2話
翌日、初夏の日差しが眩しい昼。エリーゼとマリアは練習用の木剣を振るう。
エリーゼの方は修道服に土や草を着け朝の粒を髪から垂らし肩を上下させ、マリアは息一つ荒げる事なく静かに木剣を構える。
二人の間に広がる実力差は明白だった。
「せやぁ!」
エリーゼが持つ木剣の突きをマリアは木剣の腹で防ぐ。
「はあぁ!!」
マリアが叫びながらエリーゼの木剣を振り払い蹴りをだす。
出された蹴りは回避され、追撃と言わんばかり木剣を振り下ろされる。
「甘い!」
振り下ろされた木剣をマリアは片足立ちと言う不安定な体勢で受け止めつつ振り払う。
攻撃を振り払われ後退する隙をマリアは見逃さなかった。
体勢をすぐに直しエリーゼに肉薄し、マリアの木剣が首に当たるギリギリで止めて鞘に納める。
「うぅ……一本もとれません……」
「いえ、前よりも強くなってますよ。でなければ、本気を出しませんよ」
「ほ、ホントですか!?」
褒められて喜ぶエリーゼを表情を変えずに見た後、汗を少し拭く。
仕事が何時もより早く終わり、書庫で本を読んでいたマリアにエリーゼが「剣の練習相手になって!」と頼まれ暇潰しにと引き受けたのだ。
『粛清使徒』になれる逸材だったマリアは剣術も人並みには出来る。剣を握った事もない人たち他の修道女よりも戦闘能力は高い。
無論、油断すればエリーゼにも一本取られかねないため油断も隙もなく容赦はない。
(剣術の素質はあるようですけど……)
エリーゼは頭はそこまで良くはない。だが、剣に関しては光るところがある。そうマリアは評価した。
剣の重さ、速度は本気のマリアよりも速い。技量も前に練習相手をした時よりも遥かに上達している。
次、闘ったらマリアの方が負けるかもしれない。マリアがそう思ってしまう。
「そう言えば、どうしてシスターマリアは息を荒げないんですか?」
「それは呼吸です」
怪訝な眼差しを向けるエリーゼにマリアは静かに説明する。
「息を吸って、吐く。体内の力を制御するのに呼吸はとても使い勝手が良いのです。咳をする際、全身の筋肉を使って排除するでしょ?それと同じ事を呼吸で行い、疲れを感じにくくしているのです」
「私にも出来ますか!?」
「……難しいでしょうね。これはあくまで補助的な技であり、何年もかけて会得する技です。一朝一夜でで会得することは出来ません」
「そんなぁ……」
涙で見てくるエリーゼを見ながらマリアはやれやれと首をふり室内に戻る。
エリーゼの剣の腕前は確かに日に日に高まっている。だが、それ故に細かい補助的な技術はそこまで高くない。
だが、それを上げる事は難しい。
上げる事は難しいが故に他の人たちはそれらを切り捨てて底上げしやすい技術を高めているからだ。
それに、それらの技術は教える者の特性が色濃く出る。マリアとは別の人に教わっているエリーゼに教えたところで意味がない。
「おや、シスターマリア。どうかしましたか?」
「……ピレネー神父」
再びやることがなくなり、暇潰しにと礼拝堂の隣にある倉庫で聖油や聖水の在庫をしていると初老の神父が倉庫に入ってくる。
入ってきた神父は「手伝うよ」と言って木箱の中身を確認しながら適切な棚に置いていく。
ピレネー神父は元は『粛清使徒』の一人であり、多くの『魔女』を捕縛し火刑で殺した。
だが、数年前まだ幼かったエリーゼを養女とした事を契機として『粛清使徒』を止めこの教会の神父となった。
神父となって以降、信徒たちの子供に勉学を教えたりミサの際に説法を説いたりと精力的に活動しており、街では一定の信頼を置かれている。
「先程、シスターエリーゼと模擬戦を行っておりましたがどうでしたか?」
「……前よりも実力が上がってます。次に戦えば、私が負けるかと」
木箱を置きながら問われたピレネーの質問に作業を止めて答える。
エリーゼに剣術を教えているのはピレネー神父である。剣術の腕は現役時代よりも落ちたと言っているがそれでも十分に強い。
「夜に伝える事でしたが少し伝えておきましょう。……明日、王都より『魔女』がこちらに移送されます」
「……分かりました。後でエリーゼに伝えておきます」
肩を叩き立ち去ったピレネー神父を見つめた後、作業に没頭しながらマリアは動揺を隠しながら思う。
(……またですか)
エリーゼは元はごくごく普通の街娘だった。だが、あの戦争の際にたった一人の魔女の手によって街は壊滅、両親を目の前で焼かれることとなった。
その苦い経験からエリーゼは魔女や魔術を嫌悪し彼らを粛清する権限を持つ『粛清使徒』になろうとしているのだ。
そんな彼女に魔女が来ることを伝えるのは同室のマリアの仕事である。
(どう伝えましょうか……)
「あらあら、お困りかしらお嬢さん」
エリーゼにどう伝えるべきか考えていると背後から声をかけられる。
マリアがため息をつきながら作業を止めて振り向くとそこには妙齢の女性が椅子に座って本を読んでいた。
黒を基調としたローブの上に黒いマントを羽織り頭に三角帽子を着けている。まさに、正しく魔女だ。
「……それは誰の『顔』ですか『変貌の魔女』ミスティア」
「あらあら、そんな事を気にしちゃうの?」
あまりにも悠々と本を読む魔女をマリアは見下す目線で見つめる。
『変貌の魔女』ミスティア。物体や生物を自由に変化させる魔術を得意とする魔女。常に顔を変化させるため『粛清使徒』や各国の騎士団ですら足取りを追うことが出来ない魔女である。
この魔女とマリアの関係は一年前。マリアがこの修道院に入ってすぐの頃。とある事件の過程で知り合うこととなった。
この事件のせいでマリアの事が世間に知られ、結婚の打診が来るようになってしまったのだ。
(……捕まえるつもりはないですけどね)
ミスティアの本業は薬。街ではそこそこ有名な薬師である。犯罪を犯している訳ではないため、マリアは見過ごしている。
「適当な村娘の顔を貸して貰っているだけよ。まあ、気に入っている顔の一つでもあるわ」
「……それで、目的はなんですか?魔女である貴女が教会へ侵入するなんて自殺行為をする程の事でもありますか」
「あら、さっき神父が言ってたじゃない。『魔女が移送される』と。その魔女、冤罪よ。妨害、しないでね」
「やはりですか」
理不尽とも呼べる裁判を受け処刑される人たちの多くは冤罪である。
普通よりも少し違った思想を持っていたり体に欠陥を抱えていたら、それだけで魔女や悪魔憑き扱いされてしまう。
そんな理不尽な理由で殺される人たちを無くすため、本物の魔女たちはそう言った人たちを救出しているのだ。
その際、邪魔になる『粛清使徒』と教会の人間。ミスティアはその中でも高い戦闘能力を保有するマリアに釘を刺しに来たのだ。
「別に構いませんよ。勝手にやって下さいな」
「ふふ、ありがとう。……それで、こんな薄暗いところで何をしてるの?」
「聖油と聖水の管理です」
「マメねぇ……あぁ、それと」
立ち去ろうとしたミスティアが立ち止まり振り返る。
「この街、例の連中に狙われてるわよ」
「……分かりました」
そう言うと新しい姿に変身したミスティアは立ち去る。
(……連中、何を考えているの?)
心の中で嫌悪感をむき出しにしながらマリアは管理を進めるのだった。
その後、エリーゼに伝える機会がなく夜の時間になる。
何時ものように頭を抱えるエリーゼに暇潰しにと勉強の手伝いをする。
「ううーん……」
「そこはこの本のここから考えた方が良いですよ」
「ありがとう!」
新しい本を渡したエリーゼはこっちを向いて笑顔を向けてくる。
「ねぇ、マリア」
「何ですか、エリーゼ」
「マリアはここに来る前に何をしていたの?」
「…………」
エリーゼの無邪気な問いに本を太腿に下ろして押し黙る。
少し考えた後、マリアは言葉を紡ぐ。
「……この国よりももっと北、雪が常に積もっていた村に住んでいました。人口は四十人程度でみんな顔を知っていて村人と言うよりも一つの家族のような場所でした」
「いい村だったんだね」
「ええ。ですが、私が七歳の時、魔女に襲撃され、私を除いて全滅しました」
「えっ……?」
マリアの重い告白にエリーゼは呆然と呟いてしまう。
だが、マリアはそれを見て少し不服そうにしながら言う。
「十一年も前、『滅魔戦争』の時期ですよ。私のような孤児は多いですし、貴女もそうでしょ?驚くことはありませんよ」
「けど……マリアはお義父様に拾われなかったのですからかなり辛い思いをしてきたのではないでしょうか」
「……ええ。ですが、野に広がる雑草のように踏まれてもしぶとく生きてきましたから」
そう微笑むと再び本を取り出して、そういえば、とうっすらと笑みを浮かべて話す。
「野に広がる雑草は、案外見ていて心が和むものですよ。ですが、見た目に反してとても面白いものにもなります」
「面白い……もの?何々?」
「食べ物でしたり……毒草だったり……様々ですよ。一説には、『魔女』の薬にも使われているとか」
魔女、という単語をエリーゼが聞いた瞬間目を細める。
だがマリアはそれを意に返さない。エリーゼが不機嫌になる事は最初から折り込み済みだからだ。
「本当に雑草と言うのは面白いでしょ?食べ物にも、薬にも、毒にもなる。必要なのは正しい知識と正しい技術ですよ」
「……確かにそうだね」
「という訳で宿題追加です」
「うひーん!!」
涙目でしがみついてくるエリーゼを無視してマリアは本に挟んだ手書きの羊皮紙の問題用紙を机に出す。
マリアもエリーゼを『粛清使徒』にさせるためにと最善を尽くしている。そのため、たまに問題を自作しているのだ。
エリーゼの勉強を毎日見ているマリアはどれが得意でどれが不得意かしっかりと理解しているため苦手な部分をとことん出す。そのためエリーゼからは不評だが。
「皆さん、こちらを向いてください」
エリーゼがしくしくと涙を流しながら問題用紙を解いているとピレネー神父が扉を開けて入ってくる。
何時もは柔和な表情を浮かべるピレネー神父が何時になく真剣な表情で入ってきたため全員がそちらを向く。それほどまでの威圧感を発していた。
「明日、この街に『魔女』が輸送されます」
『嘘でしょ……?』
『また始まるのね……』
ピレネー神父の静かな言葉に修道女たちに喧騒が広がる。
だが、それもピレネー神父が手を叩いた瞬間静まりかえる。
「そして、『魔女』を取り返さんとする『魔女』たちがいます。十分に警戒してください。では」
ピレネー神父は伝えるべき事を伝えると食堂から去る。
『魔女に呼び寄せられる形で魔女が来るの?』
『こんな事があるなんて……』
『普通じゃないわ……』
食堂内で広がる喧騒にマリアは表情に出すことなく内心とても珍しいことながら怒りのあまり舌打ちをする。
(ちっ……しっかりバレてるじゃない。何をしているのよ)
元々、魔女の救出作戦はバレてない事を前提に話を進められていた。だが、その計画がバレていた。
これは致命的どころの話ではない。
『奇襲する事』が前提である以上奇襲される事を『知っていれば』どうとでもなる。逆に返り討ちに合う可能性が高くなる。
マリアにとってミスティアたちがどうなろうと知った事ではない。だが、それに関わっていると知られるのはかなり困る。
魔女と関わりを持つことも教会は厳罰と定めているからだ。もし、知られれば即刻処刑されてしまう程に。
(明日、ミスティアに話をリークしておきますか)
「マリア……」
思考を整えたところでエリーゼがマリアの服の袖を掴み見上げていた。
その瞳には憎悪の感情が籠り行き場のない怒りに苦しんでいた。
そんなエリーゼをマリアは抱き締める。
「大丈夫、心配しなくても良いですよ。その魔女は貴女の復讐対象ではありません」
「でも……うん、分かった」
エリーゼを平静に戻したところでベルが鳴りマリアたちは自室に戻る。
自室に戻ったマリアは服を脱ぐと明日の支度をする。
それを布団に寝転がって見ていたエリーゼを少しだけ見惚れながら尋ねる。
「マリアの買い出し当番って明日だったよね」
「はい」
当番とは、教会の食事を作る当番制の仕事である。その中でマリアは明日の買い出しの当番なのだ。
買い出し当番は市場にだけだが向かう事ができる。そのため、ミスティアのところに行きやすい。
(それに、ミスティアの店は常人には見つけにくいですしね)
ミスティアの店の見つけにくさとマリアの買い出し当番が重なり、伝える事ができる。少なくとも、夜中に抜け出すよりは簡単である。
「マリアのご飯が食べたかったなぁ……ふわぁ、お休みぃ」
「ええ、お休みなさい」
小さくあくびをしたエリーゼが布団にうずくまり寝息をたて始めた頃にマリアも布団に入り眠りにつく。