スケッチブックの「Claude Debussy」
「I wanna thank....」
くだらない。人が人を評価できるはずがない。ラヴェルやベートーヴェンを聞きかじったぐらいで音楽を全部分かったかのように振る舞う醜悪さに辟易する。
黒いピアノに反射する、俺の醒めた顔と俺以外のスタジオミュージシャン達のへらへらと媚びへつらう顔。
「次、ピアノに代えてシンセサイザーで試させて」「あ、はい」
俺は手っ取り早く金になるから弾いてやるだけで、この音色に意味はない。単なる棒弾きをありがたく思う凡弱のお山の大将が。
黙ってピアノから立ち上がって帰ろうとすれば「あ、ピアノさん30分、休憩どうぞ。次は0時に再スタートでーす」。
ああ?ここから更に30分で何が変わる?
今夜、俺を付き合わせるだけの価値ある修正がお前にできるのか?
この国の人間は外国人に弱い。金髪碧眼だったらなんでも有難がってスターにしてしまう。
大衆は本当に聴く耳がない。演奏を聴く実力すらおぼつかないから、俺たちはこいつらに「黄色いサル」と呼ばれるんだ。
苛々する。椅子にあったジャケットを引っ掛けて、喫煙しに屋上に向かう。
ずっと学んできた現代音楽の聴衆は日本に数百人もいない。俺が求めるのは名声。俺の音楽で世界を変えたい。ポップミュージックがいけ好かないわけじゃない。だが、ただ受け狙いの音楽を弾き、金で俺の音楽を消費させられるのは俺の生き方としてふさわしいのか。
「・・っ」
静電気が走る。ひるんだ指先をもう一度、ゆっくりとドアノブに押し当てる。
そのまま冷え切ったドアノブを回して外へでた。
そのまま深く息を吸い込めば、冷たい空気が体に流れ込む。
垂直方向に離れた街中のノイズが、世界それ自体の音に溶け込んで五感を彩っている。
この世界は音に満ちている。
この様々な音に主旋律という指向性を与え、その振る舞いを五線譜に落とし込めば「音楽」になる。
そう、世界は「音楽」で満ちている。
その漂う音を、水を掬うように限られた時間という譜割で音に区切りを入れ、音階を付けて聞き手の心が望む形に留めることを、この世界では「作曲」と呼んでいるに過ぎない。
なんとはなしに、手すりに寄りかかり、箱から煙草を一本取りだす。
電子タバコにはない熱が凍てつく空気を溶かし、ジジジと音をあげる。
電子タバコは好きじゃない。
如何にも人が人の五感を騙すために作り上げた代物な感じが好ましいとは思えないから。
時間という一方向の流れに合わせて、いくつかキーとなるタイミングで肝となる音を合わせる。
それは複雑な和音を取る時もあれば、楽器ごとに異なる音階を作り上げることもある。