其の三
いくら私が力説しても、昨今では牡丹灯籠の全貌を知る手段は非常に限られておりますので「牡丹灯籠」というタイトルがいかに妙であるか、
伝わらないのだと思います。
なので私が、現代落語の天才、立川志の輔師匠(著名な噺家を話に出すときには『師匠』とつけるのが以下同文……)が、
毎年東京の劇場で語っていた三遊亭圓朝作、牡丹灯籠の内容を、なるべく正確に回想してここに記そうと思います。
7年近く連続で見てますので、大体はあってる自信はあるのですが細かな間違いはあるやもしれません。ご勘弁いただきたくおももいます。
なるべく簡潔にわかりやすく書くつもりではありますが、なにぶん! スケールがデカすぎる内容なので長くもなりますし、ややこしくもなるやもしれません!
「スターウォーズの内容を50字以内で書け」と言われたら「色々あった。」としか書けないのと一緒です!
ご勘弁を……。
注意書きとして、私がわざわざ三遊亭圓朝作の物語を回想してここに記すのは、今では正式な「牡丹灯籠」を見る術がほとんどなく、
この素晴らしい物語を広めたいからであると共に、この壮大な物語の中から「何処に牡丹灯籠が出てきた!?」と言う異質さを強調したいためです。
以下の物語のあらすじ部分に私は一歳関与しておりません。御了承下さい。
「黒川孝介」と言う少年がおります。
父親の「黒川考蔵」はお侍なのですが、大変酒癖の悪かった父親でございまして、孝介の母親である「おりえ」に、今で言うところのドメスティックバイオレンスを振るうようになります。
見かねた「おりえ」の兄は、こんな男を婿とは認めん、と、長男の権限でもって「おりえ」を故郷に連れ帰ってしまいます。
孝介この時4歳。母を失いました。
父、考蔵は酒癖を改めるどころか、ますます深酒にはまるようになり、昼間から千鳥足で街を歩くようになりますと、
藤村屋新兵衛(紛らわしいのですが、人名ではなくお店の名前です。)と言う刀屋の外で、主人を待っている従者とぶつかってしまい、どちらが先にぶつかっただの口論を始めます。
時を同じくして藤村屋新兵衛では、「飯島平左衛門」と言う立派なお侍さんが、刀を見ています。
そして「菊正宗」と言う一振りを気に入り、購入を考えているところに、何やら外が騒がしいことに気付きます。
自分の従者と、酔っ払いが揉めているようでした。
平左衛門は慌てて刀を携えたまま、考蔵をなだめますが、頭に血の昇った考蔵は刀の柄に手をかけてしまいます。
「これはいけない!」と平左衛門は菊正宗を抜き、峰打ちのつもりで斬りました・・・が、辺りは血の海。どうやら間違いがあり、峰打ちではなかったようです。
真昼間のことでしたが、当時の町民たちは「酔っ払いが勝手に因縁をふっかけて、勝手に斬られた。ざまあw」と思ったそうで、平左衛門にはお咎めがなかったそうです。
それでも、息子の孝介は天涯孤独の身となりました。
そしてこの日を境に、孝介の生きる目的は「父の仇討ち」となりました。
孝介は剣術の技を磨くべく、「新陰流」の門を叩くことになります。
それから幾年か経ったとある夜の、飯島平左衛門のお屋敷でのことでございます。平左衛門の側室(奥様の一人)である「お国」と、「宮野辺源次郎」と言う家来の一人が密会をしております。
この二人は不倫関係にあり、お国は源次郎を担ぎあげて正室の座に着くことを画策してます。
源次郎の特技は釣りであり、平左衛門から釣りに誘われたと言う旨をお国に話しています。それを聞いたお国は、平左衛門が泳げないことを思い出します。
船頭と平左衛門、源次郎しかいない、湖の真ん中。そこで平左衛門を湖に落として、船頭も手打ちにしてしまえ。と源次郎に告げ口をします。
ふと、襖の向こうに人間の気配を感じ、「何奴!?」と源次郎の声が響きます。
源次郎が襖を開けた向こうには、飯島平左衛門の元で剣術を学び、彼の草履もちと言う役目を担っていた黒川孝介の姿がございました。
話を聞いていたか、孝介は問い詰められ、「聞いてない」とシラをきる孝介ですが、勿論聞いておりましたし、この二人も聞かれたと思いました。
この3人の間で、陰での対立関係がここで生まれてしまうのでした。
一方で、「相川新伍兵衛」と言うお侍さんは、娘の「お徳」の様子が最近おかしいことが気になります。
やがてそれは、恋煩いの所為であると言うことが判明します。新伍兵衛は、お徳から詳しい話を聞くことにしました。
お徳の恋の相手は、飯島家で草履もちとして働いている孝介でした。「草履もち」と言う身分に引っかかるところのある新五兵衛でしたが、
「お徳が見染めた男なら」と言うことで飯島平左衛門のところに縁組の話をしに行きます。
平左衛門は、「それは良き話である」と、二人で勝手に縁組の話を決めてしまいます。
勝手に結婚の話を決められ驚く孝介でしたが、平左衛門にはちゃんと考えがあってのことでした。
このまま草履もちとして飯島家に仕えていても、孝介は侍にはなれない。しかし、相川家の養子として婿入りすれば、侍としての道が見えてくるとのことでした。
そこまで自分のことを考えてくれるのか。と、孝介は感動し、何がなんでも源次郎、お国から平左衛門を守らなければと言う気持ちを強くするのでありました。