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赤い地平線  作者: 原島としはる
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記憶は匂いから蘇る -quawai nyiibuo owa siib-

"Da place where I waz born haz taught me what I should do. I've alwayz done mo dan what I should do."(生まれた場所が俺にすべきことを教えた 俺はいつだってそれ以上のことをした)

──DJ EIGHX feat. Nyiahuwadinko / Into Da Game


DJ EIGHXはセントラルタウン・ブロサル・アヴェニュー出身のラッパー

 オゴロ・バンヅ公園を臨む一等地に、未だ60年代の姿を留める『ブロサル・アヴェニュー』がある。その名の通り、違法建築の売春宿が立ち並ぶ、裏の観光名所である。


 タカ派で知られる元警察署長のオシメーリョ市長ですら迂闊に手を出せないその一画は、長年ドゥべドゥべ系『アキモンベ司令部』とカナズラ系『ブニャニア青年団』の二大犯罪組織がその利権を巡って仁義なき戦いを続けてきた。だが冷戦期に中国の支援で設立された『青年団』は今、劣勢にある。オシメーリョが警察署から退いた日を境に、セントラルタウン警察が『司令部』の違法行為だけ黙認するようになったからである。パワーバランスが均衡していた20年前に比べて両者の緊張は極度に高まっている。


 寅清はそんな場所を一人歩きながら物思いにふけっていた。ここは売春だけでなく、あらゆる薬物が簡単に手に入る上に、出張殺人の請負まで行われている無法地帯だ。出歩くには危険すぎる場所だが、身を隠すには絶好の場所でもある。フードを目深に被った怪しげなアジア人を誰も気にしない。


 路上に晒されている誰かの遺体が目に入った。人間の尊厳など1mmも感じられないその遺体は、手足を当然のように切断され、割れた頭蓋骨から脳を取り出され、口に自らのペニスを突っ込まれている。外国人観光客の多くはショックを受けて立ち止まっているが、地元民は誰一人として気に留める様子すら見せない。遺体の顔面に彫られた刺青から遺体は元ギャングメンバーであることがわかる。長生きしたければ関わってはいけない存在なのだろう。


──懐かしいな、この臭い。


 寅清は、死体の酸っぱい臭いを嗅ぐや、遠き少年時代を思い出した。


 ベンキがドゥカティによって射殺された翌日、キアモ・シンバの療養室にクリジェという男が入ってきた。顔面にパイナップルが当たって頚椎を損傷したらしい。当時13歳の寅清から見ても間抜けな怪我だなとしか思えなかった。


 れっきとしたドゥベドゥベ戦士だそうだが、見た目は完全に白人で当時は驚いたものだ。同じ療養室にいるグヂパッパとは確執があるのか、お互い目も合わせようとしなかった。


 ある日、アジア系の顔立ちをした彼の弟が、兄の元へやってきた。誰もいない療養室に一瞬怪訝な表情を浮かべながらも、弟ベイジンはクリジェのベッド横に座った。


「…俺たちがグヂパッパのアホと喧嘩騒ぎを起こしたことでヤルクト酋長がクチャリンコ戦士長へ詫びを入れたらしい。お返しとばかりに戦士長は金髪の白人女を二人ネレボンゲのキャンプに送ったそうだ。酋長は大喜びで結婚式の準備をしているとか」


 ベイジンの近況報告に、クリジェは頷いた。


「グヂパッパの奴は心の底から気に入らないが、クチャリンコ戦士長を始めとするエベレレ戦士は敬意を払うべき男たちだ。戦士長も我らネレボンゲと争う気はないのだろう。それにしても酋長はまだ妻を娶るつもりなのか」

「120人も妻がいればあと二人増えるくらいどうってことないさ。アメリカの有名なポルノ女優らしい。クチャリンコの奴、酋長の好みをよくご存知だ」

 クリジェもベイジンも苦笑した。

「あの戦士長がいる限り、我々はエベレレと共にあろうではないか」


 そう言って目を閉じた。

 ヤルクト酋長は今頃結婚式を控え、丘の上に構えた邸宅の中で外国から輸入したポルノでも見ていることだろう。今は性欲に取り憑かれた醜悪な老人に過ぎないが、かつてはアキモンベの射手長として伝説を作り上げた男である。ネレボンゲがここまで繁栄できたのは紛れもなくヤルクト酋長のお陰なのだ。彼の血を引く者は、彼の血を更に増やしていくことに心血を注がなければならない。


「なあ、ベイジン…俺たち何のために生きてるんだろうな」


 クリジェが深い哲学テーマを問いかけながら静かに開眼すると、弟は半眼のまま動かなくなっていた。


「ベ…ベイジン」


 弟の頭は巨大な手でがっちりと掴まれていた。首から下は既になく、滴る血が頭部のない肉体に降りかかっている。


 血まみれの巨大なマチェーテを持った大男がベイジンの頭をクリジェの腹の上に置いた。絶望に顔を凍り付かせた『白霊』を見下ろしながら無邪気な笑みを浮かべている。


「ニャファド様がよぉ、お前らを殺していいって」

 すると、彼のご主人様であるニャファドとその家来であるトラキヨが背後からひょっこりと姿を現した。だがこんなガキどもは今どうでもいい。


「グヂパッパ!貴様…なぜだ、なぜ弟を…!」

「へへへ、お前のその反応を見たかったからだよ!」


 グヂパッパがクリジェの頬をぴしゃぴしゃと何度も叩いた。敗者を嬲るのは最高の愉悦である。事の発端はどうであれ、自分に危害を加えようとした相手が苦しめば苦しむほど気持ちがいい。胸がスーッとする。


「ぅぅ…グヂパッパ、おのれ…!」

「おいおい、まだ泣くなよ!これからお前がヒドい目に遭う番だってのに」


 グヂパッパは自分の言葉に恍惚として震えた。どうせ殺すんだからこいつの身体に何をしてもいいんだ。考えただけでワクワクし、ドキドキし、サディスティックな欲求が頭をもたげてくる。これからしばし緊密な時間を一緒に過ごすのだ。グヂパッパは呼吸荒くクリジェの服を切り裂き始めた。白い肌が顕になっていく。


「な、なにをするッ…!?」

「ハァ…ハァ…オメー、ほんと綺麗な肌をしてるよな」


 巨人は血走った目をクリジェの全身に向けた。いつもの子供じみた男の悪ふざけではない。自分の肉体に感じる未知の恐怖がクリジェの心を崩壊させていく。グヂパッパは生唾を飲み込んだ。


「くっひっひ…乳、脇、首、ケツにチンポだァ…」


 巨人の異常な言動にクリジェの恐怖は最大限に膨張する。その様子を眺めていたニャファドや寅清も、いつもとは違うおかしな雰囲気に目を泳がせていた。ニャファドの如きませた少年であっても大人がこのように本能を剥き出しにしているのを見ると得体の知れない恐怖感や嫌悪感を抱くらしい。


 股間を大きく膨らませたグヂパッパは、クリジェの全身を触りながら言った。


「ほら俺ってデケェだろ?ロンドンにいた頃はよく訊かれたんだよな、『何食ったらそんなに大きくなるんだ』って。こう見えても俺はグルメでさ、それが大好物なせいでロンドン暮らしも画家の道も諦めざるを得なかったんだよな」


「な、何を言っている…?」

 クリジェが顔をしかめながら訊いた。


「俺はニャファド様の番犬になった。何故ならこいつは俺にエサを与えてくれるからだ。俺がこの世で最も食いてえもんをよ!」


 "狂巨人"がクリジェの肩部に冷たい刃先をめり込ませると、手際よく肉と骨の間を切り裂いて、分離した。


「い、痛だだ!!!!!!」


 いつも冷静なクリジェが、釣り上げられた大魚の如くベッドの上で暴れ回った。真っ赤な鮮血がキアモ・シンバの療養室に飛び散る。


「ぎぃやぁぁ!助けてくれぇ!!!!」


 クリジェの抵抗虚しく、巨人は怪力でネレボンゲ射手長の顔面を押さえつけると、ナイフで切り出したゴムのようにぷるぷるしている部分にかぶりつき、歯でぶちぶちと肉を引き剥がした。


「これこれ!人肉だよ!超うめぇんだ!!ロンドンじゃこんな美味いもん食えねぇからなぁ!!」

「…!!……!!!……!!」


 苦痛と精神的ショックで目を剥いたまま動かなくなった"白霊"は、その強靭な生命力が仇となり、胸骨を切り開かれ、脈動する真っ赤な物体をグヂパッパに引きちぎられるまで絶命できなかったという。


「クチャルの心臓もいずれ食ってやるぜ。いいんだな?」


 グヂパッパはクリジェの心臓をもぐもぐしながら、ニャファドを振り返って尋ねた。小さなご主人様は、それには答えず、部屋の隅で胃酸を吐き散らかしている新たな家来を見ると、言った。


「トレイキー。君、お腹空いてないか?そんなに出したら何か食べたくなるだろ?」

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