hibari
【十六夜の夢】
その男はしきりに左手の人差し指の第二関節で唇を撫でていた。何か話をしたいような、品定めをするように一点を見つめている。
だが、その服は乱れ、喉仏が見える。頬に乗ったチークに合わせるように目元が染まる。
「19990914
音楽とは、終わってしまう、ということだ。時間は過ぎていく、ということだ。人生には終わりがある、ということだ。過ぎた時間は戻ってこない、ということだ。人生にはとりかえしのつかないことが起こる、ということだ。音楽は時間の芸術といわれる。美しい時は一瞬にして過ぎていく。」※
男の右手は、薬指が人差し指より長く、手のひらと指の長さは同じくらいでややほっそりとしており、節がなかった。
少し薬指が外側に反った左手も、右手を補完するよう、あるいは、こちらが主役だと主張するかのように、力強く、そしてまた撫でるように、象牙色の表面を滑っていく。
左手で鍵盤蓋に無造作に置かれた譜面を丁寧に捲り、だが、またその左手も13度離れた黒鍵を押さえにかかる。
白髪混じりの少しウェーブがかった髪を揺らしてステージの上でピアノと睦合う男の肌は、ねっとりと微かな汗に濡れていた。
男の日記に綴られた言葉のように、この美しい時間は瞬く間に過ぎていくのだろう。音楽とは色彩とリズムを持つ時間とから出来ている。
派手な衣装に包まれた男はひどく脆いものを扱うように静かにピアノに触れ、敬虔なる祈りのように頭を下げる。絡み合うように、世界に落とされた音は、しかし、聞こえない。
音のない世界。僕は小さな手鏡に映し出される男の様子をまじまじと見つめていたが、ふと、地下鉄工事の槌の音にラジオが混ざっていることに気がついた。
『・・・of the people, by the people, for the people』
地下鉄の工事現場で手鏡を持つ僕の手とピアノを撫でる男の血管が浮いた手が重なり、リズミカルにツルハシを振り下ろせば、土埃の化粧が左腕に施された。




