前編 私はコレでキレたのです。
…これはここではない何処か、今ではない何時かの物語。
数多ある異世界の中に、パララディという世界が存在する。
この世界には、人間だけでなく、エルフやドワーフ、妖精や魔族…そして魔物が存在する世界であり、いわゆる剣と魔法の世界というやつだ。
生き物の住む地上界の他に、神の住む神界が存在する二界構造と呼ばれる作りをしている。
神は神界の中心で地上界の人間やその他の種族を管理、導く役目を負っているひときわ大きな建物が地上界監視兼管理本部施設、通称ユグドラシル…神界業務の中心であり、多くの神々が常に常駐している場所だ。
「こんなんやってらんねーのですよ!!」
その日、静謐であるはずのユグドラシル内部にある一室で悲鳴のような怒声が上がった。
かん高い声の主は、紺色のホットパンツに膝まであるブーツに黒のハイニーソックスという服装の上に、黒地で淵に金で刺繍が入れた前面の部分が開けた肩掛けタイプの外套を羽織った女性だ。
150センチくらいの身長に、どちらかといえば童顔、長い空色の髪をポニーテールにし、かけている丸フレームの眼鏡が彼女の印象を余計に若く見せている。
これだけなら普通の女性事務員にしか見えないのだが、頭に乗っている魔法使いのようなつば広の三角帽子と、何よりその背中にある一対の純白の翼と、胸に付けられている“地上管理課所属 女神・ウィズダム”のネームプレートが彼女は人間ではなく神の一柱であると示している。
「ど、どうしたんですか、お静まりくださいウィズダム様!?」
「どうもこうもねーですよ。マーレットさん、まーた懲りずに神が問題を起こしやがったのです!!」
彼女の周囲には紙吹雪のように書類が舞っていた。
直前に彼女が指ぬきグローブをつけた両手で、ちゃぶ台返ししたデスクの上でタワーを作っていた書類束の成れの果てだ。
明らかに多い…尋常じゃないその量に、ウィズダムに同情の視線が集まってくる。
それはやってられなくもなるだろうという同意と理解の眼差しだ。
「あの神共はなんでこんなに次から次へと問題を起こしやがりまくるですかー!!」
ウィズダムの主張に対する反応は数種類だ。
苦笑する者、頷く者、目を血走らせて首振り人形と化す者…当のウィズダムに至っては少々壊れ気味ですらある。
「きっとそれもこれもあれもどれも何もかも最終的にはうちに回ってくるですよ!!地上界の管理だけでもていっぱいだってのに、これ以上あの人達が好き勝手やった後始末の丸投げなんて冗談じゃねーのです!!いい加減切れても文句言われる筋合いねーですよ!!」
「そ、それは…」
ウィズダムの言うことはこの場にいる誰もが口にしないだけで思っていることだ。
いくら自分達の仕事がこういった雑事メインとは言え、限界も不満も文句もある。
特にウィズダムには堂々とそれを言う資格があったし、流石に今回はウィズダムでも限界を超えたかという納得もあった。
マーレットがどう言ってウィズダムを宥めるかと考えていると…。
「そうぞうしいのう。何を騒いでおる?」
微妙な空気になった室内に、新たなる人物が入ってきた。
真っ白な髪と髭を長く伸ばし、これまた白のローブを着た老人だ。
「こ、これはリュミエール様」
マーレットの言うとおり、老人の名はリュミエール…神界を収める最上級神であり、神々を収める頂点に座す神だ。
しかも現れたのはそれだけではない。
「なんだなんだ~騒動かよ?面白そうだな」
「うるさいわね、酒盛りならよそでやりなさいよ」
その後ろに続くのは黒髪黒目、鎧付きのズボンに上半身裸といういかつい男神と白髪銀目、白の簡易ドレスを着た女神のカップルだ。
「こ、これは男神・オム様に女神・ファム様…四精霊神様方まで…」
赤い瞳のトカゲ神・サラマンダ。
青い水で出来た乙女神・ウンディーネ。
黄土色の髪と目のドワーフ神・ノーム。
真っ白な髪と瞳、そして翼を持つ無性の神・シルフ。
全員が全員、上級に入る神々だ。
それが一度にやってくれば下級の神達は腰が引けるのも仕方がないだろう。
代表として、静かになった室内を見回したリュミエールが、未だに硬直しているマーレットに視線を戻した。
「これはどういうことだ?地上管理を担う重要な場で騒動などと…」
ひっくり返ったデスク…散らかった書類…自分の椅子に座ってうつむいたままのウィズダム…確かに騒動といえば騒動だろうが…。
「しかも今日はオンブル殿がこられているというのに…」
「え?」
思わず全員の視線が部屋の出入り口に集まる。
そこにいたのはリュミエールとそっくりで、しかし色が真逆の黒である老人だ。
神界のもう一方の主神、光を司るリュミエールの対、闇を司るオンブルの名を知らないものはいない。
昼と夜が夜明けと夕暮れにしか出会わないように、光と闇をそれぞれ司る二神が揃うことは非常に稀だ。
「そんな日に騒動を起こしたのは誰じゃ!?」
「えっと、それはその…」
下級神達の視線が泳ぎつつもウィズダムに集まる。
リュミエールはそれで大体の事情を察したようだ。
「お主は、ウィズダムと言ったか?一体どう言うつもり…」
「どういうつもりもへったくれもねーのですよ爺」
「な、何?」
今度はリュミエール達が狼狽える番だった。
リュミエールは神界のトップである。
この場では最も偉い立場にあるのは疑いの余地がない…そんなリュミエールに爺と返すのは対の神、オンドルでもしない。
「ジ、爺じゃと!?誰に向かって」
「あんた以外に誰がいるのですか爺」
「ま、また爺と」
ウィズダムがゆらりと椅子から立ち上がる。
うつむいたままなので、顔の半分より上が前髪で隠れたままだ。
そこに妙な凄みがあることに、頭に血の登っているリュミエールは気づかない。
他の上級神も堂々と上司批判をする下級神に興味が出たのか、黙って成り行きを見守っている。
室内にいる他の下級神達はおびえている。
おびえているのだが…怯え方が少しおかしかった。
彼らの警戒は上級神達よりもむしろ…。
「あんた方上級神が簡単に地上界に干渉したり、加護を与えたりするから、私たち地上管理課の仕事が減らねーのですよ」
神というものは全てがそうではないが、上級になるほど傲慢になる傾向がある。
力が大きいため、不可能なことがほとんどないが故に驕りが出るのだ。
神という存在のくせに、どうにも人間臭い性質ではあるが、神話を少し紐解けば似たような事例には事欠かない。
神なんて所詮そんなもんである。
万能の神なんてものは想像上にしかいないのだ。
「…その尻拭いを誰がすると思ってんですかこのアンポンタン。主神である爺がビシッと言わねーから下が好き勝手やらかすのですよ」
「こ、この小娘…それがお前たちの仕事であろうに…」
「あはは~言うな~お前」
激高して怒鳴りつけようとしたリュミエールの機先を逸らしたのは男神・オムだった。
世の中の男、雄を司る神だけあって筋骨隆々、男の魅力に溢れた神だが、ウィズダムの反応は冷たい。
「黙ってすっこんでいろですよ…種馬」
「あ?」
冷たいを通り越してブリザードだった。
当のオムだけでなく、周りも含めてどういう顔をしていいか分からずに固まる。
「許可もなく勝手に地上に降りて、美人と見れば口説き落として孕ませる神なんか種馬としか言えねーじゃねーですか?地上に残してきたあんたの神子達が起こす厄介事のフォローもうちの仕事になってるのですよ」
「ちょ、ちょっと待って、神子?…オム、あなたまた浮気してたのね!!」
男神・オムと女神・ファムは夫婦神である。
同時にオムの浮気ぐせは有名であり、地上界に降りては神子と呼ばれる子供を仕込んでくることが多々あるのだ。
この神子という存在は曲がりなりにも神の力の一端を遺伝的に受け継いでいるため、その力がバレた途端、神の子供として宗教の教祖に祭り上げられたり、国の管理下に置かれて政治の道具に利用されたりと地上界に振りまく影響がはかりしれない。
しかもオムが孕ませた責任も取らず、子供もほったらかしにするというクズ男のため、やむなく地上管理課がオムの息子や娘達が成長して死ぬまでを見守っている。
場合によっては直接干渉しなければならないケースも少なくない。
「お前、死んだぞ」
目にも止まらぬ速さでオムが飛び出していた。
嫁の目の前で浮気をばらされてカッとなったのだろう。
ばらされたくなければ浮気なんぞするなというのが正論なのだが、オムが司るのは男や雄という性別である。
属性がすべての原因ではないが、はっきり言って脳筋なのだ。
問題を力で解決しようとする一面がある。
「ちょ、オムやりすぎ!!」
ファムの言葉はオムの手に握られているものに対してだ。
いつの間にか黒く太く長くて大きい剣がオムの手に握られていた。
《オムの神剣》…男神・オムを象徴する神器であり、彼の最大の武器だ。
それを見た他の上級神は彼の短気さにやれやれと呆れつつ、ウィズダムには全く同情していなかった。
ストレスが溜まった末の発露なのだろうが、いくらなんでも口が過ぎる。
自業自得だという思いの方が強かったのだ。
「だ、ダメだ!!」
ほかの下級神達も焦った。
ただし、彼らの心配は上級神達とは方向が違っている。
「手加減してください、ウィズダム様!!」
彼らが心配したのは同じ下級神のウィズダムではなく、上級神であるオムの方だった。
懇願とオムの神剣がウィズダムに届くのはほぼ同時、凄まじい神力が風となって室内に吹き荒れる。
「「「「「「……え?」」」」」」
上級神達の全てから疑問符が発せられた。
それほどにおかしな光景がそこにはあったからだ。
オムが自慢の神剣で斬りかかった…これは見ていたからわかる。
あのひと振りには山すら断ち切るだろうという威力が込められていたのも間違いない。
神の力とはそういうものであり、同じといっても下級の神では原子まで分解されかねない威力があった…はずだ。
なのに…それだけの威力があったはずなのに何故…オムの神剣はウィズダムに止められているのだろうか?
しかも両手ですらない片手で…指ぬきグローブの甲の部分で止められていた。
「え?あれ…マジ?」
最も驚いているのはほかならぬオムだ。
激昂に駆られていたとは言え、いやむしろだからこそ威力は充分…どころか、怒りの分威力がプラスαされていたハズの一撃が簡単に止められてしまっては、神とはいえ意識の空白が出来てしまっても仕方がない。
「は?お前それ…し、《神鉄》?なんでそんなもんで俺の剣を下級神のお前が止められるんだ?」
グローブの甲に縫いつけられた金属板、自分の神剣を止めた物の正体に気づいて真っ青になったオムが、信じられない思いで疑問を口にする。
そして…ウィズダムが動いた。
驚きが抜けないオムの顔を鷲掴みをして動きを封じる。
「オム様…私もいちおーは女じゃねーですか?こんなものを向けるなんてセクハラなのですよ」
「ひっ!」
オムの口から悲鳴にも似た短い声が漏れた。
顔に当てられた手の…その指の隙間から見たのは、丸眼鏡の奥にあるウィズダムの瞳…寝不足のせいか怒りのせいか、藍色の瞳の周り、白目の部分が真っ赤だ。
それだけで下手なホラーより怖いが、それ以上に正体不明のプレッシャーがオムの背筋をなで上げる。
彼が上級神になってから初めて感じるその感情の名は…絶対強者と対峙したときに感じる戦慄だ。
「ファム様も、飼い犬の躾はちゃんとしてもらわねーと困るのですよ」
「え?あ、はい…ごめんなさい。ってちょっと人の夫を…」
「え、ちょま…いやなあーーーーーー!!」
「は?」
あっけにとられすぎて、旦那を犬扱いされたのに素直に謝ってしまったファムだが、直後に上がった悲鳴に反論の言葉を封じられる。
叫んだのはオムだ。
痛いとかそういうレベルではない。
オムの表情筋はどう見ても演技じゃない苦悶の百面相をしている。
ウィズダムはオムを掴んだまま動いていない。
しかしよく見ると、オムを掴んでいるのとは逆の手、神剣を甲の部分で受け止めていた手が裏返り、オムの神剣を掴んでいる。
まるで紙を掴むように優しく握っているようにしか見えないのに…掴んでいる部分から、オムの神剣にヒビが入っていた。
オムの剣を離す事無く、砕きに来ている。
「イヤーー!!ヤメテ止めてヤメテ止めてーーー!!ゴメ、ゴメンな…あ!!!!」
ボキリと…オムの神剣が折れた。
同時にオムは死人のように真っ青な顔になって気絶したようだ。
何故か室内にいる男神達は内股になり気絶したオム自身ではなく、へし折られたオムの神剣を絶望的な目で見ている。
「キメーのです」
「おぶ!!」
時が止まったかのような世界でウィズダムだけが動く。
掴んでいたオムの顔を離し、その体がくずれ落ちるより早く、電光石火の上段回し蹴りがオムの顔面を真横に薙いだ・
どうやら白目を向いたオムの顔が気持ち悪く、目障りだったようだ…それと、意識がなくても悲鳴というものは出るらしい。
あまりに勢いよく叩き込んだ蹴りはオムの体を壁まで弾き飛ばし、凄まじい衝撃音とともにオムを愉快な壁画にした。
「「「「「……」」」」」
誰も何も言わなかった。
正確には言葉が出てこなかったのだ。
光のトップも闇のトップも、そして四精霊神達や女神ファナまで、余りにも短時間に起きた下級神が上級神を叩きのめす光景…しかも一方的に…そんなことを平然とやらかすウィズダムは何者?っということで頭がいっぱいだった。
因みに、その他の室内にいる他の下級神達はアッチャーな顔をしている。
しかし、少なくとも驚いてはいない。
彼らは知っていたのだ…下級女神・ウィズダム…その真の実力を…。
名前 ウィズダム
種族 神
性別 女
瞳 藍色
髪 空色のポニーテール
身長 150cm
所属 神界地上管理課下級女神
属性 未覚醒
戦闘姿勢 近接格闘士
《装備品》
頭 眼鏡
体 地上管理課の制服とコート
手 神鉄を縫い込んだ指ぬきグローブ
足 神鉄を縫い込んだブーツ・ハイニーソックス
《戦闘力》
近接・S 神界格闘術免許皆伝(非公認)。
中距離・B 我流での武器使用。
遠距離・C 近場にある物を投擲する…ただし本気で投げると空気摩擦により20m程で燃え尽きる。
その他・A 回復系神術系においてのみ高い素養有り。
備考
有翼の女神のため、地上管理課の制服を大分改造してある。
ホットパンツとハイニーソックスの取り合わせは足技のため、本来の制服ではミニスカ。
魔法陣