エベレレ・クラン -Clan of Eberere-
呪術に必要なものは私が調達しましょう。あなたがたは槍を私に授けて下さい。
──モコプッチ
ブニャニア王国時代の奴隷商。ここでの槍というのが実在するのか比喩的な意味なのかで学説が分かれている。
キリンですら見上げる小高い丘の上に設けられた謎のテント群と、それらの視認を遮る無数の陣幕。その白いカーテンから空に向かって突き出た監視塔。猛獣の跋扈するサヴァナにもちらほら人工物は確認できたが、トラックを運転するウヘロはわざわざ大きく迂回してそれらへの接近を避けていた。グヂパッパも目をひん剥いて2km以上先の監視塔上から視線を外さなかった。
「あれはネレボンゲ・クランのキャンプだ。みな2km先のリンゴを撃ち抜けるほどの優秀な狙撃手の集まりだが、不用意に近づくと見境なく劣化ウラン弾を飛ばしてくるのが玉に瑕だ」
また、道中2メートルほどの深さに掘られた塹壕と盛り土がトラックの進行を幾度となく妨害してきた。戦士たちはこれに即席の橋を架けなければならず、荷台から二本の鉄棒を担ぎ上げて、それをタイヤ両輪の幅をとって架けた。鉄棒の上を恐る恐るトラックが進む光景はなかなかにスリルがある。無事塹壕を渡り切った時には人質兄弟ですら己の境遇を忘れて喜んだ。
「こんなとこに塹壕掘る奴はチクリモッチ・クランの連中しかいねぇ。奴らの族長マシマシ・ハシシは神と悪魔の最終戦争が起きると信じてあちこちに地下壕や塹壕を造らせてる。ま、ドゥベドゥベ戦士は信教の自由を認めてるから別に構わないけどね。俺はサイエントロジーが好きだな」
荒野をひたすら南下する内に辺りも暮れてゆき、やがて南方に煌めくアキモンベの赤光が夜空一面を真っ赤に染めてしまった。それは巨大な野火のようにも見えるし、夕日を覆い隠す雲のようにも見えるが、自然現象というよりは壮大なオブジェクトが空を塞いでいるといった方が実際にその目で見た者が納得する表現として近い。
戦士たちが清範らに赤光を直接視界に入れるなと忠告してきた。曰く、あの光を眺めていると光も『こちらを見てくる』のだという。それが彼ら田舎部族の与太話だとしても、実際にあのような常識を超える光景を目の当たりにすれば畏れ多くもなろうというもの。清範は言われるがまま赤い光──アキモンベ──から顔を背けた。
「そろそろエベレレ・クランのキャンプが見えてくる頃だ。ここまで来ればもう安全だぞ」
氏族同士で要塞のようなキャンプを構えていがみ合っているような連中にとっては、自分の味方が大勢いる場所が何よりも安全なのかもしれない。だが、多額の身代金を期待されている清範らにとっては、そこが人生を終える場となる可能性だって十分にある。
──黙って殺されてやるつもりはないぞ。
清範は暇だったこともあって、目の前にそびえ立つ大男を殺すイメージトレーニングを行なっていた。
もしもここで事が起きれば、こいつを殺せるほどの狂気なくして我ら兄弟は助からない。弟と力を合わせればこいつらの一人や二人確実に殺せるはずだ。まず俺がこのグヂパッパと呼ばれている男に飛び掛かって払い腰で荷台に叩き落とす。受け身すら取れずに悶絶しているこいつの体をまさぐり、隠し持っている銃をマッハで奪い取ると間髪入れず運転席の男をヘッドショットで仕留める。これなら迅速に脅威を排除できるだろう。弟の役割は…あれ?弟は何をやってんだ?
兄は先ほどから手首を押さえて押し黙っている弟に声を掛けた。
「寅清、手首大丈夫か?痛むか?」
命を助けるためとはいえ、自分が馬鹿力で彼の手首をそうさせたので多少引け目を感じていた。弟もそれはわかっているので下手に痛がることもできない。
「動かさなきゃ痛みはないけど、ギプスしないとこうしてずっと手で手首を固定し続けなきゃならない。不便だ」
弟がそう言うと兄は頷き、彼の手首に添え木くらい巻かせろとグヂパッパに詰め寄った。寅清はこのトラックの天井に腰掛けているでかい黒人が自分をあまり好きではない事を知っているので、余計なことをした兄に内心腹を立てた。清範から事情を聞いた巨人は案の定、半目の小馬鹿にした視線を寅清にちらっと送ると、自分の尻の下にいるドライバーのウヘロに言った。
「ウヘロ、弟が手首にギプス巻かせろってさ。キャンプに着いたら女どものところに連れてやってくんね?」
「《キアモ・シンバ》へか?」ウヘロは驚いて訊き返した。「気が進まないな」
「だがまともな医療設備が揃っているのはあそこしかねぇだろ」
「そういうことじゃない」と、ウヘロが言った。「キアモ・シンバの女どもは外国の若い男を見れば妙な気を起こすかもしれない。俺たちの子孫が吊り目になってもいいのか?」
真面目な顔で馬鹿な事を言ったウヘロにグヂパッパは大砲のごとき大笑いで返した。
「妙な気なんか起こすわけねえだろ!こいつら最大時でも3センチしかねぇんだぜ」
人種や国籍を超えて全ての男が好む話題が下ネタであることは論を俟たない。その絶妙なくだらなさ、無意味さは『赤道の貴族』と呼ばれる誇り高きドゥベドゥベ戦士ですら頬を緩ませる。しかし、このウヘロという男は自分の意見をくだらない冗談で片付けられたことに終始怒り気味であった。
エベレレ・クランのベースキャンプ。
ライオンがいてもおかしくないような草原のど真ん中に、それはあった。道路などといった便利なものなど存在せず、わかっているのは現在エベレレ・クランがキャンプを構えている地図上の座標のみである。戦士二人はGPSとにらめっこしながら指定座標に間違いがない事を何度も確認すると、ようやくそこが自分たちのホームタウンであることを認めた。
「本隊のキャンプに来たのは二年ぶりだが…なんだこの姿は」
グヂパッパが目を丸くしているのはキャンプを囲むその外壁である。高さ4メートルほどのコンクリートの壁の上に有刺鉄線が張り巡らされている。自然と調和して暮らしていた遊牧民時代の面影は微塵もなく、さながら軍事基地や刑務所のようだ。壁の四隅には周囲を360度カバーできる監視塔がそびえ立ち、グヂパッパらのトラックが地平線に姿を現した瞬間から強力な照明を向けてきた。恐らくは夜目の利くネレボンゲ・クランのドゥベドゥベ戦士が何人かいるのだろう。
──あれじゃ誰も中に入れないな…。
──あれじゃ誰も中から出られないな…。
清範と寅清は閉鎖的な門構えを見て正反対の感想を抱いた。共通しているのは、あの壁の中に入ってしまえば、もう外部から誰かが助けに来る事は絶対にないという確信のみだった。
グヂパッパとウヘロは集落内部へと通じる検問所に到着すると案内板の指示通りトラックを枠内に停車させた。その様子を確認した詰所内の守衛がスピーカー越しに車外へ出るよう命じ、二人の戦士はガスマスクと防護服に身を包んだ守衛の者らに、トラックの中と自分の所持品を徹底的に調べ上げられた。防壁の前に設置された障害物の陰で四人の男らが膝立ちで銃を構えて万全の態勢を整えている。異常な警戒体制と言う他ない。
故郷の予期せぬ変わりっぷりに最初こそ戸惑っていた二人だったが、やがてこの罪人のような扱いに怒りを感じるようになってきたらしい、次第に彼らの受け答えも怒気を孕んだものとなっていった。
グヂパッパの背中に隠されていた拳銃を探り当てた守衛の男が言った。
「悪いが武器を持ったまま中に入ることはできない。他にも武器を隠し持っているなら出せ」
「もちろん、他にもいっぱい持ってるよ!」
グヂパッパは手のひらをくるりと回転させると手中にナイフを出現させた。ホテルで寅清に見せたあの奇術だ。その冷たい刃を守衛の男の首筋にぴたっと押し当てた。守衛が声にならない声を漏らして動けずにいるのを見ると、巨人は意地の悪い笑顔を作った。
「まだまだあるよ!」
その量には遠くで小銃を構えている守衛らも呆れて顔を見合わせた。大小のナイフが四本、拳銃一丁、マチェーテが一本、手榴弾が三発。ウヘロも負けじと手品師のように身体のあちこちから大量の武器を取り出して相手の眉間手前で手渡した。
守衛たちは内心穏やかではなかったはずだが、眉一つ動かさず涼やかな顔でそれを受け取り、そんな脅しは何も怖くないぞと言わんばかりの態度で応じた。顔見知り同士のおふざけといった雰囲気ではない。
「俺たち戦士は素手でも人を殺せるが、手首も必要かい?」
グヂパッパがバスケットボールほどもある巨大な手の甲を相手の目の前に差し出した。守衛は極度に肥大化・変色している拳をちらっと見やると、グヂパッパを見上げて言った。
「ライオンを追いかけ回すための槍はケツの穴にでも隠しているのか?」
ドゥベドゥベ族戦士そのものに対する侮辱だった。自動小銃で守られているからこそ言える軽口である。
「たかが守衛が言ってくれるじゃねぇか」巨人が笑った。冗談を理解できない隣の男が暴挙に出る前に宥める意味合いもあった。「あんな壁いつ造ったんだ?」
「去年の11月頃だ。なかなか立派なもんだろ?」守衛の男はガスマスクを外して言った。「俺たちも建築に関わったんだ」
グヂパッパはこの男を知らない。エベレレ・クランの集落は古くからドゥベドゥベ戦士の総元締めがいるせいか、他クランのそれよりも比較的開放的で、広大なサヴァナに点々と集落を構えるドゥベドゥベ族物流のハブとして機能している部分もある。ゆえに狭い集落内で顔を知らない者と出くわすことも珍しくはないのだが、集落全体を囲む防壁の建造に関わった人間となると話は別だ。
エベレレ・クランは近年、取り憑かれたように何かの研究を行っている。それも政府や外国に関知される事を極端に恐れているような際どい研究をである。そこには上位の戦士であるグヂパッパですらアクセスできない領域が確かに存在する。この防壁について何も知らされていない事からも、戦士がクラン全体から無条件に信用されているわけではない事も見えてくる。人生の全てを戦いに捧げた戦士より、そこに住んでいるだけのヤツが偉そうにするのは納得しかねる部分も確かにあった。
「まあいい。話は通ってんだろ?トラックの荷台に転がってるのは日本から来た大事な客人だ。一人は手首に怪我をしている。《キアモ・シンバ》で治療してやれ」
「誘拐犯に攫われた人質がクチャル氏に保護されるのだと聞いているが。なんでも最近では小銭稼ぎに自ら犯罪に手を染める恥知らずな戦士が増えたとか」
かなり棘のある言い方だった。
「おい、貴様の名は?」
グヂパッパの表情から一切の笑みが消えた。
「コンチャッチャだ」
「コンチャッチャよ、ここで安全に門番やってるお前らの給料は俺たちがカラダ張って稼ぎ出したカネから出てんだよ」巨人は一呼吸置いた。「わかったらさっさとそこをどきな!」
「断る。我々はクチャル氏の私設部隊だ。お前の命令では動かない」
コンチャッチャの言葉にグヂパッパは一瞬言葉を失った。
「一介の戦士が私設部隊だと!?」
巨人は壁の向こう側を見つめたまま動かなくなってしまった。
「一介の戦士ねぇ…」
コンチャッチャは右手を挙げて、呆然としている巨人の目の前で何度か指を鳴らした。他の守衛達から遠慮がちな笑い声が漏れた。
グヂパッパはしばらく呆然としていたが、やがて涅槃に至ったような安らかな微笑みを浮かべた。
「そうかそうか、お前らも戦士だと思って遠慮していたが、そうじゃないならガマンしなくていいよな」
グヂパッパはウヘロと目を合わせて、頷いた。
「クチャルの野郎、ナマイキな部下を全員ブチ殺してやるぜ!」
清範は何でそうなるんだよと叫んだが、遅かった。2メートル半ほどの大男が放った"ボディーブロー"がコンチャッチャの"顎"を捉え、190cmほどの巨体が後方に大きくふっ飛ばされた。清範は人が殴られてタテに一回転するところを初めて見た。
同時、ウヘロは相対していた守衛の股間に脛骨を5cmほどめり込ませていた。尾骶骨がウヘロの脚の形に合わせて歪に変形した。僅かに遅れて体全体が浮き上がり、先ほど没収した武器の入った袋を地面に落として、そのまま地面に崩れ落ちて動けなくなった。睾丸が割れてズボンが真っ赤に染まっていた。
程なくして詰所から雷鳴のごとき銃声と共に小銃の弾が飛んできた。荷台から様子を見ていた清範は慌てて姿勢を低くして仰向けの状態になると、その上を巨大な影がトラックごと飛び越えた。グヂパッパである。飛び込み前転受け身から素早く大きな図体をトラックの陰に潜めた。そうしている間にも弾丸が車体に1cmほどの穴を開け続けている。
「どんなもんだ!雇われ私設部隊の素人が戦士をナメてんじゃねぇぞ、ボケが!」
グヂパッパが興奮して叫んだ。
「少しお前を見直したぞ。いつもヘラヘラと笑っていて気持ち悪い奴だと思っていたが、やる時はやるんだな」
ウヘロが無表情で言った。この男も戦士がないがしろにされている状況は腹に据えかねる思いでいたのである。
「俺は銃に頼ったモヤシどもが大嫌いでさ。アサルトライフルなんて勃たねえ奴のディルドーみてぇなもんだ」
グヂパッパがトラックから首を突き出して辺りを見回していると「やべぇ!」と言いながら頭を引っ込めた。その直後に弾丸が彼の頭をかすめた。清範の脳裏を馬鹿げた考えがよぎる。そんなはずはないと思うが、今このでっかいおっさん、弾を目視で避けたのではないかと。
「撃ってきてるのは検問所の四人のみだ。左右の監視塔にいる連中はこっち見てるだけ。あいつらが手出ししないならこの喧嘩、勝てる」
何をどう見たらこの状況で「勝てる」などという言葉が出てくるのかと、清範はこの事態を引き起こしたグヂパッパを呪ったが、ウヘロの方も時々首を出しては慌てて引っ込めての繰り返しを行っている。二人とも相手の射線に自分の頭部を曝す事を恐れる様子がない。もしも飛んでくる銃弾を躱せる人間がいるとすれば…。
「さっき俺がキンタマを潰したヤツの近くに俺たちの武器が転がってる。このトラックを盾にしながらそれを拾いに行くぞ。武器さえあればどうにでもなる」
ウヘロの提案にグヂパッパは手を叩いた。
「良い考えだ!クチャルの野郎の悔しそうな顔が思い浮かぶぜ!」
それのどこが良い考えなんだと清範は呆れつつ、少しでも姿勢を低くするために首を横に向けた。耳はなくなってもいい。元から潰れているからだ。隣で小便を漏らしている寅清は上手い具合にうつ伏せになっており比較的安全な姿勢を保っている。
クレイジーな男たちはこの絶対絶命の状況にありながら楽しそうに移動準備を始めていた。この車を盾に前進するつもりらしい。彼らの一人が言った。
「もし死んでもミシミシで会おうな」
「いや、正直お前とはもう会いたくない」
ウヘロの冷たい言葉を合図に、大男二人が車体を掴んで力ずくでトラックを押し出した。ギアがニュートラルに入っていないばかりかサイドブレーキまで引いている状態のトラックがずずずと動き出したのを見て監視塔から歓声が挙がった。さっきまで二人しかいなかった監視塔の見物人が30人ほどに増加している。
いわば対岸の火事を決め込んでいる監視塔に対して、火事の真っ只中にいる検問所の守衛たちは大慌てで応援を要請していた。戦士という存在に対する潜在的な畏怖心や敬意が彼らの戦力を大きく制限していた。
「あと少しだ!あと少しで俺たちの武器に手が届く。投げナイフ四本全部あいつらのチンコに命中させてやるぜ」
グヂパッパが力の限り叫ぶと守衛達は震え上がった。しかし、いかに化け物のような体格の持ち主とはいえ、トラックを力ずくで動かすのは尋常ではない体力を消耗する。戦士らの筋肉がぴくぴくと痙攣し、息が上がっていた。
「あと少しだ、あと少し、手を伸ばせば──!」
「久々に帰ってきたと思えば、相変わらず騒々しい奴だな」
「!?」
その瞬間、地平線まで響き渡っていた銃声がぴたと止まり、トラックの荷台から場違いなほど冷静な声が聞こえた。日本人兄弟の声ではない。
──誰だ?
清範がその男を初めて見たのはその時だった。
荷台の上で仰向けに転がっている清範の目の前に、炎のような体毛に覆われた「股間」が突如として現れ、体脂肪一つない強靭な大腿筋が今は弛緩して弾力のあるゴム鞠のようにぷるぷると震えていた。
──なぜ裸…?いや、ふんどしは締めているのか…!?
突然の事に清範は情報の処理が追いつかず、白いふんどしが彼の記憶に強くこびりついてしまった。それは彼の人生において良くも悪くも頻繁に呼び出される記憶の一つとなる。
「な…てめ、いつの間に!」
突如現れた男にグヂパッパが驚いて、その短いフレーズを言おうとした。そして言い切る前に「股間」は消えた。いや、二歩移動しただけである。それが何故か消えたように見えたのだ。
その男はトラックの側アオリの上で器用にしゃがみ込むと、二人の戦士の両耳を流れ作業のように平手で叩いていった。外耳道内の急激に圧縮された空気と音による振動が彼らの鼓膜を一瞬で破裂させ、二人は平衡感覚を完全に失って仲良く一緒に倒れた。
旧友二人が戦闘続行不能であることを確認すると、ふんどし男は彼らの体型を見て溜め息をついた。
「随分と太ったものだ…強者とは平時において己の鍛錬に心身を捧げられる者を言う。日々の鍛錬を忘れた者は実戦から学べる事も少ない」
グヂパッパに並ぶほど大きな骨格に体脂肪のない猛獣のような筋肉を纏った男はそう言った。だがその言葉も鼓膜を失った二人のお騒がせ者には届かない。耳の激痛と静寂の中、荷台の側アオリの上で鳥のように器用にしゃがみ込んでいる裸の大男が、とある方向を指差した。
グヂパッパがその先に目を向けると、冷たい笑みを浮かべて自分を見下ろしている男がいた。さっき大砲のごときブローで確実に仕留めたはずのコンチャッチャである。殺したと確信するほど手応えがあったにも関わらず、その顔面には打撲痕一つ見られなかった。
なんのことはない、後ろに一回転しながら衝撃を逃がす技術はドゥベドゥベ族の男子ならば誰もが一度は練習したことのある受け身技の一つである。歴戦の戦士達はドゥベドゥベ族以外の者と「実戦」を繰り返してきた結果、そんな事にも気づけなくなっていたのである。
クラン中がひっくり返るような喧嘩沙汰をあっさりと片付けたふんどし男は、手中から出現させた刃物で清範の腕に巻かれていたロープを素早く切った。またしても例の奇術である。しかし彼の服装上、刃物を隠せる場所といえば限られる。清範はあまり考えたくなかった。
両手両足を解放された清範は手首をさすりながら、自分の命を救ってくれた大男を見上げた。この男も清範がかつて見たことがないほど背が高い。
「私が迎えに来るのが遅かったせいでお前たちを危険に巻き込んでしまったようだな。我々ドゥベドゥベ族の喧嘩は少々手荒でな」
目、鼻、口、ボディビルダーのような体躯、特徴的な髪型、そしてシンプルな服装。それら全てが攻撃的でありながら、その口調は純然たる紳士のものであった。
「私はドゥベドゥベ族の戦士長クチャリンコ。我がエベレレ・クランは君たちを心より歓迎する。さあ私についてきなさい。三食シャワーつきの待遇なら一日100ドルで承ろう。君たちの身代金からさっ引いておくので心配するな」
黒い紳士は、同時にとんでもない守銭奴であった。