第壱話 女神の降臨
《神の梯子》という気象現象があるのを知っているだろうか?
簡単に言えば、雲の隙間から太陽光が地上に向かって直線上に降り注いで見えるというものだ。
うまく見ることが出来たなら壮大な光景に胸を打たれるだろう。
しかし、パララディにおける神の梯子は少々特殊な意味を持つ。
まず、カンカン照りの日でも、あるいは夜であろうと現れる事がある。
それに加え、地面の上で金の粒子状のモノが舞っていれば、それは気象現象の神の梯子ではない。
人はそれを…神が降臨する前兆と呼ぶ…いつもは神界にいる神が地上界に現れようとしているのだ。
そして今回、神の梯子が現れたのは人気のない街道の真上…これが街中であったなら、周囲には神の降臨を一目みようとする者達で押し合いへし合いの阿鼻叫喚図となっていただろう。
だが、幸いにも周囲は無人、街道を行き交う商人達の姿も見えない。
誰にも見とがめられずに、神の降臨がなされようとしていた。
「ふ…ん…?」
やがて、地面の上に舞っていた金の粒子が一箇所に集まり、ひとつの形を取り出していく。
降臨したのは女神がひと柱…長い空色の髪をポニーテールにまとめ、旅服装なのか、いつも来ている制服とは逆に、比較的長めの紺のスカートに白の飾り気に乏しいシャツ、上着として黒のコートを着ている。
神鉄を縫い込んだグローブとブーツ、黒のコートだけが以前のままだ。
彼女が降臨する姿を見ていなければ、旅の途中の村娘で通るかもしれない格好だが、彼女を知る者達が見ればウィズダムと呼ぶだろう。
普通ならば、彼女の外見で一番目立つはずの白い翼は見えない。
能力か神力で隠しているのだろう。
その代わり、背中には翼の代わりに大きめのバックを背負っている。
完全に実体化を終えたウィズダムは目を閉じたままトレードマークである丸眼鏡の位置を正し、ゆっくりと瞼を開く…藍色の瞳がレンズ越しに地上界を見た途端…。
「私、降・臨!!」
全力で、地上界の全てに届けとばかりに叫んだ。
「こんにちは地上界!!ようこそ私!!」
さっきまで確かにあった神々しさがどこかに吹っ飛んでいった。
この光景を見るものがいなかったのは僥倖だっただろう。
神を信じる者ほど幻想を砕かれる…ウィズダムがやったのはそういう類の事だ。
「愉快痛快じゃねーですか!!世界が違って見えるのですよ!!」
ハイテンションになっているウィズダムの言うことは正しい。
パララディの二界構造とは別に空の上に神界があるというわけではない。
実は神界・地上界は同時に重なって存在しているからだ。
何故それで問題にならないのかといえば、二界の位相がずれているからにほかならない。
このあたりは三次元、四次元の観念に近いのだが、それ故に地上界の者はすぐそばに神がいても気づかないし、神界側にいる神も近くに地上界の生き物がいても見えないし気がつかない。
神界の神が地上界に行くということは、このずれた位相を目的の世界の位相に合わせるということを意味する。
なので、神の梯子を使って降りてきた神が地上で実体化するのではなく、あの現象はそのまま門のようなものと考えるのが色々正しい。
閑話休題…。
「さ~ってまずは何処に行くですかね~」
ウィズダムはご機嫌でリュックを下ろし、中身を漁り始めた。
取り出したのは一枚の紙…いわゆる地図というやつだが…。
「…………………ふう」
中央に巨大な大陸と、その斜め四方に小ぶりな大陸の描かれた地図をしばらく見ていたウィズダムだが、笑顔のまま地図を畳むとリュックの中に戻す。
「よ~しよし、そろそろ落ち着くがいいのですよ私、地図は地図でもなんで世界地図を持ってきてるのですか?はしゃぎ過ぎにも程ってものがあるじゃねーですか」
地上界は世界の中心に中央大陸を置き、北東にファルクス大陸、北西にヴィアンド大陸、南東方向にスプランディエット大陸、南西にパースデビリット大陸という五大陸と、後は中小の島々が存在している。
地図はその形をこの上なく正確に示してはいるものの…縮尺がでかすぎて何の役にも立たない。
「無駄な荷物を持ってきてしまったのですよ…」
ウィズダムはため息をつくが、地図技術がまだまだ発展途上であるパララディの地上界において、発見されていない島まで詳細に記載されている世界地図は見る目のある者から見ればとんでもなく価値があるのだが、それは今この時点では意味がなく、役に立たないという事実に変わり無い。
中央大陸となるだけ人気がない場所という条件で降臨したので、中央大陸のどこかであるのは間違いないはずなのだが…ぶっちゃけ迷子である。
「ま、まあ幸い。街道の上に降臨しているわけですし、無問題、無問題」
街道とは街と街をつなぐようにして存在するものだ。
つまりそれをたどれば街にたどり着く。
問題は…。
「右と左、どっちに行くかなのですよ」
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「ん~♪」
ウィズダムが選んだのは右だった。
理由は特にないが、敢えて言うなら街道の上に立った時、左側から風が吹いてきていたことくらいだろう。
つまり追い風…その気になりさえすれば、隠している翼を実体化させて飛び、周りを見回して街を探すのもそこへ行くのも簡単だが、それは無粋だとウィズダムは思う。
目立ってしまうということもあるが、この先100年はこの地上界をぶらぶらして楽しむのだ。
特に明確な目的のない有給旅行、最初くらいそう言った験担ぎをした所で大した差は出るまい。
「何より、歩いて世界を巡るっていうのもなかなかオツなものなのです」
最初だけの新鮮な感覚に酔っているのかもしれないが、ウィズダムは間違いなく有給休暇を満喫していた。
「…ん?」
そんなご機嫌のウィズダムだったが、五感に引っかかるものを感じて歩きを止める。
どちらかといえばよくない方の感覚だ。
方向は街道から外れた森の中、樹木が邪魔して奥を見通すことはできないが、そちらから漂ってくるのは間違いなく…。
「…血の匂い?」
少量ではない。
ある程度まとまった量の血が一度にぶちまけられたような匂いの濃さだ。
つまり、誰かが…あるいは何かが近くで死にかけている。
この匂いの量が個体から流れたものだとすると、すでに死んでいるかもしれない。
「ん~降臨して早速のハプニングキター?まあ、こういうのも旅行の醍醐味なのでしょーかね?」
ここにツッコミ役がいればそれはどうかというかもしれないが、残念なことにウィズダム以外に誰もいない。
ウィズダムは街道を外れ、血の匂いがしてくる森につま先を向けた。
――――――――――――――――――――――――――――
レギオスは駆け出しの冒険者だ。
13歳と若いが、低レベルの依頼を積極的にこなし、ようやく昨日、ギルドランクがひとつ上がった。
思えばそれで舞い上がってしまったのだろう。
ようやく討伐依頼がこなせるCランクになったと、早速近場でできる依頼をひとつ受けた。
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フォレストウルフの毛皮
状態、量によって報酬上乗せアリ
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それがレギオスの受注した討伐依頼だった。
フォレストウルフは森を根城に活動する狼型の魔物だ。
繁殖して数が増えると集団で村を襲うこともあるため、定期的に駆除が必要な魔物だ。
その毛皮は防寒具として使われるため、寒い季節の前には特別報酬込みの討伐依頼がギルドに張り出されるのが特徴だ。
レベル的にも高くなく、臨時収入がつくのも美味しい。
レギオスのクラスを考えれば順当と言える依頼だった…そこまではいい。
失敗は一人で挑んだことだ。
首尾よくフォレストウルフを一頭仕留めたものの、死の間際にフォレストウルフが最後の力で遠吠えをした。
仲間を呼ぶフォレストウルフのスキルだと気づいた途端、舞い上がっていた自分に気づいたレギオスはその場を逃げ出そうとした。
レベルとランクが順当といっても、それはあくまで一体一の状況が基本だ。
今のレギオスが一度に相手取れるのはせいぜい二体まで、それ以上の数が集まってきたらやばい…そう考えたレギオスの目の前に四体の絶望が現れた。
「はあ…はあ…」
フォレストウルフに囲まれて、まだそれほど時間が経っているわけではないはずなのに、レギオスは肩で息をしていた。
使い慣れた剣は構えたまま、動けなくなるほどの傷も受けていないが、その全身にはまんべんなく汗をかき、短めの髪からも汗が滴っている。
目に入ってしまわないように拭いたいところだが、その隙をついてフォレストウルフ達が飛びかかってくるのが怖くてできない。
「グルロロロ」
「ガウ!!」
「ちっ、完全に狩りの獲物じゃねーか、こっち見んじゃねえ!?」
四頭のフォレストウルフはレギオスに対して積極的に構成に出ようとはしていない。
吠えたり爪で地面を引っ掻くなどしてプレッシャーをかけてくるだけだ。
四頭がタイミングを合わせて飛びかかってくれば剣一本しか持たないレギオスなど一瞬でなぶり殺しにされる。
それをしないのは、フォレストウルフ達がレギオスの弱るのを待っているからだ。
人間のように治療など期待できない自然界の獣は、わずかであっても怪我をすれば己の短命につながると本能で知っている。
精神的疲労が貯まればレギオスのミスが増え、自分たちが無傷で獲物を仕留めやすくなることを神然のハンターであるフォレストウルフは知っている。
「イチかバチか…かけるしかねえか…」
体力の残っている間に、この包囲網を抜けるしか活路がない。
この膠着状態はレギオスが動かないでいることで成立しているため、レギオスが仕掛ければ問答無用で仕留めに来るだろう。
だからといってこのままではジリ貧だし、助けも期待できない。
自分から仕掛けたほうがほんのわずかではあるが可能性がある。
賭けるに値しない賭けだが、負けるとわかっていてもやらなきゃならないことがある。
冒険者を目指した時から、死にことさえあると覚悟を決めてはいる。
その結果、野望が叶えられないかもしれないことも…だが、だからといって、黙ってフォレストウルフの胃袋に収まるような死に方まで覚悟したわけじゃない。
勝てないまでもせめて一太刀…そんなレギオスの覚悟を敏感に感じ取ったのだろう。
フォレストウルフ達も威嚇する動きを止め、レギオスを威嚇するように喉を鳴らしている。
「…え?」
いざ逝かんと覚悟を決め、一歩を踏み出そうとしたところで、レギオスは場違いすぎる物…もとい、人物がいることに気がついた。
フォレストウルフ達の背後の森に、妙に軽装で大きなリュックを背負い、空色の髪をポニーテールにして丸眼鏡をかけた少女が、レンズ越しに藍色の瞳で自分やフォレストウルフ達を見ていた。
■レギオス
種族 人間
性別 男
年齢 13歳
所属 駆け出しCクラス冒険者
■装備品
頭 鉢金
体 革の鎧
手 剣の滑り止め用グローブ・バスターソード
足 革の靴
■戦闘
近距離 D
中距離 C
遠距離 ー
その他 特になし
■備考
力を求める駆け出し冒険者