パパとわたしの記念日と、居場所の話 ④
「ふぅ……」
息を吐く。
今、わたしはお出かけの準備をしている。身にまとっているのは、お出かけ用のシャツと桃色のスカートである。パパと出かけた時に購入したものだ。
わたしは緊張している。――というのも、パパと一緒に“ベルラ・クイシュイン”だった頃の居場所を見に行くことになっているから。
わたしはこの一年ですっかり、自分を“ベルラ”ではなく“ベルレナ”と認識するようになっていた。
それってある意味わたしが子供だったからかもしれない。もっと大人になってから、わたしが神の悪戯にあったら、こんな風に割り切れは出来なかったかもしれない。
うんと小さな赤ん坊の頃の記憶は流石にわたしも記憶がない。ちゃんと記憶がおもい出されるのは三歳とかそれぐらい。六歳の時にわたしに神の悪戯がおこり、それから二年、わたしは身体の外にいた。そしてその後、一年はベルレナとして生きていた。
だからわたしは忘れたことなどはないけれど、“ベルラ”だった頃のことを少しずつ、夢のような感覚で見ている。当然、ベルラとして生きていた時のことは覚えていて、忘れてなんていない。……けれど、それでもわたしの年齢の子供にとっての三年間はとても大きかったのだと思う。
「ベルレナ、準備は出来ているか?」
パパから部屋の外から声をかけられ、わたしは「うん」と頷きながらパパの元へと向かった。
「パパ、やっぱり少し緊張するね」
「……俺はベルレナがやっぱり戻りたいっていうんじゃないかと少しハラハラしているよ」
「ふふ、パパは心配性だね。いったでしょう。わたしはパパの娘でいたいんだって」
パパが口にした言葉に、わたしは笑いかけた。
わたしも“ベルラ”として生きるあの子を見にいくことにドキドキしていたけれども、パパも同じようにそういう気持ちを抱いているのだなと思うと、わたしは何だか気持ちが軽くなった。
わたしはパパの娘。
そのことをより一層思ったから、パパの手をひいて、「行こう」と口にした。
そしてわたしはパパと一緒に、クイシュイン公爵家の屋敷のある街に向かった。
久しぶりに訪れるその場所。そもそも小さかったわたしは街に出ることも少なかったから、その記憶も朧気だけれども――それでもなつかしさはあった。
パパと一緒に飲食店に向かえば、そこでクイシュイン家の話を聞いた。クイシュイン公爵家はこの街を治める貴族なので、噂話も当然される。
“ベルラ”として生きているあの子は、有望で器量が良い優しい女の子として知られているらしい。一時期我儘だと噂されたのが嘘のようだとそんな風に言われていた。
少しだけ胸が痛んだ。やっぱり昔のわたしは我儘だったのだと実感したから。――でもパパがわたしに笑いかけてくれた。そう、わたしはもうベルラじゃない。
パパと一緒にわたしは、“ベルラ”として生きるあの子を見にいった。
クイシュイン公爵家は大貴族のため、不審な者は近づく事は出来ない。だけど、そこはパパの魔法の出番であった。
パパはありとあらゆる魔法を使うことが出来る、魔導師である。パパが最初に言っていた“魔導師とは、魔を導く者だな。魔法を誰よりも知っている存在”というのは正しくその通りなのだと思う。
パパが指を鳴らせば、わたしとパパの姿は周りに気づかれなくなった。
「わぁ」
「……ベルレナ、声をあげるのはやめような。声をあげると流石に気づかれる」
「うん。分かった。静かにする」
思わず声をあげてしまえば、パパに注意を受けた。その言葉にわたしは頷く。その後、検証をしてみたら声をあげたりしなければ――、目立つ行為をしなければ、わたしたちが此処にいても周りが気にしないと言うのがわかった。
もちろん、魔法というのは万能ではなく、何かの拍子に気づかれることはあるらしいけど。
でも流石に不法侵入などをしようとは思わないので、公爵家の屋敷の近くから様子を見ることにした。
遠くから覗く魔法もあるらしいのだけど、わたしが“ベルラ”として生きているあの子をちゃんと見たいと言ったから、こういう方法を取ってくれたのだ。
わたしとパパがじっと見ていれば、馬車から“ベルラ”として生きているあの子が下りてきた。
美しい赤い髪と、水色の瞳の少女――ベルラ・クイシュイン。
三年前まで、わたしが使っていた身体。その少女を見て不思議な気持ちになった。三年前まで、わたしがベルラだった。けれど、わたしは今、ベルレナだ。
不思議と、嫌な気持ちも、憎しみも感じない。――それは隣にパパがいてくれるから。わたしの側で、わたしを見守ってくれているから。
「ただいま帰りましたわ」
そう言って微笑むあの子は――三年前のわたしと同じ顔だけど、なんだろう、自分のことだけど――昔のわたしと雰囲気が違うように思えた。こうしてパパの側で過ごしていて、自分のことを考えて、やっぱり昔のわたしは我儘だったんだなと思った。
侍女の顔が優しい。ただ一瞬の姿を見ただけでもそれが分かった。
屋敷の中のことは、パパの魔法で覗き込んだ。何だか悪いことをしている気分になったけれど、少しだけだからと見てしまった。
そこで垣間見た姿は、わたしの三年前の姿とは違った。
今、“ベルラ”として生きているあの子は――三年前のわたしとは違う。けれど周りにとってはあの子が“ベルラ”であり、あの子だからこそ周りはあれだけ“ベルラ”に優しくしているのだろう。
そのことが少し見ていただけでもわかった。
――それをわたしは、穏やかな気持ちで見ている。
「パパ、行こう」
「もういいのか?」
「うん。やっぱりあの子が“ベルラ”で、わたしは“ベルレナ”だよ」
――わたしはあの子の暮らしを覗き見して、そのことを実感した。わたしはもうベルラ・クイシュインではなく、魔導師ディオノレの娘であるただのベルレナである。
そうしてわたしはベルラ・クイシュインという、昔のわたしと決別した。
 




