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赤い地平線  作者: 原島としはる
12/23

300m

変ね、お互い向き合っているのにあなたの背中が見えるわ。

──ジャンヌ・シュヴァリエ


1969年、東アフリカ南部でアキモンベの取材クルーとして野営中に撮影された動画内での発言。現在消息不明。

 サヴァナ地帯に点在するドゥベドゥベ族の集落では、野生の動物が侵入してきて人や家畜に被害を与える事件が少なからず起きる。要塞のようなコンクリート壁に囲まれたエベレレ・クランの宿営地においても、その手の獣害が一切起きないとまでは言い切れず、外壁の四隅に聳え立つ監視塔の上で、屈強な戦士らが昼夜問わず周囲の気配を探っている。


 グヂパッパはニャファドらのいる療養室から一歩外に出た瞬間から何か強烈な圧迫感を感じていた。便所でたっぷりと腹の中のものを出してもその感覚は収まらない。もしやと思い、キアモ・シンバの窓から首を突き出して辺りを伺うと、ライフル銃を持った塔上の戦士達がグヂパッパに照準を合わせていた。ネレボンゲ・クランの戦士たちである。その気ならお前をいつでも殺せたぞというメッセージだ。


 彼らがそうする理由は無数にある。98年の東アフリカ赤軍基地では、目が合ったという理由でネレボンゲの歩哨を素っ裸にして半死半生の目に遭わせた事もあるし、先のセントラルタウンでのテロを引き起こしたドゥベドゥベ民族自治戦線(DEAF)の護衛をクビにされた理由は、ネレボンゲの論客と口論になり14回も腹を刺したからだ。もっとも、グヂパッパが特別クレイジーなのではなく、戦士でありながらこそこそ隠れて遠距離で戦うネレボンゲ一族は、昔ながらのドゥベドゥベ戦士から元々好意的に見られていない。


 グヂパッパは泥酔してはいるが、300m先の脅威がうっすらと感じ取れた。それはドゥベドゥベ戦士が長きに渡る戦いの歴史の中で会得してきた一種の超能力とでも言うべきか。マスケット銃がアフリカ大陸に持ち込まれた頃から彼らは銃弾を天敵として進化してきたのである。


 グヂパッパは監視塔に向けて両手の中指を突き立てて見せた。


「撃てるもんなら撃ってみやがれプッシーどもめ!テメェらの酋長ヤルクトのケツにこいつをブチ込んでやろうか?」


 そう言いながらグヂパッパは中指をくいくいと動かした。それを見た300m先の戦士らが怒りに顔を歪めている。彼らには劣るがグヂパッパも脅威的な視力を有していた。


 ネレボンゲの戦士らは挑発を返されたことで引くに引けなくなってしまった。声は聞こえずとも明らかに自分たちの祖父を侮辱していたが、この距離では引き金を引いた瞬間に避けられてしまうだろう。いかに大口径の銃弾といえどグヂパッパの心臓に到達するまで0.6秒ほどの時間を要する。戦士にとっては難なく躱せるテレフォンパンチである。


「俺の手元を隠せ。あのエベレレ野郎、ぶっ殺してやる」

 ネレボンゲ戦士らの指揮官であるクリジェが兄弟たちに命じた。肌が白く髪の毛がブラウンに輝いているが、れっきとしたドゥベドゥベ人である。


「手元を隠す」というのはブニャ語の慣用句ともなっており、容赦のない真剣勝負に踏み切ることを表す。言わずもがな、引き金を引く手元を相手に見られないようにする戦法に由来している。単純なようだが、ドゥベドゥベ戦士を相手に戦う時には非常に有効な戦法として知られており、ドゥベドゥベ戦士自身もドゥベドゥベ戦士を相手にする時は手元と銃口を隠す。


 ネレボンゲの『白霊』のトリガーと銃口がネレボンゲ戦士のシャツで覆い隠されたのを見て、エベレレの『狂巨人』の口元が歪んだ。こっちは丸腰、向こうは銃。戦士同士の戦いでしばしば起きるこの状態は"PK戦"などと呼ばれ、受け手は相手が射撃する前に回避行動を取れば臆病者のそしりを受ける。相手の手元が見えないため弾道が読めずゲーム性が高くて楽しい。勝負は互いの集中力と勘に掛かっていた。通常、このPK戦状態において丸腰側に弾が当たることは滅多にない。それでも現在、睨み合う両者の間には無風の乾いた空気のみがある。クリジェに幾分有利なコンディションであった。


 塔上でクリジェの兄弟たちが固唾を飲んで成り行きを見守る中、血の流れる予感を嗅ぎつけるようにベースキャンプ内のエベレレ戦士らが監視塔を取り囲んだ。中央コンピュータの命令に従うロボットのようだ。これこそがエベレレ・クランをドゥベドゥベ戦士最強たらしめた連携法『クキクキ』である。どのように彼らが監視塔の様子を察知できたのか謎、なぜ一斉に同じ行動ができるのかも謎。クキクキの指揮系統も情報の伝達手段もエベレレ・クランの独占技術であり、あまりに謎めいているため呪術の一種だとさえ信じられている。


「クリジェ、エベレレ戦士どもに退路を塞がれた」クリジェの弟、ベイジンが下を覗き込みながら言った。兄と違ってこちらはモンゴロイドの容貌の混じった小柄な男だった。「撃てば俺たち全員死ぬぞ」


 ドゥベドゥベ戦士の間で親しまれているPK戦も、その本質はあくまで殺し合いの喧嘩であるため、氏族間でそれを行えば大規模な抗争に発展することも有り得る。だが、白い肌をしたドゥベドゥベ戦士は意に介さなかった。


「ヤツは俺たちの血族を殺し、俺たちの血を侮辱した。それはヤツの血でなければ贖えない」

 兄の言葉にベイジンは軽く頷いた。

「わかったよ。俺も奴を今殺しておくべきだと思う」


 弟は塔のへりに立つと、退路に陣取るエベレレ戦士らに人差し指を立てて、それを自分の胸に向けて見せた。他のネレボンゲ戦士は関係ないから殺すならここにいる俺たちだけにしろ、という意思表示である。それに対してエベレレ戦士の一人が腕を上げて親指を立てて見せた。大丈夫、お前たち以外を殺すつもりはないという返答だった。


 300m先からその様子を見ていた巨人は目を丸くしていた。


「おいおい…あいつら中指立てられたくらいで死ぬ気かよ。まったく、戦士ってのはどうかしてるぜ」


 ロンドンで三年間暮らしていたことのあるグヂパッパは人生の捉え方が他の戦士に比べて若干異なる。美術家への道を断念して故郷の東アフリカ共和国に帰ることを決意した時は、それまでの努力が全て失われたような喪失感を覚えたものだ。だが、死が喪失するものはそれの比ではない。死の先には何もないのである。戦士たるもの人を殺すことはあっても、自分が死ぬのだけは絶対に避けるべきなのだ。


「あいつら、絶対に俺を仕留めてえんだろうな」


 初弾はわざと外してくるだろう。ネレボンゲなら2秒で次の弾丸を発射できる。こちらが避けた方向を見切った上で撃ち込んでくる二発目、三発目が勝負の分かれ道だ。


 塔の上ではクリジェの兄弟たちが来たる死に臨んで鬨の声を挙げていた。

「我らアキモンベの射手なり!ネレボンゲの精子を全世界の女に!男には弾丸を!」


 ネレボンゲ家の物騒な標語がベースキャンプ全体に響き渡った。


 意を決してクリジェがスコープを覗き込んだその瞬間、彼らの前方から何かが飛来してきた。物体は砲弾のような速度で放物線を描いて落下し、クリジェの下顎部に命中した。彼の白い肉体は勢いよく弾かれた頭部に引っ張られるかのように壁際まで派手に引きずられていった。


「な、なんだ?」


 ベイジンが慌てて兄を見た。兄は視点定まらぬ瞳を天に向けながら起き上がれない。脳内に張り巡らされた血管がずたずたになっているのだろう。その横にぐちゃぐちゃになった物体が飛び散っており、ベイジンは兄の中身が飛び出たのかと一瞬肝を冷やした。


 飛んできた物体──それは甘い香りを漂わせたパイナップルであった。


「パイナップル…なぜパイナップルが…!?まさか、ヤツが投げたのか?バカな…キアモ・シンバからここまで300mあるんだぞ!」


 ベイジンは信じられない思いでキアモ・シンバを見た。"ヤツ"は窓から首を出してきょろきょろと辺りを伺っている。どうやらあいつが投げたわけではなさそうだ。


 角度からしてキアモ・シンバから飛んできた事は間違いない。それはグヂパッパも同じ予測であり、自分の顔の傷口に手を当て、何かに思い当たった様子で顔をしかめていた。誰がこの危険な果実を投げたのか、ヤツにはわかったのだろう。誰なんだとハンドサインで尋ねてみたくなったが、止めた。


 何にせよ、このパイナップル一個で多くの血が流れる抗争が未然に防がれたのである。ベイジンは胸を撫で下ろすと同時に、これは最初から全てが筒抜けだったのかもしれないなと、未だ起き上がれずにもがいている無様な兄を見て思った。


 しかし事はこれで一件落着とはならなかった。兄弟たちがクリジェを介抱する間、キャンプ外への警備が手薄になっていたことは否めない。ネレボンゲ戦士が銃を持って周囲を警戒しているならば、そこは大統領官邸よりも安全だ。裏を返せば、彼らがいなくなった場所は一転して大きなウィークポイントと化す。エベレレ・クランの巨大なベースキャンプに異形の亡霊が引き寄せられていた。

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