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赤い地平線  作者: 原島としはる
20/23

独裁者 -dictator-

 権力、武力、国力。90年代初頭、法学者ンナミア・モンガラ氏が提唱した『モンガラ均衡』は、国家の持つ「力」を三つに分立させた。


  権力:権力(政府)は武力による強制力なくして機能しない

  武力:武力(軍)は国力による財なくして成り立たない

  国力:国力(自由経済)は権力による裁定なくして育たない


 ブニャニア王国に民主革命を成し遂げた男の提唱する、この国家じゃんけん理論は、国力、引いては国民に、自分たちが国家の一員であるという意識を抱かせた。無力に思えた市民も、権力や武力に匹敵する力を持てる!そんな考え方が一般市民や外国人労働者に至るまで幅広く根付いたのである。


 平和と安定した繁栄が喫緊の課題であるアフリカだからこそ根付いた思想。政府と軍と市民の相互依存関係を皆がはっきり認識した結果、真面目な東アフリカ市民は闇雲に働き、闇雲に学び、闇雲にエッチしたのである。それは権力者による暴走を抑える本来の目的とは別に、東アフリカ共和国に未曾有の経済成長と人口増加をもたらした。


 当時の偉大な先人たちの志は内々戦を経た今もある程度残る。市民は今もより良い明日を夢見て活力みなぎり、軍によるクーデターは2004年のムム・ムム将軍による蜂起を最後に起きていない。


 では、モンガラ均衡によって権力の暴走を抑制していたはずなのに、なぜ『東アフリカ内々戦』が起きてしまったのか。様々な要因はあれど、最高権力者としての大統領に責任の一端があることは間違いない。モンガラ均衡をぶち壊したのは、他ならぬンナミア・モンガラ自身だった。


 2017年、ベルギーの取材クルーに対してモンガラ大統領は、こう答えている。


──確かに私は王家から権力と武力を奪い、国民をその下に置きました。しかしながら、反知性的な国民を正しい方向へと導くには時として崇高な独裁が求められることもあります。私はアミン(イディ・アミン、ウガンダの独裁者)のごとき独善的な男ではないのです。


 その崇高な独裁者は国家予算の8割を着服してプール付きの大邸宅を建てた。フェラーリやランボルギーニをトミカのおもちゃさながらにコレクションした。この男が国家を三つの力に分けたのは、独裁や軍の暴走を力の均衡によって抑制するためではなく、自分が効率よく国家を握るための戦術だったのかもしれない。ここに、彼に与えられたノーベル平和賞に疑問符が付くのである。


 最後に残る自由と平和の牙城は、市民による自由経済とマスメディアである。暴走する権力を止められるのはそれしかない。特に世論を形成するマスメディアの責任は極めて大きい。


 東アフリカ共和国の国営放送、セントラルタウン放送局(CTBC)のスタジオで、足立は大勢の聴衆が見守る中、四台のカメラを向けられていた。その隣でマイクを持った巨大な男が日本からの客人を視聴者に紹介していた。


「この男はアダチ。日本から来た若者で、モンガラ大統領の偉大さに感銘を受けて、わざわざこのセントラルタウンにまで単身渡ってきたというのだから恐れ入る」


 キンメルの流れるような司会に合わせて、スタジオの観衆は拍手と歓声で足立を囃し立てた。当の足立は困惑するしかない。ジミー・キンメルと名乗ったその男。その男らしすぎる外見から寡黙で誠実なイメージを勝手に抱いていたが、実際には饒舌で嘘つきだった。モンガラに感銘を受けたことなど一度もない。


「モンガラのどんなとこが好き?」

 キンメルが恋に溺れた女子高生のような質問をしてきた。

「うーん、全部…かな」

 適当に答えた直後、足立は何故か後悔の念を覚えた。キンメルはお構いなしにカメラへまくし立て、足立のつたない英語を変声で真似た。

「聞いたか?『うーん、全部…かな』これは大変なことになったぞ!こんな熱烈な愛を見せつけられたら、さすがのオシメーリョ(アンプラオ・オシメーリョ。ポスト・モンガラの最右翼)もヤキモチを妬いてしまう」


 キンメルの軽妙なトークに観衆と撮影クルーから遠慮がちな笑いと大げさな拍手が起きた。テレビマンである足立にとって、このようなスタジオは日常的な場所だが、よりにもよって同業の男にまんまと乗せられ、わけのわからぬまま生放送番組に出演までさせられるとは。騙された形に近いが、まさかこんないかつい大男がテレビ番組の司会者だなんて誰が想像し得よう。こんな俗物を現代に残る誇り高きドゥベドゥベ戦士の末裔だと見込んだ己の鑑識眼のなさには呆れる他ない。


 キンメルは腰を屈めるとカメラのレンズに唇を当て、生温かい吐息と白い水蒸気でテレビの前の視聴者に問い掛けた。番組名物らしく、観客は悲鳴混じりに喜んでいる。


「お前たち市民どもが毎日呑気に食べて、呑気に働き、呑気にいびきをかいていられるのはなぜだ?誰のおかげだ?この日本の若者はもう知っているぞ」


 思ったより過激な発言をするキンメルが足立にマイクを向けた。電波に乗らない程度の小声で「モンガラだ」「モンガラと言え」と呟いているが、足立はバラエティ番組制作者の血が騒いで、それを無視した。


「それはずばり、市民の皆さんによる不断の努力の成果でしょう。私は日本のテレビマンです。市民こそ正義であり、国の礎であることを誰よりも知っています」


 予想外の回答にスタジオ内の観衆から万雷の拍手が沸き起こった。当の足立はなぜ自分がそのようなことを言ってしまったのか、よくわからなかった。ただ、公共の電波で為政者を褒め称えることについてアレルギーのようなものが足立の中に確かにある。JBA報道部の反権力的な思想がいつの間にかバラエティ畑の足立の中にも芽吹いていたのだろうか。モンガラのことはノーベル平和賞を受賞した元人権活動家であるという情報以外よく知らないが、権力者は悪であるという前提でものを考えるようになっていた。


 ふとキンメルを見上げると、目玉をひん剥いて、顔面を血管だらけにしながら足立を睨み下ろしているではないか。よくもシナリオと違うことを言ってくれたな、とでも言っているのだろうか。


 キンメルは足立の肩に腕を回して、言った。

「アダチ、よく聞くがいい。お前がこの国に入れたのはモンガラ大統領のおかげだ。お前が生まれたのもモンガラのおかげ。お前が生きて呼吸していられるのも全てモンガラのおかげだ。理解したか?」


 想像してみてほしい。どんな馬鹿げた与太話でも230cmの筋肉黒人にそれが事実だと凄まれたら読者諸賢は涙目で首を縦に振るより他ないことに気づくだろう。


「では、今一度訊くぞ。愚かな国民どもがのうのうと生きていられるのは、誰の、おかげだ?」


 隠しもしないプロパガンダ番組の司会者キンメルが足立の耳元に口を当てて、再度同じ質問をした。猛獣に全身の臭いをくんくん嗅がれているような絶体絶命感の中で、脇腹に硬いものが突きつけられていることに気がついた。ピストルである。ピ、ピストル!?その格好のどこからそんなものを取り出したんだ?足立は覚悟を決めざるを得なかった。


「皆様がのうのうと生きていられるのも、やはり市民の皆様の努力の賜物でしょう!市民万歳!民主主義ばんざぁ〜い!」


 足立は半ばやけくそになりながら「西側」の一員としての仁義を通した。キンメルは興奮した足立に若干引きながらも、観衆にはウケているのを見て、スタジオが温かい内に進行させてしまうことにした。


「アダチはそういう意見だそうだ。皆はどう思う?Twitterに意見をどしどし送ってくれ。番組側が検閲した無難でスカスカな意見だけ紹介してやろう」


 いかつい司会者はピストルを持った手を独特の仕草でくるりと回すと、そこそこ大きな金属の塊を一瞬で消してみせた。あまりの手際に足立は自分が見たピストルを幻覚だったのではないかとさえ思ったほどだ。


「CMの後は大人気コーナー『おまぬけナイジェリア人サリムのREA気ままに一人旅』だ。チャンネルはそのままだぞ。と言っても他の局はもう解体されているが」


「CM入りまーす」


 プロダクションアシスタントの言葉に、スタジオ内にしばしの小休止がもたらされた。さっきまでの圧迫インタビューが何だったのかと思うほど冷静に番組を進行させるキンメルに足立は困惑した。まあ普通に考えれば全国ネットの生放送中に人を射殺するはずはないのだが…。


 足立はピストルを向けられたどころか、実銃を見たこともない。状況があまりに現実離れしていたせいか、今になってようやく恐怖を感じてきた。だが考えてみれば実銃を使うツッコミというのは新しい。アフリカならではの番組の方向性がおぼろげに見えてきたような気もする。


 足立は殺されるとは言わないまでも、この大男から大目玉を食らうのではと身構えたが、意外にもキンメルは笑顔で足立の肩を叩いた。


「お疲れさん。急なテレビ出演に驚いたんじゃないか?」

「そりゃ驚きましたが…」

 ふんどし一丁で司会してる方が驚きだよと足立は思った。

「あ、あの…あれで良かったんですか?」

 足立は恐る恐る、尋ねた。

「"良かったんですか"だと?馬鹿を言うな、お前はいつだって最高だ。またいつでも遊びに来るといい」キンメルは目尻を下げながら白い歯を見せた。「さあ、帰れ」


 なんだこの男は。さっきのモンガラ推しは何だったんだ。そして出演ギャラもなしか。


「キンメルさん!あなた、もしかしてドゥベドゥベ戦士の末裔では?」

「人違いしているのではないか?」


 足立が思い切って尋ねたのに、キンメルはにべもなく否定した。人違いと言われても、まずその姿を鏡で確認しろと言いたい。年齢は恐らく四十代半ばくらいか。口元のしわや荒れた皮膚はそれくらいに見える。ただ、肉体は中年や一般市民のそれではない。筋肉もそうだが、銃槍が無数にある。そもそも、その上背の高さは噂に聞くドゥベドゥベ族男子以外の何者でもなかろう。


「私はこの国で本物のドゥベドゥベ戦士を探しています。観光客向けにコスプレしている現代人ではなく、誇り高き『赤道の貴族』を、です」

「ほう」


 キンメルが食いついた。番組スタッフや観客は凍りついているが、キンメルは興味津々で足立の話を聞いている。


「彼らと共に番組を制作することが私の目的です。できれば彼らと寝食を共にし、戦士の誇りや流儀を日本に紹介したい」

「ハチャナをか。悪くはない企画だ」

 この口ぶり、やはり多少なりとも本物のドゥベドゥベ戦士を知っているのか。

「明日、この時間、またここに来るといい。CTBCが日本のテレビ局に協力してやろう」


 やった!コンタクト成功だ!足立は内心飛び上がらんほどに喜んだ。

「ありがとうございます。この足立新太、JBAを代表して感謝の言葉をお伝えいたします」

「CTBCのCEOアルバート・コーンウェルとして、今後ともJBAとの連携を進めていきたい」


 足立はCM開けまでの短い時間、コーンウェルと固い握手を交わした。手が野球のグローブくらい大きい。皮膚もカチカチに硬くなっている。


「いや、アルバート・コーンウェルって誰だよ。セントラルタウン放送局のCEO?このおっさんが…?」


 裸の司会者キンメルがCEOコーンウェルになった。意味がわからないが、冗談を言っている雰囲気ではない。


 ドゥベドゥベ族は一定の箇所に定まらないと聞いたことがある。居住する地区も、家族も、呼び名も、全てが陽炎のように変化し続けるのだ。我々には理解し難い風習かもしれない。ただ、日頃から激しい変化に慣れておけば、世の中のどんな変化にも柔軟に適応できるメリットはある。


 しかしながら、名前すら定まらないのはさすがに不便だ。そのためドゥベドゥベ戦士内に限り、一つの名前を共有していると言われる。この男、コーンウェルもドゥベドゥベ族の間での呼び名があるのだろうか?そんなことを考えていると、謎に満ちた彼らの生き方を、ぜひ今流行りのバラエティ番組的悪ノリで面白おかしく紹介してやりたいなと足立は思うのである。


 突如、コーンウェルが、スタジオを後にする足立に尋ねた。 

「お前もジュードーをやっているのか?」

「いいえ?柔道…なぜです?」

「いや、なんとなくだ」


 コーンウェル、いや、キンメルはカメラに向き直ると、今度は中継先の間抜けなナイジェリア人(実際には東アフリカ人の役者だが)をどぎつい差別的ジョークでイジり始めた。

オッポンカモッチョ大父【op'poncum-occho the Great Father 】


プロテスタント系教会『Heaven's Bugle』の牧師。キリスト教を信仰するドゥベドゥベ人、いわゆる"Bleached Dbwedbwian"(白系ドゥーブ)の教祖とされる。

ドゥベドゥベ人優生論者グループ『モコプッチの槍』の最大後援者であることが死後発覚した。

警官との銃撃戦の末に1000人の信者が集団自決を行った『ヘヴンズ・ビュゴル事件』に関与したとして有罪、2000年11月に死刑執行済。

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