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赤い地平線  作者: 原島としはる
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現代 -predgent ora-

 2021年1月1日、パニの彫刻で有名なオゴロ・バンヅ公園。セントラルタウンの中心部に位置する、この緑豊かな公園には世界各国から様々な旅行者が集まる。物好きなバックパッカーや、ハンティング目的の大富豪、そして学者。長年続いた内々戦の疵痕も表面的には癒えており、数年前までは出歩くだけでも死と隣り合わせだった一画が、今では多様性の象徴と化していた。


 JBA放送の人気番組『世界百周トラベラー』番組ディレクターである足立新太は、オゴロ・バンヅ公園に面したアグンバ大通りを歩きながら、行き交う人々と簡単な挨拶を交わす中で、何やら健全でない雰囲気を感じ取った。陽気なカナズラ族の底抜けに明るい笑顔の中に、果てしなく深い不信感のようなものを見たのである。


 高層ビルの立ち並ぶ近代的都市の至る所に設置されている監視カメラや、空を飛んでいるドローンは一体誰に向けられたものなのだろう。小銃を手にした大男たちが、真っ黒に塗られた大きなバスの天井に乗って群衆を見渡している。誰も彼らと目を合わせない。足立が思い描いていたアフリカは、こういうものだったのだろうか。


 とは言え、通りを行き交うBMWやアウディ車の力強いエンジン音、大勢の客で賑わうマクドナルドやスターバックスコーヒー、スマホをかざすだけでバスに乗れる華為の決済システムなどを見るに、かつては貧困の象徴であったアフリカも世界経済の激流に上手く乗れば、新たなステージへと上れることを期待させもした。



「君は若い頃、この国にいたんだって?」


 足立は隣で歩いている日本人男性を見上げて尋ねた。背が非常に高く、がっしりとした体格や、歪に変形した拳が常人でない事を伺わせる。機内でたまたま乗り合わせた男だ。フードとサングラスで顔を隠すのは現地の人々に良い印象を与えないという足立の忠告にも耳を貸そうとせず、顔面積の実に半分を秘匿している。見た目通り変わり者のようだが、どういうわけかブニャ語を理解できるらしい。


「兄弟と一緒にいた」


 それだけ言うと、この大柄な男は口をつぐんだ。機内では手の内を明かさない語り口で足立に不審感を抱かせたが、殊更に足立との会話を避けていたというわけではない。蘇るあの日々、現実だったのかどうかもわからない少年時代の鮮烈な記憶、あの短い期間に出会った人々との思い出、そして兄弟への複雑な感情などが胸に込み上げてきて足立の言葉が耳に入らなかっただけだ。


「今日は兄弟と一緒じゃないのか?」

 足立が何気なく尋ねた質問に、今度はちゃんと返答してくれた。

「ガキの頃に、あいつをこの国へ置き去りにした」


 色々と複雑な事情がありそうだった。


「そ、そうか。で、行方不明のご兄弟を探しに来たと…」

 普通の人間ならこれ以上踏み入ろうとしないような重い話だが、足立は野心に溢れたテレビマンである。しばし思索に耽ると、微かに笑って言った。

「もし兄弟を探すつもりなら俺にも協力させてくれないか?一人では限界があるだろうし、テレビの力があれば、ずっと早く見つかる可能性だってある」


 少年時代にアフリカで生き別れた兄弟を探して、苦労の末に再会する。これで視聴率が取れないわけがない。もし死んでいても無名の役者を連れて来ればよいのだ。


「テレビには映りたくない」


 予想してはいたが、本人の同意が得られなかった。役者を二人用意しなければならないようだ。それにしても、何か衆目に晒されることをひどく恐れている様子ではないか。


「まあ…考えておいてくれ。デリケートな問題にテレビが関わるのを嫌がる気持ちはわかる。でも、お互い利用できるものは利用してもいいんじゃないかな」


 テレビマンである以前に一人の人間として、男として。面白いと思ったことにはバッシングなど恐れず突き進めばいい。それが時に身を滅ぼすとしても日和見でいるよりは自分に誇りが持てる。正義・配慮・公平中立などという言葉を聞くだけで足立は吐き気がした。


「気持ちは嬉しいが、おそらくテレビがいた方が話がややこしくなる」

「そうか…わかった」


 足立はあることに勘付き始めていた。素性を隠そうとするこの男が何者なのか心当たりがあったのだ。


 現在の東アフリカ共和国は20世紀以前の日本において旧名であるブニャニア王国呼びが一般的だった。現在の国名を世間に知らしめたのは、ある事件がきっかけだったと言われている。いわゆる『セントラルタウン61』と『東アフリカ共和国人質兄弟疑惑』だ。足立も例に漏れず、その時に同国の国名を知った。


「兄弟と再会したら、何をしたい?」

 差し障りのない質問で場を繕いつつ、足立は男の表情の機微を見逃すまいと、さりげなく、かつ注意深くその表情を観察した。


「先日、母が亡くなった。あいつがもし生きているなら、それを真っ先に伝えたい」


 こいつは家族関連の話題に爆弾しかないのだろうか。不憫な男である。敏腕ディレクター足立としての第一歩目で早くもこんな奴に出会うとは、幸先が良いのか悪いのか。


「俺に協力できることは何でも言ってくれ。資金面でも単純作業でもできるだけ協力させてもらうよ。テレビとは関係なく、友としてだ」


 足立は、自分がこんな気前のいいことを言うとは思わなかった。もしこの男があの時、数十台のテレビカメラの前でぐじゃぐじゃに泣いていた少年だったのなら同情するに十分な理由はある。リンチの熱が冷めた時に、人はようやく対象が死にかけていたことに気付くのだ。


「ありがとう。友か…」

 男はまるで初めて聞いた言葉かのように、トモという言葉を反芻していた。

「口だけじゃ信用できないか?それならLINEでも友達になっておこう。QRコード出してよ」


 強引な足立に男は戸惑いながら、しぶしぶスマートフォンを取り出した。予想通り──灰色単色の背景に一文字だけのアイコンだった。名前は読めない。東南アジアで使われているような文字だ。


「何かあったら連絡するよ。今夜一緒にメシでも食おう」

 足立はきんに君のスタンプを送りながら言った。軽いお誘いだが、男の口から返ってきた言葉は意外なものだった。


「あんた、ドゥベドゥベ族の集落に行くつもりか?」

 寡黙な男の妙に具体的な質問に少々戸惑いつつ、足立は笑顔を浮かべた。

「さすがに、よく知ってるな。Twitterで見たんだが、近頃"ドゥベドゥベ密教"と呼ばれる怪しげな宗教の謎めいた儀式がこの国の奥地で密かに行われているらしい。死者も大勢出ている相当危険な修行だとか」

 その修行を経た者は、文字通り不死身になる。老衰でも、爆弾でも死ななくなるのだという。こういう迷信を未だに信じる人々がいる辺りは、やはり発展途上国といった感じか。

「まさか、それを撮影するつもりか?」

「いやいや、そんなにお堅い内容ではないよ。あくまでバラエティだからな。今売り出し中の女優NAKOと、若手芸人”塩饅頭”の平地シュワルツネッガーを修行させるんだ。面白そうだろ?」


 足立の言葉に男は考え込んだ。アイドル上がりの女優と毒舌風刺芸人があいつらの前でおちゃらけるのか。見てみたい気もするが、無事に帰って来れるのだろうか。


 LINE交換の目的を一応果たした足立は時間を確認すると、言った。


「さて、俺はこれからホテルに戻って少し休むよ。君はどうするね?」

「俺は、女を買う」


 無表情で潔くそう言い放つ姿に男として若干の尊敬を抱きつつ、足立は鼻で笑うに留めた。恐らく性欲のためではあるまい。旅先で情報を得るために娼婦を利用するということだろう。意図はわかるのだが…。


「君ねぇ、ゴルゴ13じゃないんだから…」

「いいや、ゴルゴ13みたいな奴らを相手にするんだ。油断していては命が幾らあっても足りない」


 この国の娼婦は用を済ませた客を殺すんだろうかと足立は震え上がった。



 足立はセントラルタウンホテルに戻っていった。フードを被った大男は安いゲストハウスにチェックインすると、飾り気のない部屋の中でベッドに倒れ込んだ。仮りそめの安全な空間。あの日、あの時、キアモ・シンバで逃げ込んだ安らぎの空間、あの時と同じだ。下腹部が熱い。


 突如、激烈な感情が男の肉体を蝕んだ。様々な感情が複雑に結合して、もはやそれが心地よいものか不快なものなのかすら自分でわからない。ただ、あまりにも強烈すぎて、胸が締め付けられ、一人で泣いた。


──あいつは絶対に生きている。


 男がそう確信するのは確たる証拠があってのことではない。だが、全くの無根拠というわけでもなかった。


 日本にいた頃、YouTubeでブニャニア語動画を検索していると、ある一つの動画が目に留まった。オゴロ・バンヅ公園で撮影されたものだ。


 クリスマスに公園を出歩く大勢のカナズラ人たち。この国の多数派民族であり、キリスト教徒でもある彼らは日本人と同じかそれより少し小柄な者が多く、一般的な東アフリカ人といえば彼らのことを指す。


 手ブレの激しいその縦長の動画には、浮かれ騒ぐ群衆が映っていた。その中におっちゃんとおばちゃんがいる。どこにでもいるような中年の太った黒人の夫婦である。


 パレードに浮つく周囲の群衆が何かを見つけて空気が変わった。撮影者がその理由にカメラをパンさせると、明らかに顔つきや身体つきが尋常でない者たちが近くを闊歩しているのが見えた。体脂肪のない痩せた顔立ちに、正面を見据えながらも周囲を俯瞰して見ている目、どっしりとした太い脚に丸太のような胴体と頑丈そうな首、ボディビルダーほどには太くない腕や胸。そして無数の傷跡と銃創。


 さっきまであれほど浮かれ騒いでいた群衆の誰一人として彼らと目を合わせず、まるでそこにいないかの如く、ごく自然に彼らの周囲から人が離れていった。


 だがうっかり者はどこにでもいる。先程のおばちゃんが夫と喋るのに夢中で、知らず知らずの内に周囲から人がいなくなったことに気付いた。背後を振り返ると、坊主頭の屈強な大男たちが真後ろに迫ってきていた。


 男達は素直に彼女を避けて進もうとしたが、おばちゃんが慌てて避けた方と重なってしまった。さらに慌てたおばちゃんは急いで反対方向へ避けようとしたが、運悪く彼らもそっちに避けようとして、図らずも彼らの行く手を塞いだ形になってしまったのである。中年夫婦は生きた心地がせず、おばちゃんは地面にへたり込んでしまった。


 何を思ったのか、先頭に立つ刺青だらけの筋肉男が慇懃に西洋風のお辞儀をした。後ろの仲間達が笑っている。哀れなおばちゃんは何をされるのかと怯えていた。そんな彼女が何を思ったのか筋肉頭の男と手を取り合って立ち上がり、なんと優雅に二人でワルツを踊り始めたのである。


 周囲の者は何をしているんだと彼らに視線が釘付けになった。なぜこの状態で一緒にダンスを?


 それはおばちゃんの方もわかっていなかった。踊りたくなどないのだが、掴まれた手から込められる微細な力加減で重心を崩されては立て直し、転ばされそうになっては立ち上がる。その繰り返しがどうやら周囲の者にはダンスを踊っているように見えているらしい。


 優美な見た目とは裏腹に体力を激しく消耗し、息切れで死ぬんじゃないかと不安になった時にようやくおばちゃんは解放された。


 筋肉男は周囲のカナズラ人たちに深いお辞儀をしたが拍手をする者は誰もいない。そこにいた全ての者が神業的な"崩し"の技によって彼女が強制的に踊らされていたことを理解していたのである。悠々とその場を去っていく彼らをよそに、ターゲットにされた不運なおばちゃんは肩で息をしながら再びその場にへたり込んでいた。



 以上が動画の内容である。「polugat gavedja! (en: Weirdo Dance!)」と題したこの動画を見た時こそ、この世に残された最後の肉親の生存を確信した瞬間であった。なぜならば、このダンスのような奇妙な技は、その昔、清範が寅清と兄弟喧嘩する中で完成させていった、兄の得意技だったからである。

クリジェ【 kridge du nerebonge 】


ネレボンゲ射手長。1959年生まれ。視力9.0。

83件の殺人事件に関与。検察官チャーリー・アリバド殺害容疑。

肌は白く、髪の毛はブラウン、グリーンの瞳。

3km先のアフリカゾウ密猟者を射殺した記録を持つ。

兄弟からの信頼篤く、ネレボンゲ・クラン酋長ヤルクトから疎まれる。

怪我の治療中、エベレレ戦士グヂパッパに両腕を食べられて失血死した。

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