表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/15

ep.0

 

 僕は筋肉が好きだ。

 とくにむっちりもっちりとした鍛えがいのある筋肉が大好きだ。


 筋肉は朝から鍛えるといいとされている。だから、僕は朝から鍛えている。


 自宅であるマンションの一室。

 リビングにある全身鏡の前に立ち、マットの上で筋トレの準備を行う。


 30キロのダンベルを片手ずつ持ち、ゆっくりとした動作で肘を曲げる。

 肘を曲げ終えると、再び肘を伸ばす。それを何度も繰り返す。


 アームカール。上腕二頭筋を鍛える筋トレで力こぶがもっこりするのに大事だ。


「ふっ……ふっん……」


 丸太のように太い腕に血管や筋が浮きでる。


「うっ……」


 一〇回くらいを超えてから、腕に力が入らなくなってきた。筋肉からも悲鳴が聞こえてくる。


 もう終わりにしてくれぇぇええ‼ はやく楽にしてくれぇぇええ‼


 そうなると、僕はもう止められない。


「はぁっ……はぁっ……」


 呼吸が乱れ、全身から汗が滝のように流れる。汗が滴り、雨粒のように床に落ちていく。

 僕が興奮しているのを感じたのか、筋肉はより一層悲鳴をあげた。


 筋トレとは、限界を超えてからがホントの筋トレである。それまではただの準備運動だ。


「や、べ……」


 力が尽き果てるまで。意識が飛ぶギリギリまで。そして体を壊さないくらいで。


「……っ」


 腕が動かなくなった。ダンベルを持つ手の感覚が薄っすらと無くなっていく。

 僕は最後の力を振り絞り、根性と気力と筋力で肘をぐっと曲げた。


「……~っしゃあ‼」


 みなぎってくる達成感。そして同時に押し寄せてくる脱力感。


 僕はダンベルをそっと床に置き、全身鏡を見る。


 汗で濡れている銀髪。親譲りの褐色肌。爽やかな笑顔。

 23歳にして10代の学生に間違えられるほどの若々しさがあり、キリッとした眉が清潔感を醸しだしている……。いや、違う。そこはどうでもいい。それよりも筋肉だ。


 僕は汗で濡れたタンクトップを脱ぎ、上裸になる。


 はきちれんばかりの大胸筋。

 チョコレートみたいに割れた腹筋。

 お腹まわりよりも大きい大腿四頭筋。


 筋肉量はもちろんながら、上半身と下半身の筋肉のバランスも完璧である。


「……また筋肉に夢中になってしまった……このままじゃパンプが冷めてしまう」


 僕は台所にそそくさと移動し、シェイカーにプロテインの粉と水を入れた。

 何度か振って混ぜた後、シェイカーに口をつける。


 本日のプロテインはチョコ味だ。他にもバナナやヨーグルト、バニラなど色々な味がある。味を変えて飽きないようにするのも、筋肉にとって大事なことだ。


 一口飲むと、乾いていた喉が潤った。

 チョコの風味が鼻をくすぐり、プロテイン特有の独特な味が口にひろがっていく、


「くぅ~……‼」


 全身に染み渡る多幸感。

 筋肉も喜んでいるようで、ぴくぴくと動いている。もう一口飲もうとしたところで、


 ――ピンポーン、と遮るようにインターホンが鳴った。


「もしかして頼んでいた新作のプロテインが届いたのか?」


 僕はプロテインを一気に飲み干して、玄関に向かう。玄関に近づくにつれ、全身の筋肉がビクビクと痙攣しだす。僕は少しだけ警戒心を持って、ドアノブを握った。


 扉を開ける。


「すみません、お待たせしました~……ん?」


 そこには唐揚げがあった。


 大皿からあふれるほどの山盛りの唐揚げ。それを持った少女が立っている。

 少女はもぐもぐと唐揚げを頬張っているらしく、扉が開いたのに気づいて、ごくりと飲み込んだ。少女がペコリと頭を下げる。


「あ、朝からごめんなさい! それとおはようございます!」


 耳がとろけるような甘美な声。

 聞き心地がよく、耳から心にじっくりと染みてくる。


「お、おはようございます……」


 僕がとりあえず挨拶を返すと、少女は顔を上げ嬉しそうに微笑んだ。そして、僕が上裸なのに気づいて、頬を赤く染める。


「あ、あの……どうして服を着てないんですか?」

「鍛えていたからですね。海では水着になるのと一緒です」


 少女は戸惑いながらも、ふむふむとどこか納得したように頷いた。


 10代前後であろう可愛らしい少女。

 腰丈まで伸びた艶のある黒髪。

 もちっとした色白の肌。

 ふにゃっとした幼い顔立ち。


 小さな体つきながら胸はとても大きく、太ももはむっちりしている。

 服装はラフな恰好で、だぼっとした猫耳パーカーとぴっちりとしたデニムのショートパンツ。


 少女は緊張したようすで、山盛りの唐揚げが乗った大皿を渡してきた。


「こ、これはおすそわけですぅ! ぜひ、食べてください!」

「ありがどうございます」


 僕は渡されるがままに大皿を受け取り、絶句する。

 唐揚げにたっぷりのマヨネーズがかかっている⁉


 間近で見るまで分からなかったが、唐揚げと唐揚げの間にマヨネーズが緩衝材のように入っている。

 唐揚げだけでも高カロリーなのに、それにマヨネーズを追加するなんて、油の暴力だ。憎き敵である脂肪が歓喜し、愛しの筋肉が嘆き悲しむ。


 僕が唐揚げとにらめっこしていると、少女がおどおどしながら聞いてくる。


「あの大丈夫ですか? もしかして、唐揚げが苦手だったりしますか……?」


 不安げなようすを感じとったので、僕はニコリと笑って感謝を伝えた。


「いえ、唐揚げは好きですよ。(チートデイの日に)ありがたくいただきますね」

「よかったです! 筋肉には鶏肉がいいって調べて、頑張ってつくったんです!」


 少女は自慢げに胸を張る。パーカーの上からでも分かるくらい、大きな胸がたゆんと揺れた。

 僕は苦笑を浮かべ、ふと、少女に見覚えがあることに気づいた。


 何度かマンションの廊下ですれ違ったり、エレベーターで一緒になったりしたことがある。

 そのときの少女はスマホを見ていたり、本を読んでいたりするので、会話を交わしたことは無かった。


「たしか隣に住んでいる方ですよね?」

「そうです。お隣の海柱笹美(かいばしらささみ)です!」


 笹美さんは興奮したように話を続ける。


「おにいさんって筋トレをしていますよねっ?」

「僕は鳥宗国緒(とりむねくにお)です。それと筋トレについてですが……もしかして、うるさかったですか?」


 僕は恐る恐る尋ねる。

 実家で筋トレをしていたときも、両親から苦情があった。トレーニングのときに漏れる声や、器具を使うときの物音がうるさかったようだ。


 それにこのマンションは壁が薄い。上下は問題ないが、隣の笹美さんの部屋からも声が聞こえてくる。楽しそうに笑う声や、馴染みのある曲を元気よく歌っている。


 日常生活に支障はないので、気にしていなかったが、笹美さんはそうじゃなかったかもしれない。


「そ、そうじゃないです」


 笹美さんは首をぶんぶんと横に振る。


「たしかに色々と声は聞こえてきますけど、うるさくはなかったです」

「でしたら、僕に何のようですか?」


 笹美さんはごくりと喉を鳴らした。

 何度か深呼吸をすると、覚悟を決めたような表情になった。


「わたしに筋トレを教えてくだしゃいっ‼」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
相当壁が薄いのかな? 吐息やらつぶやきが聞こえてしまうほど壁に耳を当ててたのかな?(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ