弔辞
こんにちは。こんな風にあなたに問いかける日がくるとは、思いもよりませんでした。
4月2日、あの日。あなたが実は旅立っていたとの、信じられない一報に接しました。2回にわたる闘病生活の中で、今回もほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
ハイゼンベルクの不確定性原理を証明するように、その一報を聞く日まで、あなたがまた、元気になってピアノを鳴らすことを、私は疑っていませんでした。
あなたが旅立ったというその第一報は、私が仕事のためにマル秘なビデオをこっそりと見ていたときに飛び込んできました。
携帯のバイブが鳴り止まず、仕方なく手を伸ばした電話からの、その連絡を信じられず、慌ててネットニュースを読めば、あなたは5日も前の明け方には、もう旅立ったとあり、ただ呆然とするだけでした。
暗い仕事部屋を出て、足元がおぼつかないまま、テラスに出て、太陽を仰ぎ、思い返しても、3月28日の明け方は爆睡しており、全く思い出せませんでしたが、普段、睡眠が浅いのによく眠れたのは、きっと夢の中であなたにお別れをしたのだと、勝手に思っています。
この明け方というものは不思議なもので、夢現の時は、見慣れた古女房も別嬪に見えるいい時間です。さぞかし素敵なパートナーに見送られて夢の先へ旅立ったことでしょう。
思えば、私があなたに初めて会ったのはテレビ局の楽屋でした。あなたは覚えていないでしょうが、当時はあなたの弁当と自分の昼飯の落差に共産主義社会の到来を願ったものです。
その頃からすでに世界的な音楽家としての片鱗はあったのでしょう。バライティでは、台本通りとはいえ、躊躇なく人が乗っているクッションを全力で蹴り飛ばし、楽屋では毎回違うおねいちゃんをナンパし、夜毎街に繰り出すエネルギーは羨ましい限りでした。
そんなあなたは、並外れたバイタリティと才能で世界的に認められるにつれて、日本を離れ、いつのまにかアメリカでの生活が長くなり、最近は私もあなたに会うのは、数年に一度と疎遠になっていました。
しかし、あなたとの思い出は尽きることがありません。特に若かりし頃、一緒に映画に出て、あなたは映画音楽を、私は映画という映像美に魅せられた小さな島での日々は、私にとっても、あなたにも、掛け替えのないものだったと信じております。
あなたは本当にモテました。あの撮影中、突然の雨で近くの野戦病院のセットに逃げ込んだあなたが背中を扉に預けた、その時。
「ギャッ!」と叫び声が聞こえたと思ったら、あなたの左腕にトカゲがしがみついていました。流石、世界的音楽家はトカゲにもモテると驚いたものです。
あの降り止まない明るい雨の中、自分から売り込むからにはさぞかし美人なトカゲなんだろうと、なんとか引き剥がしたトカゲがオスだった時のあなたの顔は私から見てもいい男でした。
私は、あなたが旅立ったことを、まだ信じられません。あの画面の中では、あなたはいつまでもあなたのままです。
私の記憶の中のあなたもまだ元気で、また、ひょっこり、あの夜のバーでピアノを弾いていたように、今夜も気が付かないうちにピアノの前に座っていて、即興ジャズでも弾いた後、私に「どうよ?」と飄々と、どや顔で聞いてくる。そんな気がします。
今、こうして、あなたが生前に決めた音楽の中にいると、私は「あなた」という映画の中で「おいら」を演じており、私が作ったこの言葉も、まるで予め定められたセリフであるかのように、音楽によって、彩られていると感じています。
私は、音楽家であるあなたとクリエイティブな仕事をしなかった。それは、あなたが嫌いだとか、守銭奴だから苦手なのではなく、あなたが好きだったからです。
私があなたに引っ張られてしまうから、私はあなたと仕事をしなかった。あなたの音楽は、私が表現したい「鮮やかな青色」をあなたの「モノクローム」に静かに沈めてしまうのです。
今思えば、一曲ぐらい、あなたに頼んでデュエットでもすればよかった。そうすれば、今、ここで歌って、あなたが続きを歌ってくれるのを待つことができたのに、本当に残念でなりません。
私ももうすぐ、と言いたいところですが、せっかくなので、こっちで遊び尽くしてから、そっちに行きたいと思います。
あなたが音楽を作れなかったことを悔しがるような「映像」を作り出そう、そんな悔しさと悲しさで今はいっぱいです。
どうか、もう少し待っていてください。
待てなかったら、先に行ったと書き置きを残しておいてくれたら嬉しいです。
それじゃ、また。
2030年6月21日
「塗装屋の息子」




