カメレオン - cameleon -
リウ・クワンホンという男が1979年にブニャニア王国の首都ポンチョビに渡った。シンガポールの華僑だったという説があるが、はっきりしたことはわかっていない。
リウはポンチョビの繁華街で中華料理店を営む傍ら、自身の趣味である麻雀をアフリカに根付かせようと、当時のカナズラ族やドゥベドゥベ族に店の一角を開放して雀荘をこしらえた。禁欲的な国王施策の下で娯楽に飢えていた当時のポンチョビ市民らは、売春街に突如として出現した東洋の遊び場に殺到する。やがて雀荘はカジノへと変化し、名を『アッシュトレー』と改めた。雀士たちの吸い殻がいつでも床一面に散乱していたからである。
さて、そのリウ・クワンホンだが、今も生きている。東アフリカを引き裂いた内々戦や、司令部と青年団の抗争(AB Conflict)、オシメーリョ戦争、そしてブニャニア王国が東アフリカ共和国、ポンチョビがセントラルタウンと名を変えた今も、である。同国闇社会のセレブとしては異例の長寿であると言わざるを得ない。
「リウに会わせろ」
地下のアッシュトレーに通じる階段前でセキュリティの二人は顔を見合わせた。フードを被った大柄なアジア人が、突如として雇い主に面会させろというのである。
「あなたは?」
セキュリティの男は警戒しながらも強気に出ることはできなかった。本当にリウの知り合いかもしれないからだ。
「リウ・インチン。シンシーの息子だと言えばわかる」
フードを被った男は中国訛りの英語で答えると、中国語が記されたパスポートを開いて見せた。漢字はわからないが、確かに聞こえた通りのアルファベットが記載されているような気もする。
「オーナーのご子息がアッシュトレーに何のご用で?」
インチンは頭頂部を後ろに撫でてフードを背中に落とすと口を開いた。体脂肪のないげっそりとした顔に、相手の中身まで見抜いてしまうような眼光の鋭さがある。東洋人だ。
「お前らのボス、クワンホンは幼い俺と母さんを残して一人でアフリカまで逃げたんだ。借金だけを残してな。誠心誠意償ってもらいたい」
淀みなく答える東洋人に、二人のセキュリティは声を顰めた。
「お前、ここがどういう場所だかわかってるのか?例え本当の息子だとしても、カネ絡みでゴネりゃ殺されちまうかもしれねえんだぞ」
「そんなものは覚悟の上だ。だが、俺はあのクズを許すことはできない。例え俺が殺されようと、死んだ母さんの恨みをヤツに届けてやる必要がある」
そういうと、インチンはチャイナドレスに身を包んだ女性の写った写真を二人のセキュリティに示した。
「見ろ、これが母のシンシーだ。今年、心労の末に俺を残して死んだ。一言も父を恨む発言をせず天に召されたんだ!お前たちに彼女の悔しさがわかるか!?」
インチンは顔を振るわせ、目に涙を浮かべながら訴えた。彼の母はチャイナドレスのモデルかと思うほどに美しい。二人のセキュリティは気の毒に思ったのか、これ以上詮索することをやめた。
「わかった、わかったよ。とりあえず、待ってろ」
小太りのセキュリティが少し離れた場所へと移動し、携帯電話を取り出すと誰かに発信した。おそらくはクワンホン本人だろう。ちらちらとインチンの方を見て口元を覆いながら喋っている。もう片方の筋肉質なセキュリティは、母の写真を見て悲しげな表情を浮かべる中国人に疑いの目を向けつつも、哀れみの感情を抱かぬわけにはいかなかった。
しばらくすると小太りのセキュリティが電話を折りたたみ、インチンを手招きした。
「入れとさ。俺についてこい」そう言うと、セキュリティの男はこれでもかといわんばかりにインチンの全身をくまなくボディチェックし、顔を寄せ、小声で囁いた。「忠告しといてやるが、おかしな真似をするんじゃないぞ。向こうが慰謝料を支払うってんならその金額で満足するこった。くれぐれも値を吊り上げたりするなよ。組織の一員になりたいなんてのはもっての外だからな」
インチンを憐れんでの忠告でもあり、ぽっと出の中国人が自分たちの上司になるのも嫌だなと言う考えもあった。
「俺が欲しいのはカネじゃない。クワンホンが母に対して誠意を見せることだ。例えば、墓参りとか」
「そいつは…難しいだろうな」
クワンホンは外国へ旅行なんてできない。戸籍がなければパスポートが発行できないからだ。
第四VIPルームに通されたインチンは、誰もいないルーレット台横の椅子に腰掛けた。
「ふん、俺たちが苦労している間に、あいつはカジノで大儲けか」
「いや…実際そこまで羽振りがいいってわけでもないんだ。俺たちセキュリティの給料だって、やっと俺一人食っていけるほどしか貰ってねえし…死の危険がある仕事でこれじゃあ正直やってらんねえよ」
小太りのセキュリティは思わず愚痴を漏らしてしまった。金がないんだからあまり慰謝料を吹っかけるなという牽制の意味もある。
「あんた、名前は?」
インチンがぶっきらぼうに尋ねた。
「"フレンド"だ」
「フレンドだって?」
驚きは慣れっこといった調子でフレンドは答えた。
「あんたと同じく、俺も幼い頃から母と兄弟しかいなくてさ、ずっと貧しい生活してた」
「父は?」
「内々戦で死んだって聞いた」
「東アフリカ内々戦。当初は王権と市民勢力の政治的な内戦だったが、そこから更に民族や言語や宗教、果ては肌の色の濃さで互いに憎み争い、国が四分五裂したという戦争だな」
「俺が生まれる前の話さ。俺が生まれた日がちょうど停戦日だったんだよ。だから俺の名前は"フレンド"っていうんだ。変な名前だけど母が平和を願って名づけてくれた名だ、誇りに思ってる」
「そうか。我らは国籍や人種を超えてフレンドでありたいものだな」
インチンはフレンドに手を差し出した。断るわけにもいかず、フレンドは固い握手をせざるを得ない。セキュリティとして多少は武道に精通しているつもりだが、インチンの手はフレンドの手よりも傷だらけで拳骨が肥大化していた。背も高くガタイも良いので名のある格闘家か何かなのだろうか?
なかなかクワンホンが姿を表さず、フレンドの緊張感も解けてきた頃合いで赤い扉が左右に開き、遂にカジノのオーナーが顔を見せた。顔は日焼けのせいかドゥべドゥべ戦士のようである。
「インチン、待たせたね。母さんは元気かい…って、あれ?」
クワンホンが第四VIPルームを見渡して、フレンドに問うた。
「おれの息子はどこ?」
フレンドはそう言われて初めてインチンが部屋にいないことに気づいた。
「あれ?おっかしいな?さっきまでここにいたのに。トイレか?」
フレンドもクワンホンも面倒臭そうな奴が来たということで少し気を取られていたのかもしれない。ここでは暴力沙汰が当たり前であることをしばし失念していた。その油断にいち早く気付いたのはクワンホンだった。
「まさかっ!?」
そう叫ぶと同時にクワンホンは駆け出していた。
「り、リウ様!どこ行くんだ!?」
クワンホンはその人間離れした身体能力からホールのポーカーテーブルを飛び越え、客の頭上も飛び越えて第一VIPルームの前に辿り着くと一転して立ち止まり、思索顔のままドア横に背中をくっつけて立った。ホールの客らもオーナーの謎の行動を不安げに眺めている。
「リウ様、どうしたんですか?」
追いかけてきたフレンドにクワンホンは人差し指を口元に置くと、ドアを蹴って開いた。その先の光景を目の当たりにしたカジノの客が悲鳴を挙げると、ホール全体がパニックに陥り、恐怖が伝染し、大勢の客が我先にと出口へ殺到した。
「赤に全額ベットしておくべきだったぜ」
ドアの先にあったものは、ルーレット台の上で回転している『司令部』メンバーの生首であった。他にも首から血を流して倒れている死体が二体。だが両手を縛られていた"仙薬泥棒"の姿はどこにもなかった。
「いいねぇ、ニンジャみてえだ!」
中国人カジノ経営者の地位、財産、名前まで奪い取ったドゥベドゥベ戦士"ウタマンキ"は、東洋から来た暗殺者を褒め称えた。フレンドはそれとは対照的に鎮痛な面持ちで声を振り絞るようにして呟いた。人が死んだことよりもインチンに騙されたことの方がショックだった。
「…なにがフレンドでありたいだ。自分を偽ってるヤツとフレンドになれるわけねえだろ!」
クワンホンは『司令部』の死体を改めた。いずれも柔らかい頸動脈を突き刺されて脳漿が漏れている。西方ドゥべドゥべ戦士の中でヌエバ・クランなどが使う、脳を直接破壊する武芸【ニシェルタ】の技に似ている。ただ、それにしては傷跡が荒い。一瞬で相手の命を奪うことができなかった証拠だ。
「でも、三人の兵隊を隠しナイフのみでブチ殺したのか!どうやったんだ?やるじゃん!」
ウタマンキは『司令部』の男らが"ネルタ"で使用するはずだったマチェーテを拾い上げると、手首を回転させて近くの椅子をバターのように切り落とした。あまりの技にフレンドはおろおろするしかない。
「ニンジャ野郎のはらわた引き摺り出しにいくぞ、フレンド!ついてこい!」
その時、仙薬泥棒と、インチンという人物を演じた男は、恐怖に逃げ惑う人々に紛れて『アッシュトレー』を後にしたばかりだった。
アルバート・コーンウェル(英語: Albert Cornwell、1946年-現在)
南アフリカ共和国の出身の実業家。青年期にブニャニア王国(現・東アフリカ共和国)に移住。新聞社『ン・ンニャパッガ』全面出資のもと、他局に先駆けて同国国営放送局・ポンチョビ放送(現・セントラルタウン放送局)を設立、自らがCEOに就任した。以来、同国メディア王として21世紀現在に至るまで良くも悪くも政権に影響力を持ち続けている。
イングランド系の白人だったが、21世紀になると背の高い筋骨隆々の黒人になった事で世間を驚かせた。