1話 僕もアイドルです!!
朝9時の電車内。
目線を上げるとこれから職場に向かうであろう人たちが、疲労が伺える顔付きで吊り革に捕まっていた。
中には自分と同い年くらいの男の姿も見える。寝不足なのか執拗に目を擦ったりなんかしている。
サラリーマンって一体どんなことをするんだろう。
…やっぱり、キーボードをカタカタするんだろうな。
カタカタするのが早いと褒められたりするんだろうか。そもそもあれってどうやってるんだ。
……まあいいか。僕には一生関係のない話だ。
電車を降りて出口に向かって歩いていると壁面広告に僕がいた。いや、正確に言うと僕たちがいた。
5人でVの字に並んでチューイングガムを片手に笑っている。一番右、一番奥の目立たない位置に僕がいる。
いつもの定位置。完璧だ。他のメンバーの存在を邪魔していない。完全に背景と同化している。
…というかよく見ると広告の文章の一部が僕の頭部を掠めている。他の4人は上手く避けてるのに僕だけちょっと隠れちゃってるぞ。こいつならまあいいかって感じでOK出しちゃったのか?
そんなことを立ち止まって考えている自分の横を人々が素通りして行く。誰も僕がこの広告の一番右の奴であることに気が付いていないようだ。
ちなみに僕は顔を隠すための眼鏡やマスク、帽子の類は常日頃から一切身に付けていない。今日も丸腰で家からここまで電車に乗って来たが誰にも気付かれることはなかった。
世の芸能人の人たちは人目を憚って牛丼屋にもろくに行けないと聞くが、全くご苦労なことだ。
僕は不人気なお陰で好きなだけネギ玉牛丼が食べられる。
「あの、すいません…」
は、話しかけられた!?
横を見ると2人組の女の子が恐る恐るといった感じで僕を見ている。
大学生くらいだろうか。よく見るとバッグにキーホルダーが付いている。それは僕の所属するグループ"CROWN"のコンサートで販売されたグッズだった。
ついに正体を見破られたのか!?
だとすると相当マズいぞ。僕が自分の広告を睨み付けているのを見られてしまった。
「【目撃情報】
CROWNの七夕くんが自分の広告をジーッと見てた。やっぱり影が薄いの気にしてるのかな?」
SNSでこんなことを呟かれた日には二度と往来を歩けなくなってしまう。大体僕は不人気なのを気にしていない。
くそっ…覚悟を決めるか…
「…なんでしょう」
「写真撮りたいので、避けて貰っていいですか?」
ん?避ける?
…あっ!これの写真が撮りたかったのか!
「どうぞ!」
「ありがとうございまーす!」
僕が端に寄ると2人はキャッキャ言いながら広告に写る僕らと写真を撮り始めた。撮った写真は自分の顔を隠してSNSに上げるのだろう。オタクの人たちの間でそういう文化があるのを何となく知っている。
どうやら彼女たちは本当に僕のことに気付かなかったようで、もう僕には目もくれずセンターの三日月とのツーショットを撮ることに夢中だった。
良かった…僕の平穏は守られた。ホッとした気持ちで僕はその場を後にした。
僕の名前は七夕和也。
大手芸能プロダクション"マジック事務所"に所属する《アイドル》だ。
だが僕はファンから声援を貰いたい訳でもなければ、人々を楽しませたい訳でもない。ましてや地位や名誉が欲しい訳でもない。
僕がアイドルをやる理由。それは…
楽をして生活費を手に入れたいから!
そのために僕は決して目立たず、グループの影に隠れて生きる。
デビューして3年。僕はこの信念を貫いて平穏な暮らしを送ってきた。
そしてこれから先もずっとこの平穏が続くと思っていた…
思っていたのにさ〜!!
アイドルのお話です。基本的にギャグ調なのでシリアスな展開にはなりません。
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