沼男
「韻が踏めていないだが」
「そうなんだ、此処からどうしようか迷っている」
『去者日以疎
感時月濺淚
志在駿馬如
来歩万里道
此壯心不已
飛烏相与帰
望窮千里目
欲歸道無因』
「何ついて詠んだのか聞いても?」
「そりゃあ、君と私との関係だよ、君」
「まあ、そうとも読めるかも、知れないし、そうじゃないとも、読める」
「いやいや、別れた日から遠ざかれば、人は疎遠になるだろ、月を見て、時には涙する」
「志は駿馬の如く、遥か遠くまで歩いてきた」
「この心は、それでも変わらない」
「カラスが相与り飛んで帰るように」
「君と僕との千里の彼方を見極めようと望む」
「そして、帰り道がわからない」。
「わざわざ、日本からここ、ハイデルベルクまで来て、これを詠む理由が僕にはわからない」
「私もどうやったら君を説得出来るか、わからない。まあ、ここは哲学者の道だから、我々の帰り道を探している五言律詩と解すればいい」
「説得しない、という考え方もある」
「いやいや、漸く、此処まで来たんだ。手ぶらで帰るつもりはない」。
「別に、僕はランニングをしているし、貴方は観光に来た。ほら、ここからは、城とネッカー川に架かるアルテ・ブリュッケを、共に見渡すことができる。貴方もあの橋の中央にある選帝侯像と写真でも撮ったらいい」
「そんな勿体ないことで時間を潰したら、橋の袂にいる猿に笑われてしまうよ。妹の彼氏といういわば家族を放っておいて、皆と同じ事をしていると、ね」
「あの猿像の話は、他のみんなもやっているのに私だけなんで追放なのさって話なんじゃなかったかな」。
「さて、我々はいよいよカフェに入ることができた訳だが、それにしても、この国はまだ寒いな」
「なら、ここの1€のコーヒーを買って、ICEに乗って、フランクフルトに着く頃には丁度暖かくなっていると思うのだけど」
「いやいや、こう見えて食が細くてね。列車の中では食べないんだ。どれ、お姉さん、私には一杯の白ワインに、シュパーゲルと茹で卵の一皿を」
「コーヒーとチョコレートトルテを僕に」。
「其れにしても、君は変わらず、こうして、また逢えた事に乾杯」
「これから会えなくなる旧知に乾杯」
「どうして、そうもつれないことか。私は確かに周りに踊らされ、君を妹に相応しくないとした。そして絶望した妹は自ら命を絶った。人生は一局の将棋なり、指し直す能わずとはいえ、私は君と妹との約束は必ず守りたい。人が約束を守らないようでは、既に社会は成り立っていない」
「それはあなたの考えであって、僕の考えではない。きっと、遠くから見れば、あなたは偉大な大人で、近くでみたらこうした凡人なのだろう」
「折角の白ワインが涙で濁り酒にならないように、どうか、私に約束を守らせて欲しい。妹の愛したその、クラリネットの音色を、守らせておくれ」。




