集、街の中でできるお使いまで幅広いです。冒険者ギルドといっても危険な仕事ばかりを斡旋しているわけではありません。冒険者と銘打ってはいますが、なんでも屋という方が内情的にはただしいです」
「成る程…」
「冒険者にはそれぞれランクを設定させていただき、上位からS(限定解除)・A(上位魔物討伐依頼受注可能)・B(中位魔物討伐依頼受注可能)・C(下位魔物討伐依頼受注可能)・D(街外採取活動受注可能)・E(街内依頼受注限定)となっており、ギルドへの貢献、依頼完遂数、その他国からの受けた賞与、本人の人格などを総合的に審査、推薦を受け、規定のランク試験に合格されることでランクアップされます。ちなみに職業斡旋という観点からはあまり褒められたことではありませんが、上位クラスの冒険者が下位クラスに割り振られた依頼を受けることはできます。しかしその逆はありません」
「でしょうね」
このあたりは当然だろう。
実力のない者が身に余る討伐依頼を受けても、無駄死にするバカが増えるだけだ。
そのくらいは少し想像力があれば誰にでもわかる。
「自分の持つランクより低ランクの依頼は達成してもランクアップの判断基準には含まれませんのでお気をつけください。また、これから登録されるウィズ様にはあまり関係ありませんが、B位以上に登録されている冒険者はギルドを通さず国から直接指名されて依頼を受けることも出来ます。それと、滅多にあることではありませんが、緊急招集が発動された場合、ランクにかかわらずギルドに登録されている冒険者は少なくとも一回は最寄りのギルドに集合していただきますので悪しからず」
「緊急招集とは?」
「疫病、自然災害、魔物の大量発生など、とにかく数が必要な事案が発生した時、ギルド長とその国の国王両名の連盟で発される招集命令です」
「おう…」
聞き間違いでなければ、それに違反すると場合によっては国家反逆罪に問われるという事ではないだろうか?
すすんで騒動を起こすのも、地上界の法で裁かれたいとも思わないので要注意だろう。
「それらの条件で拘束する代わり、ギルドは冒険者の皆様に冒険に必要だろう道具の割引販売、魔物の情報、提携している宿屋の宿泊料の割引などのサービスを提供させていただきます。内容に関してはランクによって差が出るのでご理解ください」
「つまりランクが上なほどサービス内容が充実すると?」
「はい、Eランクから始めるウィズ様はほとんどサービスを受けられないのですが、詳しいところはこの書類にまとめておりますのでご確認ください」
ミロワールの差し出した書類を流し読みして内容を確認したウィズダムは、書類をたたんでリュックにしまう。
その間にミロワールは別の書類と…ひとつの水晶玉を用意していた。
「ここまでの説明でお分かりにならない点はございますか?」
「ほかのランクはわかったのですが、一番上位のS(限定解除)というのは?」
「世界を見回しても数人というレベルの冒険者です。このランクになりますと、以来達成のためにギルドからあらゆる援助、情報提供を受けられます。同時に国家からの援助も同様に受けられるため、それだけに品性や経歴、実績に実力も相当に高いものが求められ、到達するのは非常に困難ですが、大半の者が一度は目指す冒険者の最終到達点ですね」
「なるほど、十分なのです」
「それではこちらが登録用の書類と、犯罪歴がないかどうかを調べる為の魔道具です」
「書類…はわかるですけど、魔道具の方はどうやって使えばいいのです?」
まさかこれで自分を占って犯罪を自白させるというわけでもあるまい。
「手を置いてもらえばそれで十分です」
「はい」
言われたとおりに、水晶玉に手を置いた。
そのまま何かが起こるかと見ていたのだが、一向に変化がない。
これは良いのか悪いのか…。
「…あの?」
「え?ああ、すいません…問題ないようですね…」
問題ないという割にはミロワーズが少し焦り気味な気がする。
しかし何が問題なのかはウィズダムにはわからない。
「ではこちらの書類に必要事項を書き込んでください」
「はい」
登録用の書類は簡単な自己紹介のようなものだった。
名前、年齢、性別、種族、特技など…。
「髪色とか身長とか…スリーサイズとかの欄があるですが、これって書かなきゃいけねーもんなのですか?」
「名前と年齢、性別と種族の四つだけきちんと記入して頂ければ問題ないです。ギルド証にもその四つしか記載されません。それ以外の項目は本人確認用なので書ける分だけで問題ないですよ」
「了解なのです」
ミロワールの差し出した羽ペンを受け取り、書ける項目を埋めていく。
その中でも一番悩んだのは年齢の項目である。
ずばり何歳サバを読むかという意味で…結局、17歳と書き込んだが、神界の皆が見たら鯖を読みすぎだと盛大なツッコミを入れられそうだ。
彼らは自分に敬意を払ってくれるが…ツッコミだけはなぜかやたらと厳しい…しかしこれは仕方がない。
まさか本当の年齢を書くわけにも行かないだろう…ワタシハワルクナイ。
大体、神界でも「実年齢より若く見えますね」とか言われていたのだし、これでいいのだ。
「……」
「…どこか間違ったのですか?」
「え?…い、いいえ…」
気がつけばミロワールが書きかけの書類をガン見していた。
ウィズダムの声にはっとしたミロワールが取り繕うようにして笑うが、誰が見てもひきつったものだ…うまく笑えていない。
さっきから、初対面のウィズダムにもわかるくらいにミロワールは挙動不審になっている。
「そうですか、ではこれをよろしくお願いするのです」
「確かに…受け取りました」
書き上げた書類を渡すと、ミロワールがその書類をじっと見つめる。
タダの書類確認にしては熱がこもりすぎた目で……視線に熱があったらせっかく書き上げた書類に穴があいて燃え上がってしまいそうだ。
しかし、彼女があの書類の何処にそんなに注目しているのか、ウィズダムには全く見当がつかない。
書類仕事に慣れきったウィズダムがそれとわかる誤記載などするわけがないし、地上界の基準に照らし合わせても、特に変な事は書いていないはずだ。
しばらく書類に目が釘付けになっていたミロワールだが、ようやくウィズダムがまだ目の前に居る事を思い出したらしい。
はっとして顔を上げると、事務的な笑みを浮かべて話しかけてきた。
「ウィズさん…でしたね、ギルド証の発行には数日かかりますが、この街での宿はお決まりですか?」
「それが…」
それもまた頭の痛い問題だ。
ウィズダムの無一文状態は継続中…とはいえ、それ自体は特に致命的というわけでもない。
正直な話、数日の不眠不休程度は、神であるウィズダムにとってみれば大したことではないのだ。
地上界の食事に興味はあるものの、それは我慢すればいいだけの話だし…しかしせめて宿くらいはどうにかすべきだと思う
真夜中になっても外を出歩いている年頃の女など、悪目立ちもいいところだろうし、雨など降ってきたら流石に屋根のある場所にいたいと思う。
なのでどうやって先立つものを手に入れるかだが・・・この街には宝石商はいないと衛兵達が言っていた。
ギルド証が発行されて依頼を受けることができるようになるまで、ウィズダムには現金入手の術がない。
最終手段(レギオスにまた金を出してもらう)は本気で彼に申し訳無さ過ぎるので、可能な限り回避したいと思っている。
これ以上迷惑をかけると、本格的に頭が上がらなくなりそうで怖いのだ。
「…それならばどうでしょうか?この上に泊まられては?」
「え?」
「実はギルドの上階は職員の宿泊施設になっておりまして、ちょうど空きがあります。ギルド証の発行まで滞在されたらいかがでしょう?」
ギルドに入るとき、上階が宿のようだなと思ったが、本当に宿泊施設だったようだ。
「お気持ちはうれしーのですが、持ち合わせがねーのですよ」
「…成る程、ではギルド証が発行された後、ギルドの依頼を受けていただき、宿泊費を払っていただくという形でも構いません」
「マジ…本当ですか!?それはぜひぜひお願いしてーのですよ」
これだけの好条件に不満などあるわけがない。
ウィズダムが即答すると、タイミング良く換金を終わらせたレギオスが戻ってきた。
「登録申請は終わりましたか?」
「問題なく終了したようですよ。一緒に泊まる所まで紹介してもらったのです」
「え、本当ですか?」
「本当よ。ギルドの宿泊施設に空き室があったからね」
びっくりしたレギオスだが、ミロワールの太鼓判に納得した。
どうやらミロワールはレギオスにかなり高い信頼を受けているらしい。
「それなら、そろそろ行きませんか?」
「え、何処にです?」
今日はこれでおしまいかと考えていたウィズダムは、レギオスの申し出に首をひねる。
なにか約束をしていたような口調だが、咄嗟に思いつくことがない。
「ま、まさか…今から(特訓に)行くのですか?ちょ持…心の準備ができてねーのです!!」
「なぁ、待ってください。なんですかその狙ったような、言葉の端折り方!?顔を真っ赤にして両手で体を抱いて防御姿勢なんて取らないでくださいよ!!」
その瞬間、ギルド内のあっちこっちで何かを吹き出す音が連続した。
振り返ってみれば、酒を飲んでいた冒険者達が吹き出したアルコールで虹ができている。
地味に綺麗だった。
「レギオス…貴方…」
「はっ!!」
レギオスがさらに振り返ってみれば、形容しがたい顔で自分を見るミロワールがいた。
何を想像したのか微かに頬が赤い。
「…レギオス?人間種の男が思春期になると発情期になるのは知っているけど、余りにもあからさますぎるのではない?それに女性というものは獣じゃないんだからもっと段階を踏まないとその気にはならないのなのよ」
「何言ってんですかミロワールさん!!」
「そういうことなら2階を貸すのもちょっと考えないと…全力で聞き耳を立てられると思うわよ。…ああでも、レギオスが聞かれると興奮する類の性癖を持っていたりしたらむしろご褒美?」
「ないですから、それはただの拷問ですよ!!」
ガタリと音がして何事かと見れば、何時の間にか椅子から立ち上がっていたウィズダムの姿が反対側の壁のところまで移動していた。
どう考えても瞬間移動としか思えない移動速度だったが、次にウィズダムの放った言葉ですべてがうやむやになる。
「レギオス君に羞恥プレイの趣味が?私にそんな剣だけじゃなくアブノーマルな事まで教えろと!?…まあ知識だけはあるのですが」
「ないですよ!!ウィズ師匠まで何を言っているんですか!?っていうか何を知っているんですか何を!!」
「…師匠?」
レギオスの言葉の中に引っかかる単語を聞き取ったみロワールが首をかしげた。
「お、俺、ウィズ師匠に弟子入りしたんですウィズ師匠の行くってのはきっと特訓に行くってことですよ!!そうですよね師匠!?」
「…まあ一応」
「そこははっきりと断言してください!!」
「弟子?貴方が?ウィズさんに?」
ミロワールの連続質問に彼女にレギオスが頷いた。
とたんにギルド内に呆れの空気が充満する。
誤解が解けたレギオスが胸をなでおろして説明を続ける。
「師匠はすごいんです。フォレストウルフを四匹、立て続けに始末しましたから」
「…へえ…」
ミロワールが一瞬だけ、感情の見えない鋭い目でウィズダムを見た。
そんな目を向けられる覚えのないウィズダムは軽く引く。
ギルド長とか言っていたので冒険者登録したばかりのウィズダムの戦闘力の高さに興味を惹かれているのかもしれない。
「でも、今から修行するにしても時間がないので、ウィズ師匠には明日からお願いしたいと思います」
「はあ…ここまでくれば受けないわけにも行かねーですが、それならどこに行くつもりなのですか?」
「美味しいものをご馳走するって言ってたじゃないですか」
「おお~う」
すっかり忘れていたことを思い出した。
確かに、レギオスがお礼に美味しい物をおごるということでここまでついてきたはずだ。
街についてから立て続けに起こったイベントのショックで完全に忘れていた。
「でも、いいのですか?」
既に入街料と仮身分証の発行で金を出してもらっている。
これ以上奢らせるのはさすがに拙いのではないかと思う。
「これも指導料ってことでお願いします」
「…はあ、わかったのです」
もはやため息しか出てこない。
ここまで来たらもう何かしら教えないわけにはいかないだろうと覚悟はしている。
何か剣に役立つような技があったかなと、自分に出来ることを真面目に考えだした
「そろそろ行きましょう。急がないと店が閉まってしまうので」
「わかったのです」
ウィズダムはとりあえず美味しいものを食べに行くというレギオスの言葉に乗った。
問題の先送りだろうとは自覚しているが、美味しいものとはしなわち正義なのだ。
ウィズダムは席を立ち、レギオスについて歩き出す。
その後ろ姿を…ウィズダムの書いた書類を持ったミロワールがじっと見ているということにも気づかずに…。