第弐話 女神の助成
血の匂いを頼りに森を進み、現場に到着したウィズダムは一通り見回した後に一言つぶやいた。
「う~わ、ある程度予想はしてたけど、完全に修羅場ってるじゃねーですか」
内訳は二メートルくらいの大きさの狼型魔物が四体、死んでいるのが一体に人間種の少年が一人だ。
濃厚な血の匂いの正体は死んでいる狼のもので間違いないらしい。
殺したのは少年、おそらく一体を殺した所で仲間を呼ばれたかあるいは血の臭いに引き寄せられたかして絶体絶命←今ここと言った所だろう。
少年はまだ幼く見える。
人間種の年齢にして十代前半位…頭に巻いた鉢金つきのバンダナ、何かの動物の皮で作ったらしい鎧と、何より手に持った少年の体には大き過ぎるだろうバスターソードからして、冒険者という職業についているのだろう。
短めの緑色の髪と同じ色の目が印象的だが、その両目がはっきりと自分を見ていた。
なんでこんな所に場違いにも女が出てくるんだと目が語っている。
「あ、あんた何してんだ。逃げろ!!」
「…へえ」
ウィズダムは軽く感心する。
逃げろとは間違いなく自分に向けた言葉だろう。
今のウィズダムは人間にしか見えないので、無力と思われることは仕方がないが、それにしてもまだ名前も知らないあの少年…自分の方こそ命の危機に直面しているのがわからないほどの暗愚ではあるまい。
死ぬかも知れない状況の中で、見ず知らずの他人を気にかける事が出来るらしい。
人間種は特に、余裕のない時ほど本性が出やすいと聞いたことがあるが、その基準だとあの少年は相当なお人よしということになるのだろうか?
ウィズダム個人の見解としては好ましく思えるがしかし、少年の本心がどうであれ、この場においてそれは悪手だった。
「グ?グルルル」
少年の声で。狼たちがウィズダムの存在に気がついてしまった。
四頭の内一頭が少年から目標を変え、ウィズダムに振り向く。
女という外見から判断したのか、それとも少年と違って武器を持っていないので組み易しと見たのか…おそらく両方の理由でだろう。
狼は少年のときと違い、様子見をすることなくウィズダムに飛びかかってきた。
今のウィズダムは神としての気配を隠しているから、動物の本能も働かず、狼も驚異を感じられないのだろう。
それは狼にとってとても不幸なことだ。
オムの時もそうだったが、ウィズダムは相手が誰であれ自分から仕掛けることはほとんどしない。
専守防衛が彼女の基本ではあるが、かと言って無抵抗主義とも程遠かったりする。
仕掛けられたならば正当防衛で返すのが彼女の主義であり、オムやサラマンダーの末路を見れば、彼女の辞書に過剰防衛という言葉があるかどうか疑わしい。
なのでウィズダムを噛み殺そうとしてくる狼に反撃すること自体に問題はない…問題はないのだが…。
「…あ」
カウンターで殴り返そうと構えたウィズダムだったが、未だに少年がこちらを見ていることに気づいて手が止まる。
このまま狼を殴れば一撃死させてしまう。
女神ではあるが、自分を喰おうとしているケダモノに慈悲をかけるほどの博愛はウィズダムにはない。
しかし普通の人間種、しかも女には拳で二メートルもある狼を殴り殺す事などできないと思い出したのだ。
獣なら喋れないから問題ないだろうが、自分を見ている少年が他の誰かに喋って周り、化物扱いされたらちょっと困ったことになる。
知らないとは言え自分を気遣った少年に口封じとか…精神衛生的に出来るだけ回避したいところだ。
「えっと・・・あ、あれを使えば…」
誤魔化しに使えそうな物に見当をつけたウィズダムは自分に襲い掛かってくる狼に対してまっすぐに踏み出す。
右でも左でもなく真っ直ぐにだ。
「ガウ!?」
おそらく狼には噛み付く寸前にウィズダムが消えたように見えただろう。
正確にはウィズダムは狼の視界の外に移動しただけだ。
踏み込んだ足で地面を蹴り、前方宙返りの要領で狼の上へと飛んでいた。
大体の生き物にとって頭上とは死角の一つ、高速でそこにはいられてはどんな生き物だろうが相手を見失う。
「ギャワン!!」
狼の背中に足をつけたウィズダムは、それを利用して二段目のジャンプを行う。
反作用で狼が地面に叩きつけたがウィズダムは振り向かない。
空中を飛ぶようにして、一直線に目指すのは少年の元だ。
「え?何?」
「ちょっとそれを拝借するのですよ」
「は?」
本人の承諾を後回しにして、ウィズダムは少年の持っている剣の柄を軽く下から蹴る。
意表を突かれた少年の手から、簡単にバスターソードはすっぽ抜け、ウィズダムは空中にあるバスターソードの柄を握ると体を回転させる動きで背後を薙ぎ払う。
「ギャ!!」
短い悲鳴が上がった。
隙をついて襲いかかってきていた狼の一頭を、ウィズダムの持ったバスターソードが迎撃したのだ。
その威力は凄まじく、狼の体を水平に切り裂いて狼を上下に両断していた。
「な、何!?」
急展開に理解が追いつかないのだろう。
背後から何か言っている少年の声が聞こえたが、それに応えるより早く、残り二頭の狼が左右から仕掛けてきていた。
さすが野生と言うべきだろう。
右の狼は足を狙い、左の狼が喉を狙って飛びかかってきている。
足に噛み付いて動きを止め、その隙に喉を噛みちぎって止めを刺すのが狙いだ。
それが出来なくても上下で狙いを分散させ、どちらか片方だけでもとにかく噛み付いて引きずり倒し、体躯の大きさと重さに物を言わせて仕留めるつもりだろう。
狩猟種の本能による必殺のコンビネーションは単純なだけに回避するのも迎え撃つのも困難…のはずだった。
狙った相手がウィズダムだったという一点において、狼達の必殺は必殺になりえない。
「ふっ!!」
するどい呼気を吐き、ウィズダムの体が回転する。
両手で握ったバスターソードがすくい上げる軌道で左から飛んできていた狼を捉え、縦に両断する。
更には威力を殺さないまま、体重移動で位置を調整、足狙いで地を這うように身を低く伏せていた姿勢のまま、先の狼と同じく一刀両断する。
二頭は魚の開きの如く左右に割れて地面を転がっていく。
違いは下から切られたか上から切られたか程度の差しかない。
「さて…」
叩き切ったのはこれで三匹…後もう一匹いたなと、最初に踏み台にした狼を見れば、地面に突っ伏して血反吐を吐いていた。
どうやらウィズダムの踏み込みで背骨がくだけ、地面に叩きつけられた事で内蔵が潰れていたようだ。
ビクビクと痙攣していた最後の狼だが、様子を見ているとほどなく痙攣と共に動かなくなった…どうやら事切れたらしい。
「う~ん…ヤバイ?やり過ぎたのですか?」
この程度の事は、ウィズダムじゃなくても下級神ならば程度の差はあれ誰でもできるが、その基準がこの地上界でも通じるかはわからない。
ましてや地上界初心者のウィズダムにはどれだけ手加減をすればいいのか、そのさじ加減が把握出来ていないというのにやらかしてしまった。
一応、カモフラージュのために少年から剣を拝借して使ったが、それでもやり過ぎた可能性は十分にある。
すわ、これは化物認定コースか?…っと恐る恐る背後にかばった少年を振り返れば…。
「す、すごい」
「……えっと」
何故かとてもキラキラした目でウィズダムを見てきた。
自分で言うのもなんだが、二メートルはある狼、しかも四頭を相手にして歯牙にもかけない少女を前にした反応としてこれは正しいのだろうか?とウィズダムは困惑する。
神目線でアリかナシかといえば…一部の武闘派連中を抜きにすれば無しだ。
少年もそういった少数派の人間なのか?
「そ、そういえばいきなり拝借して申し訳ねーです」
そう言って手に持っていたバスターソードを少年に差し出した。
「あ、いいえ、俺の方こそ助けてもらってありがとうございます。…ん?」
礼儀正しい感謝と共にウィズダムからバスターソードを受け取った少年だが、何かに気づいたらしくじっくり剣身を検め始めた。
振ったのは数回だし、剣の負担になるような使い方をしたつもりはないが、地上界の剣を使ったのもこれが初めてだ。
ひょっとしたら女神の腕力が原因で歪んだり欠けたりしてないかとウィズダムは冷や汗をかいた。
「これは…間違いない」
「う…」
剣をじっくり調べ、何かに納得した少年が顔を上げ、それを見たウィズダムが女神のくせに退いた。
少年の顔にはさっきまでよりさらに輝く満面の笑みを浮かべていたからだ。
自分を見る目にもさらに熱がこもり、キラキラ度も上がっている。
理屈はわからない。
判断基準は自分の直感しかないが、ウィズダムはこれからなにか厄介なことが起こりそうな予感がした。
「で、ではこれで失礼するのですね」
「待ってください!!」
逃げ出そうと背を向けて所で、腰のあたりに衝撃が来た。
「ぎゃー!!何しやがるですか少年!!いきなり婦女子の下腹部をがっちりホールドしてくるのも貞操的な危機感ぱねーですが、抜身の刃物を持ったまんまとか別の意味でおっかなくてしょうがねーのですよ!!」
バスターソードのそれなりに長さのある剣身が目の前を通り過ぎるのを見たウィズダムの顔色が青くなる。
女神であるウィズダムが剣くらいでどうこうなるわけがないが、体のすぐそばに自分の制御してない刃物があるのはなかなか以上にデンジャラスだし、例え直ぐに治るとしても顔に切り傷が付くのは女としての本能が絶対回避をうるさいくらいに主張してくる。
あまつさえ、万が一にもこのまま少年ともみ合いになり、気がついたら刃がどっちかの体に深々と刺さっていたなどという最悪のサスペンス展開は本気と書いてマジで勘弁してほしい。
「お、落ち着くがいいのですよ少年!!何か話があるなら聞くですから早まらねーでほしいのです!!」
「じゃあ弟子にしてください!!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥え?」
思わず少年を振り払おうとしていたウィズダムの動きが止まる。
ギギギと音がしそうな動きで首を巡らせ、腰にしがみついている少年を見下ろす目は驚きで丸くなっている。
「弟子?」
「はい!!」
「誰が…誰に弟子入りすると?」
一番重要なのはそこだと思う。
この状況で何を言わんやだが、確認は大事だ。
ほとんどゼロの確率とは言え、勘違いという事がありうるかもしれないのだから…。
「俺が、貴女にです!!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥はあー!!!?」
ほとんどゼロだった勘違いの確率が完全にゼロになった。
ウィズダム有給初日…弟子入り志願者が出現。