幸福のねずみ
T『8年前』
◯イギリス・ロンドン・夕方、トワイライト
2016年8月、テレビからバイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環、最終章」が流れ始める夕暮れ時、溜まり場となっている「ケンタッキー」で2人の若者が話をしている。2人は互いに大学卒業まであと1ヶ月のモラトリアムを満喫している。
ボブ(23)「お前さ、フェアウェルパーティの相手は決めた?」
俺(21)「あ?まだ」
ソファ席に座り、俺はタバコを口に咥え、テーブルにあったライターで火をつけ、ゆっくりと美味そうに吸って吐く。
遠くから「1€、1€」と言いながら紙コップで各テーブルを叩いてホームレスが近づいてくる。
ボブ、見向きもせず手を振る。
俺、ホームレスと目が合う。
ホームレス「(ギラついた目で、力強く)1€」
俺 何も言わず、手を振る。
ホームレス 盛大に舌打ちして去る。
ボブ「(蔑さんだ目でホームレスを一瞥し)社会のゴミが」
俺「(どこか呆然と言葉がでないで)昨日さ、日本語になっていた禁書を読んだんだ」
ボブ「へー。日本語の禁書?(ニヤニヤと)」
俺「Mein Kampf、我が闘争」
ボブ「(興味を無くしたように)ああ、あれ日本語なら読めるんだ?」
俺「ああ。その中にさ「空腹は理性をなくさせ、先のことを考える余裕を奪う」ってあった」
俺N「この独裁者によれば、経済的貧困は本人の咎なくして起こり、人から尊厳を奪い取るという。最終的にあってはならない結果を出したが、当時の人々はこの独裁者を選ぶほど、他の国々に尊厳を奪い取られてしまった」
ボブ「(肩を竦めて)確かに周りは捨てるほど食べているのに、自分だけ腹が減っていたら、殺したくなる程恨むだろう」
遠ざかっていく「1€」の声が響いている。




