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赤い地平線  作者: 原島としはる
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ジハード収束 -Jihad Convergence-

異教徒の王が定めた世俗法による我らへの不当な信仰の抑圧は、全てのムスリムが武力をもってこれを打ち滅ぼさなければならない。61の魂が異教徒の血に飢えた我らの同胞を、より強く団結させるだろう。

──パシャフ・ムワラジ


 2000年末に東アフリカ共和国セントラルタウンで起きた犠牲者61人を数える無差別銃撃事件の犯行声明文。

 東アフリカ共和国は近年、ヴィクトリア湖を望む北部一帯の工業化が著しいが、南部の乾燥地帯には依然として極度の低開発地域が果てしなく拡がっている。

 地平線を染める赤い光まで延々と続く乾燥地帯を、黒いピックアップトラックが南へ南へと急いでいた。荷台に清範ら兄弟とグヂパッパ、運転席にはウヘロが座っていた。


「…おうよ、こっちまで銃声が聴こえてきたぜ。それで、どうなった?」


 通信機に向かってグヂパッパが大声で喋っていた。相手は先ほどまで清範らが監禁されていた汚水処理施設にいるトジャキという戦闘員である。清範らと面識はない。


 トラックが施設を後にしてから程なくして花火のような銃声が清範にも聴こえた。あの音の一つひとつが誰かの命と共に消えていったのだと考えると命の価値というものを改めて考えざるを得ない。日本人の命も東アフリカ人の命も百円ほどの銃弾一発でいとも容易くこの世から失われてしまう点では等しく儚いものだった。


「相手は全滅?…お前らは…?」


 グヂパッパはトラックのルーフキャリアに腰掛けて荷台へ両脚を下ろしている。規格外の体格ゆえ車中に身を収めることができず仕方なくそうしているとは言え、異様な乗り方という他ない。


「マジかよ!!」


 興奮したグヂパッパが運転席のルーフをばんばん叩いて叫んだ。

「ウヘロ!あいつら一人の戦死者を出すこともなく14人のムジャヒディンどもをぶっ殺しやがった!」


 巨人は手に持った無線機にキスをした。


「ムスリムども、『アレ』を見つけると相当ショックを受けてたみたいでよ、その瞬間ヤツらのヒゲ面に銃弾の嵐が降り注いで全員仲良くあの世行きさ。今頃はシチューの具材になってる頃か」


 グヂパッパが自分の言葉で高笑いした。シチューの具材という悪趣味な表現が意味するところを清範は知っているので、込み上げてくる吐き気と嫌悪感を抑えなければならなかった。清範もはっきりと見たわけではないため、低解像度の記憶を頭の中で補完した結果、実際のそれより悲惨なものを現実と思い込んでいる部分も少なからずあるだろう。だがあの時見えた人間のパーツは氷山の一角で、その下にはその何十倍もの"具材"が沈んでいたであろうことに変わりはない。


『奴らのリーダーは生け捕りにした。なかなかの大物だぞ』

 トジャキがそう言うと、グヂパッパは恍惚の表情で誰だと問うた。

『アブドゥルハミド、〈ジハード収束〉内の武闘派最右翼幹部の一人だ』

「警官殺しで有名な奴だな。今喋れるか?」

『替わろう』


 無線機を持ったままトジャキがアブドゥルハミドの元へと移動すると、歌うような声が無線機から聞こえてきた。天に召される前に最期のクルアーン読誦を行っているのだろうか。グヂパッパが目を丸くして清範と目を合わせた。頭がアレな連中だろ?とでも言いたげな表情だった。


「ようテロリスト野郎。仲間に先立たれた気分はどうだ?」

 巨人が挑発的に言うと、読誦は止まった。アブドゥルハミドの抑揚のない声が無線機の粗悪な音声に変換され、清範らの乗る車両に届いた。


『例えその肉体が朽ち果てようとも彼らの霊魂は悠久の楽園にて生き続ける。いかにお前たちがこの気狂いじみた凶行に及ぼうとも、我らはただ我らのジハードを継続するのみ。裁きの剣はもはや振り下ろされたのだ』


 アブドゥルハミドの言葉はまるで湖の水面のごとく静かで神々しく響いた。死を前にしてなお一切の揺らぎがないその信仰心に、グヂパッパは嫌味で返した。


「お前らがセントラルタウンで丸腰のキリスト教徒どもを狙い撃ちしている間に誰がお前らのケツを守ってやったと思ってる?警察や軍の攻撃からお前たちを逃してやったのは誰だ?裁きの剣が聞いて呆れるぜ」


 かつては共闘関係にあったことを強調するグヂパッパに、部下を騙し討ちされたアブドゥルハミドが冷たい怒りをぶつけた。


『お前たちドゥベドゥベ人は主人のために使役される犬のようなものだ。主人の命令とあらば躊躇なく人を噛み殺し、必要ならば同族が相手でも戦う。忠実で、愚かな番犬だ』


 そこでアブドゥルハミドの声が途切れ、二度の鈍い打撃音と短い呻き声が聴こえた。死を覚悟しているからといって、必ずしも与えられるものが死であるとは限らない。また暴力に対して身体的苦痛や恐怖を感じなくなくなるわけでもない。

 これまで異教徒や警察官、時には学校に通う少女などに無慈悲な苦痛を与えてきた。それが巡り巡って己に返ってきたかのようであった。


 犬呼ばわりされたドゥベドゥベ戦士の大男は、周囲のサヴァナを見渡してライオンの群れを見つけた。


「俺たちの祖先は互いに相争い、強い者だけが生き残って子孫を残してきた。それを千年も繰り返せば犬だってライオンに進化するぜ(※1)」


 グヂパッパはドゥベドゥベ戦士の強さを敢えて進化という世俗的な言葉を用いて表現した。ムスリムには教義上受け入れることのできない概念を、確かにそこに存在する脅威と関連づけたのである。アブドゥルハミドはその反宗教的意図の込められた皮肉には応じず、不当に攻撃を受けた組織の一員として〈戦士〉そのものを非難し続けた。


『この施設は我々の同志達が活動拠点として使っていたはず。彼らはどこだ?なぜお前達がここにいる?お前達にはきちんとプロテクション(みかじめ料)を支払っていたのではないのか』

 アブドゥルハミドの声に僅かな感情の揺らぎが認められた。グヂパッパは簡潔に経緯を説明してやることにした。


「確かにその汚水処理施設はお前らの仲間がアジトとして使ってた。プロテクションも受け取ってはいた。だが俺たちもそこを使いたくなったんだ。こっちだって最大限譲歩して明け渡し額を提示したんだぜ。でも、なかなか話がまとまらなくてなぁ」

『それで皆殺しにしたというのか?』

「そうだよ、悪いか?」


 これまでに自身の宗教的信念から数多の罪なき人命を奪ってきたアブドゥルハミドだが、いま喋っている相手──〈戦士〉という古くから存在する集団──の思考を全く理解できなかった。ここを根城にしていた同志たちが殺された理由は、はっきり言ってあまりにくだらない。この惨状を見れば、意地を張らずにこんなアジトの一つや二つ明け渡してやれば良かったではないかと思わなくもないが、世界中から恐れられた過激武装組織がそんな理由であっさり壊滅してしまうとは未だに信じられなかった。


『20年だ。我々は20年もの間、政府軍や共産主義者、西欧諸国らと戦ってきた。仲間の死や刑務所での激しい拷問にも屈しなかった。全て大義のためだ』

「そうか」

『お前たちは何だ?我々と寝食を共にして政府軍と戦ってくれたかと思えば、翌日には政府軍の手先となってムスリムたちの迫害に手を貸していたりもする』


 アブドゥルハミドは、今の言葉の何がツボに入ったのか本気で爆笑しているドゥベドゥベ人たちを見上げた。ムスリム系テロリストを満載した三台の車両がアジトに踏み入ると、このトジャキという男が出迎えてくれた。アジトに見知らぬドゥベドゥベ人がいることや強烈な悪臭に一同が不審感を抱いていると、悪臭の原因は貯水槽に汚水が逆流したせいだ、一緒に配管の修理を手伝って欲しい、などと言ってきた。


 そこは遮蔽物のない開けた空間であった。隣接するビルから全体を視認できるよう設計された大きな貯水槽──そこで見たものは悪夢そのものだった。


 異臭の原因を知ってパニックに陥った仲間達は既に半数ほど減っていた。死因は毒矢である。アブドゥルハミドが罠だと気づいた頃には、ビルの屋上から容赦なく降り注ぐ銃弾で、20年の戦歴を誇るグループは呆気なく壊滅した。エジプト、パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリア、ソマリアでの地下活動を生き延びてきた百戦錬磨のグループが、である。


『この腐った貯水槽に沈んでいる…やはりこれは我々の…元同志達なのか』

 アブドゥルハミドが口にするのも憚られるといった様子で言った。

「もっと色々混ざってる。キリスト教徒やユダヤ人の死体と一緒に今頃は仲良く地獄でミックスジュースになってるかもなぁ!」


 死ね、とアブドゥルハミドは言った。あまりの怒りと悔しさに理性が飛んだ。『ミシミシに堕ちろ』

 口汚い言葉にグヂパッパは満足して言った。

「おうよ、ドゥベドゥベ戦士は死ねばミシミシに迎え入れられる。そこで永遠の栄誉に与りながら子孫の繁栄を見届けるんだ。お前〈ハチャナ〉に詳しいんだな、気に入ったぜ」

 両者の言葉の意味が噛み合っていなかった。片や呪詛の言葉として、片や戦士の栄誉として同じ固有名詞を正反対の意味に使っている。


『いいか、我々のイマームであるムワラジ師が必ずやお前達を全てのイスラム教徒の敵と見做すだろう。20億の尖兵がお前たちの聖地アキモンベを蹂躙する日も近い』

「うるせぇぞ!その12世紀みてぇな口調はうんざりだ!」


 グヂパッパとアブドゥルハミドの口論がヒートアップするに連れて、次第にただの子供じみた罵り合いへと変わっていった。このままではキリがないため、トジャキは二人の通話に割って入った。


『グヂパッパ、こいつの首には20万ドルの賞金が懸かっているんだが、どうする?』


 狂信者との会話に疲れてきた様子のグヂパッパが一瞬押し黙ってから、言った。

「警官殺しは警察に引き渡してやればいい。ただし謝礼を先に支払わせるのを忘れずにな」


 トジャキは胸を撫で下ろした。せっかく生け捕りにした大物テロリストを一時の感情で処刑しろ等と命ぜられてはたまらないからだ。グヂパッパの気が変わらない内に、この長いひげを生やした男を立たせようとした。


 ところがアブドゥルハミドは何かに気づいた様子で顔を上げた。


『ここで何か作ろうとしているのか?』

「!」


 何気ない質問に対して通信機からの返答がないため、アブドゥルハミドは横にいるトジャキの顔を見上げた。その時、彼らの何かに触れてしまったことがわかった。

※1 「もし彼らが今少し強欲で醜悪ならば、槍を持った獅子は犬の心を持つに至らなかったに違いない」(『赤道の貴族』Ludovic.E.Schwarzschild, P63)

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