新しい身体 ③
「ん……」
口から声が漏れる。
パチリッとわたしの目が開く。
気づけばベッドの上に眠っていた。見慣れない天井に、此処はどこだろうかと、不思議な気持ちになる。
身体を起こす(・・・・・・)。
ベッドはふんわりとした弾力があって、いつまでも眠っていたい気持ちになった。久しぶりのベッドの感覚は、わたしを永遠の眠りに誘いそうなほど心地よかった。
此処は何処だっけ。
わたしは、どうして寝ているのだっけ。
そこまで考えてはっとなった。
「え?」
わたしには、身体がないはずだ。
わたしは、眠ることさえも二年前から出来なかったはずだ。
なのに――、わたしは今、言葉を発している。そして確かにベッドの感触を感じている。手で、ベッドを触る。ちゃんと、わたしは触れてる。驚いたまま、顔に触れる。もちもちとした肌を、手で感じる。髪を手に取る。雪のように真っ白な髪が、わたしから生えている。
ベッドから降りて立ち上がろうとして、足がもつれた。
まるでしばらくの間、歩いていなかったかのように――、まるで歩くことを知らない赤ちゃんのように――わたしは歩けない。
わたしは冷たい木の床に座り込みながら、前を見る。そこには全身を映す大きな鏡があった。わたしはそれを見る。そこに映っているのは、真っ白な髪のかわいらしい少女だった。その開いた目は、お月様のような黄色。
わたしは自分の顔に手を当てる。
鏡の中の少女も顔に手を当てる。
わたしは自分の髪を引っ張ってみる。ちょっと痛い。
鏡の中の少女も髪を引っ張っている。
わたしは鏡に手を伸ばしてみる。
鏡の中の少女もわたしに向かって手を伸ばしている。
……わたしはそこまでやってようやく、この少女が今のわたしなのだと理解する。そして意識を失う前のことも思い出した。
この真っ白な髪の少女がディオノレさんの生み出したというホムンクルスというもので、魂がないとディオノレさんがいっていて――そしてわたしはディオノレさんにこの身体に入れられた。
わたしはどうしようもなく、泣きたくなった。
身体をもらってよかったのか、というその気持ちも強い。けど、それよりも――久しぶりの身体の感覚が嬉しかった。
わたしの身体を使う誰かに、身体を奪われ、わたしはずっと漂っていた。
身体の感触も、痛みも――何も感じられなくて、ただそこにいて、悲しんでいるだけのわたしだった。
確かにわたしは、自分の身体に触れられる。
確かにわたしは、周りにあるものに触れられる。
床に座り込むと冷たいのだということも、久しぶりに思い出した。
お母様に見られたらはしたないと言われるだろうけれども、この冷たい床の感触を私は感じたかった。この冷たさも、久しぶり。
立ち上がることが出来ないので、べたりと身体を床にくっつける。
そして天井を見上げながらゆっくりと思考する。
そういえば、意識を失う前のこの身体は服を着ていなかった。でも今はワンピースを着ている。
ディオノレさんが着せてくれたのだろうか。
それにしても……ひんやりとした床の感触が気持ち良い。
冷たすぎて思わずくしゅんとくしゃみがでる。そのくしゃみさえも嬉しくて、なんだかおかしくなって笑ってしまう。
「あはは」
自分の口から洩れる笑い声。
――前のわたしの身体とは違う声。だけど、確かにわたしが発している声。自分で声をあげることが出来て、その声を自分で聞くことが出来る。そんな当たり前のことをわたしは二年間出来なかった。だから、嬉しい。
思えばわたしは、この二年、笑うことはなかった。もちろん、笑っても誰にもその笑い声は届く事はなかったけれども――それでも魂だけの状態になっていて笑うことはなかった。
ただ身体を取られてしまったことが悲しくて、苦しくて――どうして家族が気づいてくれないのだろうってそればかり考えていた。
そんなわたしが、今笑ってる。
ああ、嬉しい。
昔のわたしなら、床の冷たさやくしゃみが出来るだけで笑うことはなかった。皆が言うように、色んなことが出来たのにもっともっとって我儘だった。ただ家族たちと笑いあえるだけでも幸せだったのに。――わたしはそれを当たり前だって思ってたんだなぁと今だからこそ分かる。
そんなことを考えていたらガチャリと扉が開かれた。
そして寝そべっている私の視界には、足だけが見える。
「……何やってる?」
「あ、ディ……さん」
やってきたのは、ディオノレさんだった。
ディオノレさん、と口にしようとしたけれど、この身体はずっと言葉を発してこなかったのだろう。言葉が続かなかった。
「つめ……たい。良い」
「冷たいのがいい? わけわからない奴だな。とりあえず来い」
わたしはそう冷たく言われて、慌てて立ち上がろうとする。だけどやっぱりこの身体は動く事をしばらくしていなかったからか、上手く立ち上がれない。
「……ああ、そうか。ずっと眠っていた身体だからな」
ディオノレさんはそう言うと、何かを呟いた。それが何のかわたしには分からなかった。
次の瞬間には、わたしの身体が浮いていた。
「え」
びっくりして、変な声が出た。
そしてわたしの浮いた身体は、すたすたと歩くディオノレさんに勝手についていくのだった。