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ep.1


「どうぞ、入ってください」


 僕が住んでいるのは、四階建てのマンション。その三階にある角部屋で、間取りは2LDK。


 キッチンには色々な種類のプロテインやサプリを常備しており、リビングにはダンベルやバーベル、トレーニングマットなどの筋トレグッズがたくさんある。


 壁には資格の証明書やいくつかの賞状が飾っており、おしゃれなタンクトップを数着ほどカーテンにかけている。


 そんなジムみたい空間が僕の部屋だ。


「これが国緒さんの部屋ですか⁉ 筋トレに大事そうなものがたくさんありますね!」


 笹美さんは目を輝かせながら、部屋にある物を見ている。


 玄関で立ち話をするよりも、腰をかけて話をしたほうがいいと提案したのが、つい先ほどのこと。女性を部屋にあげるのは仕事の関係上よくあることなので、僕はあまり気にしなかった。


 僕は唐揚げが乗った大皿をキッチンに置き、笹美さんに声をかける。


「ちょっとシャワーを浴びてくるので、少し待っていてください」

「……えっ、シャワーって⁉ いきなりですかっ⁉」


 笹美さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。


「筋トレをした直後なので、汗を流したいんです」


 僕は筋肉に力を込める。血管や筋が浮き、汗が床に落ちる。

 笹美さんは頬を赤くしたまま、無言でコクリと頷いた。


「ありがとうございます。あと、バーベルやダンベルとかは触らないでくださいね」

「も、もちろん触らないですよ~……」


 笹美さんは口笛っぽい音を出しながら、チラチラと筋トレグッズを見ている。

 僕は脱いでいたタンクトップを回収し、洗面所に向かった。着替えを用意して全裸になり、風呂場に入る。


 冷たいシャワーを浴び、汗を流していく。燃え滾っていた筋肉が少しずつ落ち着いてくる。

 サウナで整っている感覚に近く、とても気持ちが良い。


 ある程度スッキリしたところで、シャワーを止めると、


「ぐにゃあああっ‼」


 笹美さんの悲鳴が聞こえてきた。


 僕は急いで風呂場から出ると、体を拭いて、タンクトップと短パンに着替える。


「大丈夫ですか⁉ 何か問題がありましたか⁉」


 リビングに行き、僕は笹美さんの姿を見て困惑した。


「……何をしているんですか?」


 笹美さんは、横から見るとヘの形をした台の上にいた。


 この台は腹筋を鍛える筋トレ器具であり、短い部分に足を置いて腹筋をすることで、下腹部の腹筋を鍛えられる。また、短い部分には足を挟めるようになっているので、反動が使えないようになっている。


 そんな台の上で、笹美さんは腹筋をしようとする姿勢で固まっていた。


「た、たすけてくだしゃい」

「もしかして、それを使って腹筋をしようとしましたか?」

「ちょっとだけ試してみようと思って……でも、まさか一回もできないとは思わなかったんです」


 笹美さんは挟んでいる足が外せないようで、ぷるぷると震えている。


 怯えた小動物のような姿に、僕は優しく告げる。


「怪我がないならよかったです。とりあえず、背中を持ち上げて腹筋をする姿勢にするので、そこで足を外してください」


 僕は笹美さんに近づき、背中を持ち上げようと手を伸ばす。


「く、くすぐったいで――きゃっ⁉」


 手が触れた瞬間、笹美さんはビクッと悶えた。お腹が丸出しになり、顔がパーカーで隠れる。


 僕は目を見開いた。


 なんだこのぷにっとしたお腹はっ⁉


 ぽっちゃりではないが、手でつまめるくらいにはお腹が柔らかそうである。

 お腹にうっすらと見える筋肉の形は非常に整っている。


 むっちりもっちりした鍛えがいのある筋肉。


 それが手の届くある範囲にある事実に、心の底から色々な欲望が湧き上がってくる。


「国緒さん、はやく助けてくださいよ~!」


 笹美さんから声をかけられ、僕はハッと正気になった。笹美さんを補助しながら、台から降りさせる。


「すみません。助けるのが遅くなりました」

「いえ、わたしがこっそり筋トレをしたのが悪いんですから」

「とりあえず、そこに座っていください」


 笹美さんを食卓の椅子に座らせて、僕は仕事部屋からノートパソコンを持ってくる。

 ノートパソコンを机に置き、手慣れた動作で起動する。


「それでは色々と話をしていきたいんですが……どうしました?」


 笹美さんが驚いたようにこちらを見ている。


「なんだか本物のトレーナーさんみたいですね」

「一応、トレーナーとして働いているので、本物ではあると思います」

「えっ、そうなんですか⁉」


 僕は筋肉を好きなことを活かし、個人パーソナルジムトレーナーとして働いている。


 学生時代にとある有名なジムでバイトをしており、そのときからのお客さんの依頼を受けている。そのときの伝手から、有名なアスリートや芸能人たちと関わったこともある。


「知っていたから、僕に筋トレを頼んだんじゃないんですか?」

「ものすごくマッチョな人だから、筋肉に詳しいと思ったんです。それに隣の壁から筋トレしてるときの声が聞こえていたので……」


 僕は呼吸を整えた。トレーナーとしてお客さんの筋肉相談を受けるときと同じように、改めて問う。


「それでは笹美さん。どうして筋トレを教えて欲しいのか聞かせてください」


 パソコンのキーボードに指を置き、笹美さんの瞳をまっすぐ見る。

 笹美さんは何度か視線をそらしつつも、ふぅと息を吐き、僕を見た。



「わたしは筋トレで漏れるえっちな声でバズりたいんですっ‼」



 僕は一語一句間違えずパソコンに文字を打ち込み、首を傾げた。

 ……どういうことだ? 

 でも、よくわからない理由でも、一つずつ紐解いていけば、理解できるのを知っている。


 トレーナーとは、筋肉と人を愛する仕事だからだ。


「なんでバズりたいんですか?」

「わたしはVtuberをしてるんですけど、あんまり人気が伸びなくて……」

「つまり、笹美さんは中の人ということですか?」

「あんまり中の人って言わないでください……っ」


 笹美さんが頬をぷくぅと膨らませながら、可愛らしく抗議してくる。


「というか、国緒さんはVtuberを知ってるんですね。よかったです」


 僕がVtuberを知っていたのは、お客さんにそういったことに詳しい人がいるからだ。ネットで活躍するバーチャルユーチューバーことVtuber。


 お客さんいわく、その業界は怒涛の勢いで発展しているらしい。

 僕が一言謝罪を入れると、笹美さんは話を続けた。


「事務所には所属してるんですけど、数年前にできたばかりで、あんまりサポートが無いんです」

「金欠でピンチだと?」

「それもそうなんですけど、誰にも知られないVtuberとして終わりたくなくて……」


 笹美さんは立ち上がり、演説するように語った。


「このままではダメだと思っていたころ、隣から声が聞こえてきたんです」

「僕が筋トレをしているときの声ですね」

「それで閃いたんです! 筋トレのときに漏れるえっちな声を配信すれば、バズるんじゃないかって!」


 笹美さんが瞳を輝かせながら、僕の顔を覗き込むように近づいてくる。


「ネットにも筋肉界隈というのがありますし、センシティブボイスでバズっている大手企業のVtuberもたくさんいます!」

「だから、筋トレを教えてほしんですね」

「その通りですっ! どうか、お願いします‼」


 笹美さんが机に手をつき、勢いよく頭を下げる。

 肩が少し震えており、声色から覚悟と緊張が伝わってくる。


 それを見て、僕は静かにノートパソコンを閉じた。


 筋肉のことを考えていない筋トレには不満がある。それは本音だ。


 ダイエットをしたくて筋肉を鍛えて代謝を上げたり、アスリートとして能力を向上させたいから柔軟な筋肉を仕上げたり、筋トレには筋肉に関連した様々な理由がある。


 えっちな声でバズりたい。


 その先に筋肉が関連する可能性が低いだろう。

 ただの商売道具として筋トレをするのは、筋肉に対する冒涜であると思う。


「笹美さん、顔をあげてください」


 でも、笹美さんには筋トレの才能がある。

 どんな理由であっても、筋トレを志すものは皆、筋トレの才能がある。


 笹美さんはゆっくりと顔を上げた。

 不安と緊張が入り混じっているようで、顔の筋肉が強張っている。


「今日から、僕は笹美さんのトレーナーです」


 というか、あの笹美さんのお腹を見てから、僕の気持ちは決まっている。


「一緒に筋トレをしましょう!」


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