これからのことと、呼び方 ②
「ベルレナ。お前は今日から俺の娘だ。此処で俺の娘として過ごしてもらう」
「うん。わたし……なに、する?」
この身体は何処からどう見ても、ディオノレさんの血縁者にしか見えない。ディオノレさんにそっくりだ。だからわたしが娘と名乗れば、皆、疑いはしないだろう。
ディオノレさんはわたしを使うと言っていた。
使うというのは、お父様が使用人たちに命令を下していたように、何かをやってもらうことだと思う。ならば、わたしはディオノレさんのために何をしたらよいのだろうか。
わたしはディオノレさんのおかげで此処にいる。
誰にも知られないままに、消えていくはずだったのに。身体を得て、わたしは今、生きている。
「何もしなくていい。ベルレナは俺の娘として過ごしているだけでいい」
「でも……」
「子供は余計なことを考えなくていい。それにお前が動いているだけでも俺にとっては研究の成果だ。お前が動いているのを記録しているだけでも俺の研究に役立つ。だから普通に好きなようにしとけ」
「好きな……ように?」
「そうだ。ホムンクルスに彷徨っている魂を入れたらどうなるかというのを観察したい。お前、元々その身体と同じぐらいの年代だろう。だからこそ、観察し甲斐がある」
よく分からないけれど、ディオノレさんにとってわたしがただ好きなように過ごしているだけでよいらしい。本当にそれでいいのだろうか……と不安になってしまう。好きなように過ごしていいとは言われたけれど、ディオノレさんに迷惑をかけないようにしないと。
それにこの家にやってきたのは初めてで、わたしはこの家の何処に何があるかも分からない。そのあたりも覚えておかないと。
それにそもそも、この身体はまだ立ち上がることさえも出来ない。上手く身体を使うこと、上手く言葉を発する事――まるで赤ん坊みたいに、そこからわたしは始めなければならない。
赤ちゃんの時の記憶は流石にない。わたしの一番古い記憶は、三歳ぐらいの記憶だろうか。お母様がわたしのことをぎゅっと抱きしめてくれた思い出がある。お母様のことを考えると、少しだけ悲しくなった。この二年で、お母様にとっての“ベルラ・クイシュイン”はとっくの昔にわたしじゃなくて、あの子になった。
「ベルレナ」
「なに」
「お前、俺に聞きたいことはあるか? あるなら聞け」
聞きたいことはあるか、とディオノレさんは私に問いかける。
聞きたいこと……考えてみれば沢山ある。ディオノレさんの使っている魔法について。魔導師って何なのかについて。ホムンクルスってなんなのか。そしてこの家は何処にあるのか。
それに……一番聞きたいのは、わたしに起こったことについて。神の悪戯とディオノレさんは言っていた。百年に一度くらい、時々起こるって。その出来事についてわたしは怖いけれど、知りたい。だってまた同じことが起こったら怖いから。
「ディ……さんは」
ディオノレさんと口にしようとして、言葉が続かなかった。ディオノレという名前は、いまのわたしにとっては口にするのが難しく、長い。
名前さえも呼べないなんて……とちょっと落ち込んでしまう。
「呼びやすい呼び方で良い」
そんなことを言われて、わたしは首をかしげてしまう。呼び方……って難しい。わたしはどんなふうにディオノレさんのことを呼べばいいのだろうか。
なんて思っていたら向かいに座っているディオノレさんがわたしを見て言う。
「お前は俺の娘になるんだろーが」
「……おとーしゃ」
「もっと呼びやすいのでいい」
お父様、お父さん、そう言った呼び方をしようかと思ったのだけれど、呼べなかった。なんだかおとーしゃなんて呼んでしまうなんて恥ずかしい。わたしはそんなに子供じゃないのに。
だけど、そうなったらなんて呼ぼうか。
なんて呼んだらいいだろうかと考えて、わたしは呼びたい呼び名を思いつく。
「パパ」
一番呼びやすくて、簡単に呼べる父親を呼ぶ名前は――パパだった。だからわたしはそう呼んだのだけど、ディオノレさん――パパが固まった。わたしは選択を間違っただろうか、他の呼び名をしなければならないだろうか。
そう不安になったが、
「……パパか。それでいい。それが呼びやすいんだろ」
と少しだけ小さくパパは笑っていた。
パパという呼び名に驚いていただけで、問題はなかったらしい。パパと呼ばれて小さく笑ったパパは、何だか綺麗だった。
「パパ」
わたしはパパと口にして、真っ直ぐにパパを見る。
「えっとね……パパ」
パパはわたしがしゃべりだすまで、ゆっくりと待ってくれている。パパのそのやさしさに、わたしは心がじんわりとした気持ちになるのを感じた。