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赤い地平線  作者: 原島としはる
13/23

躊躇なく -nbew udunbul-

革命を成就する事と、彼らの力を借りる事に矛盾はない。

──東アフリカ赤軍・アメハメハ・ボボワ主席

 キアモ・シンバの療養室に漂う酸っぱい腐臭は、先日の浄水場跡の実験施設を思い起こさせる。ウヘロが股間を蹴り潰した男は微動だにしていないが、グヂパッパが投げつけたパイナップルは消えている。傷口を覆っていた包帯が切り開かれ、局部が剥き出しになっている。この腐臭はそこから出たものだろう。命の灯火は消えかけていた。


「ベンキよ、お前は私の誇りだ」


 死を待つ男の横にいたのは、従者を二人従えた巨大な男だった。


「てめぇ…やっぱりいたのか」


 そこにいたのはドゥベドゥベ戦士の現棟梁である戦士長クチャリンコであった。療養室に入ってくるなりいきなり怒っているグヂパッパを一瞥したが、すぐにベンキに視線を戻した。


「ぐっ…!無視しやがったな…!」

「ベンキよ、お前は私の誇りだ」


 仕切り直しとばかりに、クチャリンコが死の淵にいる男に再度呼び掛けた。死線を彷徨う者に言葉など届かないように思えたが、なんとベンキが声のする方へと首を向けた。生物が事切れる前に、残された最期の生命力を使って一時的に体力が回復することは珍しくない。これもその類のことだろうとグヂパッパは考えた。どう考えても助かりっこない大怪我である、死は目前だ。守衛の分際で戦士を軽んじた態度を取るからこうなるのだ。


「…戦士長」


 グヂパッパはぎょっとして糞を垂れ流している男を見た。鼓膜が破れているので内容までは聞き取れないが、今すぐに死んでもおかしくない男が意識を取り戻し、言葉まで喋った。


「私ならここにいる」

「俺は死ぬんですね…」

「馬鹿を言うな、お前は助かる。心を強く持て」


 クチャリンコの背後に立つ二人の若い従者はボスの言葉に顔を見合わせた。そういう嘘は普段から言わない人物だからだ。


「なぜ俺だけがこんな目に。なぜ…俺は戦士に殺されたんだ」

「殺されてはいない。これからも死ぬことはない」


「戦士長、俺をこんなにした奴に罰を与えてください」

「お前が自分で殺るんだ。いいな?」


「腹から腸が飛び出ているのがわかる。こんな死に方は嫌だ…」

「お前もくどい奴だな…私が死なんと言っているのだ。いいか、二度とは言わん。お前は助かる。お前は生きて、またウヘロに復讐することもできよう」


 またも二人の従者が怪訝な表情で見つめ合った。死を目前にした者に掛ける言葉にしては、その場しのぎの無責任な色合いがない。まさか本気なのだろうか。しかし助かるといってもどうやって?この部屋の名前こそ療養室だが、キアモ・シンバは病院ではない。医療設備もなければ保健室の先生すらいないのだ。


 クチャリンコは掌をくるりと回転させると、小さな箱を掌から出現させた。シャバーナイーンというドゥベドゥベ人が得意としたトリック技法で、彼の名がそのまま技名として定着したものだ。しかし今そんなことはどうでもいい。自分たちのボスが手中に出現させたものを見て、彼の護衛のみならず、ベンキまでもが「いやいや…」と奇怪な表情でこの大男を見上げた。


「戦士長。一体何をなさるおつもりで…」

 従者の一人、ウタマンキが思わず尋ねた。

「まずは麻酔だ。お前たちならば麻酔なしで手術しても平気かもしれんが、この男はウヂュメポコであって戦士のように強くはない」


 そう言いながらクチャリンコが箱をぱかっと開けた。中から取り出したのは、まち針であった。


「おいおい…」箱の中には他にも小さなハサミや糸、針が多数入っている。ウタマンキは唖然とした。「裁縫道具で何をするんです…」


 そんなウタマンキの言葉を当然のように無視したクチャリンコは、ベンキの鼠蹊部にまち針を躊躇なく、ぶすりと刺した。死にかけのベンキの口からぎゃっと悲鳴が漏れる。


「あ、あんた何やってんだ!?やめろよ、そんなこと!」

「お前も戦士のはしくれなら黙って見ておけ」


 主人にそう言われれば黙って見ておくしかないのが従者の定めだ。それでもウタマンキは心配げにベンキを見た。するとどうだろう、ベンキは自分に起きていることが信じられないといった様子でウタマンキを見返した。


「く、苦痛が和らいでいく…」


 ベンキの言葉に療養室の一同はしばらくの間、言葉を失った。たった一人、クチャリンコを除いては。


「ここは賤柱という経絡だ。ここに"針"を刺すことで下腹部の麻酔替わりとなる。覚えておけ」


 ホントかよと半信半疑ながら、東洋医学は何でもアリだなとウタマンキは感心した。ただ、記憶ではあんな太い針ではなかった気もする。


「よし、お前たち。こいつの両手両脚を抑えろ」

「は?あ…いや、了解」


 鍼の効果は部分麻酔のようなものなのだろう、念の為に手足の動きを封じておいた方がいいのはわかる。だが手術をするという言葉の真意はまだわからない。


 クチャリンコはベンキの股の間に椅子を置いて座ると、剥き出しの局部をまじまじと見た。


「おい見ろ、割れた坐骨が皮膚を突き破って露出している。ウヘロの奴、やはり"マナー"を使って蹴ったか。厄介なことをしてくれたものだ」


 裁縫箱から小さなハサミを取り出しながらクチャリンコが愚痴った。


「それ…糸を切るやつじゃ…」


 ウタマンキは言いかけて、止めた。言えばベンキを無駄に怖がらせてしまう。ウタマンキはまだ若く、クチャリンコやグヂパッパのように他人の苦痛に対する憐れみの心がまだ鈍っていない。慈悲の心が完全に麻痺しているグヂパッパでさえも、かつての親友である現戦士長の行動を怪訝な表情で見つめていた。


「おいおい…マジかよ?ほつれたパンティを縫うのとはわけが違うんだぞ」

「いいからお前も黙ってろ」


 クチャリンコが眉間にしわを寄せながらグヂパッパに言った。ハサミを手に持つと、傷口に切っ先を当てて、ちょきちょきとベンキの腹を手際良く切り開いていった。ベンキの全身が雷に打たれたように硬直している。


「ッ…!!…ッ!!!…!!!!」

「案ずるな、10分程で全て終わる。男がこのくらいの痛みに音を上げて何とする」


 腹部をある程度切り開くや否や、人差し指をぐりぐりと突っ込んでベンキの腸を引っ張り出した。


「なるほど、綺麗な腸をしているな。だが、損傷箇所から便が漏れて大変なことになっている」


 クチャリンコが腸の損傷箇所をハサミで大胆に切り取っていった。


「ぉ、ぉぉぉ〜ぉ!!!!」

「少し腸が短くなるが問題あるまい。今後はなるべく消化に悪いものを食べないことだ」


 幸いにも腸の傷は密集しており、そこをざっくり切り取っても、まだまだ長さに余裕がある。健康な腸をそれぞれ両手で掴むと、従者に差し出した。


「よし、今度はくっつけるぞ。しっかり持っておけ。なぁに、ソーセージを作るのとさして変わらん」


 ウタマンキは嫌だとも言えず、人生で初めて人の内臓を直接手で握り締めた。ねちゃっとした感触が掌いっぱいに拡がり、糞便の臭いもあって、天井を見ながら何度もえずいた。クチャリンコはお構いなしで左右の腸の接合部を針と糸でちくちくと繋げていった。ベンキは朦朧としていて痛みを感じているのか感じていないのかわからない。わかる事と言えば、鍼はあまり意味がなかったという事くらいだった。


「ぬるぬるしていてなかなか針が入らんな」そう言うと何かを思い出した様子でクチャリンコが顔を上げた。「おいベンキ、くれぐれも私に向けてウ○コしないでくれよ」


 ドゥベドゥベ戦士の棟梁は白い歯を輝かせながら二人の従者の顔を見た。滝のような冷や汗をかいて必死に吐き気と戦っている若い従者の仏頂面を見て、クチャリンコは少し首を捻ってから再び作業に戻った。


「よし、繋がったぞ」1mmの隙間もなく円筒状に腸を縫い終えたクチャリンコは、両手でぴんと引っ張ってしばらくその出来栄えをうっとり眺めていたが、やがて先程の切開部から完成した腸を体内にぐちゅぐちゅと指で押し戻していった。


 余談ながら、ドゥベドゥベ戦士は死体や内臓や糞尿をあまり恐れない。死体に怯えるようでは戦いに集中できないため、普段から『そういう訓練』をしているためだ。よって彼らは必要以上に残酷な方法で敵を解体することがある。19世紀、英国探検家のマーカス・ブリストルがその蛮行を手紙にしたためてヴィクトリア女王に英国軍の出兵を嘆願したほどだ。後日、彼は見るも無残な姿で発見された。


「ふう…あとは傷口の縫合か」手術が一段落したことで安心したのか、クチャリンコは世間話を始めた。「ヌぺぺ先生がここにいればもっと丁寧な手術をしてくれたんだろうが、今はいない。あの人はカーズを研究しているが、近頃はまるでマッドサイエンティストだ。私の叔父なので好きにさせているが、研究資金もそろそろ底をつくだろう。今度はどんな口実でカネを借りにくるのやら」


 ウタマンキは話をしっかり聞いていたが、感想を言うのは控えた。あくまで噂の域を出ないが、そのヌペペという人物は、例の"そういう訓練"に使用された死体をかき集めているとか。21世紀、来たるアフリカの食糧危機問題に向けて新たなカロリー源の探究でもしているのではないかともっぱらの噂だった。


「よし、縫合完了だ。あとはお前の気力次第だ…って気絶しているのか」


 痛みによるショック死の可能性もある中で気絶できたベンキは大変な幸運に恵まれたと言えよう。切除された自分の腸が股の間で乾燥していく間、彼はとても幸せな夢を見ていたに違いない。多大なる苦痛と引き換えに、逃れ得ぬ死という最大の恐怖から逃れられたのだから…。



「さて、帰るか」


 クチャリンコが椅子から立ち上がった。散々な思いをした従者らも、ようやくこの地獄のような空間から外に出られることで安堵の表情を浮かべている。クチャリンコがベンキの手術に使用した裁縫道具一式を療養室のゴミ箱に一発で投げ込んだのを見て、グヂパッパは改めて廊下でのことを思い出した。


「お前、ここから監視塔の『白霊』にパイナップルを投げてねえか?」

 なんというアホな質問だ、と言わんばかりの呆れ顔をクチャリンコがグヂパッパに向けた。

「そんなことができるなら私はオリンピックに出ている」

 にべもなく否定した戦士長に対して、ウタマンキが親切心から補足説明をした。

「大筋では合ってますよ。監視塔に十分近づいてから投げたんです。いくら何でもここから監視塔は遠すぎますからね。それでも200m程はあったんじゃないかな」

「云うな、ウタマンキ。こいつの鼓膜は破れたンゴマ(太鼓)のように役立たずだ」


 自分でそうしたにも関わらず、クチャリンコは「困った奴だ」と呟き、さっさとその場を立ち去ろうとした。


「待て待て!俺と『白霊』がPKしてることにどうやって気づいたんだ?地上にいる戦士が奴らを取り囲んだのはオメーがクキクキで指示したからだろ?ひょっとしてそこら中に盗聴器や発信機を仕掛けまくってんのか?」


 グヂパッパの質問に対し、クチャリンコが何かを答えた。


「ズゴォーって音しか聴こえねえし、もういいや」グヂパッパは己の耳を指で示した。「人の鼓膜をまるで破れたンゴマみてぇにしやがって」


 何気なく発した言葉で従者二人が笑っているのとは対称的に、クチャリンコは何故かムスっとしながら療養室を出ていった。


 やがて療養室は静寂に包まれた。そこにはグヂパッパのがなり声も、ベンキのうめき声もない。明かりといえば天空を怪しく彩るアキモンベの炎のみだった。少し前には死闘を繰り広げた二人が、今は仲良く隣同士のベッドで深い眠りに落ちている。



 その静寂を破ったのは、散歩から戻ってきた少年らである。療養室を出た時から一人増えていた。


「おえっ、くせー!マジかよ!こいつ内臓ハミ出させてんじゃねえか!」

「うわぁ…キョーレツだね。きっとウ○コと一緒に自分の腸まで出ちゃったんだ」

「…」


 ニャファド、ドゥカティ、寅清(トレイキー)。三人合わせても39歳にしかならない若いトリオだ。その内二人のドゥベドゥベ人には何が見えているのか大騒ぎしている。


 寅清は薄暗い部屋の中で恐る恐る目を凝らしてみた。確かにホルモンのようなグロテスクな物体が、ベッドに横たわっているおじさんの股の間に見える。だが肛門から腸の切れ端が出るなんてあり得ない。包帯も外されて局部が丸出しになっている。恐らくグヂパッパが何か悪ふざけをしたに違いない。


 だが寅清が驚いたのは、この悪臭の中でも平然と寝ているグヂパッパだ。ベッドから手足が大きくはみ出ているし寝心地は最悪だろう。やはりまともな神経の持ち主ではなかったようだ。


「おい」


 何やら考え込んでいる寅清に対し、ドゥカティと呼ばれた少年が手を差し出した。


「貸せよ」

「え?」


 ドゥカティは苛立った様子で差し出した手を上下に激しく動かした。


「チャカをよこせってんだよ、ケツ蹴り上げられてぇか?目が細すぎてなんも見えねえのかよ」


 ドゥカティの要求に対して、寅清は珍しく拒否の意思表示をした。正直こんなもの誰かに渡してしまいたい。でもこいつにだけはダメだ、そう直感が告げていた。


「よこせつってんだろが!」

「お前だけはダメだ!」


 ドゥカティは痺れを切らして寅清に殴る蹴る投げる極めるの暴行を加えた。ニャファドはそれを見ているだけで何もしない。正直、このおかしな髪型をしたヤツの攻撃は大したことがなかった。それでも、みぞおちに拳がめり込むと寅清はうずくまってしまった。虚弱な肉体では抗し得なかったか。首筋を足の裏で蹴飛ばされ、ベンキのベッド横に倒れたところで拳銃を強奪されてしまった。


「はぁ…はぁ…手間かけさせやがって。クソ、ふざけんな」


 肩で息をしているドゥカティは拳銃を握り締めると、その銃口をベンキの額に当て、なんの躊躇いもなく撃ち殺した。

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