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赤い地平線  作者: 原島としはる
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命のざる -kiamo shimba-

私がリッチなのは、私がお前たちよりも努力家で、お前たちよりも頭が良く、お前たちよりも仕事をしてきたからだ。

──ボボ・バンボ店長


セントラルタウンにある地中海レストラン『リビアン・ガダフィ』の店主。

若い女性従業員が次々と消息を絶っているという噂について、記者への返答。

 東アフリカ共和国は広大である。その人口は2億人とも言われ、多数派の民族集団であるカナズラ族や、戦士で有名なドゥベドゥベ族の他に数百を超える部族がおり、また、ソマリア、エチオピア、ウガンダなどの近隣外国人労働者や、パキスタン人やイラン人、インドネシアなどのイスラム教徒も多い。


《キアモ・シンバ》で戦士の治療や児童養育に当たる女性たちの国籍や民族も多種多様で、中には東欧から来たと思しき者もいる。ドゥベドゥベ族の集落に散見されるこれらの施設は、表向きは療養施設や孤児院などとされているが、本当にそうであれば国連人権委員会の調査は入らない。


「女ども!俺の鼓膜はオメーらが舐めて治すんだよ!ついでに"下"も舐めろ!」


 グヂパッパはベッドの上で一人泣き叫んでいた。鼓膜が破れた痛みに泣いているのではない、同期のクチャルが戦士長となっていたことに対する悔し泣きである。

「ちくしょう、結局戦士長ってのは世襲制なのか。何の苦労もしてねぇヤツが俺たちのボスになるってのか?ま、まさか…顔で選んだんじゃねぇだろうな…?」

 頭の中では水に潜ったような音と自分の声がけたたましく響いているはずだが、喋り止む様子がない。戦士には禁止されている酒もしこたま飲んでいた。


「うるさい奴だろ?」


 同じ病室のベッドで本を読んでいた少年が、寅清に声を掛けた。

 四床しかない病室で同室者が延々と泣き言を言い続ければ差し入れの果物でもぶつけてやりたくなるところだが、相手はあの『狂巨人』ことグヂパッパである。戦士最強とまで言われるこの大男はパイナップル程度では死なない。


「あいつ、今はあんなだけど、絵が上手かったから一時期ロンドンの美術学校に通っていたことがあるんだ。信じられないだろ?」


 そう言って少年は白い歯を寅清に見せた。少年は、英語ネイティブではない寅清にも大意が伝わるよう、ゆっくり簡単な単語で話した。年齢は寅清と同じくらいか、もう少し年少に見える。黒縁の眼鏡をかけていて、体の線は歳相応に細い。手に持った本の装丁には『 10 Ways How to Kill Your Parents 』とあった。


「僕はニャファド、よろしく」

 少年はベッドから上半身を起こして寅清に手を差し出した。

 この国に来てからというもの、異様に周囲から冷たく扱われ続けていたため、比較的フレンドリーな対応に寅清はつい涙をこぼしそうになった。今まで毛嫌いしていたが、薄っぺらい表面的な友情も捨てたもんじゃない。冷たくされるより、こんなにも温かいのだから。

「ありがとう、俺はトラキヨ…よろしく」

 寅清は自分より年下の少年が友達になっただけなのに、とてつもない安心感を覚えている自分に気づいた。本国であれば、こんなガキにタメ口で話し掛けられたら間違いなく「ナメられた」と考えてしまうだろう。今は逆に敬語で話し掛けてくる年下ほど恐ろしいものはない。


「ほら、見て、あいつ。ずっと唸ってるやつだよ。ウヘロにキンタマ潰された人」


 ニャファドが寅清に目で指し示した先には、先日、検問所でグヂパッパらと一悶着を起こして股間を負傷した守衛が横たわっていた。

 この病室では守衛の男と少年ら、そしてグヂパッパの四人が療養を受けてよいことになっている。グヂパッパと同じく鼓膜を破られたウヘロは、こんなもの大した怪我じゃないと言い残して一人出ていった。


「ひどいな」

 守衛を一瞥した寅清が顔をしかめた。股間が包帯でぐるぐる巻きにされてはいるが、それだけである。こんな場所で高度な医療を期待できるはずもなく、よくわからない煙を股間に吹きかけ、得体の知れない液体を塗り付けただけの"応急処置"をしたに過ぎない。砕けた骨盤が内臓を損傷させており、既に病室全体に言いようのない腐臭が漂っていた。


「高熱を出して、ガクガク震えてる。うわ言も言ってる。あれじゃもう助からない」

 ニャファドの言葉を半分ほど理解できた寅清は、男の行く末を悟った。

「人が死ぬのを見るのは初めてなんだ」

 寅清は正直に打ち明けた。それが怖いという気持ちも態度に出た。

「僕はある。戦士が死ぬと魂がミシミシに旅立つとか言われていたけど、何も見えなかったよ」


 二人はしばし沈黙し、死出の旅を控えた男を見た。セントラルタウンにあと200km近ければ助かったかもしれない。人間は他者の命を死の淵から救い出す力を十分に持っているが、21世紀になっても、この"不運"というやつにだけはどうしても勝てないでいる。


「なにを見つめ合ってんだんだ、ガキども。オメーらもうデキちまったのか?」

 二人の少年の微妙な距離感を見たグヂパッパが、泣きすぎて枯れた声で笑った。


 ニャファドはグヂパッパをちらりと見やると、棚の上に置かれていたパイナップルに手を伸ばして、寅清の方を向いた。

「お前、あいつにパイナップル投げつけてやれよ」

 無邪気な笑顔を浮かべながらパイナップルを手渡してきたニャファドに、寅清は「えっ?」と驚きつつ、恐る恐る"あいつ"を振り返った。パイナップルよりも大きな顔を寅清に向け、目を真ん中に寄せて舌を高速で出したり引っ込めたりしている。およそ、立派な大人がやることではない。

「そんなことできっこないよ…」

 冷静な口調で言ったが、心臓の鼓動は常時の倍ほどに早まっている。後ろにいる巨人も恐ろしいが、"友人"の人選を誤ったかもしれないという気持ちでいっぱいだった。


「大丈夫だって。投げたのは僕だとシラを切ればいい。なんだかんだ言っても〈オペポ〉には手を出せない。あいつだってその辺はちゃんと弁えてるよ」


 オペポという珍妙な響きの耳慣れない単語に寅清は困惑する他ない。


「テメ、なに見てんだ、コラ?」

 グヂパッパが殺人鬼の如き形相でパイナップルを手に持った寅清を睨みつけた。本当に人を殺したことのある凄味を前にして、中一の寅清に何ができようか。

「できない…」

 寅清はパイナップルをニャファドに返そうとした。


「じゃあ、お前、何ができるんだよ?」

 失望した様子で眉間にしわを寄せて睨みつけるニャファドに、寅清は肌が粟立った。脅しでも何でもなく、本当にただ苛立っている顔。声変わりすらしていないガキが持つ凄味ではない。


「ここに来たばっかりで、急にそん…」

「やれよ」

 真顔になったニャファドが寅清の言葉を遮って言った。小学生に脅されて怯む中学生など腰抜けの恥知らずである。よって、寅清は今、腰抜けの恥知らずであった。


 年下にビビった。これは寅清にとって口が避けても言えない黒歴史である。

 しかしながら、日本にいた時も絶対的な自信があって年少者に威張り散らしていたわけではない。年下に逆らわれると自分の力では対処できないことがわかっているからこそ、礼儀という名目で彼らに年功序列を強いて、最初から面倒事を起こさせないようにしていただけだった。

 そういう意味で、このニャファドという少年は面倒事の権化である。争い事を避ける文化で育った寅清と、生まれた時から争い事の中で生きてきたニャファドでは役者が違うと言っていい。


 寅清はベッドに潜り込む振りをして、しぶしぶパイナップルを後ろに放り投げた。一応投げたという体裁を取り繕うためである。自分でもヘタレ具合に自己嫌悪してしまうが、もしもこの重い果実が狂巨人の顔面に直撃すれば恥をかく程度では済まないのだ。これでいい。


「痛てぇッ!」

 パイナップルがグヂパッパの顔面を直撃した。寅清は一年生にしてバスケ部レギュラーを勝ち取ったほどの実力者だったのである。

「こら悪ガキどもッッ!!」

 病室の窓が割れそうな程の怒号に寅清の顔面は青褪めた。グヂパッパの顔面は、それとは対称的に赤く染まっている。

「勘弁しやがれッッ!!!」


 そう言うだけで何もしてこない巨人を見て、寅清は呆気に取られた。複数回に分けてニワトリのように首を後ろに向けていくと、グヂパッパの人差し指の上で横にくるくると回転しているパイナップルが見えた。

「次にやったらオメーのケツにこれを入れてやる」

 眉も目も吊り上げて脅しをかけてきたグヂパッパに、寅清は慌てて前を向いた。


「言っただろ?」

 ニャファドが得意げな顔で寅清のベッドをぽんぽんと叩いた。

「ど、どういうことだ?」

 困惑する寅清を見てニャファドはニヤニヤと笑った。

「〈オペポ〉には手を出せない。これがドゥベドゥベ戦士なのさ」


 あのバカでかいグヂパッパが、子供にパイナップルを投げつけられて顔面から出血しても、罵ることしかできない。まるで日本の大人と子供の関係のようではないか。考えれば考えるほど彼らの生態がわからなくなってくる。確かなのは、この少年が寅清に対して自分の力を誇示しようとしてきたことだけだった。


「けっ、出すもん出してくるよ!ガキはいい子にしてろよ!」


 怒った巨人はパイナップルを守衛の股間に投げつけると、どすどすと音を立てて病室から出ていった。ドアが小さすぎて前屈みにならなければ部屋から出られず、怒りのままにドアを叩きつけることはできなかった。


 打って変わって静かになった病室に残された寅清は、服のすれる音から息遣いまで、なぜか自分の発する音を気にして突然気まずくなった。

 すると、沈黙を破るうめき声が病室に小さく響いた。


「…腹が痛い…うぅ…」


 二人の少年は悪臭を放つ守衛の男を同時に振り返った。下腹部の上にパイナップルが乗っている光景はシュールだが、本人にはそれが果物なのかウヘロの脛骨なのかもわかっていない。


「トレイキー」


 不意にニャファドが寅清を呼び掛けた。自分の名前だと気づくまでに暫く掛かった。


「な、何かな?」

 寅清は怖々、応答した。

「人が死ぬのを見るのは初めてだったろ」

「まあね…」

「人を殺したことは?」

「ま、まさか!あるはずがない!」


 少年は、両膝の上に置いていた"教育的な"本をどけると、腕をくるりと回転させた。これまでに何度も見た動きである。

 しかし、グヂパッパやクチャリンコに比べて動きは緩慢としており、やがてベッドの下から黒い物体が手の中にするすると入っていくのが見えた。糸?糸で武器を引っ張ったのか?手の中に武器を召喚するわけじゃないのか?


「僕はまだ〈シャバーナイーン〉が下手だね…」

 少年はそう呟くと黒い物体を寅清に差し出した。

 寅清は、ニャファドの手に握られていたものと似たようなものを持っていた。しかし、それはあくまで玩具である。


「お前、これであいつの頭を撃て」


 ニャファドが手渡した黒い物体──それは旧ソ連製の軍用拳銃であった。


「あいつはもう絶対に助からない。お前に度胸さえあれば彼は苦しまずにミシミシへ旅立てるんだ」


 命という不思議な現象は、それを救うよりも、奪ってしまう方が圧倒的に簡単であるからこそ儚く、そして尊いのである。

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