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赤い地平線  作者: 原島としはる
19/23

世界百周トラベラー - JBA系列,毎週火曜日23:00~23:54

 ヴィクトリア湖で獲れたナイルパーチと、主食のウガリ、見たこともない豆、そして南ア産ワイン。2018年に開業した大型ショッピングモール『プワナ・ガーデン』内の地中海レストラン『リビアン・ガダフィ』では、ミシュラン二つ星シェフが作るブニャニア料理がいただける。


 テレビでは視聴者に味を伝えることができないため、番組出演者にはひと目でアフリカ料理だとわかるビジュアルのメニューを平らげてもらわねばならない。それゆえ事前の毒見は大事だ。特にこのような非先進国での料理には万全を期して過ぎることはない。衛生的観点からではなく、キャスティングの問題である。


「NAKOはゲテモノと不潔と辛いものがNG、平地シュワルツネッガーは卒なく食レポをこなすが、収録後Twitterに店主の接客態度を揶揄する書き込みをして炎上した前科アリ、か」


 プロデューサーの飯島から送られてきた出演者情報をチェックしながら、足立は白身魚を水で流し込んだ。ランチにしては豪華だし、思いのほか美味くて味も濃い。そんな感想しか出て来ない自分はやはり裏方がお似合いなんだろうなと思った。


「お味の方はいかが?」


 若い女性ウェイトレスが足立に話し掛けてきた。東洋系の観光客が珍しいのかもしれない。通りを歩いているだけで道行く人々の好奇の視線を感じたほどだ。


「ブニャニア料理を食べたのは初めてだが、ここまで美味いとは思わなかった」


 足立はそれなりに誉めたつもりだったが、ウェイトレスの顔が一瞬強張った。今の言い方だと、もっと不味いと思っていたという意味にも取れる。外国では一言一句に気をつけないといけない。


「東アフリカ共和国へ来られたのは初めて?」

 ウェイトレスが会話を流すように尋ねた。


「初めてだよ。マイネームイズ、アダチ、日本のTVクルーだ。今度この国で番組を作ろうと思っててね」

 足立は食事が済み次第、この店の店長に撮影許可を得るための交渉を行おうと思っていた。ウェイトレスを通せばよりスムーズに事が進む。


「そう、日本のテレビの人なのね」

 向こうから尋ねてきた割には、あまり興味のなさそうな、極めて事務的な相槌である。

「どんな番組?」

「個人的には出演者が毎回死にかけるような過激な内容にしたいんだけど…」

「何それ」


 ウェイトレスが笑った。冗談だと受け取られたのかもしれない。だが、足立は至って真面目である。


 番組企画会議において海外ロケ地候補に東アフリカ共和国を推した時、足立以外のメンバー全員が難色を示した。欧米諸国に比べるとアフリカは視聴者の興味が薄く、よほど豪華な出演者でもない限りは数字に期待が持てない。また、長年続いた内々戦の暗いイメージがバラエティ向きでなかった。


 それでも足立は押し通した。今のままではいけない、早急に独自路線を開拓しなければ視聴者の記憶から『世界百周トラベラー』の番組名が失われる。ブルジュ・ハリファを建てた者たち、コスプレ好きフランス人、アルゼンチンのイケメンすぎる天才サッカー少年。確かにそれらは面白い映像には違いない、数字的にはまずまずの結果を残した。だが、番組側が視聴者のニーズを気にし過ぎたせいで、皮肉にも番組そのものが視聴者の記憶に残らなくなった。天才サッカー少年のことは覚えていても、それが何という番組だったのか覚えている視聴者はもういないだろう。数ある旅番組の一つという括りで見られているので、その内の一つが消えたところで誰も気に留めない。


 だが、アフリカならば!貧困と動物とエイズのイメージしかないアフリカならば逆に番組の特色を色濃く出せるに違いない!番組打ち切りが現実となりそうな今だからこそ暗黒大陸に飛び込んで確固たる足場を作っていくべきなのだ。幸い、スポンサーは足立の考えに一定の理解を示してくれている。


「とは言っても、具体的なことは何一つ決めてないんだよなぁ…死の密教ってのが本当にあるのかも定かではないし…」


 足立がひとりごちた。大見得を切って現地に来たのに何も成果がありませんでしたでは只では済まない。そのプレッシャーが日ごとに膨れ上がっていく。何か面白いものを探さなくては。


 この国に興味を持ったきっかけであるドゥベドゥベ密教(Tantric Dbwe Dbwe Magic)。ダークウェブ上に転がっていたソースによると、東アフリカのどこかに死臭漂う地獄のような場所があり、そこで不死身の肉体を得るために過激な修行をしている危ない集団がいる、という話だった。部外者が近づくと普通に殺されるらしい。馬鹿げた与太話に思えたが、調べてみると確かに東アフリカ軍が何もないサバンナの一部地域を立入禁止地区に指定していることがわかった。それが件の密教に関するものなのかどうかはさておき、何かあることだけは確かだった。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」


 アポなし、許可なし、ゲリラ撮影。マンネリ化した旅番組を再生するキーワードとして足立が思い描いていたものを突き詰めていくと、どうしても番組が過激化していく。そして、その過激化の極地にあるものは恐らく「死」である。視聴者は安全な空間から「死」を味わうことが大好きなのだ。ドラマも映画も「死」で溢れているではないか。しかし出演者を死なせるわけにはいかないので、死にニアミスするだけでいい。その役目は番組制作責任者たる自分にある。最悪、自分が死に顔を晒してもいい。危険上等である。自分が命を張れば張るほど皆が夢中になるのだ。己の命がこれほどまでに光り輝く瞬間は他にはあるまい。


 足立はウェイトレスに尋ねた。

「君君、ドゥベドゥベ密教って聞いたことあるかい?」


 足立のこの問い掛けに、ウェイトレスの表情が凍りついた。予想を上回る反応に足立はほくそ笑む。これは絶対に何かあるぞ──。俺のディレクターとしての輝かしい第一歩はこのヤバめなネタで決まりだ。


「知らない知らない。変なこと聞かないでよね」

「ごめんごめん。風の噂で聞いたもんだからさ」


 足立は苦笑いしながら胸ポケットをまさぐってポンド紙幣を5枚ほど掴み、ウェイトレスのポケットに突っ込んだ。しかし、ウェイトレスは困惑した様子で十日分の賃金に当たる外国通貨を突っ返した。


「…あのさ、あんまりそういうこと探らない方がいいよ。今あんたがいるのは…え?」

 突如、タキシードに身を包んだ初老の男が二人の間に割って入ってきた。

「Aminata, wundu rohe baga?」

 ブニャ語でウェイトレスに何かを尋ねたようだが、ワインボトルを両手に持ちながら人の良さそうな笑顔を足立の方に向けている。

「TV crew…bwa djapondu」

 ウェイトレスも拙いブニャ語で応じた。男はぎょろっとした黄色い目を彼女に向けた。


「rohe, coqua bwa nyes journalist wundu sii derra muoi restaurant? baye quedo niubaye heh HQ tada npad dada. duba, shapa foto braho rohe nyaho heh rekutu」


 足立には何を言っているのか皆目見当もつかないが、話者の柔和な表情に反して好意的な内容でないことだけは察しがつく。さっきのフードを被った怪しげな男によると、都市部に住む東アフリカ人は英語しか解しない者も多く、ブニャ語は今や消滅危機言語の一つとなっているらしい。少なくとも日常会話でブニャ語が使われることはまずあり得ないのだという。にも関わらず、このタキシードの男がブニャ語を使った理由など一つしかない。足立に聞かれたくないのだ。


「…自己紹介もなしに失礼。私はボボ・バンボ、この店のオーナーです」

 今度は英語で慇懃にそう言うと、手に持ったワインボトルの銘柄を足立に示した。

「ブドー・デュ・キヨヌリでございます。我が国自慢の葡萄『ブドー』で造った国産ワインです。お試しあれ」


「で、では一つ…」

 足立はワインが注がれたグラスを持ち上げると、とりあえず匂いを嗅いでから、まるでコーラを飲むようにごくりと一気に飲み干してしまった。

「これは…その、とても素晴らしい味ですね」

 それらしいことを言おうと試みたが、桁違いに浅い感想しか出ない。もっとも、ボボ・バンボの方もあまり気にする様子はなかった。


「日本のTVクルーの方だとか」

 ボボ・バンボが切り出した。「ドゥベドゥベ密教なら私が存じております」

「なんですって!?」


 足立は驚愕した。話がとんとん拍子で進んでいく。やはり人生においては初めの一歩こそが重要で、一旦動き出せば大概何とかなるものなのだ。

 だが、ボボ・バンボの口から出た言葉は足立の期待していたそれではなかった。


「ドゥベドゥベ族伝統の呪術と、猛獣の跋扈する大自然の中で三日間のマインドフルネスを体験する大人気のツアーが『ドゥベドゥベ密教』でございます」


 一度舞い上がった足立は、そのまま奈落へと落下するような感覚を覚えた。ただのツアー名だって?冗談じゃない、俺はそんなもののために全てを賭けたというのか。失望する足立を尻目にボボ・バンボは続けた。


「ドゥベドゥベ族と交流するなら観光案内所に足を運んでギャラを支払うと宜しいでしょう。歌、ダンス、伝統料理教室、民族衣装を着けての写真撮影から、牛糞で作られた宿泊所で泊まることだってできますよ」


 それじゃ駄目なんだよと足立は思った。ギャラは当然支払うつもりだが、伝統文化の演技料としてギャラを要求されるのは違う。それじゃこれまで他局で見てきたアフリカの映像と何も変わらない。がっかりする足立に追い打ちを掛ける形でボボ・バンボは無慈悲に続けた。


「少し値は張りますが、あなたがたの国にドゥベドゥベ族を逆にステイさせることもできますよ。初めて先進文明に触れた時の初々しいリアクションはドゥベドゥベ族の右に出る者がございません」

「おいおい…ああいうのって、そういうことだったの?」


 足立は業界人のくせにショックで言葉もなかった。見よ、このセントラルタウンを!マンハッタンや新宿を見て腰を抜かすようなヤツがセントラルタウンのビル群には何も感じなかったとでも言うのか?


「ではごゆっくり。私はいつでもこの店におりますので、ご用の際は遠慮なくお声をお掛け下さい」

 ボボ・バンボは足立の夢をさんざんに打ち砕くと、ウェイトレスの肩に手を乗せてから他のテーブルへと移っていった。


 残された足立の様子を見て、ウェイトレスは自分のスマホを取り出した。

「ねえ、お兄さん、せっかくだし一緒にチェキしよッ☆」

 あまりに場違いで脳天気な提案に足立は苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。無理やり撮影を終えるとチェキ代一ポンドを要求され、またレストラン以外では絶対に彼女に連絡を取らないことを約束させられた。



 足立は『リビアン・ガダフィ』の支払いを済ませると、浮かない面持ちで店を出た。ここは観光客向けの商売が悪い意味で洗練され過ぎている。今時のドゥベドゥベ族はライオンも追わないし華やかな民族衣装も着ていない。Spotifyで2pacを聴きながら週末はシボレーを転がしてクラブで朝までコカインをやるような男たちが、仕事でドゥベドゥベ戦士のコスプレをして観光客の前でドゥベドゥベ戦士を演じるのだ。


「もはやこの国に本物はいないのだろうか…?」

 嘆息し、天を仰ぎ見た。ああ、ブニャニアの蒼天よ。汝がこの赤い大地を睥睨する時、ヒトの営みの醜さに失望することなかれ!足立は力なく項垂れた。


「異国の青年よ、なぜ頭を垂れる」


 突如、天から声がした。まさか!?驚いて足立は天を見上げた。神は英語を使うのか?いや違う、230cmの高所におっさんの顔があったのである。


「な…!?」

「男子槍折れて思慮深し、という言葉を知っているか?これは万策尽きた時こそ思考を巡らせば自ずと道は拓けるという私が考えたことわざだ」


 電柱のように大きな筋肉ムキムキ男が『リビアン・ガダフィ』の軒先でトトロのように足立と並んで立っている。身に纏うは腰に巻いた純白の白い布切れ一枚のみ。フォルムの95%が何かしらの筋肉である。


──本物がいた!!!!!!!


 足立の心は少年のように浮き立った。ドゥベドゥベ族をよく知っているわけではない。だが、間違いなくこいつはドゥベドゥベ族の戦士だ。何故かはわからないが足立の全身がそう確信した。理屈ではないのだろう。それにしてもオシャレなファッションストリートであるアグンバ大通りで何というシンプルなコーディネートであろうか。側頭部を完全に剃り上げた覇気ヘア。その熱い心を冷却するかのように放熱を突き詰めたスタイル。


「あの、失礼ですが、あなたは?」

 足立は恐る恐る、この変人に訊ねた。

「私はジミー・キンメル。詩人だ」


 こんなでかい詩人がいてたまるか。足立は突如現れた自称詩人に戸惑いつつも、高鳴る鼓動を抑えることができなかった。筋肉と疵。答えが見つかったような気がする。今の軟弱で女々しい日本のテレビに足りないもの、それは濃厚でぎっとぎとの男臭さだったのだ!


 キンメルは身を翻すと足立を振り返り、言った。

「では、行こう」


 キンメルは駆け出した。足立は慌ててそれを追う。逃してはならない、そんな気がした。どこへ?という疑問が湧き上がることは不思議となかった。

アキモンベ司令部【 Aquim Ombwe Headquarters 】


ドゥベドゥベ人と他部族との混血、いわゆる『ウヂュメポコ』を主な構成員とする犯罪組織。最高幹部チュメチュメが収監されているヴィクトリア刑務所を本拠地としている。

麻薬密売、殺人、強盗、恐喝、人身売買、売春などの非合法活動の他、スポーツイベントの開催、音楽プロデュース業、飲食店の経営など合法活動にも関与。

エルサルバドル系犯罪組織マラ・サルバトルチャ(MS13)からの影響が指摘されている。

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