暴挙
翌日、吹雪が晴れた。
ヒョウが敵陣の様子に違和感をおぼえたのは、その直後のことだった。
我が方に対陣する五千の兵は、吹雪の時と何ら変わった様子もなく整列している……いささか変わらなすぎではないか? 吹雪の間は気づかなかったが、あまりに微動だにしない。生気のようなものが、まるで感じ取れないのだ。
いぶかしく思ったヒョウは遠目の利く部下を呼び、風の国の陣をつぶさに観察させた。部下は、すぐに驚愕のさけびをあげることとなった。
「い、今向こうに並んでいる者たちは、人間ではありません」
「何?」
「雪です……雪で作った人形たちが、敵軍の鎧や兜をつけているだけのものなのです!」
擬兵の計――敵軍だと思っていた影たちは、雪の人形に過ぎなかった。おそらく吹雪で視界が遮られていた隙に、入れ替わったものだろう。まんまといっぱい喰わされた!
風の国の軍勢は、氷壁を前に立ち往生などしていなかったのだ。今頃は別の地点へと移動しているに違いない。だが、どこへ?
擬兵を置き土産に、おめおめと退却しただけだろうか。それとも……
ヒョウは胸騒ぎに囚われた。その焦燥を裏打ちするように、時を置かず凶報が飛びこんできた。
「ヒョウ将軍、風の国の旌旗をかかげた騎馬の軍勢が、この砦めがけて進撃してきます!」
「馬鹿を言え、砦の正面に風の国の軍などおらんぞ。あれらは雪人形にすぎんわ!」
「い、いえ、正面からではありません。砦の西――わが国の領土内から敵軍が攻めてくるのです、後方補給拠点を掠取しながら!」
「なっ……」
衝撃でヒョウの舌は凍りついた。
氷壁の正面から姿を消したナギの軍が、砦の後方へ周りこんだというのか? だがそんなことはあり得ない。砦の北には広大な内海が、南には峻厳な山肌が、それぞれ立ちふさがっているのだ。
風の国の軍勢はつい二日前まで、たしかに氷壁へと躍起になって攻撃を仕掛けていた。その軍が今日までのわずかな期間にこの砦を避けて雪の国の領内へ侵入を果たすなど、どう考えても不可能だ。
「物見の兵が先頭を駆ける新王ナギの姿を確認しております、どうやら確報です」
「あり得ん、一体ナギの軍勢がどうやってこの砦の後方へ出たというのか!? しかも騎馬まで連れて」
「申し上げにくいことながら……おそらく北側から周りこんだのでしょう」
「卿は正気か!? 砦の北には内海が広がっているのだぞ。ナギの軍が舟を引きずって陸路を進軍してきた、などという報告は聞いておらんわ! いや、今は冬だ、水面には流氷が漂っているはず。例え舟があったとて渡れるはずが……」
「……凍っているのです」
「何だと?」
「流氷どころではない、現下の史上まれにみる厳寒のせいで、内海の水は完全に凍りついてしまったのですよ。まるで巨大な鏡のようにね! 敵軍はその上を、騎馬で悠々と駆け渡ってきたのです。哨戒に出た兵が、内海の上を走る騎馬の大軍を遠目に確認したとまで言ってます、まず間違いありませんよ!」
騎馬で渡ってきた、だと? 凍った水面の上を?
確かに先入観はあった。内海が広がっている以上、北からの侵入は不可能だと決めつけていた。だからそちらの方面は、ほとんど警戒してもいなかったのだ。
水面が完全に凍りついてしまうといった可能性も考慮の外だった、この寒さならあり得ることだろうに。
だがそれにしても、凍った水面の上を騎馬の大軍で渡ることなど、本当に可能だろうか? 馬蹄の衝撃で氷面が割れでもしたら、全軍まとめて水没してしまうではないか。運よく溺死を免れた者もまず凍死は避けられない、全滅は必至だ。賭けにしてもあまりに危険が大きすぎる、暴挙とさえ言っていい!
「俺には戦の神がついているのさ」
ふいに幼年学校時代のナギの勝ち誇った顔が、脳裏によみがえってきた。
あの放言は、まさか真実だとでもいうのか。奴には本当に戦の神がついているのか。だから凍りついた内海を渡るなどという、狂気じみた策を平然と実行できるのか。そして成功させてしまうのか。
それでは人の身では、永遠に奴には敵わないのか……
「ヒョウ将軍!」
半ば自失していたヒョウは、部下に大声で呼ばれ我に返った。
「いずれにせよ、敵がこの砦の後方に出現したのは事実。我らも迎撃に出陣せねばなりませんぞ!」
当然だが、砦の後方にまで氷の城壁は造っていない。それどころか敵国に面した前方よりも自国領側にある後方の守備の方がはるかに薄いのは、砦という建造物の宿命である。
後方から迫ってくる敵を相手に籠城しても、とても勝ち目はないだろう。まして敵はわが軍の補給拠点を次々襲っているという、これを座視しては援軍が到着する前にこちらが飢えてしまう。
砦の全軍を挙げて出陣し、野戦を挑む。そこに活路を見出すしかなかった。もっとも敵兵五千に対し、こちらは砦内すべての兵をかき集めても二千しかいない。やはり不利な戦いになることは否めないが。
「全軍、出撃する!」
ヒョウは号令を発した。声は大きかったが、眼は虚ろだった。
心のどこかで、彼は認めてしまっていた。自軍の勝機が、もはや失われてしまったことを。
おのれの敗北を……
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