墜ちる想い
私、Mr.OTKの処女作です。
三題噺でございまして、お題は『カビ』『双子』『紙飛行機』。季節外れではありますが、よろしければご一読下さい。
八月六日の深夜。もう日付が変わろうとする時間。ガタン、ゴトンと音を立てて走る三両の電車。誰もいない二両目の一番後ろの長椅子に、あたしは座っていた。
車窓の外は月明かりが世界を照らしている。と言っても、今あたしの目に映るものは、目的地のとある海岸だけだが。
「何やってんだろうなぁ……あたしは」
小腹が空いた時の為に持ってきたビターチョコレートを口に含みながら、あたしはここに来る理由になった出来事を思い出した。
◆◇◆◇
「私……彼と付き合うことになったの」
双子の姉からそう告げられたのは、あたしが共働きの両親に代わって夕飯のクリームパスタを作っている時だった。
料理を作るのに集中していたはずなのに、何故かスッと耳に入ったその言葉は、あたしの手元を狂わせるのには十分なものだった。
「っ! やばっ!」
ニンニクとベーコン、玉ねぎを炒める手を放置してしまい、少し焦がしてしまう。急いで生クリームを入れて火を弱め、青カビの生えたチーズ、いわゆるブルーチーズの一種であるゴルゴンゾーラを投入して、ゆっくり溶かしていく。
「……色々聞きたいけど、とりあえず座ってて。もうちょっとだから」
「うん……」
努めて平静を装ったが、内心は動揺しまくりだった。
姉は、私がアイツを好きなことを知っているはず。にも関わらず、姉がアイツと付き合い始めた?
ぐるぐると頭の中で回る疑問、懐疑、不信。
だけど、当然のことながらあたしだけでは答えは出ず、あたしはただ、目の前の料理を完成させるしかなかった。
チーズが溶け切った所で茹でてあったパスタを絡め、茹で汁を加えて塩気を調節。コショウをさっとふりかけたら完成だ。
楕円形でボウル状の皿に盛り付け、テーブルへと持っていく。フォークとスプーン、あらかじめ作っておいたサラダはすでに姉が持って行っていてくれたようで、綺麗に配膳されていた。
「いただきます」
「……いただきます」
平静を装うあたしと気まずさを隠し切れない姉。形だけの感謝を済ませて、あたしと姉は黙々と夕飯を食べ始めた。
が、姉の食べる手はなかなか進まない。何かを言いたそうにしているけど、踏ん切りがつかないようだ。
仕方ないから、あたしから話しかけることにした。
「美味しい?」
「えっ……?」
「パスタ。クセのあるブルーチーズ使ったからさ。口に合うかなって」
「え、ええ。美味しいわ。流石りっちゃんね」
姉の賞賛は、ひどく空っぽのようなものに聞こえた。
いや、あたしが勝手にそう感じただけだ。姉は本気であたしを賞賛している。
姉は……あたしと違って、そんなひねくれた性格じゃない。
「……それで、どうして姉さんがアイツと付き合うことになったの?」
「っ!」
あたしがそう言うと、途端に言葉が詰まる姉。
……ここまでお膳立てしたのに、まだ足りないか。
とりあえずパスタが冷める前にと食べ進めようとした時、ようやく姉は口を開いた。
「彼に……告白されたの」
姉の話によると、一ヶ月前の七夕の日。神社の裏で花火が上がる瞬間に告白されたらしい。
その時は振ったらしいが、先日、また告白されたようで、姉はその想いに折れてしまったらしい。
アイツも案外一途でロマンチストなんだな、なんて全く見当違いの事を思いながら、静かに姉の話を聞いていた。
「あたしさ、アイツのこと好きだって言ったよね。その時姉さん、なんとも思ってないって言ったよね。あれ、嘘だったの?」
「…………ごめんなさい」
姉のごめんなさいという言葉を聞いた時、あたしの胸に浮かんだ感情は、怒りでも、哀しみでもなく、諦観の気持ちだった。
……まぁ、正直な事を言えば、姉がアイツの事を好いていたことなんて分かってた。
あたしが姉に対してそう言ったのは、ただの牽制でしかなかったのだ。そうすれば、姉の性格からして何も行動を起こせないと思ったから。
しかしまさか、アイツが姉の事を好きだったとは……納まるべき所に納まったと、そういうことか。
「ごちそうさま。姉さん、洗い物任せるね。あたし、出かけてくる」
「出かけるって……こんな時間に?!」
「うん。一人になりたいから」
ほら、そう言うと姉は自責の念に駆られて何も言えなくなる。それをわかっていながら言うなんて……なんて嫌な女なんだろうな、あたしは。
二階の自室で防寒着と、財布やケータイの入ったウェストポーチを持って簡単な準備を済ませ、階段を下りて玄関から外に出る。
当てもなく歩くはずだったあたしは、だけどウェストポーチに入っていたあるものによって行き先を決めた。
「電車……あったかな」
◆◇◆◇
『○○。○○です。お降りの方は、お忘れ物のないよう、お願いいたします』
「ん……?」
機械的なアナウンスを聞いて気が付く。どうやら少し居眠りをしてしまったらしく、目的の駅を一つだけ乗り過ごしてしまったようだ。
プシューと勢いよく空気が抜ける音と共に開くドア。
あたしはゆったりとした歩調で電車から降り、ポケットから切符を取り出して改札に通し、駅を去る。
通り過ぎてしまった場所まで歩いて行きながら、そういえば国語の授業で夏目漱石の『こゝろ』を勉強したことを思い出した。
『私』に『お嬢さん』に対する想いを打ち明けた事で『私』に先手を打たれてしまい、『お嬢さん』に想いを告げられなかったのに、『私』を責めることもなく自殺をした『K』。
『K』に想いを打ち明けられ、『お嬢さん』を取られまいとして『K』の知らぬ間に『お嬢さん』と婚約をして、『K』が自殺した時、最初に責められなかった事に安堵した卑怯な『私』。
あたしは自分で似てるな、と思い、すぐに自分で頭を振った。
『こゝろ』と今日の出来事が似てる? あたしは『K』で、姉は『私』?
違う。あたしは『私』の心を持った『K』で、姉は『K』の心を持った『私』だ。
あたしは姉に先手を打ったにも関わらず、姉に負けてしまった。
姉の性格を利用して卑怯な手を使ったのに、あたしの隣にアイツはいない。
「……なーんて」
そんな他愛ない事を考えながら、あたしはアイツとの思い出を思い返していた。
小さい頃に一緒に遊んだこと、初めてアイツに料理を褒められたこと、アイツはわかってないだろうけど、アイツとの初めてのデートはドキドキしたものだ。
今は、その全ての思い出が……。
残った最後のビターチョコレートを宙に放り投げ、口の中で受け止める。
「…………にがっ」
ほろ苦い味がお気に入りのはずのビターチョコレートが、何故かいつもより苦く感じた。
◆◇◆◇
シャクシャクと音を鳴らしながら、潮の香りがする夜の砂浜を歩く。足元には白波が近付いて来ていた。当然、辺りには一つも人影はない。
空を見上げると、満天の星々と天の河が燦然と輝いていた。
その煌めきに魅入られたかのように、あたしは近付きたい衝動に駆られ、テトラポットに囲まれた離岸堤の一番先へと向かう。
辿り着いたその先、当然だが、あまり近付けた気はしなかった。
ふと時計を見ると、八月七日の午前一時半過ぎ。陰暦で七夕の日と考えられている日に変わっていた。
「七夕か……」
ケータイや財布を入れていたウェストポーチから、真っ白で飾り気のない一枚の便箋を取り出す。いわゆる、ラブレターというやつだ。
ハートのシールは気恥ずかしくて、代わりに貼った四つ葉のクローバーのシール。
あたしではなく、アイツが開けるはずだったその封を切る。
二つ折りにされた手紙、そこに小さく書かれた『好き』の二文字。
ひねくれて可愛げのないあたしの、精一杯の素直な二文字。
それがアイツの目に触れる事は、今後一切ないのだろう。
七夕……織姫と彦星。
一年に一度しか逢えないけど、織姫は結ばれるのかと思うと、ただの伝説なのに嫉妬してしまう。
七夕は自分の願い事を祈願もする。例えば、この手紙を短冊にすれば、アイツは私に振り向いてくれるのだろうか?
「はぁ……」
全く、こんな事を考えるなんて、我ながら未練がましい。
そんな自分を追い出すために、大きく深呼吸をする。冷たい海の空気が、あたしの気分を少しだけ落ち着けてくれた。
あたしは、あたしの想いを綴った手紙を折っていき、簡単な紙飛行機を作った。
親指、人差し指、中指の三本で先の辺りを掴み、ついっと天の河へ向けて飛ばす。
ある程度まで飛んで行った所で、それまで静かだった海風が吹きすさんだ。
強風に煽られて、よろよろと海に墜ちる紙飛行機
次の瞬間には、波に飲まれて海の藻屑と消える。
あたしはただそれを、冷めた瞳で見つめるだけ。
月から、一筋の星が流れた。