たまこたまこ
『急に生理来た。やばい。休み時間なったら助けて』という、赤阪珠子からのメッセージを授業中にスマホで受信する。しかし俺は高一の男子に過ぎなくて、生理の知識なんて皆無だった。生理って単語を見聞きするだけでもドギマギしてしまう。
そうはいっても俺は珠子の彼氏だから彼女のことは全力で助ける努力をしなければならない。そもそも生理がなんなのかよくわからないので、俺は授業中にスマホで検索して生理について学ぶ……つもりでいたが、けっこう複雑そうなので断念する。なんか、いつかの保健体育でさわりだけ習った気もするけれど、気恥ずかしさもあって熱心に聞いていなかったので少しも覚えがない。とりあえず唐突に生理が来た場合どうすればいいのかを取り急ぎ調べて珠子に返信しようとする……が、うん? 先程のメッセージが削除されており、代わりに『送信ミス。気にせんといて』という新しいメッセージが来ている。それでも俺は『ナプキンつけねや』という覚えたての対策法を意気揚々と送信するも既読スルーされる。あ、あれ? ダメですか?
授業が終わり休み時間が始まったので、俺は急いで珠子のいる一年五組の教室へ向かう。すると既に珠子の友人達が集まっており、珠子は体操着のジャージを穿かされて保健室だかトイレだか、どこだかわからないけれど、とにかくどこかへ連れていかれようとしている最中だった。珠子の友人の一人が使用済みタオルをレジ袋に丸めて入れていたが、それが血塗れでびっくりしてしまう。
俺は焦りつつ珠子に駆け寄る。「おい、大丈夫か?」
珠子は青い顔で苦笑している。「大丈夫や。ただの生理やから」
「ただのって、メッチャ血ぃ出とるやん」
「生理やから血は出るよ。恥ずかしいさけ大声出さんといてや……」
「あ、すまん」既に周囲の生徒からはガン見されているが。「俺は何すればいいん?」
すると珠子フレンドの田端輝希さんが「藤本くんは珠子の机の周り掃除しといて」と指示してくる。
「はい」と俺は返事し、どこかへ連行されていく珠子を見送ってから、珠子の席へ向かう。しかし珠子の机や椅子は既に清掃が済んでいるようで、水拭きの痕跡が見られた。手際がいい。俺が到着する以前に完了してしまっているというんだから、珠子フレンズの甲斐甲斐しさには目を見張らされる。珠子がみんなから愛されていて彼氏としては喜ばしい。……あ、椅子の足にちょっとだけ血が付着していたので、俺は自前のハンカチでそれを拭っておく。珠子の血なので別に気にならない。ともあれ、こんな、椅子の足を伝って落ちるほどに出血したのか? だとしたら、椅子のお尻を受ける部分なんて血溜まりだったんじゃないだろうか? ああ、だからタオルも血塗れだったのか。でもそれって出すぎじゃない?血。大丈夫なんだろうか? 改めて心配になってくる。
俺も珠子のあとを追うことにする。トイレ……にはいなかったので、保健室の方へ行ってみる。いた。珠子はさっきとはまた別のジャージを穿いて、保健室のベッドでも椅子でもない茶色い台みたいなところに腰かけている。さっきのジャージもきっと汚れてしまったからさらに穿き替えたんだろう。
「おい、ホントに大丈夫か?」と珠子に声をかけると、珠子フレンズが「藤本くんホントいい彼氏やあ」と騒ぐ。もっと褒めて。褒められるためにやっているわけじゃないが。
珠子の顔色はさっきよりマシだけど、まだ青い。「大丈夫や」
「血ぃ出すぎじゃね?」
「いつもより多いかも」と答える珠子の顔は青から段々と赤に変わる。「……変なこと答えさせんといてや」
「いや、マジで心配しとるんやって」
「……いつもより量多いし、いきなり来たけど、生理は生理や。病気じゃないし。心配せんでいいよ」
「でも保健室に来ないかんってことは、あんまりよくないんやろ?」
「それはね」と田端輝希さんが解説してくれる。「本来なら生理が近くなったら、ナプキンとか、そういうものをつけとかないかんのやけど、珠子のはちょっと早めに、突然来たから、それが間に合わんくて、やからスカートとかが汚れてもうたの。保健室に来たのは、体の汚れた部分を拭いたり着替えたりするためなんや。具合が悪いから連れてきたわけじゃないよ」
「ふうん」
「やから心配しなくて大丈夫」
「でも……よくわからんけど生理は早まったんやろ? それって普通なん?」
「ときどきあるよ。平気平気」
「ふうん」と俺はもう一度鼻を鳴らし、珠子を見る。「ときどきあるん?」
「先月までのストレスとかの影響じゃない?」と珠子は少し冗談めかして答える。
「まあ先月まではいろいろあったさけな」
そういうストレスから解放されて、生理のペースも変化したりしたってことなんだろうか? そんなことあるのか? 人間の体のことだし、なくもないか。体は心の状態に対して敏感だ。
「一応、次の授業は出んとくわ」と珠子が言う。
「あー? ほしたら俺もいっしょにおるか?」
「いらんいらん」と苦笑される。「バカやと思われるよ?藤本」
「でも藤本くん優しいやん」と珠子フレンドが囃す。「珠子、藤本くん大事にせないかんよ?」
「別に大事にしとるわ」と珠子はぶっきらぼうに応じて、それから手で払う動作をする。「もうみんな行きねや。休み時間終わってまうさけ」
「みんなにありがとうって言えや」と俺は急に珠子の親になる。
「言うたわ。はよ帰れや、藤本」
「はいはい」っつって、田端さんの解説を聞いても相変わらずなんか心配なのだが、ここにいても仕方ないようなので俺は珠子フレンズといっしょに一年生のフロアへ戻る。
俺は過保護なのかもしれない。いや、ただ珠子のことが好きだから心配が大きいだけだ。放課後、珠子が部活をせずに帰宅するというもんだから、俺も部活不参加でそのまま珠子と下校する。俺の自宅は桃岡町内にあって学校から程近いんだけど、珠子は小蓋市在住のため電車通学だ。駅までは徒歩なので、その間だけでも付き添う。
二人で歩いていると、「『ナプキンつけねや』って、あんたバカなんけ?」と珠子に笑われる。
「ああ? 何が?」ってさっきの珠子からのSOSメッセージに対する俺の返信内容か。「生理来たって言うから、ナプキンつけねやって言ったんじゃ」
「つけれるんやったらつけとるわ。つけとらんのに生理来てもうたから助けてっつっとるのに」
「俺に生理の話されてもわからんが」
「やから『送信ミス』やって送りなおしたやろ? 最初のメッセージ、友達に送ろうとしとったのに慌てとってあんたに送ってもうたんや」
「ま、なんだかんだで俺が一番ってことなんやろ?」
「バカじゃね? 調子乗んなよ」と珠子は口汚く罵るが、そのあと「心配かけてごめん」とつぶやく。
「……いや? 別に問題ないんやろ? 生理現象なわけやし」
「うん。いつもよりちょっと重いだけや」
「ふうん」で、それがストレスだかなんだかの影響の可能性が高いって話ね。
まあ問題ないならそれでいい。俺としては血を見たから仰天してしまっただけで、女子的には日常茶飯事みたいなものなのかもしれない。俺は珠子を窺う。顔色はほぼほぼ回復していて、いつもの珠子だった。小柄で、ちょっと目付きの悪い俺の彼女。狂暴な小型犬って表現がぴったりかもしれない。
部活を休んだのも、体調面というよりは、ただ単に出血量が多いからだそうだ。それなら何よりだ。俺はいつもの調子で珠子と会話をする。親友の坂井豊がちょっと恋愛に目覚めてしまい恋人を欲しがっているのだが、珠子フレンズから誰か立候補者はいないだろうか?などという下世話な話をベラベラしていると、いつの間にか喋っているのが俺だけで、ふと見ると珠子がまた顔面蒼白になっている。
俺はおろおろしてしまう。「おい、どうしたん?」
珠子は「お腹痛い……」と呻いて、前屈みになる。
「歩ける?」
「歩けん。痛い……」
「ええ?」でもここは狭い歩道だし……。「あのドラッグストアの駐車場まで歩けるか?」
「うん……」
「ど、どうする? 肩貸すか? おんぶするか?」
「いらん」と言われてしまう。
俺は何かしたいのに何もできず、珠子の周りをうろうろするばかりで、そうしているとドラッグストアに到着する。駐車場の隅で珠子は屈み込む。
「なんか薬買ってくるう?」
また「いらん」と言われる。「ちょっとじっとしとれば治まるさけ……」
「わかった」俺も隣で屈む。「痛い?」
「痛い」と頷いて珠子は「うー」と唸る。「マジで痛い。こんなの初めてなんやけど。泣きそうや」
「大丈夫や。じっとしとれ」俺は珠子の頭を撫でる。
「お腹撫でてや」と言われる。
やっとできることが見つかった、と俺はテンションが上がり「わかった」と珠子のお腹を撫でる。
「もうちょい強く」
「おう……」ごしごし、ぐっぐっと手の平を当てる。「こんな感じ?」
「うーーん……わからん」
「効いとる?」
「ないよりマシ……かな?」
「そんな程度か……」でもめげずに撫でる。
「ううう……痛い。死にそうや」
「死なんといて。大丈夫やから」
俺は珠子のお腹を撫でつつ、体も珠子に密着させ、頬擦りもする。
でも「それはいらんわ」とダメ出しされる。「そういう気分じゃないし。マジで」
俺はしゅんとなる。「ごめん」
「お腹も触らんといて。やっぱ撫でられとる方が余計に痛くなる気がする」
「わかった」けっきょく効果なしなのかよ。俺は再び役立たずに逆戻りする。「……なあ、やっぱお前の体、ちょっと不調なんじゃないん?」
「生理痛や、これ」
「でも今までそんな痛くならんかったんやろ?」
「今回は特別みたいや。出血も多いし」
「病院行った方がいいんじゃね?」
「生理痛やて」
「……心配しとるんやぞ?」
「……ほしたら、次回もこれくらい重かったら診てもらうわ。ほんでいいか?」
「うん……」
本当は今すぐにでも診てもらってほしいんだけど、珠子が生理だと言う以上生理なんだろう。俺は女子の体について知らなさすぎる。知識がない状態でいきなりこんなに苦しんでいる姿を見せられると恐ろしくなってしまう。
「はあ……これ最悪や。月一でこんなん来るんやったらハゲてまいそう」
なんて声をかければいいんだ? 「頑張れや」
「藤本、この痛いの、代わってや」
「代われるんなら代わってやりたいわ」
「ふ。代わったら死ぬぞ?あんた、たぶん」
「うん……メッチャ痛そう」
「超痛い。お腹ん中で内蔵ぐちゃぐちゃにされとるみたいにずっと痛い。泣く。マジで泣けてくるわ……」
「…………」
「ああああ!っつって暴れていい? 痛すぎる。初日からこんな痛いのやばすぎなんやけど」
「…………」
痛ましくて何も言えないでいると、珠子が「あ!」と言って勢いよく立ち上がる。「やば。トイレ。トイレ行く……」
「あ、トイレ? ドラッグストアのトイレ貸してもらいねや」
「うん。いだだだだ死ぬ……」
「いっしょに行くか?」
「いい」珠子は腕を伸ばし、手の平を俺に向ける。「来てくれんくていい」
「途中で倒れるなや……?」
「てか、藤本先に帰りねや。迷惑かけてごめん。あたしはもう一人でなんとかするさけ、藤本は帰っていいよ」
「は? いや、心配やし。ちゃんと送るよ」
「見とると心配んなるやろ? 申し訳ないんやって。あたしは大丈夫やから、藤本帰って」
「帰らんから。はよトイレ行ってこいや」
俺は珠子をさっさと行かせて、駐車場の隅で待機する。大丈夫なのか? この場合の腹痛は生理痛だから下痢とかじゃないんだよな? あるいは生理痛の症状に下痢みたいなものも含まれていたりするんだろうか? それとも単純に、出血が嵩んでナプキンがまずい状態になってしまったんだろうか? ナプキンナプキンっつって、俺はナプキンがどんな物体でどうやって使うものなのかもよくわかっていないのだが。
駅まで送る予定だったけど、珠子のあの様子だと赤阪家まで送り届けてやった方がよさそうだ。帰り道、一人で屈み込んだり泣いたりすることになったら可哀想だ。普段は生意気な珠子だが、あんなに弱られてしまうと、俺は彼氏として、スタンスを崩してでも優しくしないとと思ってしまう。普段通りに会話するのは生理が終わってからでいい。とりあえず今日は、俺も小蓋駅までの切符を買って、最後まで同行してやろう。部活を欠席したから時間にも余裕がある。
これからのプランを決めるが、当の珠子はなかなか戻ってこない。やっぱり途中で力尽きたのかもしれないと俺は急いでトイレへ向かい、女子トイレに入るわけにはいかないから外から「珠子?」と呼ぶ。返事がない。おいおい。
電話をかけると、しかしすぐ出る。「もしもし」
「あれ? お前どこ行ったあ?」トイレじゃなさそうだ。「店ん中におる?」
「電車に乗った」と珠子は言う。
「は?」
「ごめん。もう電車に乗ったわ」
「え?」
どうやって?って、でも、駐車場の隅からだとドラッグストアの出入り口はたしかに見えない。だから、珠子がトイレを済ませてこちらへ戻ってきてくれればそれでいいのだが、トイレを出てそのまま駅へ向かわれたのなら俺は気付かないで終わってしまう。え、だけどなんでそんなことするの? 「俺待っとるって言うたやん」
「ごめん」
「ごめんて……」いや。「俺、なんか気に障ることしたけ? それやったら俺の方こそごめんなんやけど」
「しとらんよ」珠子は数秒間開けてから「あたしといっしょにおったら藤本、疲れるやろ?」と言う。「どうにもできんのに心配ばっかさせられて、疲れてまうやろ? ほんであたしもイライラしとるさけ、嫌やろ? やからあたしなんか放っといて、藤本は家帰りね」
「や、珠子んちまで送るって」と俺はまだ言っている。
「あたしもう桃岡駅出てもうとるから」と返される。「心配かけてごめん。大丈夫やから。バイバイ」
電話は一方的に切られる。俺はスマホを握ったまましばらく硬直する。なんか釈然としない。よくわからない。珠子は俺に気を遣っているというより、どこか拗ねているみたいな、投げやりな雰囲気だった。やはり俺が何か言っちゃいけないことを言ってしまっていたんだろうか? もしくは、言葉じゃなくても、なんらかの態度が珠子を不快にさせたんだろうか? 珠子は自分がイライラしていると言っていたし、俺的には全然そんなふうに見えなかったけれど、珠子自身がそう言うのであれば、そうなのだ。俺は何かを間違えたに違いない。とりあえずもう一度電話してみるが、今度は出てもらえない。確実に無視されている。
ひょっとして、俺と珠子はここで終わりなんだろうか?とおののいていると、夜、珠子の方から電話がある。「もしもし」
別れ話の可能性もある。「もしもし……」
「こんばんは」と珠子が普段言わない挨拶を言う。
「こんばんは」と俺もとりあえず返す。
「さっきはごめん」
「ううん……」
「ホントに、藤本に悪いなと思ったんや。藤本がせっかく優しくしてくれとるのに、あたし、お腹痛くてイライラしてもうて……全然いつもみたいに接することできんくて。ホントはありがとうって思っとるんやよ? でも、いつもみたいにできんあたしなんか、藤本といっしょにおる価値ないと思って、そう思ったら藤本んとこ戻れんくてさ? 勝手に帰ってもうた。ごめん」
「いいよ」珠子が異様に素直で、俺の方が感動して泣きそうになる。「俺、珠子のこと傷つけとらん? 大丈夫?」
「藤本はなんにもしとらんよ。悪いのはあたしや」
「別にお前も悪かないよ」たぶん生理の影響なんだろ? 「お腹はどうや?」
「今は落ち着いとる」
「ほんならよかった」
「いきなり来るんやってな、激痛」
「寝とれや」
「寝とると今度は血が、いきなりドバッて出るんやって。血が減ると貧血みたいになってくるし……」
「大変やな……」
「ほんでイライラしてまうし。藤本に攻撃してまうし。あとから後悔して泣きたくなるし」
「…………」
すごく大変そう、としか思えなくて、でもそんな感想には何の意味もないだろうから口にできない。状況が悪すぎる相手に対しては、正直、慰めの言葉すら無価値だ。無価値ならまだよくて、侮辱だと捉えられかねなくて、俺はそれが恐い。
「ごめん」と珠子がまた言う。「ごめん、藤本。好きや」
「俺も好きや」とここぞとばかりに俺は言う。その言葉なら言える。
「藤本。会いたい。会いに来てや」
「今?」
「今や。今じゃないと意味ないが」
「夜やん」もう九時前だ。
「夜や」
「今から電車ん乗って、小蓋駅から歩いて赤阪家まで行って……って、十時過ぎてまうやん」
「だって、会いたいもん」
「俺も会いたいけど」
「会いに来てくれたら嬉しい」
「え、マジで言っとる?」
「あはは」と珠子は小声で笑う。「会いたい。会いた~い。藤本。会いたい~」
「ちょっと今からはなあ……」
「ま、会いに来れんよな? あたしなんかそこまでの女じゃないさけな。ブスやし、すぐ拗ねるし……」
「…………」
情緒がすごい。俺は思わず息を潜めてしまう。会話がスマホ越しなのもなんとも微妙で、珠子の表情だとかが窺えなくてやりづらい。
「冗談や、ごめん」と珠子。「またウザい奴になってもうとるな。ごめんごめん」
「ゆっくり休めや」
「嫌いにならんといてや?」
「ならんよ」
「嫌われたら泣いてまうわ」
珠子の奴、相当弱ってるな、と俺は思う。普段はそんな台詞絶対吐かない。今の電話の台詞ほぼすべて、普段の珠子なら言わない。だから、珠子の声真似をしている誰かが喋っているんだと言われた方がしっくり来る。けれど、今スマホの向こうで病んでしまっている女の子も珠子で間違いないのだ。そういうときもあるし、そういうところもあるんだと、俺は知っておかなくちゃいけない。
それから数日後、いよいよ十月に突入となった朝、登校してカバンの中身を机の中に移していると一年三組の教室に珠子がやって来て、俺は、あ、と思う。「体調よくなったあ?」
「わかるけ」と珠子はちょっと照れ臭そうに笑っている。でも顔色でわかる。昨日までと全然違う。なんか、すっきりしている。「完全に復活したわ」
「よかったあ」俺は息をつき脱力する。「生理終わったん?」
「ちょ、声でかいわ」
「あー、ごめんごめん」でもホッとしすぎていてあんまり気にならない。「一件落着やな」
「またすぐ……十月下旬頃に来るけどな」と珠子は言うが、憂鬱そうではなく、とりあえず今回の分が終了してハツラツといったふうだ。声にも張りがある。「今回は藤本にもけっこう迷惑かけたんな? ごめん。許してくれる?」
「別に。最初から迷惑やと思っとらんし」大量出血に始まり、腹痛、なんか情緒不安定化、貧血、それから腰が痛いだとかダルいだとか、いろいろ言っていたけれど、しょうがないことなんだろ? 「許すも許さんもないよ」
「いやん。イケメン」珠子は体をうねうねさせて冗談めかす。「なんか奢るわ」
「そんなもんいらんよ」どんだけ気にしてんだよ。「いつも通りにしとってくれればそんだけで俺は嬉しいよ」
「いつも通りかあ」と珠子は含むようにつぶやく。
「なんじゃいや。忘れたんか?『いつも通り』」
「いや? けど、こんだけ優しくされたら、藤本を見る目変わってまうんやけど?あたし」
「別に優しくしとらんし」
「優しいってか、寛大? 今回はマジで嫌われたかと思ったもん。ウザかったやろ?あたし」
「ウザくないい。気にしすぎ」
「自分でコントロールが利かんのやって」
「ふうん」
「やから。やから今回の藤本の対応はホントに嬉しかった。ありがとう。藤本のこと初めて好きになれたわ」
「……おめえ今の方がウザいしな? ほんなんならずっと生理んなっとけや。そっちの方が可愛らしいわ」
「あれは生き地獄」
「地獄に落ちれや」
「道連れやぞ」
「まあなんでもいいわ、復活したんなら。ご報告どうも」
珠子はカバンを担いだままなので、自分の教室へ行く前にこちらへ寄ったっぽいのだ。そんなに復活宣言がしたかったのか。したかったんだろう。表情が活き活きしているもんなあ。少し輝いているくらいだ。地獄の反動? よほど辛かったんだろう。
「ん」珠子は頷いて、俺の肩にちょっと触れる。「みんなにも報告してくるわ。今回はいろいろ助けてもらったさけ」
「おう。ちゃんとありがとうって言うんやぞ?」
「言っとるわ。前々からうるせえんな。親か」
「そのツッコミをこの間から待っとったんや」
「はいはい。……藤本もありがとう」と、いかにもついでっぽく感謝し、珠子は三組の教室をあとにする。
俺が荷物の整理を再開すると、近くにいた阿部くんが「藤本くんってあの子と付き合っとるんけ?」と訊いてくる。「あの子……名前なんやったかな。見たことあるんやけど。誰やっけ?」
「赤阪珠子や。五組の」
「ああ、赤阪さんや。可愛いやんな」
「え、そうけ?」俺は驚く。そんなに可愛いか? 彼氏目線だと可愛いけど、実際別に可愛くなくない?
「可愛らしい顔しとるやん。ほんで仲良さそうやし。羨ましいわ」
「ふうん」まあ生理明けでウキウキしていたからか、いつもの三割増しくらいでは可愛かったかもしれないか? わからない。「いろいろ面倒臭ぇとこもあるよ」
「ほんでも、好きやし付き合っとるんやろ?」
「まあなあ」と俺は少しむず痒い。
阿部くんと話していると竹田くんも入ってきて「いや、藤本くんは実際マジですげえよ」と評価してくださる。「俺、赤阪と中学いっしょやけど、あの子、人見知りっていうか、ものすごいコミュ障やから。親しい友人らとしか口利かんのやって、昔から。でも藤本くんとはメッチャ打ち解けとるよな。懐いとるっつーか。よほど藤本くんのこと気に入っとるんやろうな」
「ああ……うーん」照れ臭い。「人見知りらしいってことは聞いとったけど、そんなにひどいんか」
「ひでえよ。喋りかけても返事せんださけな、中学んときは」
阿部くんが笑う。「すごいやん。どんな技を使ったんや?藤本くん」
「わからん。心当たりないわ」
初対面のとき、俺はわけあってテンションが高く、珠子に対してグイグイ行ったから、それがよかったんだろうか? でもそれだけだったら、珠子の性格を鑑みると、鬱陶しがられて終わりって気もする。俺の何が珠子の心を開いたんだろう?
「体の相性がよかったんじゃね?」と竹田くん。
「それは付き合ってからの話やろ」と阿部くん。「藤本くん、赤阪さんとはもうやったん?」
「それは……ご想像にお任せしますやわ」
余計なことをベラベラ話すと珠子に怒られる。竹田くんが珠子の幼馴染みだというのならなおさらだ。俺も一般的な男子だから、珠子と三回だけ体験していることを開示して、それを叩き台としてたまには猥談などと洒落込みたいのだが。
逆に言うと、三回しかしていない。できていない。俺にとっても珠子にとっても人生初の体験は、夏休み序盤のとある一日。俺の部屋でメチャクチャいい雰囲気になって、流れるように始まり、まあ初体験だったから滞りなく完了というふうにはいかなかったけれど、なんとか無事に終了。俺は次回への課題を残したものの大満足。しかし珠子はだいぶ痛かったようでしばらくやりたくないと言い、二回目は夏休みの終盤まで待つこととなってしまった。三回目は比較的最近で、九月に入り、一年生全体を取り巻いていたちょっとした問題が解消された解放感に後押しされる形で。珠子はやっぱり痛いみたいで、もうしないと言っていたけれども……。
こういう話を俺は友達と繰り広げ、できればアドバイスなんかも賜りたいのだが、なかなかそういうタイミングが来ない。今このときは悪くない機会なのだけど、竹田くんにはやはり赤裸々には明かしがたい。
まあ珠子がしたくないならそれでいい。今はとにかく珠子の体調が戻って一安心って感じなのだ。それに尽きる。本当にどうなることかと思ったが、あの変わり様を見るに、あれは間違いなく生理の影響なんだろうと俺はようやく百パーセント確信できた。病気とかじゃなくてよかった。
こうして俺と珠子の間にも日常が戻ってきて、珠子も再びきちんと部活に参加するようになり、部活後の二人の時間も復活する。自転車小屋の脇に土手があり、そこはもう学校の敷地なのかどうなのかイマイチ曖昧なのだが、境界もないため俺達は部活後にそこで落ち合い、しばらくのんびりする。夏休み以前から続く習慣だ。ただし、十月も中頃ともなってくると少し肌寒い。そろそろ上着を厚くしなければこんなところには居られなくなってしまうかもしれない。
「寒いな」と珠子も言う。手で手を擦る。
「帰るか?」
俺は気を遣って申し出たのに、珠子からジト目で見られる。「別に帰らん」
「あっそう。風邪ひくなや」
「うん」
珠子が頻りに手を擦るもんだから、俺は腕を伸ばし、珠子の両手共を捕まえて代わりに暖めてやる。「わ、冷てえ。冷え症?」
「なんかな? 藤本の手はメッチャ暖かい。男の手って感じするなあ」
「暖かくていいやろ?」
「夏は汗ばんで臭そうや」
「もう夏は終わったんじゃ。臭くないい」
「ほやな。夏はもう終わりやな。次は秋か」珠子は感慨深げにつぶやく。「ウチら、けっこう長続きしとるんな? 奇跡的や」
「ほうやな。俺なんか毎晩、『よかった、今日も別れんくて済んだ』って思いながら寝とるもんな。毎晩神様に感謝や」
「マジかあ!?」
「嘘じゃ。んなことするか。アホやん」
「あー? なんじゃいや。あたしはときどき思うことあるよ」
「なんて?」
「やから、そういうことをや」
「ありがとう神様、って?」
「そんなんじゃないけど……そんなようなこと」
「ふうん。別に奇跡的やなんて思わんけどな、俺は。お互いに好きなんやし」
どちらかというと別れる方が難しくない?と思うんだけど、珠子は「…………」と黙ってしまう。
「なんや? 好きなのは俺の方だけやって言いたいんか?」
「バカ。好きやよ、あたしだって」珠子は俺の手に包まれている自分の手指を眺めながら「体も冷えてきた」と言う。
「帰るか?」
「なんでそうなるんやって」と怒られる。「抱っこしてや」
「抱っこかあ?」俺は辺りを見回す。「部活帰りの生徒がぽつぽつ来るさけなあ」
「ほしたらもうちょっとこっち来ればいいやん」
珠子は立ち上がり、俺の手を引っ張り土手を斜めに少し下る。自転車小屋がほとんど見えなくなり、代わりに頭上にテニスコートのフェンスが見えるようになる。今日はもうコートは使用されておらず、人気がない。
腰を下ろさず、立ったままの状態で珠子が俺に抱きついてくる。しょうがないなあという感じで俺も珠子に腕を回す。後頭部の髪を流れに沿って撫でてやる。「なあ、珠子」
「……なんや?」
「好きや」
「ストレート。なんか他に言い方ないんけ?」
「いちいち捻った言い方なんか考えとったら疲れてまうわ。好きや。そんでいいやろ?」
「……あたしも好き」ぐりぐりぐり、と顔を俺の制服に押しつけてくる珠子。「もっと触ってもいいよ」
俺は片手で珠子の尻を触るが、別にそんなのそれほど興味ないよといったふうに、もう片方の手を珠子の頬に当てる。珠子にこっちを向かせる。「キスしていい?」
「訊かんといてや」と困り笑いされる。「訊かんと勝手にしてや」
「いや、許可してもらわんと。なんでも勝手にやったら怒られてまうやろ?」
「怒らんよ」と珠子はか細い声で言う。「なんでも、あんたの好きなようにすればいいやん。あたしはあんたのなんやから」
「ホントにかあ?」と茶化しながら、その勢いでキスする。すぐに舌も入れる。不意打ち気味にも関わらず、珠子の舌とちゃんと触れ合う。
短いキスを終えると「んうう……」と珠子が唸る。
「なんや」
「いや……」うつむき加減で、呼吸も荒い。キスなんて五秒もしていないのに。
「どうかしたん?」
「……なんもないよ」
「嘘や。どうしたん?」
「どうもせん」
「珠子?」
俺はもう一度珠子の頬に手を当てて、珠子に顔を上げるよう促す。俺を見上げた珠子は、とろけそうな甘い瞳を細めていて、唇も濡らしたまま半開きで、異様なほどエロい。
「……藤本、好き」
え、え、どうしよう? 俺の体も一気に熱く呼応してしまう。
「珠子、大丈夫?」
「大丈夫じゃない」と珠子は正直だ。「あたしやばいわ」
「やばい?」と訊きながら俺は再度キスをする。またすぐに舌を入れると、珠子は脱力してしまいストンと土手に尻餅をつく。逃がさず唇を合わせていると、珠子の呼吸が激しさを増していく様を間近ではっきり感じ取ることができる。
「藤本、あたし体やばい」
「どうやばいん?」
「や、もう……恥ずかしいんやけど」
「ちゃんと教えてや」
「無理……」
「エロい気分?」
「知らん! わからん……」
「エロくない?」
「藤本のことがメッチャ好きな気分……」
「俺のこと欲しいん?」
「あはっ、もお……バカじゃないん?あんた」
「俺は珠子が欲しいよ」
「ううう……藤本、メチャメチャ好き。マジで好き。あたしの体おかしいわ」
「別におかしくないやろ。俺もおんなじ気持ちやし、体の状態もおんなじやし」
「……おんなじ?」
「うん」俺は珠子の耳元に顔を寄せる。「珠子としたい」
珠子も察しがついていたクセに「うえ!?」などと声を上げている。「……藤本んち行く?」
「いや……」平日の夕方なので、俺の家は時間帯がよろしくない。「学校でする?」
「っく」と珠子は息を呑んでから「無理無理無理」と首を振る。「それは無理やろ。見つかったら死んでまうって」
「でも今すぐしたい」
「無理やってえ」珠子が俺にぎゅっと抱きついてくる。「学校はまずいやろ」
「別棟の部屋なら誰も来んやろ」
「いやもう、具体的。生々しい」と珠子はコメントしてから「あれは持っとるん?」と訊いてくる。
「なに? どれよ」
「あれやって。あんたがつけるやつや」
「ああ……持っとるよ」
「なんで持っとるんやって」とあきれられる。
「ほんなもん、いつどこで必要になるかわからんが」
「いやホントにバカ」
「でもその方が安心やろ? ほら、はよ行こうさ」
俺が移動を開始しようとすると珠子は抵抗する。踏ん張る。「いや、行かんて」
「俺我慢できんのやけど」いつの間にか俺と珠子の切迫度合いが逆転している。俺の方が珠子に欲情していて、珠子はそうでもなくなってきている。
「学校はダメ! 我慢してや」
「珠子もしたいやろ?」
「えぇ……あたしはしたいっていうか、ただ藤本とぎゅうってしたりチュウってしとりたいだけなんやけど」
「そんな……」俺が勇んだせいか、二人の温度差は増すばかりだった。「俺のこの気持ちはどこにぶつければいいんや?」
珠子は少し余裕を取り戻したのか、苦笑する。「ほしたら、今度の休みならいいよ」
「えー……」休日までまだ三日あるんだけど。
「えーって、でも学校ではマジ無理やよ」
「ホントに今、珠子が欲しいんやけど」
「嬉しいよ。あたしも藤本が今メチャクチャありえんくらい好きやよ? でも学校は危険やって」
「…………」
俺の表情が世界の終わりを迎えるかのように絶望的だったらしく、珠子が吹き出す。「あははっ、ホントにもう……次の休日な? マジで。約束」
これはもう頑張っても甲斐がなさそうだ。珠子のエロみもどこかへ消えた。俺はあきらめる。「わかったよ」
「ごめん……ってあたし謝らないかんのかな?これ」
「わからん。珠子が先にエロくなっとったのにな」
「いや、あんたが学校とか言い出すさけ、引いてもうたわ」
「…………」やはり俺のミスだったか。冷静さを欠いてしまっていた。言葉なんかにせず、無言で珠子を連れて別棟まで行けばよかった。
「ぷっふふ。あはははは! そんな顔せんといてや」
「せっかくいい感じやったのに」
「ぶふ……次の休みまで待ってや」
「三日後なんてもうムードもなんも残っとらんやん……」
「ごめんごめん。怒らんといてや。でも、学校はどう考えても無理やろ?」
「別に怒っとらん。帰ろうさ」
怒ってなんかない。悲しんでいるのだ……ってこの場合、もうどっちも似たようなもんだし、そんな差異をぶつぶつつぶやいているのは我ながら情けないけれど、こっちも気持ちがいっぱいいっぱいだったのだ。ずっと我慢していて、久しぶりにアプローチできる好機だったのだ。少しくらい譲歩してくれてもよくないか? いや、その譲歩が三日後ということなのか。はあ……。
帰り始めた俺の腕に珠子がくっついてくる。
「ねえ、あたしあんたの言うことはだいたいなんでも聞いてあげたいけど、学校は絶対やばいよ?」
「俺の言うことなんて聞いてもらった試しがないんやけど?」
「もぉ~~」
「もぉじゃないわ」などと言いながらも、俺は珠子を振り払うつもりもないし、くっついて手を繋いできたんだったらちゃんと繋ぎ返すくらいのことはする。例え気分が落ち込んでいても。
しかし、今日この瞬間こそが俺のピークで、それを三日後まで維持できる自信は一切ないのだが、だからって自分で自分を慰めるのもアホらしいので俺は悶えながらも耐える。珠子なんて行為自体が好きなわけではないから三日後の約束なんてぶっちゃけ胡散臭すぎて信用できないんだけど、むなしい俺はそんな小さな可能性に希望を見出だすしかないのだった。
何かを待つ三日間ってのは猛烈に長く感じるが、待ちに待ったその一日はものすごい勢いで時間が経過していく。当日は、午前九時着の電車に乗って桃岡までやって来た珠子を自転車で迎えに行き、二人乗りで自宅へ連れていき、有り余る時間を前にして、さあ今日は三回くらいしたいな!などと胸を弾ませたんだけど、正午を回って昼食を摂ったのに俺達はまだお互いの体に指一本触れていない。それは言い過ぎか。二人乗りしたときに触れたかもしれないけど、でも俺んちに入ってからは触れてない。珠子は俺の部屋でテレビゲームをし、漫画を読み、「あはは」などと笑っている。そんな面白い漫画あったっけ? 俺は全然面白くないんだけど? しかも珠子はコットンパンツなんぞを穿いていて、やる気の欠片も見当たらない。いや、別にコットンパンツでやる気の有無は判定できないのかもしれないが、俺としてはスカートを穿いてきてほしかった。
午後二時を回り、さすがの俺も、あのさあ……という心境になってくる。「珠子」
珠子はカーペットが敷かれている床にうつ伏せになって読書している。「ん?」
「ん?じゃなくって、約束」
三日前の約束。
「あー」と珠子は白々しい。「ほんなこと言っても、ムードがないやん」
「ほらな」と俺は食い気味に言う。「やっぱりやる気なんてないんやん」
「せんとは言っとらんやん」珠子は本を置き、上半身を起こす。「するためには、そういう空気作りせないかんやろ? いきなりやろうさっつって、はいわかったとはならんやん?」
「ゲームして漫画読んどっただけのクセして……」
「藤本がリードしてくれないかんくない?」
「お前が言い出した約束やん」
「したいのは藤本なんやし」
「…………」なんだよそれは。俺だけがしたいみたいな。いや、俺だけがしたいんだろう。「……まあいいんやけど。お前のしたくないことを無理矢理するつもりないし」
「いや、したくないとは言っとらんやん」
しないとは言ってない、したくないとは言ってないってか。でも、するともしたいとも言ってない。「もうせんでいいわ」
「怒らんといてや」珠子が立ち上がって、俺の腰かけているベッドの脇まで来る。「怒らんといて。せんなんて言ってないやろ?」
「怒っとらんよ」と俺は言うしかない。「別にやりたいからお前と付き合っとるわけじゃないし」
珠子が隣に腰かける。「でも、したいんやろ?」
「したくない」
「嘘つかんといて。したくないんか?」
「うるせえな。したいわ」
珠子がちょっと笑い、肩でドン!と俺の腕を小突く。
「したいんやろ? ほしたらあんたの好きなようにしねや。あたしもそのつもりで来とるんやし」
「お前が嫌々なのが気に入らんの」と俺は駄々っ子になる。「お前にも俺とおんなじ気持ちでおってほしいんや」
「ほんなこと言うてもなあ……」
「俺だけ一人で喜んどっても、そんなんアホみたいやん。一人でしとるのと変わらん」
珠子は少し赤くなり、うつむく。「あたしは、キスとかハグされれば嬉しいよ?」
「でも、やっとっても気持ちよくはないんやろ? まだ痛い?」
「……痛いっていうか、慣れん。藤本が来ると、うわあってなる。うえええって」
「なんか気持ち悪いってこと? 異物感あるみたいな?」
「そんな感じや」
「少しも気持ちよくない?」
「中はな」
「え」俺は聞き逃さない。「ほしたら外は気持ちいいってこと? 気持ちいい部分があるってこと? どこや? 教えて」
「ちょ、ちょ、もぉ……やめてや。バカ。恥ずかしいわ」
「大事なことやん」俺も一応勉強はしているが、手慣れていないから十全なパフォーマンスを発揮できている自信がない。それに、大まかなポイントだったら予習できるけれど、実際は人それぞれなんだし、珠子の体は珠子に訊かないとわからない。「教えて。マジで。ほしたら珠子も気持ちよくなれるやん」
「無理ぃ」と珠子は泣き真似をする。「そんなの教えれん」
「俺なんかには話せん?」
「違うよ。恥ずかしいやん。ここをこう触るのがいいんや……って、見せながら解説するってことやろ? 無理すぎ。アホやん。死んでまう」
「俺は知りたい」
「あの……せめてこんな会話で教えるんじゃなくて、やっとる最中にさりげなく訊いてくれんけ?」
「ほしたら教えてくれる?」
「気分が乗っとれば……たぶん」
「でも、ことを始めるためにはムードが足りんって言うんやろ?」
「だって……っく、そんなに焦らせんといてや。どんどん恥ずかしくなってくるんやけど」
「三日前の珠子はエロかったのになあ」俺は遠い目になる。「あの珠子が戻ってきてくれれば……」
「あれは……体がそういう調子の時期やったんやと思う」と珠子が言う。「今回の生理って、なんか重かったやろ? やからその分、心身への影響が大きかったんじゃないんかなあって思っとるんやけど」
「女子もムラムラするときがあるみたいやもんな? そのムラムラがいつも以上やったってこと?」
「ムラムラっていうか……あたしはそういうのじゃないんやけど」
「お前は普段ズバズバ言うクセにエロに対しては奥手やな」それも可愛らしいっちゃ可愛らしいのかもしれないが、この場合、まだるっこいだけだ。「珠子も一人ではするんやろ?」
質すと、珠子は尋常でないスピードで布団に潜ってしまう。「せんわ! バカぁ!」
自分の気持ちのいい場所を知っているということは自分で触っているということだ。さっきの会話でなんとなくそれは察した。珠子もそういうのが完全に嫌いってわけではなくて、俺との共同作業となると羞恥心が勝ってしまい大胆になれないんだろう。それが思いがけずわかっただけでもホッとする。
俺は布団に包まっている珠子を撫でる。「まあとりあえずもうなんでもいいわ。ゲームでもするか?」
膨らんだ布団の内側から声がする。「……藤本の好きにしていいよ。あたしは約束守るんやさけな?」
「でも、今日はもう恥ずかしいやろ?珠子」
「超恥ずかしい。もう布団から出れん」
「すまん。ちょっと欲望の奴隷になってもうとったわ。前のめりになってもうた」
「ううん。楽しみにしとったんやし、仕方ない。あたしの方こそごめん。藤本のこと大好きやけど、これだけはまだ恥ずかしい……」
「いいよ」
俺は布団の上から珠子に抱きつく。どこが何なのかもよくわからないが、この塊は珠子で間違いないから抱きつくのだ。
「……そういうのは嬉しい」
「ほしたら出てきねや」
俺が言うと、布団の塊がもぞもぞ動き、下部から珠子の頭が出てくる。次いで両手が出てきて、それが俺の体を掴む。俺が珠子の腋に手を入れてゆっくり引っ張り出すと、珠子がしおらしく体を寄せてくる。
「藤本、あたし、慣れてくしな?」
「焦らんでいいよ。別に、ずっといっしょにおるんやし」
「おってくれるん?」
「お前に嫌われるまではな」
「はあ……」珠子は小さく嘆息する。「藤本とはホントに気ぃ合うし、いっしょにおると楽しいよ。ほんで藤本優しいしな。あたしが何言っても何しても許してくれるし」
「好きやからね」
「あたしも好きや。でも藤本、たまにはホントに怒ってもいいんやしな? あたしにはっきり言ってくれていいんやよ? わかった?」
「珠子泣かしたくないし。言わんよ。珠子のことは大事にせないかん」
「いや、言ってや。我慢せんといて。藤本にばっかり我慢させるの、あたし嫌やから」
「それで嫌われたら元も子もないやん」
「嫌わんし」
珠子はそんなにメンタルは強くない。でも俺は「わかったよ」と一応頷いて見せておく。それから冗談で「ほしたらさっそく服脱いでや」と言いつける。
珠子はちょっと笑って「もうしばらくしたらまた生理来るわ」と予告する。「今度は通常の軽さやといいんやけど……また体調悪くなったらごめん。先に謝るわ。病んで、また藤本に迷惑かけるかもしれん。ごめん。でも嫌いにならんといてほしい。ホントに好きなんや、藤本のこと」
「ならんよ」俺は珠子の頭を撫でる。「今度は『会いたい』って言われたらすぐ向かうわ。やから安心すれや」
「ふふ」と珠子は照れ臭そうに笑う。「あんなん無視でいいんや。病んどるときのあたしなんて、無視しといて」
「病んどろうがなんだろうが珠子は珠子やから」
全部愛する。今現在の珠子に対してだって、可能な限りの愛を捧げる。俺ははにかんでいる珠子の口にチュウする。
「藤本」珠子もキスを返して、囁く。「藤本。する?」
「え?」準備オッケーなの? 「こんなんでムード整うん?」
「こんなんでいいんやよ?」珠子は愛しげに俺を見ている。「だって、好きなんやもん。あたしは、藤本のこと」
「先に教えといてや」
これくらいでその気になってくれるなら、ムード作りなんて些事だ。ただ俺の思うがままに珠子を可愛がればいいだけなんだから。
「恥ずかしいから、口では教えんよ」と言われる。「ちゃんとよくあたしのこと見て、ほんで学習して」
「えー……はーい」
「あたしもあんたのこと、よく見るさけ」
「おう。……で、してもいいん?」
「あんたの好きにしねや」あきれたように珠子は笑う。「最初から言っとるやん?」
「いっぱいしてまうかもしれん」
「生理になったらできんくなるさけな。今の内にすれば? でも優しくしてや?」
「うん。優しくいっぱいするわ」俺は誓う。「これから先、辛い出来事があっても、今日のことを思い出して乗りきるわ」
「ぷっ。なんじゃそりゃ! あはは! 男子ってホントにバカやな」
「ああっ、ムードが」
「ふふ。ムード全然崩れとらんよ?」珠子がまた俺にキスをしてくる。「『今日のこと』って、まだなんにもしとらんやん。そんなんで辛い出来事乗りきれるん?」
俺は頷く。乗りきれる! 今日これから起こることは、俺の人生の中で暫定的にもっともすばらしいことであろうとの確信が既に持てている。すばらしいことランキングはこれから珠子といっしょにいれば次々と塗り替えられていくんだろうが、とりあえず、今日のこれは今のところ最高なのだ。最高になる。きっと。
そして、それを思えば生理の病みくらい可愛いもんなのだ。